第11話 やってはいけないこと
学校から少し離れたコンビニに立ち寄ると、朝陽はスキップしそうな勢いでアイスコーナーに向かった。真剣な眼差しでアイスを吟味した後、ソーダ味の棒アイスを俺に手渡した。
「夏といえば、やっぱこれだよね!」
子どものように無邪気に笑う朝陽からアイスを受け取った後、自分用のチョコクランチのアイスを取り出して、レジで会計を済ませた。
ちなみに金は、この時代の俺の財布から拝借した。もともと自分のものだし、問題はないはずだ。それにこの時代の俺は、金銭管理なんてしていなかったから、減ったことにすら気付かないだろう。
コンビニの袋をぶら下げて、再び炎天下の中に舞い戻る。
このままでは家に着くころにはアイスが溶けているだろう。そう思っていたのは俺だけではなかったようで、朝陽は俺のシャツを引っ張った。
「ねえ、すぐそこの公園でアイス食べよ。パンダの遊具がある公園、この時代にもあるよね?」
朝陽が話題に上げた公園は、すぐにピンときた。バネでぴょんぴょん跳びはねる遊具のある公園のことだろう。
「あの公園は、この時代にもある。ついでにパンダの遊具も」
「あっはっは! やっぱりそうなんだね。どうりで年季が入っているわけだ!」
朝陽は納得したように頷いた。
俺が子どもの頃に遊んでいた遊具を、自分の娘である朝陽も知っているというのは妙な感覚だ。歳の差は二十五歳もあるはずなのに、同じ時間軸で幼少期を過ごした感覚になった。
公園にやってくると、朝陽は例のパンダに寄り掛かり、ソーダ味のアイスにかじりついた。
俺も朝陽の隣でチョコクランチのアイスをかじる。チョコレートのほろ苦さとヒヤッとした冷たさが口いっぱいに広がった。
朝陽は棒アイスを器用に食べながら、話を振ってきた。
「そういえばさ、昨日言いそびれたことがあった」
「言いそびれたこと?」
俺が首をかしげると、朝陽は軽い調子で話を続けた。
「過去を変えるようなことはしちゃダメだよ。未来が変わっちゃうかもしれないから」
「それって、未来で得た情報を悪用して金儲けするとか、そういう話か?」
「うん、まあ、そんな感じかな。あと不用意に人を助けるのもよくないんだって。マニュアルに書いてあった」
朝陽をタイムスリップさせた連中が危惧しているのは、未来が書き換わってしまうことだろう。
たとえば、俺がこの時代で事故死するはずだった人間を救ってしまえば、本来死ぬべきはずだった人間の未来が変わってしまう。それだけでなく、周囲の人間にも影響を及ぼす可能性がある。
ひとつの事象は小さなものだったとしても、周囲に影響すれば大きな事象になる。それはまるで、湖に雨粒が落ちて波紋が広がるように。
過去を変えてはいけないのは、朝陽に指摘されるまでもなく分かっていたことだ。俺は誰にも影響を与えないように息を潜めながら、未来へと変えるその日を待つだけでいい。
自分のすべきことなんてとっくに理解していた俺は、朝陽の忠告を軽くあしらった。
「分かってるよ。この時代にいる間は下手なことはしないよ」
「さっすが、話が早い!」
朝陽は俺の肩をバシンと叩いた。その拍子にアイスを落としそうになったが、何とか持ちこたえた。
*
実家に戻ると、母さんが少し遅めの昼食を用意してくれた。メニューは夏の定番ともいえる冷やし中華。朝陽は相変わらず美味しそうに麺を頬張っていた。
腹が膨れると抗いようもない睡魔に襲われ、居間の畳でうたた寝してしまった。目を覚ました頃には、太陽が傾き始めていた。
寝ぼけたまま自分の部屋に向かうと、畳の上でうつ伏せになって寝転ぶ朝陽がいた。手元には、A4サイズのノートがある。それが何なのかは、一瞬で理解できた。
「おい! 何勝手に見てるんだよ!」
俺は慌ててノートを奪い返す。その素振りを見て、朝陽は目を輝かせながら尋ねた。
「これ、小説だよね?」
そう指摘されて、一気に顔が熱くなった。
俺は日和以外には小説を見せたことはない。もちろん、新人賞に出したときは別だけど、リアルで関わる人間に見せていたのは日和だけだった。
だからこそ他人に盗み見られたとなれば冷静ではいられない。一番デリケートな部分に土足で踏み込まれたような憤りを感じた。
「勝手に読むな! 出てけ」
俺は朝陽の腕を掴み、立ち上がらせる。そのまま部屋の外に追いやろうとした。
「そんなに怒らないでよ! 私、パパが小説を書いていることを馬鹿になんてしないよ!」
俺が本気で怒っていることに気付いた朝陽は、焦りを浮かべながら弁解した。しかし、そんな言葉で気が収まるはずはない。
「いいから出てけよ!」
先ほどよりも強い口調で警告しながら、朝陽を部屋の外まで押し出した。そのまま、乱暴に音を立ててふすまを閉めた。
「ごめんなさい、勝手に見て」
ふすまの向こうで朝陽が小さく謝る。先ほどまでの能天気な口調とは異なり、遠慮がちな声色だった。
朝陽が反省しているのは伝わってきたが、俺は返事ができなかった。
ふすまの向こうからは、まだ足音が聞こえない。朝陽はまだいるのだろう。俺は大袈裟に溜息をついた。
溜息がふすま越しに聞こえたせいか、朝陽はもう一度、「ごめんなさい」と小さく謝った。それからたどたどしく言葉を続けた。
「私ね、パパが小説を書いていたことを最近知ったんだ。あ、最近っているのは、私がいた時代の最近っていう意味ね」
俺は朝陽の言葉に耳を傾ける。俺が返事をしないことを見越してか、朝陽は話を続けた。
「パパの部屋の押し入れからA4サイズのノートを見つけて、読んでみると全部小説だった。私、すごくびっくりしたんだよ。だって未来のパパは、小説なんて書いていなかったから」
未来の俺は、小説を書いていない。その言葉は失望という影を残した。
そうか、十七年経っても俺は小説家にはなれなかったのか。それどころか、夢を追いかけることも辞めたんだな。
その事実は、俺の心に重く圧し掛かった。未来への希望を失うとは、こういうことを言うのだろう。
だけどその兆しは既に感じていた。
日和が亡くなってから、俺は一度も小説を書いていない。朝陽と生活するのに必死過ぎて、小説の存在すら忘れていたのだ。きっとそこから、書けなくなったのだろう。
俺はその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。
俺が追いかけてきた夢は、その程度だったのか。その程度だったのなら、もっと早く見切りを付ければよかった。そうすれば、日和を追い詰めることだってなかったのに。
失望と後悔に苛まれて、胸が苦しくなる。そんな俺の心境を知る由もない朝陽は、静かに言葉を続けた。
「ごめんね、私のせいだよね」
俺が返事をできずにいると、話し合いは無理だと悟ったのか徐々に足音が遠ざかっていった。
その日の晩は、俺と朝陽の間に気まずい空気が流れていた。朝陽はタイミングを見計らって声をかけようとしていたが、俺は気付かないふりをした。
だけど布団に入る頃には、朝陽を避ける自分に嫌気が差した。娘と喧嘩をしていつまでも不貞腐れているなんて情けない。
明日になったら全部水に流して、何もなかったかのように振舞おう。そんなことを考えながら眠りについた。
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