第3話 Who are me

 その日、彼は素直に帰された。受験が終わった学生たちが緊張から解放された表情をして三つの谷高校の校門から出ていく。旧校舎から新校舎まで谷嵜先生と共に向かい、メインストリートに出ると他の受験生に混ざって帰らされる。

 スマホのニュースアプリで、今朝の電車テロ事件の事が報道されている。犯人は不明のまま怪死体が増えた。怪死した人たちはみな一様に吸魂鬼に魂を吸われた後に弄ばれたのだと今の彼なら理解できた。もしかしたら、彼もそうなっていたのだと思うと穏やかな気持ちではいられなかった。

 負傷者は意識を取り戻しているのに言葉を発する事はなく、近年稀に出現するようになった被害者たちと症状が合致していた。その為犯人は同一犯だとされているが証拠は集められていない。

 もしもそれがゾーン内にいる吸魂鬼の仕業だと言うなら警察の手に負えないのは言わずもがな。


「ただいま」


 自宅のアパートに帰って来る。両親は他界しており、三つの谷高校に通うにしても通わないにしても都会での一人暮らしを親戚がサポートしてくれている。

 それなのに、まさかこんな奇妙な事態に巻き込まれるなんて夢にも思わなかった。


 勉強机に新しい鞄を放り出す。使い古した鞄は、誰かの血で汚れて、着ていた中学の制服も使い物にならなくなったとして、谷嵜先生が三つの谷高校の制服を貸してくれた。初めて見た制服は、不思議なほどに着心地がよかった。吸血鬼部では怪我をする部員がいるため、予備の制服がいくつもあるらしい。新しい鞄も、三つの谷高校が独自開発したブランドの鞄であり、本来なら五万円ほどする代物だと言われて目がポロリと落っことしそうになった。


 今日の出来事が思い浮かぶ。

 のっぽの男が蹂躙していた、カエル頭の青年と思しき怪物が立っていた。揉みくちゃに遭って潰されてしまった乗客。その中に自分がいたかもしれない。

 食欲が湧かなかった。蹲り呼吸を乱す。


 不意に着信が鳴った。



 ――――



 一時間前、三つの谷高校の旧校舎にて。

 吸血鬼部の部室では、新形と暁が言い合いをしていた。

 今朝の事件、報告書作成においての矛盾と規定違反に対する咎めだ。

 暁は、彼を黙って帰したことで、もしも罪のない民間人が犠牲になってしまったらどうするのかと責め立てていた。新形は、帰したのは谷嵜先生の判断なのだから間違いないと無償の信頼を寄せていた。


 椅子に浅く座って手を握り込み不機嫌な顔をする暁とは対照的に深々と椅子に腰掛ける新形は腕を組んで余裕綽々の様子だ。


「先生に間違いがあるとでも?」

「そうとは言っていません。俺は貴方の浅慮さにうんざりしていると言っているんですよ。奴が吸魂鬼であり、処分の対象であることに間違いはないのに、たとえ警戒度が弱の相手だとしても現実に連れて行くなんて言わなければ……」

「はいはい。あんたは誰かの責任にしたいわけね」

「責任って……決まりを守ってなにがいけないんですか」

「決まりって言うのは、厳守するための物じゃなくて、心得みたいなもんだって、道に迷ったら指し示してくれるお星さま程度のもの」

「貴方が迷うことなんてないでしょう」

「そっ。だから私はその規定って奴を知らない」


 自由奔放な性格にうんざりして暁は堪忍袋の緒が切れる。


「そんなんだから、今回だって被害者を増やしたんですよ!」

「怒鳴らない。それに、その件に関しては私の所為じゃないでしょう?」


 それでも相手は臆することなくひらひらと手を振っているとガラリと引き戸が開き部活顧問が面倒くさそうに頭を掻いて入ってくる。


「お前ら、廊下まで声が駄々洩れだ。少しは抑えろ」


 谷嵜先生は扉を閉めて、スタスタとクッションの利いたソファに腰を下ろした。深く座り少し前屈みで膝に肘を乗せて二人を見る。


「先生、今朝の彼はいったい何者なんですか」

「迷子じゃないの?」

「それの答えは出たと思っていたけどな。俺の見当違いか?」


 冷たく告げられた言葉に二人は言葉を飲み込む。

 押し問答を繰り返すほど無意味なことはない。谷嵜先生が判断したことだ。谷嵜先生が、彼が何者でも歓迎すると言ったのだから結果として彼は今後、学校に現れなければ、それで関係は終わりで、学校に入学してくるのなら吸血鬼部に立ち寄って貰う運びにしなければならない。


「しっかりと彼は通行料を支払って行き来してる」

「通行料って?」

「まだはっきりとはしてない。が、暁」

「はい」

「お前と似たような現象とだけは言っておく」

「……!」

「だから、ガキ見たいにキャンキャン吠えるな」

「同調せよ。と言うことでもないですよね」

「うまくやれって言ってんだよ。気に入る気に入らないで図れるほど、甘くねえぞ」

「……はい」

「怒られてやんの~」


 ケタケタと笑う新形に谷嵜先生はギロリと鋭い視線を向けて名前を呼ぶと寒気が新形の背を撫でる。「は、はい」と身を縮めて返事をする。


「迷子だと判断したのは良いが、通行料を度外視していたことに関しては、減点せざるを得ない」

「うぅ……怒られた」


 さんざん暁に咎められても凹むことなかった新形は谷嵜先生に咎められてしょぼくれる。

 通行料が何なのか分からない以上、むやみに連れて来たことは危険でしかないと知っているはずなのに忘れていたで片付けて良い事ではない。


「今日の出来事を報告書と共に反省文を三枚にまとめて持ってこい。赤ペン持って待っててやる」

「えー! せっかく進級試験も終わって紙切れを見ないで済んだのに~」

「出来ました」

「はやっ!?」


 文句を言い垂れる新形をよそにガリガリと音を立てて三枚の反省文が出来たと谷嵜先生に提出すると「再提出」と見もしないで一言いわれてしまう。


「な!? どうしてですか!?」

「お前の反省文は、正しい書き方で文句の言いようもない」

「なら、許してくださっても」

「間違っていないと言う間違いを自覚しろ」

「……どう言う意味ですか? 間違ってないのに間違っているなんて言葉そのものが矛盾しています」


 暁の反省文がどれだけ反省している点を簡潔にまとめられ、尚且つ文字数を稼ぐことはなく、次からはと解決策を見出す。テンプレートの反省文だ。


「ただの教師としては、反省文だってのに満点をつけるだろうな。額にでも飾ってやろうか?」

「なにが言いたいんですか」

「第三者の気持ちを理解しろ。規定ばかりを遵守することだけが生き方じゃない」

「……わかりました。書き直します」


 書き終えたばかりの反省文を机に置き再び書き出そうとする手前、新形は「それ、ちょっと貸して」と却下された反省文を指さして言う。


「なにに使うんですか? それはダメだと言われたの見ていたでしょう? 参考にもならないと思います」

「ふふ~ん。あんたはね」


「せんせぇ~い!」とスキップ気味に近づき暁では許されなかった反省文を谷嵜先生に差し出す。


「……お前、何考えてんだ」


 堂々と他人が書いた反省文を提出しにきた新形にさすがの谷嵜先生も怪訝な顔をする。


「私が反省文を書いたってきっと却下すると思うからね。反省点は、暁とはまるっきり逆。暁を見習えって感じで後先を考えずに行動したことで、死者を増やしていただろうってことでしょう? だから、今後私がするべき行動は、それをして誰が迷惑して、誰が得しないのか。それをする事によって規定違反になるのか否か」

「そこまでわかってんなら、それを反省文に書けって言ってんだよ」

「反省してないのに書いたって身にならないですよ~。書いて学ぼうってすごい無駄の極みじゃないですか? 私は、先生がダメだって言うことはしないし、先生の不利になるよう事はしたくない。だからいつだってグレーゾーン。結果として既に書かれていることを二度も三度も書いたって、意味ないでしょう。これからも私は反省文を書かない」


 谷嵜先生に反省文を強引に押し付けて「それじゃあまた明日!」と帰宅する。


「はあ、新形さんらしいと言えばらしいですが……」

「お前も帰れ、今ここで反省文を書くな」

「……わかりました。お疲れ様です」


 テキパキと帰る準備をした後、鞄を肩にかけて「それではおやすみなさい」と言って部室を出ていった。誰も居なくなった部屋は白い明かりが照らす。二人が賑やかにした部室は、一人の男の手によって静寂を取り戻した。


 谷嵜先生は新形に押し付けられた反省文をソファの横に置いて徐にスマホを取りアドレス帳を開く。『新規登録者』と最新の番号がトップに表示される。慣れた手つきで電話をかけた。


『も、もしもし』

「三つの谷高校の谷嵜だ。今朝会ったな」

『は、はい』


 吸血鬼部に入部した少年に連絡を入れていた。


「帰って早々で悪いが、帰宅した際に違和感はなかったか?」

『違和感、ですか?』

「ああ、ゾーン入りする際に支払った通行料が関係して、お前の身の回りに異変。特に消失すると言った事象がないか。訊きたかった」

『……多分、大丈夫だと思います』


 数秒の間をおいて彼は口にする。


『あの、通行料を支払わないで行き来するって言うのは』

「その可能性は極めて低い。往復で通行料の支払いが二度発生してる。一度支払えば永続的になるが、生憎今まで生身の人間が不正通過した記録はない」

『……せ、先生もゾーンにいけるんですよね? なにを支払ったんですか?』

「妻と友人だ」

『え……それってどういう』

「行きの通行料が妻。帰りが友人だ」


 谷嵜先生はなんてことないように淡々と言った。スマホの向こう側で息をのむ音が聞こえる。緊張で少しだけ呼吸が荒い。

 彼の中では、通行料とは金銭や物々交換のようなことかと思ったがそうではないと谷嵜先生の言葉で気づき始める。


「お前の通行料に関して言えば、一つだけわかった。だが最後の一つ帰りの通行料だけが分からない」

『その一つって言うのは?』

「名前だ」

『名前?』


 名前が通行料とはどういう意味なのか分からず彼は首を傾げた。


「お前自分の名前を紙かなんかに書いてみろ。通話は繋げたままでいい」


 そう言われて彼は素直に従ったのか、遠くで音がした。引き出しの音とガサガサと紙が擦れる音。

 谷嵜先生は目を閉じて、その光景を思い浮かべる。部屋の間取りなんて全く分からない。学生の部屋など、どれも同じだろうと予想を立てる。ベッド近くにある勉強机に近づいて引き出しから不要紙を取り出して、ペン立てに立てられた適当なペンを手にして芯を出す。そしていざ名前を書こうと紙にペン先を乗せる。


『あれ……?』

「どうした」

『かけない。書けないんです。僕、自分の名前』

「言えるか?」

『―――――っ』


 それは掠れた声だった。自分の名前が書けないし言えない。どうなっているのか分からず混乱する。ペン先はきっと震えていて意地でも名前を書いてやろうとしているが、書けずに不安に苛まれる。


「お前の答案に、お前の名前は記入されていない。本来なら不合格で入学許可は下りない。だが、事情を知っている連中が近くにいる方がそっちとしてもいいだろ。別にそれが不正行為に入る事もない。お前はテストを受けてる。んでもって結果としては合格のラインを超えてる」

『あ、あの僕……これからどうなるんですか? このままずっと名前を言えない状態で、生きていくことになるんですか?』

「そうならないようにするよ」

『え……』

「君の名前は、取り戻す。すぐには勿論無理だ。約束もできない、絶対的保障も付けられない。だが、取り戻したいものがあるのは、君だけじゃない。君が今日あったバカ二人も同じように何かしらを奪われてる」


 吸血鬼部にいる人たちは、今回の件を知っている。全員が吸魂鬼の被害者。警察は相手にしてくれず、誰にも打ち明けられない。そんな中、三つの谷高校の旧校舎に偶然なのか必然なのか、集まった彼らが身を寄せ合い。尚且つ奪われた通行料を奪還するために各々の想いを抱きながら活動している。


『僕の通行料、あと一つわかっていないってことはもっと最悪なことがあるかもしれないってことですよね?』

「大小はわからん。だが、確実に言えるのは、俺が見てきた中で規模がデカいのは、一人の人間の存在を生きたまま消すことだ。通行料が自分の存在だった奴がいる」


 他者が通行料になるのは珍しい話ではない。大切な人がいるほど通行料になりやすい。けれど、通行する本人が、通行料となった例はない訳では無いが規模が大きいのは珍しい。


「身体的な通行料は珍しくはないが、概念を通行料にされる奴がいた」

『その人……どうなったんですか?』

「まだ生きてるよ。図太くもね」


 言えば、ほっと息を吐いた音が聞こえた。良い奴なのだと知る。

 もとより部室の外で谷嵜は話を聞いていた。吸魂鬼と対話で解決させようだなんて考えるバカはいなかった。みんな、通行料に何かを奪われて悔しいと嘆いている中、彼は何もわからない状態で巻き込まれた。


「……君にその気がないなら、うちに来なくていい。それによって君を守ってやらないとも言わない。うちに身を置くと嫌でも問題に巻き込まれるからな。君の言う平和的解決も俺たちにはできない」


 通行料を奪還する方法は、未だ見つけられていない。けれど、だからといって諦めるつもりもない。相手は心の無い怪物、武力行使でしか渡り合えない。


『できないなら……僕が、しても良いですか?』

「……」

『あの先輩たちは、あり得ないとかできないとか、言っていた。だけど、言葉が通じるなら、少しでも何か思う気持ちとかあれば、返してくれるかもしれない。それって……甘いことですか?』


 喧嘩は嫌いだから、話し合いで解決したい。言葉が上手いわけじゃないし、説得に長けているわけでもない。それでも、互いに怪我をするくらいなら、妥協し合うことはできないのか。歩み寄ることはできないのか。


「それは、お前らで決めることだ。高校で待ってる」

『はい。よろしくお願いします! 谷嵜先生』


 通話が終了する。日が暮れて、蛍光灯が余計に眩しく感じる。


 谷嵜先生は、ソファの背に頭を乗せて天井を見つめる。

 まだ彼の通行料が何なのかわからない。名前だけな訳がないのだ。

 家族を奪われたわけじゃない。調べたところ彼の両親は既に他界していた。親戚が孫を忘れていることもなかった。つまり人の存在は消えていない。


「たく、仕事が多いな」


 愚痴をこぼしながらソファに横になり眠りについた。

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