第5話 最果ての世界


「……政府を打倒、ですか?」

 僕は現実感のない問いかけに。

 呆けたように返してしまう。


「ああ。政府を打ち倒す。武器を手に取り、この国を取り戻すんだよ。簡潔に言うならば革命を起こす」

 予想外の質問に面食らった。


 国を変えると言うのは、この国の事を指しているのだろう。

 祖父のくれた本にこの国は大量虐殺や粛清を陰で行っていると書かれていた。 


 僕の眼ではまだ見ていないが。

 この国の闇は深い事は十分知っている。

 

 まさか、本当に革命を起こすつもりなのかと思い。

 冷や汗が流れ出た。

 

 柳の眼は真剣なために、此方の返答も無難な回答では許されないと思ったし。

 偽善的な回答も望んでいないと分かった。

 

 善でも悪でも僕の本心を聞きたいのだと。 

 

 片唾を呑み込み。

 

 思ったことを言葉に繋ぐ。


「……正当化されないと思う。武器を手に取り、武力によって政権を奪うことは赦される行為ではない」


「なら、政府が無垢な民や他民族を虐殺するのを、君は肯定するんだな」


「肯定はできない。だけど、柳さんのやり方では何も解決しない、と思う。革命が成功し、新しい政権が出来たとしても次の悪人が現れ、以前よりも酷い圧政を始めるだろう。そうなれば被害に合うのは民衆だ。だから、少しずつでも国民の、軍部の意識を改善して……」

 柳は僕の言葉を遮って言う。


「それは理想論だ。政府はそんな声に耳を貸さない」


「だけど、武器を整えた軍部に勝てるはずがない。だから言葉を武器に戦うべきだ。僕はそう思う」


「……言葉を武器にだと? 面白いことを言う。力無き言葉は無力だ! 言葉と言うのは力が有って初めて成立する! どれだけ綺麗事を並べ立てようが、そこに力が無ければ机上の空論に成り下がる!」


 柳の殺気立った声に一瞬怯むが。

 

 それでも自分の意見を主張する為に声を荒げる。

「なら! 目に見える悪人を殺して何かが変わるとでも思っているのかい? 何も変わりやしないさ。悪人が一人死のうが、君が死のうが根幹が変わらない限り何も変わりやしない!」

 

 僕は無意識的に必死になって柳の考えを否定にかかっていた。

 いつもなら自説を曲げて相手に合わせるのだが。

 今回に限っては自説を曲げてはいけないと本能的に叫んでおり。

 自分でも驚くほど強気に出ていた。

 

 彼の意見を肯定すれば。

 

 彼は取り返しのつかない行動を起こすかもしれない。

 

 そう、本能的に感じ取ったからだ。

 僕は溢れ出る感情を言葉に乗せて問う。

「では、聞くが柳さん。殺し殺し合うことで生まれる血塗られた国家に、君が求める正義は有るのかい!」


「……っ!」


 柳は正義と言う言葉を聞いて一瞬怯む。


「そこに正義なんて有りはしないさ。仮に政府転覆を成功しても、別の争いの連鎖を作り上げるだけだ!」


「っ! なら! どうしろって言うんだ! ただ、傍観して人が殺されているのを目の当たりにしろとでも言いたいのか!」


「そんなことは言っちゃいない! 言葉を、思想を! 武器にすべきだと言いたいんだ!」

「言葉を武器にだと? ……はっ。そんなモノは無駄だと歴史が証明している」

「それでもだ。それでも、国民の知識を、国民の良心を武器にすべきだ。武器を頼りにしてできた新しい政府は最終的に武器と言う暴力を頼りに国民を弾圧する。それしか訴える方法を知らないからだ! これでは以前と、何も変わりやしないじゃないか、そうじゃないのか柳さん」

 柳は言い返せずに唇を強く噛み閉めて睨んでいた。

 何か反論をしたいようだが、感情の波が激しく揺らいでおり。


 上手く言葉にならないため出ないようだった。


 互いが互いを睨みあったまま時間だけが過ぎ去る。


 数分後に、僕は感情を荒げないように落ち着いた口調で言葉を繋げる。


「……柳さん。さっき貴方は言ったよね。言葉を武器にするのは無駄だって。それは歴史が証明していると」


「……ああ」


「なら、犠牲を出すしか僕らには選択肢はないんだね?」

「そうだ。それしか選択肢はない」

 柳が真剣な表情で言い切ると。


 僕は少し笑ってしまう。

「ふっ。思ったより頭が固いね。柳さんは」

「なんだと?」

「始めっから選択肢を一つに絞っているから、そんなに思いつめるんだよ」


「俺が思いつめているだって?」

「ああ。柳さんが一番思いつめている。話していて分かったけど。本心では誰一人犠牲を出したくないって柳さんが一番思っているんじゃないかな。敵であろうが出来れば殺したくはないって」


「……」

「だけど、犠牲を出さなきゃ国は変わらない。犠牲無くして国家変革が起こった例は歴史にないからね」


「……ああ」


「なら。ならばさ、こうは考えられないかい? 既存の歴史が間違っているんだと。犠牲を常に求め、言葉ではなく武器により改革が行われてきた今までの歴史が大きな間違いだったんだと」

「……なっ」


「僕らが求める答えは今までの歴史に存在しない。だからと言って悲観することもないし悲観する必要もない。過去になければ、新たな歴史を作れば良いだけの話じゃないか」

「新たに歴史を作るだと?」


「そうだよ! 言葉を武器に、思想を武器に政府を打ち倒すんだ! もし、もしもだ。これが成功すれば新たに出来た政府は言葉と思想で動くため、国民の知恵や良心によって制御された国家に移り変わる。理想論かもしれないが、机上の空論かもしれないけど、殺し合うことでしか進歩して来なかった歴史の負の連鎖から抜けだす新たな選択肢ではないのかな?」


「それは理想論だ。現実はそんなにぬるくはない!」

 柳は切迫した声で言った。

 しかしながら表情は苦い顔であり。

 今述べた言葉は自分自身に返って来て自傷している風に見えた。


 感情では同意したいのだが。

 理性では同意できない為に複雑な葛藤が柳の中で渦巻く。


「ああ。とても難しいだろうね。でも不可能ではないはずだ。……それに柳さん。貴方は言ってたよね。正義の存在が知りたいって」


「……」


「なら、聞くけど犠牲を必要とする国家変革に正義は有るのかな?」

「正義は有る! 少なくとも軍の暴走をなくすことができる!」


「僕は、その先を聞いているんだよ。武器によって簒奪した後の政府が公正な国家運営をできるかって聞いているんだ!」

「それは……」


「残念ながら出来ないよ。同じように武器を用いて国民を弾圧する。だって、それしか訴える方法を知らないからだ。これに憤った国民は再び武器を手に取り国家を変革をする。この負の連鎖が永延と続く。増えるのは屍だけだ」


「……だ、だが」


「だから僕は言っているんだ。言葉により、思想により、殺し、殺し合う、この歴史の負の連鎖を断ち切る必要が有るって。……もし、もしもだ。この負の連鎖を言葉により、思想により断ち切る事が出来るのなら。それは……それこそが疑いようのない正義ではないのか!」

 柳は正義と言う言葉を聞いて瞳孔が開いた。


「そう! 貴方が必死になって求めていた! 誰もが望み! 誰もが渇望した! 疑いようのない正義ではないのか柳さん!」


「……っ」

 柳は口元に手を当ててから、ゆっくりと項垂れた。


 数分すると気持ちが整理出来たのか。

 いつもの様な親しみやすい表情に戻っていた。


 柳は自嘲するように笑ってから言う。

「少しばかり周りが見えなくなっていたようだ。どうやら、君は私が思っているよりも優秀なようだね。……正直、君に尋ねても何も得られないと思っていたが、予想外の収穫だよ。さて、次は君が僕に何かを尋ねる番だな。何でも良いよ、気分が良いから何でも答えよう」

 柳は少しばかり機嫌が良さそうに見えた。


 僕は柳に対して尋ねることは既に決まっていた。

 

 それは柳の職業についてだ――。

 

 正義を探すために旅に出たと言っていたが、柳の求めている正義のレベルは僕が考えていたよりも格段に重かった。


 そこまで思いつめる切掛けになった職業に興味を抱き。

 尋ねてしまった。

「柳さんの職業は何なのですか?」

「……」

 柳は煙草に火を灯して黙った。


 暫くしてから、ゆっくりと口を開く。


「悪いが質問には答えられない。もし、私が答えたなら、君は安全に日本に帰国できなくなるかもしれない」


「……そうですか」


「悪いな。でも、これは君を信用しているからだ。普段の私なら適当な嘘を言って誤魔化すからね。言わないと言うのは、逆説的になるが君を信頼しているんだ。悪いが他の質問に変えてくれないかい?」


「……分かりました」

 これ以上、突っ込んで聞くことを辞めた。


 これ以上、突っ込むと戻れなくなると思ったからだ。


 だから別の質問に変える事にした。


 この質問をして良いのか悩んだが、好奇心には勝てずに聞いてしまう。

「……ヒトを、人を殺したことは有りますか?」


 僕は否定して欲しくて聞いたが、柳は躊躇わらずに答えた。

「有る」

 

 柳の眼は曇りなく。


 其の業に後悔の念はなかった。



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