遠い背中

津川肇

遠い背中

 大粒の雨が叩きつけるように降っている。突然降りだしたから、傘なんてない。スニーカーの中まで水が入りこんで、シャツもスカートも肌にまとわりついて鬱陶しい。激しい雨粒に目を開けるのもやっとだけど、あたしは横断歩道の反対側のかんちゃんから目を離せない。


 あ。お。

 

 かんちゃんが大きく、ゆっくりと口を開ける。あお、違う。きっと「なこ」だ。あたしの名前を叫んでいるみたいだけど、その声は雨にかき消されてこっちまでは届かない。

 

 あ。あ。う。

 

 次は何だろう。かんちゃんが手招いている。「早く」かな。なかなか変わらない信号がじれったくて、かんちゃんの背中が遠く感じる。中二になってからかんちゃんはあたしの背をぐうっと追い越したから、遠近法? ならきっと近くに感じるはずなのに。

 かんちゃんが野球部に入って、どんどん筋肉がついて、声も少し低くなって。あたしはなんだか寂しくなって、学校の廊下で会っても手を振るのをやめた。なのに今日、急に一緒に帰ろうって言ってくれて、あたしちょっと舞い上がってた。小学校の頃みたいに二人で傘を差して帰れるかなって。でも、かんちゃんは自慢の足で雨の中をぐんぐん進んでいって、追いつけない。

 

 やっと信号を渡ってかんちゃんを追いかける。かんちゃんは時々振り返って、あたしが付いてきてるのを確認してくれる。かんちゃんはぬかるんだ道から学校の裏山に入った。うちへの近道だ。


「なこ、こっちや」

 雨が少し落ち着いてきた頃、かんちゃんが急にあたしの手を取った。こんなに手、おっきかったっけ。汗と雨で滑りそうになるけど、かんちゃんはあたしの手を強く握って山を登っていく。あたしの知らない道だ。

「家、こっちちゃうよ」

「ちょっと寄り道」

 手を繋いだまま、二人で並んで山道を駆け上がると、いつの間にか雨は上がっていた。相変わらず濡れた体はぐちゃぐちゃだけど、葉っぱについた水滴がきらきらしてるのを見てると、少し気持ちが晴れる。


「着いたで、なこ」

 あたしたちは、ひらけた場所に出た。かんちゃんの声に顔を上げると、目の前に大きな虹が見えた。あたしたちが育った町にかかる、七色の虹。向こうの山から、あたしたちが生まれた市立病院の辺りまで、綺麗な曲線が伸びている。あたしもかんちゃんも、しばらく見惚れていた。ふと隣のかんちゃんを見上げると、目が合った。

「これを見せたかったん?」

 そう話しかけると、ぷい、と顔を逸らされた。

「一緒に見たかってん、なこと」

 そっぽを向いたまま、かんちゃんが言う。部活のトレーニングで走っているときに見つけた場所らしい。雨のあとに虹がかかる保証なんてないのに、こんなとこまで連れてきて、やっぱりかんちゃんは馬鹿だ。


「明日、風邪引いてまうかもね」

「そしたら俺が看病しちゃる」

「馬鹿は風邪引かんもんね」

 そう言ってからかったら、かんちゃんは「馬鹿っていう方が馬鹿やし」って、繋いだ手をぎゅうっと握った。かんちゃんのほっぺは、全力で走ったからか真っ赤だ。でもきっと、あたしのほっぺも真っ赤だ。

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遠い背中 津川肇 @suskhs

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