第5話 溺れし者

 目が覚めると書店の奥にある座敷に寝かされていた。

 周囲を見ると。

 咲慧が将棋の本を読んでおり少年はいなかった。



「あ、あの……」



 笹倉は遠慮がちに声を掛けると。

 咲慧は読んでいた本を閉じる。



「起きたか、身体に違和感はないか?」



「い、いえ。……あ、あの本当に、僕は将棋の才能を手に入れたのですか?」

「気になるのなら、この本でも読んでみるんだな」



 咲慧は先程まで読んでいた本を渡した。



 題名は『詰むや詰まざるや』江戸時代を代表する詰将棋の本である。

 その本は最難関の本であり。

 自力で全問解けたならばプロになれるとまで言われる難書である。



 適当にページを開くと三十手詰めの問題があった。

 脳内だけで解けないと思っていた為。

 近くに置いてあった将棋盤に向かおうとしていると。

 先程見た内容が脳内に映りこみ。



 初めから答えが知っていたかのような速度で回答が出た。



「なっ、なんだよ、これ!」



 あまりにも異質な脳の回転速度に気持ち悪くなり硬直してしまう。

 三十手詰めを見ただけで解いてしまうことに開いた目が塞がらなかった。



 二問目を急いで見たが即答でき、三問目も即答出来た……。



 解けない問題にぶち当たるまで読もうとするが。

 三十手詰めの問題を即答できるほど脳の回転速度は冴えわたっていた。

 半分まで読み進めると。

 五十五手詰めと言う規格外の問題に出くわすが。

 様々な盤面を一瞬でシュミュレートを行い。



 僅か数分で答えに辿り着く。



「……こ、これが、ほ、本当に僕なのか」



 手が震えており。

 持っていた本を落としてしまう。



「そう、それが才能だ。普通ならばそこまで能力が上がらないのだが、今迄の不断の努力も付加されているから、今の時点で八段程度の実力はあるだろう」

「ぼ、僕が八段!」



「さて、もう用はないだろう。帰ると良い」

「で、でも、まだお礼を……」

「こちらも才を貰った。気にするな」



「は、はい」

「さて、プロ入りは確実だろうが、体調不良で一敗でもすればその時点で失格だ。健康管理には気をつけておくんだな」

「あ、ありがとうございます」



 それから三週間が経ち。

 四試合目が始まった。

 相手は十六歳の有望棋士である。



 笹倉は序盤から大胆不敵に攻め始める。

 三段リーグ戦では見られない全く異質な攻撃に相手は面を食らう。



 三段リーグ戦は如何に無難に打つか指す場所であり。

 定跡から離れた打ち方をすればするほど敗北するのが常識だった。



 ……と言うのも。

 プロ棋士の様な定跡の外れた打ち方をすれば。

 後半でボロが出て自滅するからである。



 故に相手は、この攻撃さえ耐えれば反撃に転じて勝つと確信し。

 防戦をするが、中盤に差し掛かるとそんな余念は湧く余地はなかった。



 笹倉は数手先には予想外の動きを行なっており。

 推測した局面を何度も変更を行い。

 相手は混乱状態に陥る。



 神出鬼没に動き回る笹倉の将棋に打つ手なく。

 叩き潰された。



 相手は信じられない表情をしたまま。



「……負けました」



 そう呟くしかなかった。



 この勝利で笹倉の自信は確信に変わった。

 自分が負ける姿が想像できなかったからだ。



 五試合目――。



 相手は、これまで四連勝している若手であった。

 相手は先程の笹倉の棋譜を見ていたために。

 堅実な守りを作って長期戦を目論む。

 


 中盤になると笹倉は三十手に渡る攻撃を防ぎ切り、反撃に転じる。

 その際に笹倉は口元がにやけていた。



 この時に詰みまで見えていたからだ――。



 十手に渡る連続王手。

 相手は神経をすり減らして逃げ回ると。

 十一手目に固まった。

 数手前の悪手と思われる一手が王の逃げる道を塞いでいたからだ。

 このまま逃げても詰むために。



「……負けました」



 そう言うと。

 放心状態で盤上を眺めていた。

 これで笹倉は二連勝になる。



 それからも怒濤の勢いで勝ち進んでいく。



 全ての将棋が百手以内で終わらせており。

 持ち時間も殆ど使っていなかった。

 


 そして成績は十五勝三敗であり。

 才能を得てから一度も負けた事はなかった。



 これで、プロ棋士の二名が確定した。

 一人は羽入であり、もう一人は笹倉であった。



 優勝候補の一人であった村下は体調不良で五敗した為。

 笹倉のプロ入りが確定したのだ。


 三連敗からの一五連勝と言う快進撃は史上初であった為。

 新聞社は一斉になって笹倉を絶賛し始めた。


 世間の人は全て自分に関心があると思い上がるほど。

 毎日取材が来てインタビューに応える。



 この時の笹倉は驕りに驕っていた。



 才能を手に入れてから一度足りとて敗北したことがなかったからだ。



 そしてプロ入りしてから周囲の視線が変わり。

 まるで自分が将棋界を代表する人物だと勘違いするほど天狗になっていた。



 そんな最中。

 とある新聞記者との応対が世間で話題になる。



「プロ棋士になれた最大の要因は何でしょうか?」



 記者は業務的に尋ねる。



 返答には、努力やライバルの存在。

 そして師匠のおかげであるといった。

 テンプレの回答が帰って来ると記者は思っていた。



 しかし、笹倉は異質な返答を行う。



「それは勿論、才能ですよ」

「さ、才能ですか?」



 記者は予想外の返答に言葉がつまる。



「ええ。才能があるからプロに成れるのです。どんな分野でもプロに成れる人は一握りです。その一握りに入るためには才能が必須なのですよ。努力は才能を凌駕する。なんて言うのは才能がない人達が自分を慰めるための詭弁です。その言葉を信じて努力をしている人達もいると思いますが、私から言わせれば無駄な時間を使っていると思いますね」



 笹倉の発言に会場がどよめき始めた。



「ど、努力自体は無駄なモノではないかと思いますが」

「無駄ですよ、無駄。スタート地点も成長する速さも違うのですから。……そうですねプロに成るまでの道のりが百キロあるとしましょう。才能がない人は百キロの道のりを自らの足で走らなければいけません。それは、とてつもなく時間が掛かり、完走する事は非常に難しいでしょう。だが、才能がある人のスタートラインは半分の五十キロ地点からです。もう、この時点で理不尽でしょう。何の努力してないのに、もう半分の地点まで辿り着いているのですから」



「そ、それは……」



「それだけじゃありません。才能がある人は成長するペースも非常に速い。残りの五十キロの距離を車で走っていくかのように。徒歩が車に追い付くはずがないのは、子供でも分かりきった話です」



 笹倉は自信満々に言い切ると。

 新聞各社は面白い記事が手に入ったと確信して急ぎ足で帰って行き。

 


 残った周囲は軽蔑するかのような視線を笹倉に浴びせるが。

 


 笹倉は何も思わずに退席しようとした。

 すると、一人の棋士に声を掛けられる。



「笹倉君。先程の会見。些か以上に暴言ではないかね?」



 声を掛けたのは。

 笹倉の将棋の師である藤村八段であった。

 不快そうな顔で笹倉を見つめる。



「いえ、暴言ではありません。事実を言ったまでです」

「確かに君の言う通り、この世界では才が限りなくモノを言う。だが、それが必須だとは私は思わぬ。努力して才能に近づく事は非常に価値があることだ。現に、才能がなく努力だけで九段まで上がった偉大な先人もいる」

「努力が才能に近づくと言う言葉の時点で、才能には追いつけないと言っているようなものではないですか」



「言葉の揚げ足を取るではない。私が言いたいのは、必死になって努力している者を侮辱するなと言いたいのだ」



「私から言わせれば、努力しているフリをしてるだけですよ彼らは。無駄な事に時間を費やしていることは、本人が一番自覚していますからね。努力すればするほど、能力が上がれば上がるほど才能がある者に追いつけない事は分かってきます。だけど、人生の大半を費やしていた事を今更辞めることは出来ない。辞めた時点で自分の人生が全否定されますからね。奨励会がその権化でしょう」

「……」



 藤村は何も言わずに冷たい目で睨んでいた。



「文句があるなら聞きましょう。勿論これでね」



 笹倉は目の前に有った将棋盤を指差した。

 藤村は挑発に乗るように椅子に腰かけ。

 胸元から扇子を取り出す。



 笹倉も座り。

 睨み合ってから対局が始まった。

 


 振り駒の結果、先手は藤村だった。



 パチン――。



 力強く打たれた将棋に師の本気が垣間見える。

 藤村は八段でタイトルも幾つか獲得しており。

 将棋界でも実力者だ。



 序盤、藤村は堅牢な守りで王を囲おうと動くが。

 笹倉は王を守らず。

 急戦を仕掛ける。



 余りにも無謀な攻め筋に。

 周囲は呆れるように眺めていた。

 


 だが、中盤に差し掛かると全員が硬直する。

 今までの定石が覆る戦法を見せつけたからだ。



 藤村は信じられない表情で盤面を眺めるが。

 どう打っても逆転できる道はなく。



「……参った」



 聞こえないほど小さな声で呟き。

 唇を噛み締めて出て行った。



 笹倉は扇子を大きく広げる。



 扇子には才と大きく描かれており――。



 其の文字は自分を物語っているようで気分よく感じていた。



 世の中所詮は才能だ――。

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