第8話 学校への道のり

 玄関でスニーカーに履き替える。ガラガラと引き戸を開けると、眩しいほどの日差しに照らされた。


 どこからともなくアブラゼミの大合唱が聞こえる。斜め向かいの畑では、ひまわりが風に揺られていた。


「夏だな……」


 頭に思い浮かんだ感想をそのまま口に出すと、玄関から出てきた日和がフフっと小さく噴き出した。


「どうしたの急に? 変な圭ちゃん」


 日和からすればおかしな発言かもしれないが、夏の終わりからタイムスリップしてきた俺からすれば、この光景は異常だった。


 ぼんやりと立ち尽くしていると、日和がぐいぐいと俺の背中を押す。


「ほーら! 急がないと遅刻しちゃうよ!」

「分かったって。ちゃんと行くから」


 そんなやりとりをしていると、玄関から慌てた様子で朝陽が飛び出してきた。


「待って! 私も行く」


 スニーカーの踵を履き潰しながら、朝陽が隣に駆け寄ってくる。


「行くってどこに?」

「学校!」


 俺の問いかけに朝陽は満面の笑みで答えた。

 どういうことだ? こいつは一体何を企んでいる?


「お前は学校に行く用事はないだろう?」


 朝陽の魂胆が分からずにいると、想像していた以上に軽々しい答えが返ってきた。


「だって一人で家にいるのは退屈じゃん!」


 あまりに単純な理由に、俺はがっくり肩を落とす。


「いいのかよ? 勝手にうろうろしたら色々まずいんじゃないか?」


 日和の前だから具体的な話はできないが、俺の意図していることは伝わっているだろう。未来からやってきた朝陽がこの時代をうろつくのは、何らかの不都合が生じる可能性がある。


 俺の心配をよそに、朝陽は能天気に答えた。


「まあ、大丈夫なんじゃない? それに実家にいた方が、余計なことを喋っちゃいそうだし」


 その発言を聞いて、妙に納得した。確かに朝陽を実家においていくのは、それはそれで問題な気がする。


 母さんとこずえ姉さんから質問攻めにされた挙句、いらぬことまで喋ってしまう可能性は否定できない。

 それならいっそ、一緒に出掛けてしまった方が安全なのかもしれない。


「分かったよ。でも、あんまり目立つ行動はするなよ」

「はーい!」


 朝陽は軽快な足取りで歩き出した。

 朝陽の後ろ姿を見つめていると、不意に日和が制服の袖を掴んだ。


「ねえ、圭ちゃんと朝陽ちゃんって、どういう関係なの?」


 不信感を募らせた視線で、俺の瞳を覗き込む日和。こっちも弁解しなければならないのか。


「ただの知り合いだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 特別な関係ではないことを強調するも、日和は腑に落ちていない様子だった。


「圭ちゃんが女の子と仲良くなるなんて、珍しい」

「日和までそんなこと言うのかよ」

「だって圭ちゃん、他人に干渉しないタイプじゃん」


 グサリと痛いところを突いてくる。確かに俺は、他人の事情にいちいち首を突っ込む性質ではない。


 波風立てずひっそりと生きていくのが俺のポリシーだ。そうすれば、自分の領域に踏み込まれることはないのだから。

 そんな陰キャ気質を日和には見破られていたらしい。


 日和は声を潜めるように尋ねてきた。


「ねえ、本当は朝陽ちゃんのことが好きなんじゃ」

「それはないから」


 見当違いな誤解は、光の速さで解いていく。どうしてみんな、そういう方面に話を持っていきたがるんだ。


「ただ、放っておけなかっただけだから」


 そう伝えると、日和は静かに頷いた。


「圭ちゃんがそういうなら、信じる」


 完全には納得していないようだけど、それ以上は追求されなかった。心の内でほっとしていると、日和が俺の右手に触れた。


「行こう。本当に遅刻しちゃうよ」


 不意に手を繋がれたことに、不覚にも心がざわついてしまった。


 なんだ? 手を繋ぐなんて、なんてことでもないだろう? 仮にも俺達は、夫婦だったんだから。


 日和は俺の手を引いて歩きだす。その手は柔らかく、そして温かかった。


 まだ朝だというのに日差しが強い。制服のシャツをじっとり濡らしながら、かつて通っていた高校に辿り着いた。

 母校を前にして、俺の足は自然と止まる。


 少し古びた三階建ての校舎から、吹奏楽部が演奏する楽器の音色が漏れる。太陽に照らされたグラウンドからは、運動部の掛け声が聞こえてきた。


 この感じ、すごく懐かしい。まさかもう一度、この世界観に浸れる日が来るなんて、想像もしていなかった。感傷に浸っていると、日和に背中を叩かれた。


「私は野球部に行くから、圭ちゃんも寄り道せずに教室に行くんだよ」

「ああ、分かってるよ」


 素直に返事をすると、日和は「またあとでね」と手をひらひらと振りながら、グラウンドに走っていった。


 ふと隣を見ると、朝陽が目を輝かせながら校舎を見ていた。


「うわー、校舎の感じとか、今とは全然違う! 変な感じー」

「もしかしてお前、ここの生徒なのか?」

「そうだよ。家から近いしねー」


 家から近い。それは俺がこの学校を選んだのと同じ理由だ。この適当さ、流石親子とでも言うべきなのか。


「それよりも、お前はこれからどうするんだよ?」


 成り行きで学校までついてきたけど、まさか朝陽まで補習を受けるわけにはいかない。朝陽は少し考えてから、グラウンドに視線を向けた。


「私も野球部を覗いてみようかな。お手伝いが増えても、そんなに目立たないでしょ!」

「いや、目立つだろう」

「目立たないようにするって! ちゃんと上手くやるから!」


 軽い口調でそう告げると、朝陽はグラウンドに向かって走り出した。


 正直、不安しかない。だけど本人が上手くやると言っているのだから、信じるしかないか。

 俺は考えるのをやめて、校舎に向かった。

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