第16話 初めて書いた時のこと
翌日も憂鬱な気分のまま補習に向かった。黒板に書かれた数式を眺めながら、昨日の透矢の言葉を思い出す
透矢と日和が付き合うことになれば、俺と日和が結婚する未来はなくなる。そうすれば、俺の我儘で日和を疲弊させることはないし、死ぬことだってないはずだ。
これって日和にとっては幸せなことなんじゃないか?
日和は俺と一緒にいたから不幸になった。日和の人生において、俺はいない方がいい存在だったのかもしれない。
だったらこの時代で日和と透矢をくっつけるのもアリなのではないか? そんなことを延々と考えていた。
補習終わりに、グラウンドを覗いてみる。日和は相変わらず野球部の手伝いをしていた。炎天下の中、あいつもよくやるよ。
感心しながら眺めていると、不意に日和と目が合った。日和はにっこりと微笑みながら、小さく手を振った。
突然の出来事に驚きながらも、俺は小さく手を振り返した。それから一人で実家に戻った。
帰宅してから朝陽の姿を探したが、居間にも客間にもいなかった。また一人で出かけているのだろうか?
手持無沙汰になった俺は、自分の部屋に戻り、鞄からA4ノートを取り出した。そして過去の記憶を引っ張り出しながら、物語の続きを書いた。
物語を書いていると、日和の笑顔が脳裏に浮かぶ。
どんな展開にすれば、日和が喜んでくれるのか。日和はどんなキャラクターに感情移入するのか。そんなことばかり考えていた。
日和の反応を想像すると、自然と筆が進んだ。
今思えば、俺の小説は日和が中心となって成り立っていたのかもしれない。日和が面白いと思ってくれること。それが物語を考える上での根幹になっているような気がした。
小説を書くのに夢中になっていたせいで、背後から忍び寄る気配に全く気付けなかった。
「ワッ!」
突然肩に手を置かれ、身体が飛び上がった。驚きのあまり、心臓が止まるかと思った。慌てて振り返ると、にんまりと悪戯っ子のように笑う日和がいた。
「えへへ、びっくりしたでしょー」
「日和か、驚かすなよ……」
息を整えながら抗議する。日和は「ごめん、ごめん」と軽く謝りながら、俺の手元を覗き込んだ。
「小説は順調? 気になって読みに来たんだ」
「ああ。この前よりは進んでいるよ。まだ校閲してないから、誤字があると思うけど」
俺は書きかけの小説を日和に手渡した。
「わーい! ありがとう」
日和は嬉しそうに小説を受け取ると、体育座りをしながら読み始めた。
俺は机に置いてあった小説を読んでいるふりをしながら、日和がどこまで読んでいるのか確認する。
主人公達の少し砕けた掛け合いのシーンで、日和が「ふふっ」と声をあげて笑った。その反応が堪らなく嬉しかった。
最後のページまで読み終わると、日和は目を輝かせながらノートを返した。
「面白かった! それに書き方が上手になった気がする。地の文がプロの作家さんみたいだった!」
その指摘には、一瞬だけ肝が冷えた。
高校時代の俺と二十五歳の俺では、明らかに語彙力が違う。八年の積み重ねがあるから当然だ。高校時代の俺と比較すれば、その差は歴然だろう。
そんなことにも気付かず、勝手に書き進めた自分に後悔した。
「昨日読んだ小説の言い回しに影響されたんだと思う」
咄嗟に思いついた言い訳を口にして、その場凌ぎをする。焦る俺とは対照的に、日和はあっさりと納得してくれた。
「そっかぁ。圭ちゃんは書くたびにレベルアップするね。やっぱり凄いや」
「そんなこと、ねえよ」
キラキラした笑顔で賞賛する日和。俺は照れくささを隠しながら、A4ノートを鞄にしまった。
「ねえ、覚えてる? 圭ちゃんが初めて小説を書いた時のこと」
日和は過去を懐かしむように目を細めていた。日和の言葉で、過去の記憶を遡る。
初めて小説を書いたのは、小学四年生の時だ。図書室で借りたシリーズものの小説が途中までしか置いておらず、日和が落ち込んでいたのがきっかけだった。
たしか小説のストーリーは、砂漠の国に住むお姫様が故郷を救うために旅に出る話だった。
シリーズは計八巻だったけど、図書室には五巻までしか置いてなく、結末が分からなかった。
『お姫様は、故郷を救えたのかな?』
本の表紙を見つめながら、がっかりした表情で呟く日和。そんな日和を元気づけたくて、俺は勝手に小説の続きを書いた。
A4ノートに書かれた物語を読んだ日和は、輝くような笑顔を浮かべていた。その反応が嬉しくて、俺は物語を書き続けた。
結局、あの小説の結末は分からないままだった。だけど、俺が捏造した物語の続きは半年ほどかけて完結した。最後は、お姫様が故郷を救うハッピーエンドで幕を閉じた。
『お姫様が幸せになって良かった』
結末を見届けた日和は、瞳を潤ませながらノートを閉じたのを覚えている。
「覚えてるよ」
日和の問いかけに静かに答える。すると日和は、ふわりと微笑んだ。
「私ね、嬉しかったんだよ。圭ちゃんが私のために小説を書いてくれたことが」
「大袈裟だろう。あんなのはただのお遊びだ」
「それでも、私は嬉しかった」
日和の澄んだ瞳が、真っすぐこちらを捉えていた。
「あの時から、好きになったんだよ」
「へ?」
思いがけない言葉に、素っ頓狂な声を出してしまう。その声を聞いた日和は、慌てて視線を逸らした。
「あの、好きっていうのは、圭ちゃんの小説のことね!」
早口で補足をする日和。その言葉を聞いて、俺は納得した。
「ああ、小説のことか……」
日和は、ハハハっと顔を引きつらせながら笑った。
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