1章 夏の終わりに起こった奇跡

第1話 懺悔

 古谷圭一郎ふるやけいいちろう幡ケ谷はたがや日和ひよりが出会った日のことは、あまり覚えていない。


 家が近所だったこともあり、物心がつく前から俺達は一緒にいた。


 幼馴染。俺達の関係性を一言で表すならば、その言葉が適切だった。


 幼稚園時代には、三輪車を取り合う友達から隠れるように、俺達は園庭の隅で木の実を集めていた。


 小学校時代には、二人で図書室に通い詰めて、読書マラソンのトップ争いをしていた。


 中学時代には、二人して図書委員に立候補して、係が終わった後は一緒に下校した。


 高校二年の夏休みに付き合い始めたことも、ごく自然な流れだった。


 俺達は多くの時間を一緒に過ごした。

 いままでも、そしてこの先も、一緒にいるのが当たり前だと思っていた。


 だけど日和が亡くなってから、考えてしまう。

 日和は俺と一緒にいて幸せだったのか?


 俺はろくでもない恋人で、ろくでもない旦那だった。


 自分の夢に人生を賭けているような男だ。いつだって日和のことよりも、自分の夢を優先させていた。


 俺の夢は小説家になることだ。


 小説を書き始めたのは小学生の頃だった。あの頃は書きたい物語が次から次へと浮かんできて、筆が追い付かないくらいだった。


 小説を書き綴ったノートは、十冊、二十冊と増え続け、気付けば本棚の一段が埋まっていた。


 小説を書いている間は、頭がクリアになって、生きていることを実感できた。


 小説を書くことは自分の天職だと思い込んでいた。

 そして俺の才能を信じて疑わない人間がもう一人いた。日和だ。


『圭ちゃん、小説の続きを読ませて』


 眼鏡の奥からキラキラとした瞳を輝かせながら、駆け寄ってくる日和。俺がノートを差し出すと、嬉しそうにノートを受け取った。


『私、圭ちゃんの小説が一番好き』


 宝物のようにノートを抱き寄せながら、好きと口にする日和。


 日和はいつだって、俺の小説を賞賛してくれた。だから俺は、自分には才能があると思い上がっていた。


 高校二年の春、初めて新人賞に応募した。

 正直、自信があった。高校生作家として華々しくデビューすることを期待していた。


 しかし、結果は一次選考で落選。現実は甘くなかった。


 それからも小説を書き続け、数々の新人賞に応募した。しかし俺の才能が拾い上げられることはなかった。


 自分には才能がない。そんな風に見切りをつけて、別の道に進めばよかった。

 だけど俺は、書くこと辞められなかったんだ。




 夢を捨てきれなかった俺は、新卒で就職する道を選ばなかった。

 大学卒業後は、近所のコンビニでバイトをしながら、小説を書き続ける日々。あの頃の俺は、小説を書くことが全てだった。


 俺が一人暮らしを始めると、日和は毎日のようにアパートにやってきた。ろくに食事もとらずに、小説を書き続ける俺を心配したのだろう。


 日和の優しさに、俺は甘えていた。そして、どんなに書き続けても報われない現実から逃げるように、日和に救いを求めていた。


 日和はいつだって、腐りきった俺を受け入れてくれた。


『圭ちゃんなら大丈夫だよ』


 そう囁きながら、日和はやさしく抱きしめてくれた。


 そんな生活を二年ほど続けていた頃、日和の妊娠が発覚した。日和が薬学部を卒業して、働き始めた頃だ。


 妊娠の事実を聞いた時、全身から血の気が引いた。俺にとっては荷が重すぎる報告だった。


 だけど逃げるわけにはいかない。俺は日和と結婚することを決めた。

 覚悟を決めたわけではない。それしか道がなかったんだ。


 ゆっくりと時間をかけて大きくなる日和のお腹。そんな現実から目を逸らすように、俺は執筆活動とバイトに明け暮れていた。


 あの頃の俺は、日和と目を合わせることすら怖かった。子どもが生まれる日が、怖くて仕方がなかったんだ。


 だけどその日は来てしまった。

 満月の夜に日和の陣痛が始まり、明け方に元気な女の子が生まれた。


 生まれたばかりのふにゃふにゃの赤ん坊を差し出された時、嬉しさよりも恐怖心が湧き上がった。


 目の前に差し出された小さくて弱弱しい存在を、一生守らなければならい。その重圧感に押しつぶされそうだった。


 赤ん坊の名前は、朝陽あさひと名付けた。

 明け方に生まれたから朝陽。安直な名前だったが、日和は喜んでくれた。


『三人で幸せになろうね』


 このときの日和は、既に母親の顔をしていた。




 朝陽が生まれてからも、俺は相変わらず執筆活動に明け暮れていた。


 朝陽の世話は、ほとんど日和に任せっきりだった。朝陽が泣いていても、何も手出しができなかった。


 ろくに手伝わないどころか、夜泣きをする朝陽を鬱陶しく感じ、パソコンを片手に一人でファミレスに逃げ込んだこともあった。


 今考えれば、最低な行動だ。


 日和は、俺に文句を言うことはなかった。朝陽の世話を強要することもなかった。

 だから俺は、このままでいいのだと勘違いしていたんだ。


 だけど俺の身勝手な振る舞いは、確実に日和を追い込んでいた。

 日和は産後4ヶ月で職場復帰した。


『新参者がいつまでも休んでいられないから』


 日和は肩をすくめながら、そう言っていた。


 あの時は職場での立場を理由にしていたが、経済的な理由もあってのことだろう。

 朝陽が生まれてからも、俺はバイトのままだった。


 そろそろまともな職に就かなければとは思っていたが、新人賞の締め切りが近いことを理由に就職活動を後回しにしていた。


 職場復帰した日和は、日を追うごとにやつれていった。日和に負担をかけていることはわかっていたが、俺は何もしてあげられなかった。


 そんな時だ。日和が交通事故を起こしたのは。


 車で保育園に迎えに行く途中、ハンドル操作を誤ってガードレールに突っ込んだ。すぐに病院に運ばれたが、その日のうちに息を引き取った。


 医者からは過労で判断能力が鈍ったせいだろうと言われた。日和をこんな状況に追い込んだのは、俺だ。

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