第3話 ありえない光景
アブラゼミの鳴き声が響く。
もう夏は終わったのに、まだ生き残りがいたのか。仲間がみんな死んでから出てくるなんて、さぞかし寂しいことだろう。
そんなことをぼんやりと考えながら、俺は重い瞼をこじ開けた。
背中はじっとりと汗ばんでいる。つい先ほどまで倒れこんでいた石畳は、尋常じゃないほどに熱を宿していた。
このまま横たわっていたら、丸焦げになりそうだ。俺は慌てて身体を起こした。
その直後、背後から柔らかな声が聞こえた。
「あ! やっと起きた」
振り返ると、信じられない光景が飛び込んできた。
肩の上で内巻きにカールした髪。透き通るような白い肌。小さくて華奢な身体。セーラー服のスカートをゆらゆらと揺らしながら、穏やかに微笑む眼鏡の少女。
そこにいたのは、紛れもなく日和だった。
「なん、で……」
悪い夢でも見ているのだろうか?
思いっきり頬をつねってみると、皮膚が伸びる痛みが当たり前のように襲ってきた。頬を抑える俺に、日和は心配そうに首をかしげる。
「どうしたの? 気分でも悪い?」
そう尋ねながら、日和はしゃがみ込んだ。ほんのり赤みを帯びた瞳が俺の顔を覗き込む。距離が縮まったことで、ふわりと柑橘系の香りが鼻腔をくすぐった。
この香りは知っている。日和が使っていたハンドクリームの香りだ。
あまりの懐かしさに涙が込み上げてくる。抑えることはできなかった。
声を出さずボロボロと涙を零す俺を見て、日和は大きく目を見開いた。
「え、泣いてるの? 圭ちゃん」
オロオロとしながら白地にワンポイントが入ったハンカチを差し出す日和。俺はハンカチを受け取って、目元を拭った。
涙のしょっぱさもハンカチの柔らかい質感も、夢とは思えないほどにリアルだった。
まさかこれは現実なのか?
もしかしたら日和が死んだこと自体が夢だったのかもしれないと、ぼんやりと考えていた。
呼吸が落ち着くと、段々と涙が引っ込んでいく。深呼吸をした後に、俺はもう一度日和を見た。
目の前にいるのは、確かに日和だ。日和がいること自体がありえないことだけど、それ以上の違和感があった。
俺の様子を心配そうに伺う日和は、二十五歳の日和ではない。セーラー服をまとった日和は、高校時代の彼女そのものだった。
それにさっきまで夜だったのに、目を覚ましたら炎天下いる状況もおかしい。
場所は倒れた時と同じ伊崎神社だけど、周りの景色は先ほどとは大きく異なる。
目の前にそびえ立つ欅の木は、太陽の光を目いっぱい浴びて鮮やかな緑色をしている。耳を澄ませば鬱陶しいほどのアブラゼミの鳴き声が聞こえる。肌に突き刺さるような日差しも、秋口のものとは思えなかった。
「これは、夏だよな……」
まるで季節が秋から夏に逆戻りをしたようだった。俺の言葉に日和が笑う。
「どうしたの急に? 夏に決まってるじゃん。さっき終業式も終わったでしょ?」
日和の言葉で俺は固まる。
「終業式?」
「うん。期末テストもやっと終わったし、明日から夏休みだよ!高校二年の夏をエンジョイしようね!」
「……何言ってんだよ?」
キラキラと目を輝かせる日和の前で、俺は冷や汗をかく。
終業式、期末テスト、夏休み。日和はそういったのか?
俺が思考を巡らせていると、日和は顔を真っ赤にさせながら照れ笑いを浮かべた。
「あはは、夏休みだからって、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったかな」
日和は恥ずかしそうに顔を背けた。その直後、「あ!」と何かを思い出したように声をあげた。
「そういえば、あの子は圭ちゃんの知り合い?」
日和が指さす方向には、セーラー服の少女が横たわっていた。
肩下でゆるく巻かれたこげ茶色の髪、こんがりと日焼けした肌、すらっと伸びた手足。少女は日和と同じ制服をまとっていた。
俺は少女に近付き、観察する。遠目からでは気付かなかったけど、目の前の少女は派手な身なりだった。
耳元にはシルバーのピアス。まぶたにはオレンジ色のアイシャドウが塗られており、まつ毛は人形のようにカールしていた。
これはいわゆるギャルという部類だ。俺がもっとも関わりたくないタイプじゃないか。
ギャルの友達なんているはずがないから初対面のはずだ。
しかし目の前の少女は、どこか見覚えがあった。形のいい鼻筋や薄い唇は、どうにも初めて見た気がしない。
もしかして知り合いかと考えていると、少女が目を開いた。ほんのり赤みを帯びた瞳が俺を捉える。
「パパ?」
少女は零れるように言葉を漏らす。それからゆっくりと身体を起こした。
「ここ、どこ?」
少女はきょろきょろとあたりを見渡しながら尋ねる。
「伊崎神社だよ」
日和が朱色の鳥居を指さしながら答えた。
「なんだ、伊崎神社か」
少女は納得したように頷いた。伊崎神社で伝わることから察するに、この辺に住んでいるのだろう。勝手に推測をしていると、日和が話を進めた。
「私ね、5分くらい前にここに来たんだけど、そしたらあなたと圭ちゃんが二人して倒れていたの。あ、圭ちゃんっていうのは、こっちの男の子ね」
「そう、なんだ。ちなみに、今って何年の何月?」
少女の質問に、日和は首をかしげる。
「変なこと聞くね。今は2014年の7月だよ」
日和の言葉を聞くと、少女は眠たげな瞳をパッと見開いた。
「2014年!? ということは、本当に成功したんだ!!」
少女は嬉しそうにガッツポーズした。
喜びを露わにした少女に戸惑いながらも、日和は質問を続けた。
「あのさ、名前を聞いてもいいかな?」
そう尋ねると、少女はあっさりと素性を明かした。
「私は、
古谷朝陽。その名前を聞いて、俺は固まる。
ちょっと待て。こんな偶然ってあるのか?
古谷朝陽。それは俺の娘と同じ名前だった。
古谷朝陽と名乗る少女をまじまじと見つめる。赤ん坊の朝陽と目の前のギャルが、同一人物とは到底思えなかった。
だけど日和譲りのほんのり赤みを帯びた瞳だけは、同じだった。
俺が不躾に視線を向けていたせいか、少女は怪訝そうにこちらを睨みつけた。
「なに? さっきからじろじろ見て」
威圧的な言葉に何も答えられずにいると、日和が先に口を開いた。
「ごめんね! この人は私の幼馴染なんだ! 朝陽ちゃんが可愛いから見惚れちゃったのかな?」
俺達の間を取りなすようにフォローする日和。その言葉に少女は、「ふーん」と興味のなさそうに返事をした。
それから日和は、何の気なしに言葉を続けた。
「この人は、古谷圭一郎」
その言葉に、少女が固まった。
「それで私は、幡ケ谷日和」
少女は大きく目を見開き、息を飲んだ。
沈黙が走り、アブラゼミの鳴き声が嫌というほど耳に残った。少女は俺達の顔を交互に見つめた後、境内に響き渡る声で叫んだ。
「ビンゴじゃん!!」
少女は満面の笑みを浮かべながら、拳を空に突き上げた。それから感情の高ぶりを抑えきれずに、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「本当に会えた! 信じらんない!」
突然喜びを全身で表現し始めた少女を前にして、日和はオロオロと戸惑っていた。
「朝陽ちゃん、突然どうしたの?」
「ごめんなさい! 感極まっちゃって!」
日和は不思議そうに首をかしげていた。
目の前ではしゃぐ少女を見て、俺は一つの可能性を見出した。
恐らくこいつは、この不可思議な状況に一枚噛んでいる。俺は冷静を装いながら、朝陽の腕を掴んだ。
「話がある」
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、少女は笑顔を引っ込めて顔を引きつらせていた。
◇◇◇
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作品ページ
https://kakuyomu.jp/works/16817330658159054809
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