最終話 かけがいのない才

 笹倉はこの異常な事態に陥った理由は。

 才がなくなったからだと考え。

 急いで古びた書店に向かう。

 


 場所は曖昧で正確な位置は覚えていなかったが。

 必死になって探し求める。



 数時間走り回ると。

 見覚えがある公園が出て来て安堵する。

 この公園の近くにあの場所があるからだ。

 


 周囲を歩き回ると。

 半分シャッターが閉まった本屋が見えて来た。

 笹倉はシャッターを潜って大声を出す。



「店主! 少し話がしたい!」



 店内は笹倉の声で反響する。



「なんだ、五月蠅いな」



 咲慧は面倒そうに店の奥から出て来た。



「どうして俺は日に日に将棋が弱くなったんだ! まさか才能がなくなったのか!」



 笹倉は必死の形相で訴える。



「安ずるな。才が消える事はない」

「なら、何故、俺は弱くなったんだ!」

「言わなくても自覚しているだろう。溺れたんだよ貴様は、才能にな」



「なっ、なにを言って」



 笹倉が困惑した声で言うと。

 咲慧は面倒そうに話し始める。



「……知らないと思うが、才能とは二種類に分かれる」

「に、二種類だと?」



「一つは、生まれながら所持している先天的な才能だ。特定分野に非常に秀でており、凡人がこの境地に達するには膨大な時間と労力を有する。君に授けた将棋の才は此れに当たる」

「………」



「二つ目は、特定分野を愛する才能だ。特定分野に非常に関心が有るが、才能は皆無に等しい凡人だ。ただ、その分野を愛しているがために、人によっては数千、或は、数万時間を費やす事がある。特定分野を愛する才能とは、謂わば、『後天的な才能』とも言い換えられる」



 咲慧はそう言ってから。

 古びた新聞紙を机の中から出した。



 その新聞紙は、昨年に笹倉が才能について述べた記事であった。



「さて、君は才能について面白い持論を述べてたな。才能がない者は努力するだけ無駄と」

「そ、そうだ! 才能がなければ努力なんて無駄だ!」



「なら、才がある君に問おう。今の君に努力することは出来るか?」

「何を言って……」

「言い方が悪かったか? なら、言い方を変えよう。才能を得てから、以前の様に将棋にのめり込んだ事は一度でも有ったのか?」

「…………」



「それが答えだ。先天的に才能がある者が、その分野で大成しない一番の理由は興味が持てないからだ。興味がないのに努力なぞ出来るはずがなかろう」



 咲慧は新聞紙を見ながら鼻で笑ってから話を続ける。



「車と徒歩の競争とは言い得て妙だが、正確に言うなら常にエンストする車だ。一定のペースで進むことはない。やる気さえ出れば、そこそこ進むが継続して進む事は決してない。次にエンジンがかかるのは気が向いた時だ。明日かも知れないし、十年後かも知れない。それが先天的な才能を持つ者だ。プロまでの道は、果てしなく近いが、果てしなく遠い」

「だ、だが、後天的な才能でプロに成れるはずがないだろう! 結局、秀でた才がないんだから!」



「ああ、君の言う通りだ。あくまでもその分野が好きだと言うだけで、秀でた才能はない。だが、その分野が好きだからこそ、必死になって努力し続けることが出来る。そして一万時間近く努力すれば、プロの世界に入る事も可能になるだろう。プロに成るまでの道は、果てしなく遠いが、果てしなく近い」



 咲慧は新聞紙をつまらなさそうに閉じて話を続ける。



「先天的才能が万能と思っているようだが、先天的才能とはガラス細工よりも脆いモノだ。大成することは非常に難しい」



「そ、そんなことがあるか! プロの世界で活躍する奴等は小さな頃から天才児と持てはやされているんだぞ! 先天的な才能を持ってるじゃないか!」



「それは勘違いだ。彼らは好きな分野に打ち込んでいただけだ。その結果、他の人よりも上達して天才と言われたに過ぎない。紛れもなく後天的な才能だろう。幼き頃より、並々ならぬ努力を継続的に続けたのを後天的な才能と言わずに何と言う?」



「う、嘘だ! な、なら先天的な才能を保持している奴らは成功しないとでも言いたいのか!」


「そこまでは言っていない。ただ、成功するかどうかは、自身の才と向き合えるかにかかっていると言いたいだけだ。大多数は自身の才と向き合った結果、興味がないと判断して才能を放棄する。ただ、それだけの話だ」

「だ、だが……そ、そうだ。エジソンだって才能が大事だと言っていた! 九十九%努力しても、一%の才能がなければ成功しないって言ったんだぞ! 世の中、結局は才能なんだよ!」

「なら聞くが、彼は電球を作るためにどれだけ失敗したと思っている?」



「……な、何を言ってるんだ?」

「失敗した回数を聞いているんだ。当てずっぽでも良いから答えてみろ」

「……千回、か?」


「いいや。二万回以上だ。彼は、それだけ失敗しても尚も挑んだ。これを努力と言わずに何と言う? ……確かに彼は才能が大事だと言った。正確に日本語訳すれば言えば、閃きだが。この閃きを得る事が出来る人物を才能ある人物とエジソンは言ったんだ。……では、聞こう、この閃きとはどうすれば得られると考える?」

「そ、それこそ、生まれ持った才能」



「違うな。……努力して、人の限界に限界を超えた先に行き着く極地がある。その極地に行き着いた者が閃きを得る事が出来る。睡眠、食事、娯楽、ありとあらゆる誘惑や雑念を捨て去り。ただ一点に人生を捧げた者のみが行きつく極地。そこに行き着いた者が、本当の意味で才ある者だ。其処に行き着くとリミッターが外れ、ありとあらゆる思考が身に付き、様々な閃きを得る。故にエジソンが言ったのだ。一%の閃きが大事だと。だが、その閃きを得るまでに九十九%の努力と言う、人の枠組みを超えた努力が必要となる。そして、人として限界まで行き着くと閃きと言う一%が付加されて晴れて天才。正確に言うならば超越者として存在する。……まあ、その極地に行き着いた人間は人類史でも希だがな」



「な、なら、才能とは一体何なんだよ!」

「先天的な才も、後天的な才も、その境地に行き着くための道具に過ぎん。どちらにも優劣はない。……さて、話を戻そうか。此処まで言えば分かるだろう。君が失った才能が何なのかを」



「……将棋を愛する才能。後天的な才……能」



 笹倉は茫然として崩れ落ちた。



「ご名答。私が君から頂いた才能は、将棋を愛する才能だ。だから、君が将棋に対して愛着がないのも道理。継続して努力できないのも道理だ。そして一度交換した才能は返還できない」

「……お、俺はこれからどうしたら良いんだ」

「どうもしないさ。プロ棋士として縋り付いて生きていくのも自由。辞めるのも自由だ」

「か、返せ!」



「初めに言っただろう、一度交換した才能は返すことは出来ない」

「っ!」



「それに本当の所は興味がないだろう。将棋に対して一切の未練がないのに、そんな欲求が生じるはずがない。心の奥底では思っている筈だ。今更、将棋を愛する才を手に入れてどうするのかと」

「…………!」



 その言葉に心臓が抉られた感覚に陥る。



「さて、此処に居ても得る者はないぞ。帰って、これから何をするべきか自分で答えを見つける事だ」



 帰り道に鞄の中に入ってあった将棋駒を取り出した。

 もはや、笹倉には不要な物だ。

 ゆっくりとゴミ箱に近づける。



 以前なら身体が捨てることを拒絶して。

 将棋駒を離さなかったのに今度は容易く手から離れ落ちた。



 将棋駒はゴミ箱の中に散らばる――。



 その駒に何の関心も持たないまま。

 虚ろな目のまま夜の町に消え去った。

 


 翌日。



 新聞紙の一覧に一人の若手プロ棋士が引退したと簡潔に書かれていた。

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