第8話 古き小さなヨーロッパとは
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話を前に戻すが——古き小さなヨーロッパにはこの随筆家(エッセイスト)なりの意味がある。
まず「古き」とは時代的に古いという意味であり、ではそれをいつの頃までかと言うと紀元前6500年から3500年頃まで、エーゲ海・バルカン半島からドナウ河中流域・アドリア海地方・モルダヴィアにかけて繁栄した新石器時代の初期農耕文化時代から、この地域が労働及び政治も含めそれぞれの地域が緩やかな共同体社会を形成するまでと考えていただきたい。
次に「小さな」であるが、それは「思想」「哲学」と言ったルンサンス期のヒューマニズム(人文主義)の開化が見られていない時代としてのヨーロッパ、つまりヒューマニズム(人文主義)がまだ「閉じ込められている」という意味である。
では何故、この古き小さなヨーロッパが「Art(アート)」の源流(オリジン)であり、また「原始的Art(プリミティブアート)」となるのだろうか。
考えて欲しい。
時間は並行的にどの地域においても進んでる。別段、この地域だけがホモ・サピエンスとして特別な進化と圧倒的な文化を持ち得たわけではない。
少なくとも現代に生きる我々は多くの情報から、人間の文明と言うのは地球上のあらゆるところで繫栄していたことは理解している。
そう理解しているのであれば、現代における自らの姿形を少し鏡で見て欲しい。
僕達、君達は今何を着ているだろうか?
現代のホモ・サピエンスは何を着ているだろうか?
それは少なからず前述した「Art(アート)」の源流(オリジン)である古き小さなヨーロッパから後世に下って影響を受けたデザインで身を固めていないだろうか?
つまり平たく日本語で言えば洋服である。
考えて欲しい。
どうしてそれを身につけているのだろうか。
それだけではない。
何故、それらのデザインによる文物が現代において我々の側にこんなにも溢れているのか?
それは明快な答えだ。
前述した古き小さなヨーロッパが後世に下って史上に先手を打ち、完全な同化とは言わないものの、社会相互の摩擦を行い「外輪郭世界(アウトサイダー)」をボビンに巻きつけてしまったからである。
それは歴史を見れば一目瞭然である。
違うだろうか。
その事は古き小さなヨーロッパが「Art(アート)」の源流(オリジン)として捉えるのに疑いのない事実であり、「原始的Art(プリミティブアート)」とは、つまり古き小さなヨーロッパ時代に創られた共同体(コモン)意識であり、それが自らを進化させようとするホモ・サピエンスとしての個体認識する意識に繋がるはじまりの端緒であるので「原始的Art(プリミティブアート)」とこの随筆家(エッセイスト)は考えている。
もう少し砕けた意味合いができないだろうか?
ならば共同体(コモン)社会意識を端的に言えばアジアにおける思想として「外輪郭世界(アウトサイダー)」を「南蛮」もしくは「蛮」と言ったような思想と言った方がいいかもしれない。
まぁこれは未開地の民族に対する思想ではあるが、あくまでニュアンスを伝えるだけの意味合いで理解して欲しい。
ここまで少し書いてきたが、誤解が無きように言っておきたい。
これは別に何かしらの至上主義を言いたくて書いているのではない。あくまで説明の段階としての書き込みでり「Art(アート)」についての学問的な流れを追う随筆(エッセイ)であって過剰な主義主張でもない。
そして此処迄はまだ随筆(エッセイ)の始まり部分でしかない。
何を次に書くのか。
それは古き小さなヨーロッパがヒューマニズム(人文主義)を持ち、リベラル・アーツが出来る迄である。
このリベラルアーツの存在こそが、「原始的Art(プリミティブアート)」との別れを生み、やがてボビンを固める凝固剤の役割を果たしたのであるのだから。
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