第6話 失いし才
師に勝ってからは余計に天狗に陥る。
才能さえあれば努力する必要はないと確信しており。
私生活では将棋に触れることはなくなった。
試合がない日は競馬に打ち込んだり。
キャバクラに行ったりして遊び呆け。
刹那的な快楽に溺れてゆく。
そんな状況下にも関わらず。
勝ち進んでおり。
明日のC級リーグ戦で一勝すれば五段に昇格できるまで上がっていた。
明日の試合の相手は同時期にプロ棋士になった羽入である。
才能を得る前に、完膚なきまで叩き潰された相手でもあり。
かつての屈辱を晴らすために絶対に負ける事が出来ない試合であった。
翌日の羽入との対決は誰もが長引くと思っていた。
だが、其の予想に反して。
笹倉は百手に満たずに投了した。
笹倉は信じられない表情で盤上を見つめる。
才能があるのに負けた理由が分からず。
対局後の感想戦を放心状態になりながら聞いていると。
羽入が口を開く。
「……以前に戦った時よりも弱くなったね」
「な、何を言っているんだ! 以前よりも圧倒的に強くなっている! 俺には才能があるんだ!」
「確かに棋力は以前よりも上がっている。だけど、僕が言いたいのはそう言う意味じゃない。……プロ棋士とアマチュア棋士の決定的な違いは何だと思う?」
「………」
「勝利への執念だよ。プロ棋士は誰が相手でも負ける事は赦されない。それは自分には将棋しかないからだ。だから、格上相手でも必死になって食らいつく。だけど、君の将棋からは牙が一切見えなかった。形勢が悪くなると真価を発揮するのがプロ棋士だけど、君は形勢が悪くなるにつれて牙が見えなくなる。逆に形勢が良い時には牙を出す。才能だけで打っているようなアマチュア棋士にしか僕には見えない」
「だ、黙れ!」
「何があったかは知らないけど、今の君の将棋は以前よりも脆い。強くはなったけど、それ以上に脆くなった。まあ、奨励会と言う楔から離れたんだから、戦法の取捨選択するのは良いと思うけど………勝利への執念まで捨てたら、プロ棋士として、いや棋士として終わりだよ」
笹倉は逃げる様に対局室から出て行った。
自宅に帰ると。
家の中にあったゲーム機や漫画が入った本棚を倒して八つ当たりをして暴れる。
「フザケンナ! 俺には才能があるんだ! どうして負けんだよ!」
血走った眼で暴れまわると。
部屋の片隅に埃被った将棋盤が目に入る。
「……いいさ。少しサボっていたから勘が戻らなかっただけだ。見てろよ」
将棋盤を部屋の中央に置き。
埃被った将棋の書籍を読み始めた。
二十分もすると飽きており。
一時間経つと漫画を読んでいた。
翌日から頑張ろうと楽観的な考えで遊び呆ける。
翌日は気分が乗らないためにパチンコに行って閉店まで打っていた。
昨日、将棋に負けた事なんてすっかり抜け落ち。
怠惰な生活が再び始まる。
将棋とは全く無縁な生活であり。
ギャンブルと女遊びに溺れていく。
才能があるから。
努力しなくても良いと正当化して現実逃避する。
前半の勝率は九割であり。
成績が比較的に良く余裕を持っていた。
しかしながら後半が始まると、そんな余裕はなくなる。
勝てない試合が増えて来たのだ。
プロに成って一年目の勝率は六割であった。
勝率は及第点だが。
内容は楽観視できるものではなかった。
前期の勝率は九割であったのに。
後期に入ると殆ど勝てずに六割まで落ち込んだからだ。
時間が経つにつれて、自分の将棋が通じなくなる――。
理由は二つ。
一つが、試合以外に将棋を指すことが少ない為。
日に日に棋力が衰えていっていること。
そして、もう一つが研究され始めたからだ。
プロで躍進したのは、才能から作られた独自な序盤戦術があったからだ。
だが、その序盤戦術も研究されており。
既に対策が練られていた。
笹倉システムとまで呼ばれ将棋界に革命を起こした戦術であるが。
笹倉の師である藤村八段が対策を作り上げ。
もはや研究されつくしていた。
そのため序盤は優勢に立つことは少なく。
勝つことが難しくなってきたのだ。
研究されることはプロ棋士にとっては悲観する事はない。
寧ろ賞賛すべきことだ。
将棋界の更なる発展に貢献できた証になるからである。
しかし、そう言えるのは本当のプロ棋士だけであろう。
プロ棋士は自身が編み出した戦法を研究されても。
他人が編み出した戦法や大局観を吸収し。
更に飛躍した戦術を生み出すことが出来る。
だが、笹倉には飛躍した戦術を生み出す事が出来ない。
飛躍した戦術を生み出すと言う事は、千を超える書物を読み込み。
万を超える対局を行なわなければならないからだ。
プロ棋士にとっては当たり前の内容であるが。
今の笹倉には到底できるはずがなかった。
将棋に対して執着がないのだから――。
必死になって努力しようと試みるが、やる気が全く湧かない。
心を入れ替えて、ギャンブルと女遊びを辞め。
最新の定跡の本を大量に買ったが、一冊として読み切った本はなかった。
日夜、将棋盤の前に立つのだが本気で集中できない。
集中しても数十分しか持たないのだ――。
一人では集中できないと考え。
研究会に参加しても意味がなかった。
最新の定跡についてプロ達が意見を交わしており。
将棋に席を置く者ならば興奮して止まない内容なのに興味が一切湧かなかった。
気になるのは時計ばかりで。
早く終わらないかと思っていた。
将棋盤を見るよりも下手すれば時計の針を見ている方が長い時間だった。
様々の事を模索した結果。
努力する事が出来ないと判明した――。
自宅にて将棋盤の前で呟く時間が多くなる。
意味もなく同じ場所に何度も駒を打って呟く。
「おかしい、おかしい、おかしい、おかしい、おかしい、おかしい……」
全く集中できない自分に向けて何度も同じ言葉を投げかける。
まるで自分を責めるかのように。
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