第39話帰宅

 会計を終えた俺達は自宅のある住宅街に向けて歩みを進めていた。

 免許を取り立ての俺は、残念ながら某黒の剣士のように二人乗りはまだできないので、現在はバイクを引きながら歩いている。


容保かたもりくんだけでも先に帰って良かったのに……」


菜月なつきさんを……年頃の女の子を独りで帰らせる訳にはいかないよ。実際にファミレス内でも菜月なつきさん絡まれてたし……」


「……確かに否定出来ないわ……」


 徒歩の自分に付き合わせるのが悪いと思っているのだろうけど、実際に問題が起きているのだから家族として、男としてむざむざ見逃せるリスクではない。


「と言う訳で、一緒に帰ろうって言ってるんだ。男として、家族(仮)として、そして義理とは言え姉弟として男共が放って置かない菜月なつきさんを守らないと、父さんにも義母雪菜さんにも申し訳ないからね……」


「やっぱり容保かたもりくんは優しいなぁ……」


 そう言うと菜月なつきさんは、歩を止め俺の横にピッタリと並ぶ。


「そんなことないと思うけど……」


「そんなことないよー。こんなに出来た義弟おとうとを持てて義姉おねえちゃんは嬉しいなー(こんな風に女の子の扱いが上手くなったのは、七瀬ななせちゃんの影響かしら? あれ……でも……)(ボソ)」


 ――――とブツブツと呟いている。


 そんなことを呟きながら家路を急いでいた時だった。

 住宅街のせいか、周囲に街灯は少なく疎らに設置された街灯がポツポツと周囲を照らしている。

 そんな住宅街にも信号のない横断歩道はあり、電柱の横に煌々と光る街灯が一基、そして制服に身を包んだ少女も一人立っていた。

 どうやらスマホを弄っているようで、少女の頭は下がっている他人事ながら不用心だと思っていた時だった。


「喜んでもらえるような大層なことはしてないんだけど……」


「そんなことないよー。容保かたもりは頑ななところはあるけど基本優しいし料理だって美味いし、ファッションだって七瀬ななせちゃんの影響でセンスはそこそこ。あとはもう少し痩せるだけで、女の子は放っておかないと思うけどなぁ……」


 菜月なつきさんの急なお褒めの言葉に思わず胸がドクンと跳ねるが、身内の贔屓目、おべっかだと自分に言い聞かせて喜ぶ心を落ち着かせる。


「身内の贔屓目だよ。それに減量も調子落ちてきたし……」


「一気に痩せられるのはそれだけ太っているから、テストの点数と一緒で詰めてれば詰めるほど、思うように行かなくなるものよ。私だって中学三年で太った分をペイするのは結構かかったんだから、男女の基礎代謝の違いはあれどそんな簡単にペイされて溜まるものですか……」


 少女の横を菜月なつきさんと談笑しながら通り抜けた時だった。

 うつむいていた少女は頭を上げ、俺の名前を呼んだ。


「あれ、容保かたもりよね?」


 声だけで理解した。

 理解できた。

 思い出してしまった。

 俺の黒歴史。

 思い出したくないあの日々の象徴。

 顔から、脇から全身から嫌な油汗が吹き出し、背中がびしょびしょになり、一瞬で顔色が悪くなる。


「すず……」


 油を指していないブリキ人形のような、ぎこちない仕草で振り返る。

 長年の刷り込みの結果だろう。鈴を鳴らせば涎が垂れると言うパブロフの犬のように、俺は反応せざるおえなかった。


 ひゅるひゅると音を立てて風が吹き抜ける。


 流れるようなサラサラの黒い長髪をなびかせる姿を幻視する。

 しかしあの頃のすずの姿はなく、黒かった頭髪は明るい茶色に染めており、耳にもピアノが幾つも空いている。

 そうこの少女こそ俺がここまで変わる原動力になった幼馴染。長南おさなみすずだった。


「……容保かたもりくん?」


「なんだやっぱり容保かたもりじゃん。なんですぐ返事返さないの昔見たいに……」


 松ヶ浜まつがはま高校のブレザー制服を着崩しており、いかにもギャルと言った風体になっている。


「悪かった……」


 ただ俺には謝る事しか出来ない。


「そう言えば数か月前にトラック止まってたけど何? 小父さん再婚でもしたの?」


 会いたくない。心の底からそう思っている相手に突然出会ってしまえば、つい先ほどまで大人と対等以上に戦っていた俺でも戦意喪失し、まるでまな板の上の鯉のようになされるがままに成ってしまう。


「実はそうなんだ……」


 力なく答えるしかない。


「えっ!? 嘘ッ! 小父さんって転職してないなら忙しいハズなのに……良く再婚相手見つけられたわね……で、隣の相手は……」


 父さんの職業を知っている。すずにとって再婚は相当に意外な事だったらしく驚愕の表情を浮かべている。

 俺との出来事なんてコイツからしてみれば、一ヶ月単位ではそこそこ大きな出来事でも、一年単位になれば大した事件ではなくなり、二年も立てば忘れてしまうほどに小さな出来事何だろう……

本当に嫌になる。一世一代の告白に何の価値もなかったのだと、もう一度突きつけられるこの感覚、手の平に杭でも刺された見たいな鋭い幻痛を感じる。


「始めて私、容保かたもりくんと同じクラスの鎌倉菜月かまくらなつきと言います。貴方は……」


「私は、長南おさなみすず。コイツの幼馴染よ」


 すずからしてみれば、年の近い弟分なのかもしれないが俺からすればずっと憧れていた女の子でしかない。

 俺からすれば二度と会いたくないので幼馴染とすら名乗らないで欲しい。


「幼馴染……私は容保かたもりくんの義理の姉なんです……」


「姉? ……あぁ再婚で……」


 納得が行った、とでも言いたげな表情を浮かべる幼馴染。


「そんなことより、なんで話しかけてくるんだよ! 俺はお前にフラれていらい顔も合わせたくないに……」


「顔を合わせたくないって……幼馴染なんだからしょうがないでしょ? 私を見返したいのか、分からないけど猛勉強して早苗さなえ高校受かったんだし離れられて結果良かったじゃない」


「……」


 余りの言い分に何も言い返せずにいるとこう付け加えた。


「それにあの先輩とは分かれたのよ?」


 あの先輩と言うのはバスケ部OBの田辺先輩の事だろう。

 しかし、今の俺にはどうだっていいことだ。


「……今も彼氏はいるんだろ?」


「あれから十人は出来たかしら……」


 笑窪が可愛らしいこの幼馴染は、まるで男友達のような気安さで多くの非モテ男を勘違いさせる女で、それでいて運動が得意な陽キャに良くモテる。


「今でもお前のことが好きな気持ちはあるけど、あるからこそ会いたくないんだ。これからは街で会っても話しかけないでくれ……」


 俺はバイクを押しその場を立ち去ろうと試みる。


「ちょっと待ってよ。別にあんたと付き合いたいなんて言ってないじゃないの……」


 そう言うと立ち去ろうとする俺の腕を摑む。


「すいません。家の義弟おとうとが嫌がっているのでその手を放して貰ってもいいですか?」


 言葉は丁寧だが拒絶の感情を色濃く感じさせる声音で、お願いといいつつもそれは命令に近いものだった。


「私達、幼馴染のことに口を挟まないでよ! 容保かたもりは一人じゃ何にもできない子なの……義理の家族に何が分かるの? 過ごしてきた時間が長い私の方が容保かたもりの事は分かっているのよ!」


 声を荒げ反論する。

 

なんでコイツはこんなに荒れているんだ? 親と喧嘩? ……それなら自室に引きこもったり、着替えてカラオケや漫画喫茶にでも行ってオールすればいいのに……


「すず。悪いんだけどウチの義姉さんのことを馬鹿にしないでくれよ……仮にも家族を馬鹿にされて「はい、そうですか」って黙って居られる訳ないじゃないか」


「でも長く過ごしているのは私よ? そりゃ告白は断ったけど……」


「告白を断られた事を恨んでいないと言えばウソになる。だけど俺は新しい家族を大事にしたいんだ。シスコンと言われてもいい偽物でも本物であろうと努力すれば、本物よりも歪でも、不格好でも俺はその方が価値があると思う……俺達はもう違う道を歩いているんだもう放っておいてくれないか?」


 その言葉はすずに言い聞かせるというよりは、二年間も未練を引きずっている自分に言い聞かせるようなものだった。

 恋だの愛だのと言う複数の感情の混合物に無理やり名前をつけるんだから、憧れや独占欲、所有欲なんかの綺麗で純粋な感情や汚く欲に塗れた感情と誤認するのも仕方がない。


 俺は菜月なつきさんの腕を引くと足早にその場を後にした。


菜月なつきさんごめんなさい。不快な思いをさせてしまいました」


「いえ。仕方ないことだと思っています。家族と呼んでもらえたことは本当に嬉しかったです」


 菜月なつきさんはニッコリとほほ笑むとこう付け加えた。


「これから一緒にホンモノに近づけていきましょう。差し当たって、先ずは明日の食事の内一回は私が作りましょう。いつもはお母さんや、容保かたもりくんに作って貰っていますので……」


「でも菜月なつきさん料理が苦手じゃないか……大丈夫ですよ。レシピだけじゃわからないことでも動画を見ながらなら保管できますし……大船に乗ったつもりでいてください」


「うん。タイタニックに乗ったつもりでいるよ……」


 少しと言うには過分な不安を覚えるが、新しい事を始めるにはいい機会なのかもしれない。


ああ、今日は風呂に入る気力すら残っていない。早く制服を脱いで柔らかいベッドに倒れ、泥のように寝たい……




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『あとがき』


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