第15話 別の未来

 透矢は妹達を連れて、自宅に帰った。賑やかな連中が一気にいなくなったことで、家の中が急に静かになったような気がした。


 俺は縁側に寝転がり、厚い雲に覆われた夜空を見上げていた。先ほどの透矢の言葉が脳内を巡る。


 日和に告白をする。さっきの言葉は、ただの冗談だったのだろうか?


 透矢は冗談を言うことも多いけど、人を惑わせるような嘘はつかない。あの言葉がただの冗談とは、どうしても思えなかった。


 もしも、透矢が日和に告白をしたらどうなる?


 日和が異性として透矢を見ているとは正直考えにくい。普段の接し方からして、手のかかる幼馴染という認識が妥当だろう。


 だけど、告白がきっかけで意識し始める可能性はある。


 透矢の顔は整っているほうだし、優しいところもある。

 それに底抜けに明るいあいつといると、ぐちぐち悩んでいる自分が馬鹿らしく思えてくるときもある。透矢には人を笑顔にする才能があるんだ。


 透矢のそういった魅力に気付けば、彼氏として選んでも不思議ではない。そうなれば、透矢と日和が付き合う別の未来が待っているのではないか?


 そんなことをぼんやり考えていると、ペタペタと裸足で廊下を歩く足音が聞こえた。身体を半分起こして足音のする方向に視線を向けると、パジャマ姿の朝陽がいた。


 朝陽は濡れた髪をタオルで乾かしながら、俺の隣に腰掛けた。


「ねえ、さっき透矢さんと何を話していたの?」


 興味津々と言わんばかりの瞳で尋ねてくる。その質問に、俺は適当に答えた。


「男同士のろくでもない話」

「えー、なにそれ。ウケる!」


 朝陽はケラケラと笑っていたが、それ以上は追求してこなかった。


 夜風と共にふわりとシャンプーの香りが漂ってくる。

 普段だったら意識してしまうシチュエーションだけど、相手が朝陽だと心が乱されることはなかった。こいつが娘だと理解しているからだろうか?


 ぼんやりと朝陽の横顔を眺める。くっきりとした二重瞼や形の整った鼻筋は、日和とそっくりだった。


 朝陽の顔の造りを観察していると、ふいに質問が飛んできた。


「パパはさ、本当は小説家になりたかったんでしょ?」


 思いがけない質問が投げかけられ、思考が停止する。固まっていると、朝陽が俺の顔を覗き込んできた。


「夢を諦めたのって、私のせいだよね?」


 俺が小説を書けなくなった理由は、小説に心を割く余裕がなくなったからだ。四六時中泣き叫ぶ朝陽の相手をするのが精一杯で、ほかのことを考える余裕がなくなったからだ。


 だけど、そんな事情を話したところで、朝陽に罪悪感を植え付けるだけだ。小説を書けなくなったのは俺のキャパシティーの問題だ。朝陽を理由にするのは間違っている。


 俺は朝陽の視線から逃れるように俯いた。


「才能のない自分に気付いただけだよ」


 自ら発した言葉のはずなのに、落胆している自分がいた。言葉にすれば、それが真実のように思えてしまうからだ。


「そっか……」


 朝陽は目を伏せながら小さく呟いた。その表情からは、どことなく悲しみが滲んでいた。


 俺は辛気臭い空気を変えるため、全く別の話題を振った。


「そういえば、お前はどうしてタイムスリップなんかしたんだ? 単に金目当てだったってわけでもないだろう?」

「あー、それ気になっちゃう感じ?」


 朝陽は辛気臭い空気を振り払うように、ぎこちなく笑った。そのぎこちなさに気付かないふりをして、会話を続ける。


「もしかして、母親に会いたかったからか?」

「うーん、それもあるけど、きっかけは別の理由かな」

「別の理由ってなんだよ?」


 そう尋ねると、朝陽は「うーん」と唸りながら何かを考え込むように目を細めた。


「見たいものがあったんだ。ごめん、それ以上は聞かないで!」

「なんでだよ?」

「言ったら見られなくなっちゃいそうだから」


 朝陽はごまかすように、アハハとわざとらしく笑った。その反応を見て、それ以上追及する気が失せた。


 話が途切れた瞬間、朝陽は目をしょぼしょぼさせながら大きなあくびをした。その様子を見て、俺は縁側から立ち上がった。


「そろそろ寝るか」

「そうだね!」


 朝陽も立ち上がり、俺の後に続いた。それからにっこり笑いながら、小さく手を振った。


「おやすみ、パパ」


 その仕草は、妙に子どもっぽく見えた。俺の頬が自然と緩む。


「ああ、おやすみ」


 そう告げると、朝陽が驚いたように目を見開いた。


「パパが笑った!」


 まるで珍しい生き物でも見たかのような反応だ。


「そんなに驚くことかよ?」

「だって、この時代のパパが笑うの、初めて見たんだもん!」


 そうだったか、と自分の言動を振り返ってみた。言われてみれば朝陽と接しているときは、怒っているか呆れているかの、どちらかだったような気がする。


 朝陽はにんまりと笑いながら茶化した。


「パパの笑った顔って、案外可愛いんだね」

「いいから、さっさと寝ろ」

「えへへ、わかったよー」


 気の抜けた返事をしながら、朝陽はペタペタと足音を立てながら客間に戻っていった。

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