最終話 咲慧の役割
「……やはりこうなったか」
咲慧は新聞紙を読みながら呟いた。
側では師匠が面白そうに新聞紙を眺めていた。
咲慧は苛立って新聞紙を閉じ。
師匠に糾弾する。
「結局、彼も時代に潰されたと言う訳か」
「いいや。そうではないよ。革命は成功した。時代の流れを数十年早くしたんだ。これは賞賛されるべきことだよ」
「革命はな。だが、その後の臨時政府は腐敗し。以前よりも軍による弾圧が強くなった。一部の評論家は以前の政権の方が規律があったとまでも報道している」
「本来なら革命は失敗していたんだよ。成功しただけでも大健闘さ」
「成功すれば良いと言う話でもないだろう」
「君は少しばかり人間の良心に期待しすぎだよ。こうなることは分かり切っていた話だからね」
「どういうことだ?」
「そのままの意味さ。彼に英雄の才を授けた時から、革命は成功すると分かっていたし、革命後に作られた政府は腐敗し。国家は混乱することも分かり切っていたからね」
「………」
「如何なる時代であろうが、一国を独裁していた者を引きずりおろした後にやってくるのは無秩序な状態だ。フランス革命、然り、ロシア革命、然り、清教徒革命、然りね。挙げればきりがないよ」
「なら、どうして彼を止めなかった。彼の死は無駄死にとでも言いたいのか」
「いいや。意味は有る。無秩序な状態はあくまでも次の段階に行く為の一時的な状態だ。追い詰められた国民は否応なく精神性を成長させ、強靭な国家を作り上げる。それが民主的か軍事的かは分からない。だが、確実に以前の体制を一変させ次の時代に進むんだ」
「彼はあの国家の礎になったと言いたいのか」
「その通りさ。たった一人で、一国を数十年先に動かした。これが彼の真の功績さ」
「……やはり私は貴方が嫌いだ。人を駒としか見ていない」
「それは心外だな。僕は人を愛しているよ。……だからね、優秀な駒は壊れるまで愛でてあげるし。使えない駒は、一時の優越を味わせた後に優秀な駒の為の犠牲になって貰う」
「私も駒の一つとでも言いたいのか?」
「いいや。君はどれにも当てはまらない。だから、咲慧の名を譲った。咲慧の役割としては僕よりも優秀だからね。……そう言えば彼の持っていた才は何だったんだい? まあ、英雄の才と比較すれば取るに足らない才だと思うけど」
「……思想家の才だ」
咲慧がそう呟くと、師匠は瞳孔が開いた。
「思想家の才だって」
「もし、彼の才が開花すればまた異なる結末を招いたかもしれんな」
師匠は珍しく。
深く考え込んでから呟く。
「そうかもね。でも、彼が生きているうちに軍事国家を解体するには至らないよ。思想からの教養は膨大な時間が掛かるからね。……そうだ、知っているかい咲慧? 愚かな政府と言うのは国民が作り上げると言われる。軍事国家も独裁国家も国民の知徳の低さによって作られるんだ。そう考えると、彼は実に滑稽だと思わないかい?」
「何が言いたい?」
「彼は自身の才に全く気付かず短絡的な解決に走った。彼は気付いていた筈だ。いや、思想家の才を持っているなら無意識的にも理解していた筈だ。英雄の才を得て武力により国家転覆を持ち込んでも、無政府状態に陥る事を。愚かな政府は国民によって作り上げるのだから。権力者を引きずりおろしても、国民の知徳が少なければ同じような輩が出てくる。追い込まれた国民は精神性が引き上げられるため多少はマシになるだろうが、所詮は同じ穴の狢。目に見える様な成長はしない。それに気付きながら、それを知りながら、目を逸らし安易な解決に向かった。まるで道化だね」
「……それが、信念を通した死者に言う言葉か」
「信念? 面白いことを言う。力を持った者の信念など危険極まりない凶器であり狂気だよ。社会を変えると言う理想に燃える信念はやがて周囲を破滅へと招く。理想、信念、信条。これらに従事する人間は犠牲を要とする。矮小な価値観を守るために、自己の取り巻く社会を犠牲にする。眼に見える範囲の犠牲で自己の屈折した価値観を守り切れると思っているからだ。だが、世の中そんなに甘くない。抑圧すればするほど、粛清すればするほど反発を招く。それでも信念を持つ人間は立ち止まる事はしない。立ち止まれば今まで犠牲にしてきたモノが無駄になるからね。信念を持つ人間が信念を捨てると言う事は死ぬと同意義だ。仮に信念を捨てられると言うのなら、犠牲を出す前に立ち止まっている。そこで立ち止まれない者に引き返す道も、立ち止まる道も残ってはいまい。信念を持つ愚かな人間は歪な価値観を守るため、多くの犠牲を払うことも、未曾有雨の犠牲を生み出す事にも厭わなくなる。目的と手段が入れ替わっていることにも気づかずに、ただ死ぬまで周囲を破滅に招きながら走り続ける。そう、自己の大切な大切な信念と言うガラクタを守るためにね」
「随分と棘のある言い方だな」
「ただ思ったことを言っただけさ。国を変える、時代を変えると豪語する輩には碌な記憶がなかったからね」
師匠は本棚に入っていた。
第二次世界大戦の資料を一瞥して言った。
「それは師の見る目が無かっただけの話だろう」
「……そうかもね」
師匠は意味深に笑ってから答えた。
咲慧は深くため息を吐いてから師に尋ねる。
「師よ、一つ聞きたい」
「どうしたんだい。僕に質問とは珍しいね」
「今更の質問なんだが、咲慧とは一体何の為に有るんだ――」
「本当に今更だね。咲慧とは時代を動かす者の名だよ。そのためには才が沢山必要だ。故に凡愚な才から稀有な才を集め、それを活用できる者に移し替える」
「本当にそうなのか」
「どうしてそう思うのかな?」
「それが咲慧の本来の役割とは私には到底思えないからだ。時折、師から聞く初代咲慧の像と今の咲慧はあまりにもかけ離れている」
師匠は冷たい目線で咲慧を見てから。
「……咲慧の役割は時代と共に変化している」
呟くような小さな声で言った。
「どういう意味だ」
「今日は気分がいいから特別に教えてあげるよ。咲慧の本来の役割についてね。初代咲慧と言われた人物は紀元前千年前に中国で現れた女性と言われている」
師匠は文献を思い出すかのように唱え始めた。
「初代咲慧は人の才能を見抜く力を持っていたらしくね。初代咲慧は呂尚と言う青年の才を見抜き彼に才能を伸ばすように勧めた」
「呂尚だと……まさか!」
「日本では太公望の名前で有名だね」
「まて、初代咲慧は才能を伸ばすように言っただけなのか」
「そうだよ。初代咲慧は僕らみたいな才の譲渡はできない。人の才を見抜くのに長けた女性に過ぎないからね。咲慧の本来の役割は才を開花させるのを手助けするに過ぎない存在だった。……それが変わったのは三十代目からだ。三十代目咲慧は易に長けた人物だったらしく。人に害なす才を抑えようと考えた。その結果、才を本に封じ込むと言う方法を編み出した。それから咲慧の役割は移り変わる。害ある才を封じ込めると言う役割にだ。そして、四十七代目咲慧は封じた才を他者に移し替える方法を編み出した。……ここまで言えばわかるよね。四十七代目から咲慧の役割は変質している。今の様に才を取引するようにね」
「なら、咲慧とは一体何の為に有るんだ!」
「簡単だよ。人の役に立つためだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「人の役に立つためだと」
「それが初代咲慧の理想だ。僕らは理念を引き継いだが理想は継がなかったみたいだね」
「……私は初代咲慧の考えに賛同する。才なんかで人の器は測れない」
「だが、そんな甘いことは言っていられないと思うけどね。僕らが才を集め始めたのには理由がある。人類史の破滅を防ぐと言う理由がね。遠くない未来に人類は大規模な戦争を始める。その結果、人類は激減して衰退する。その戦いを防ぐためには数多の超越者が必要だ。故に、才を僕らは集め、超越者となるであろう人物に与えているんだよ」
師は背伸びしてから。
「……少しばかりお喋りが過ぎたかな。さて、咲慧。またね」
「ああ。二度と来るな」
「ふっ、憎まれ口をたたく余裕があって嬉しいよ」
師匠はそう言って立ち去った。
咲慧は深い溜息を吐いて店の外に出た。
そして虚ろに移り変わる。
虚空の空を眺めていた――。
咲慧の書才堂 橘風儀 @huugi
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