第10話 もしもあの二人が付き合っていたら
補習は午前中で終わり、十二時過ぎには解放された。
クラスメイトの流れに乗って、俺も教室を出る。昇降口でスニーカーに履き替えてから、グラウンドに向かった。
外に出ると容赦ない日差しにジリジリと焼かれる。こんな炎天下の中にいたら、丸焦げになってしまいそうだ。俺は日陰を探しながら、グラウンドに向かった。
グラウンドでは、真っ白のユニフォームを着た野球部員が練習をしている。打球を追いかける野球部員達の顔は、日差しをもろに浴びて真っ黒に日焼けしていた。
俺はユニフォーム集団の中から、透矢と日和を見つけた。透矢は教室の窓から覗いた時と同じく、グラウンド端で投球練習をしている。そして日和は、ベンチで大量の水筒をカゴに詰めていた。
「昼休憩入るぞ!」
監督が大声で指示をすると、野球部員たちは一気にグラウンドからはけた。すると、日和が駆け出して、野球部員たちに水筒を渡す。
水筒を受け取った野球部員たちは、浴びるように水を飲んでいた。
少し遅れて、透矢も集団の輪の中に入る。透矢は、日和から水筒を受け取ると、頭の上から思いっきり水をかぶった。
「うわっしゃー! 気持ちいい!」
透矢は水を浴びた犬のようにはしゃく。その姿に、周囲はケラケラと笑っていた。
「透矢! 遊んでないで、ちゃんと水分補給して!」
びしょ濡れになった透矢に向かって、日和がビシッとした声で窘める。その声を聞いた透矢は、もう一段階表情を明るくした。
そして飼い主を見つけた犬のように、日和に駆け寄った。
「日和! お前も水浴びるか? 一気に涼しくなるぞ!」
「私はいいって! 着替え持ってきてないし」
「この炎天下だったら、すぐ乾くって!」
「やだって! それより水分補給して! 熱中症になっちゃうよ」
「分かってるって!」
透矢はケラケラと笑いながら、素直に水分補給をした。そんな二人のやりとりを見て、野球部員達は再び笑い出した。
「こんなところで夫婦喧嘩はやめろって」
「いや、夫婦喧嘩というより親子喧嘩だろう」
「確かに。小学生の馬鹿息子としっかり者のママって感じだな」
ユニフォーム集団は、ドッと爆笑の渦に包まれた。透矢は「そりゃあ、ないっすよ!」と大袈裟に肩を竦めながら叫んだ。
透矢達のやりとりを遠目で見ていると、なんだか懐かしい気分になった。
透矢は昔からこういう奴だった。いつだってみんなの輪の中心にいて、周囲を笑わせている。
透矢の笑い声につられて、みんなが集まってくるんだ。教室の隅でひっそりと過ごす俺とは正反対の人間だ。
もし日和が透矢と付き合っていたら、今とは違った未来があったのかもしれない。
透矢はお調子者だけど、自分の役割はちゃんと理解している男だ。部活にはサボらずに参加するし、勉強だって赤点を取らない程度にはこなしている。
それに高校卒業後は市役所に就職して、堅実に働いていた。夢ばかり追いかけて、自分のすべきことを放棄してきた俺とはまるで生き方が違う。
もし日和と透矢が結婚していたら、きっと幸せな家庭を築いていただろう。子育てだって二人で協力してこなしていくはずだ。
二人の未来を想像した直後、俺はふと考えてしまった。
――この時代で二人がくっつけば、日和が死ぬことはないんじゃないか?
ぼんやりと二人を眺めていると、突然誰かに肩を叩かれた。
「なーにこんなところで突っ立ってんの?」
弾むような声につられて振り返ると、朝陽がいた。朝陽は額の汗をぬぐいながら、眩しそうに目を細めていた。
「お前、日和と一緒にいたんじゃなかったの?」
「暑すぎて早々にギブアップした。野球部の人達はこの炎天下でよくやるよねー」
朝陽は呑気に笑いながら、野球部員たちを眺めた。
「それに、あの人も頑張ってたよ」
朝陽は目を細めながら、日和に視線を向ける。
「あの人って、日和のことか?」
「うん。球拾いを手伝ったり水筒を運んだり、この暑い中せっせと働いてたよ。あの人、野球部のマネージャーってわけじゃないんでしょ? 偉いよね」
朝陽は日和のことを『あの人』と呼んでいる。それは、まだ母親だという実感が持てないからだろうか?
だけどそれは当然のことなのかもしれない。日和が亡くなったのは、朝陽が0歳の時だから記憶の片隅にも残っていないはずだ。
そんな状態で、いきなり高校生の母親と対面したって、実感なんて持てるはずがない。
そんな事情を推測できるからこそ、呼び方に関しては深く突っ込めなかった。俺は心のざわつきを悟られないように、投げやりに言葉を返した。
「まあ、日和が手伝うのは夏の大会までだし、平気なんじゃねえの」
「そうだとしても、私は絶対にパス!」
朝陽は「無理、無理」と首を振りながら笑った。それから軽やかな足取りでステップし、俺の顔を覗き込んだ。
「ねえ、アイス買って帰ろうよ。パパの奢りで!」
にやりと悪戯っ子のような笑みを浮かべる朝陽。たかられていることは分かっていたけど、自然と嫌な気分にはならなかった。
「しょうがねえな……」
「やった!」
俺が承諾すると、朝陽は小さくガッツポーズをした。
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