第9話 小さな英雄

 僕は深く深呼吸してから鉄格子越しに声を掛ける。


「玲奈。いるんだろ」

「…………」

 返事が返って来なかった。


「玲奈、聞こえてるだろう」

「………」

 物音一つしない。

 

 何一つ聞こえなかった。


 数分間待ったが返事は返って来ず。


 僕は昔を思い出すように言葉を繋ぐ。

「……思えば玲奈の事を好きになったのはいつだったんだろう。確か、高校一年の時はクラスは一緒だったよな。一度も話したことはなかったけど」

「……」


「高校二年の時に初めて意識したんだよな。地味だけど、何故か惹かれるモノがあってね。でも、フラれるのが怖くてずっと気持ちを見せない様に生きていたんだ」

「……」


「初めて声を掛けられた内容を覚えてるかい? あの本の名前」

「…………」


「あの本のタイトルは何だっけ。暫く玲奈に勉強を教えて貰ってなかったから記憶力が悪くなってね……」



「……小さな英雄物語。私が吹雪と話す切っ掛けを作るために、興味無い本を初めて買った本」

 玲奈は小さな声で返答した。


「そうだった。小さな英雄物語って内容だったな」

「……どうして会いに来たの」

 咎めるような冷たい声だった。


「理由なんてないよ。玲奈の事が心配だから。玲奈の事が好きだから会いに来た」

「私は会いたくなかった」


「っ、どうしてだよ!」

「……あれから三日三晩犯され続けた。……思い出したくない! あぁ、思い出したくない! 思い出したくない!」

 玲奈は過呼吸になりながら叫ぶ。


 脳裏に掲示板に写った数多の写真を思い出す。

 無理な体制で数人に犯されている写真。

 異物を無理やり入れられている写真。

 排泄しているところを写される写真。

 無理やり尿を飲まされている写真。


「吹雪に、穢れた身体を見せたくない! 吹雪も心の中で思っているのでしょう。穢れた女だって!」

「思ってるわけないだろう! 俺は玲奈がどんなになっても好きなんだよ」


「嘘よ。どうせ嘘。嘘、嘘、嘘ッ! 綺麗な女性を見つけたら私を捨ててそっちに行くでしょう。だって私は穢れているから! 何度も何度も男達の快楽の為に嬲られた! こんな穢れた女を愛せる訳ないでしょう!」


「そんな訳あるか! 俺はお前の全てが好きで付き合ったんだ! 俺はお前の一途な性格に惚れたんだ! 俺はお前の側でいたい。俺はお前と一緒に老いたい。そしてお前と共に死にたいんだよ!」

 ドアを叩いて感情を全て吐き出す。


「……無理だよ。これは治らない。男を見ただけで尋常でないぐらい吐き気がするから。慣れる慣れないの問題じゃないよ」

「…………っ」

 僕は何も言う言葉が見つからずに黙るしかなかった。

 

 数分の沈黙が続くと玲奈から声を掛けられた。

「……ねえ、吹雪。知ってる? 幼稚園の頃の話だけどね。羽柴玲奈って女の子がいたんだ。その子は凄く可愛い女の子でね。男の子にモテモテだったんだ」

「……羽柴?」

 どこかで聞き覚えがある名前だった。


「でも女の子には嫌われていてね。いつも靴を隠されたんだ」

「……靴」

 記憶の中で何かが繋がる。


「そしたらいつも。それも日が暮れても探してくれる男の子がいたんだ。そして苛めの主犯格の子に一人で立ち向かった。小さな、小さな英雄さん。正義感が誰よりも強く自分に誰よりも厳しかった英雄さん」

「……」


「だけど高校一年で変わったんだよね。何度も何度も苛めを止めた為に不良に目を付けられ。数人がかりで両腕を折られて。そこから少し冷たくなった。でも、私は誰よりも知っているんだ。吹雪が誰よりも優しい事を」

「……玲奈」


「だからね。私には勿体ないんだ。私の為に人生を潰すことはないよ。吹雪の魅力は誰よりも知っているからね。吹雪なら私よりももっと、もっと良い女性と付き合えるよ。この美人な私が言うんだから間違いないよ」


「俺には玲奈以上の存在なんか存在しない! 俺にとってはお前が全てなんだ!」


「…………やめて」

 消え入りそうな声で僕を拒絶した。

 僕は玲奈に何を言っても通じないと思った。


 この厚い鉄のドアが全てを弾くように感じる。


「それでも僕は、君を愛している。君だけを愛している。この気持ちだけは本当だ。また来るよ玲奈」

「…………うん」

 消え入りそうな小さな声だった。


 翌日も玲奈の元に訪れた。


 壁越しの会話。


 玲奈の姿は一切見えずに会話する。

 

 それでも玲奈の声が聞こえるだけで幸せだった。

 

 これが日課になり一週間が過ぎると終わりの時が来る。


「もう来ないで」

 それはあまりにも唐突に言われた。


「どうしてだよ」

「……約束、忘れたの?」

 大学受験のことだと思いだす。


「分かった。なら俺が同士社大学に受かったら正式に付き合ってくれよ」

「ダメだよ」

「えっ?」


「特待生で受かったら付き合ってあげる」

「分かった。なら次会うのは俺が大学に受かってからだな」

「……頑張ってね」


 その日から死ぬ気になって勉強をやり直す。二週間近く何もしていなかった為に忘却している部分が少しあったが。

 

 一問一問思い出すたびに玲奈との勉強の思い出が蘇り。

 再び会うために必死に勉強をした。


 寝る間を惜しんで勉学に励む。

 

 試験に万全の態勢で挑んだ結果。

 

 法学部に特待生で受かることに成功した。


 僕は喜んで合格通知と紙袋を持って病院に向かった。


 玲奈と最後に会ったのは二カ月も離れており。

 

 急いで病院に向かう。

 

 病院の看護婦は僕の顔を見て気まずそうにした。

 

 僕は、いつものように奥の閉鎖病棟に行こうとしたら止められた。


 そこには眼鏡の先生が神妙な面持ちでいた。

「合格。おめでとう」

 複雑な表情をしていた。


「ありがとうございます。……でも、どうして知っているのですか」

 先生は何も言わずに手紙を渡した。


 嫌な予感がして手紙を受け取る――。


「……どういうことですか」

「……わたしから言う事は何もないよ」

 そう言って先生は立ち去った。


 恐る恐る手紙を開く。

〈吹雪へ。合格おめでとう。これで立派な大学生だね。特待生で合格が出来なくても、合格はしているでしょう。特待生と言ったのは確実に合格して貰うため。吹雪は余裕が出来ると怠ける癖があるからね。特待生と言って丁度良いんだ。……言いにくいのですが、お別れの言葉を綴ります。この手紙を読んでいると言う事は、私はこの世にいないでしょう。勝手に自殺したことを許してとは言わないけど、怒らないで下さい。私が生きていたら、吹雪は私の為に一生を棒に振るからね。……だから、これが一番、私にとっても吹雪にとっても良い方法なんだ。……大学で幸せになってね。吹雪の元恋人、玲奈より〉

 手紙の内容が理解できなかった。


 今日は告白する日だったんだ。


 指輪なんて高価な物は買えなかったから、試験終わってから丁寧に丁寧に花のブレスレットを作って紙袋に入れていたんだ。


 今日は僕らの新たな旅路になる日だったんだ。


 今日は良い日になるはずだったんだ。

 

 どうしてだよ。


 どうしてこんな結末になるんだよ――。

 

 僕は膝から崩れ落ちて溢れ出る涙が止まらなかった。

 いくら涙を流しても枯れる事はない。

 気が付くと消灯が落ちていた。

 

 お昼に来たのに、ふと時計を見ると時刻は深夜二時だった。

 受付をみると看護婦さんが心配そうにずっと見ていた。

 

 紙袋に入った青色のブレスレットが哀愁を響かせる。

 

 涙が枯れ果てて目は充血していた。

 

 もう、何も分からない。

 

 何をしていいのか分からない。

 

 大学にも興味がない。

 

 もう、全てがどうでも良かった。

 

 消えてなくなりたい――。


 もう、こんな世界に興味はない。

 ゆっくりと立ち上がり、出て行こうとした。

 

 看護婦さんが走って来て。

 僕が外に出るのを止めた。

 

 なぜ止めるのだろう。

 明らかに自殺しに行く目に見えたのだろう。

 

 僕は看護婦さんにベットに連れて行かれ精神安定剤を飲まされた。

 

 そのまま暗闇に堕ちるように眠りの世界に堕ちた。

 

 昼になり眼が覚める。

 

 眼が痛い。

 昨夜、身体中の水分を涙に返還でもしたのか眼は異常なほど充血していた。


 看護婦さんにお礼を言ってから外に出た。


 何か荷物があったような気がするが気の所為だろう――。


 ゆっくりと町を歩く。

 カップル連れが歩いていると直視できなかった。


 もう、涙も出ない――。


 目的もなく町を歩いていた。

 何処に行くのだろう。

 行く当てなんてない。

 

 ただ玲奈がいない世界があまりにも空虚に感じた。

 

 何時間歩いたのだろう。

 此処は何処なんだろう。

 

 何故、僕は生きているんだろう。

 何故、玲奈は死んだんだろう。

 

 どうして玲奈はあそこまで追い詰められたんだろう。

 

 そうか。

 そうだった。

 忘れていた。


 あの屑共を消さなきゃ――。


 僕はゆっくりと屑の元に向かおうとする。


 でもよく考えれば、焼却する物が必要だ。


 あれはこの世のゴミだ。


 肉片の一つも残してはいけない。

 

 そうだ、それをすれば少しは玲奈は報われる。

 

 そうすれば僕は前に進める――。

 

 あんなにも真面目に生きていた玲奈が死んで。

 刹那的な快楽を求めて他人の事を思わないゴミが生きているなんて理不尽だ。


 でも、理不尽は肯定されると言う事は嫌と言う程分かった。


 今度は僕が理不尽を味合わせる番だ――。


「ふっふふふふふふふふふ」

 無自覚に壊れた人形の様な笑みを漏らしていた。


 折り畳みナイフを持ってあの屑達がよくいる公園に向かう。


 公園には屑共がタバコを吸って居座っており。


 屑の親玉は僕の顔を見て、女一人守れない負け犬と罵り嘲笑う。


 僕は屑の親玉の前にゆっくりと歩き。


 胸元を掴んでから昔学んでいた武術で一気に頭から地面に叩き伏せた。


 屑の親玉は泡を吹いて倒れている。


 とどめを刺さなきゃ――。


 僕は胸ポケットに入れていたナイフで心臓を突き刺そうと取り出したが。

 思うように腕が動かずにナイフを落としてしまう。


 二度も腕を折られ。


 まだ完治していないのに無理に動かしたツケが今になって回ったのだ。


 僕の手が痙攣していることを察した屑共が僕を袋叩きし始めた。


 僕はそのまま意識がなくなるまで殴られた。


 目が覚めると屑共はいなくなっており。

 

 以前にも増して傷だらけな姿になった僕だけが公園に横たわっていた。


 僕は足を引きずりながら奴等の後を追う。



 あの屑共を始末するまで、僕と玲奈は救われない――。

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