第4話 咲慧との出会い
将棋と決別できず。
これから先に言い知れぬ不安を感じながら歩き始めた。
今年が本当に最後のチャンスだった。
父が亡くなってからは母がパートをして食糧を送って貰い。
兄は少ない給料の中からお金を渡してくれた。
こんなにも家族が応援してくれたのに自分は踏みにじったのだ。
プロに成れるチャンスは充分にあった。
だが、その時に必死になって努力せず。
ゲームやパチンコに一時的に逃げていたのだ。
あの時に、もっと将棋と向き合っていれば良かったのだ。
そうすればプロ試験に受かっていたのに――。
後悔の念が無性に押し寄せて気持ち悪くなる。
ふらふらになりながら歩いていると。
一軒の店の前で無意識的に立ち止まる。
その店は半分シャッターが閉まっており。
店内は真っ暗で明かりすら点いていなかった。
開店しているのか。
閉店しているのか分からない奇妙な店である。
古びた看板には本屋と書かれているが。
インクが掠れており昭和の雰囲気を醸し出す。
茫然と立っているとシャッターは開き。
店内に電気が点灯する。
「入ってもいいのかな?」
笹倉は何故か招かれていると感じて店内に入ると。
店内の本棚は古書で埋め尽くされており。
真新しい本は殆ど見えなかった。
店内で茫然と立ちすくんでいると。
一人の若い女性が奥から店内に出て来た。
女性は麗しい顔立ちをしており。
黒を基調とした小奇麗な服を纏っていた。
笹倉は女性の余りの美しさから声を失う。
「……こんな時に客とは珍しいな。まあ、良い」
女性は笹倉が雨で身体中が濡れていることに気付き。
近場にあったタオルを笹倉に投げた。
「これで頭でも拭いておけ、風邪を引くぞ」
女性はそう言ってから。
椅子に腰かけて本を読み始める。
笹倉は遠慮がちに髪を拭いた。
頭を拭き終えると女性にタオルを返す。
女性は座ったままタオルを受け取り。
笹倉の顔を一切見ずに言う。
「古書ばかりだが、君の気に入る本があれば幸いだ。ゆっくりと探したまえ」
笹倉はこれからの人生をどうすべきかと言う不安感から。
本を読む気にもなれず。
本棚を眺めていると女性から声がかけられる。
「……そういえば、どうして泣いていたんだ?」
「どうして泣いていたと思うのです?」
「そんなの見れば分かるだろう。泣いて目が充血した跡が出ている」
女性は少し笑って言った。
わざわざ人に話す内容ではないが。
誰かに話さなければ心の整理が出来ない為に話してしまう。
「……プロに成れないと分かったからです」
「プロだと? 何を目指していたんだ?」
「将棋です」
「ほう、将棋か。そういえば、今が三段リーグ戦だったな」
「詳しいですね」
「ふむ。だが、どうしてプロに成れないんだ? まだ始まったばかりだろう」
「……三連敗しました。もう巻き返すことは不可能です」
「これから全勝すれば、まだ道があるだろう」
その言葉を聞いた笹倉は思わず声を張り上げてしまう。
「……っ! 皆が必死になって、それこそ死に物狂いで一勝を勝ち取ろうとするのに、一度も負けずに勝ち続けるなんて不可能ですよ!」
何も知らずに簡単に言う言葉が笹倉の逆鱗に触れ。
感情を露わにする。
「これは失礼した。軽はずみな発言をして」
女性は少しばかり反省したような声で謝罪する。
「……い、いえ。すみません。僕も怒鳴ったりして」
笹倉も大人げなかったと思い謝る。
何とも言えぬ雰囲気になり本棚を眺めると。
殆どの本がボードゲームに関連する本であった。
将棋やチェス、囲碁と言った本が大量に並べられていた。
笹倉は導かれるように将棋の本棚に行って本を眺める。
二十年近く将棋に関わっていた為。
大体の将棋の本は知っていたが。
ここには江戸時代の書籍や明治時代の書籍も並んでおり。
絶版した稀少な本も並べられていた。
笹倉は無意識的に将棋の本を手に取って読み始める。
女性は少し微笑んでから、店の奥に入っていく。
笹倉は何も考えずに将棋の本を読み耽る。
もう、悩んでも仕方がないと半場、開き直って本を読み始めた。
今迄は勝つための将棋を学んでいたが。
最早、プロには成れないと諦めていたため気楽に何も考えずに読んでいた。
立つのが辛くなってくると。
女性が将棋盤を持って戻って来る。
「青年、一局付き合ってくれないかい?」
「……良いですけど」
笹倉は少しだけ戸惑ってから答えた。
将棋を打つ気にはなれないが。
タオルを貸してくれた人であるため断りづらかったからだ。
「そこにある折り畳み椅子を持ってきてくれ」
笹倉は折り畳み椅子を広げて座る。
「よく将棋を打つのですか?」
笹倉は何気なく女性に聞いてみた。
「人並み程度だよ」
笹倉はすぐに終わらそうと攻撃的な型で挑むが。
女性は笹倉の手を読んでおり適切な対処で受け流す。
少なくともアマチュア三段クラスの実力はあると判断する。
会話もないまま終盤に差し掛かった。
形勢は笹倉の方が有利であり。
このまま押し切れば勝ち筋は見えていた。
笹倉は女性の陣地を崩壊させており。
負けようがなかった。
女性は少しの間、長考してから信じられない手を打つ。
味方駒がいないのに笹倉の王将の近くに持ち駒を打ったのだ。
其れは、タダで大駒を渡すような行為であった。
先程まで繊細な将棋を打ってきた人物とは思えない。
素人丸出しの悪手であった。
脳裏にふと。
この奇怪の一手に羽入戦を思い出すが。
相手は趣味程度に将棋をしているのであり。
羽入のような天才ではないと思い返して冷静になる。
少しばかり時間を使い。
考えてみたが、どう考えても意味のない一手である。
所詮は素人かと思って侮り。
駒を取るとノータイムで更に駒を打ってきた。
その駒を見た瞬間、血の気が引く。
王が逃げると七手で詰むからた。
先程の駒を取った時点で負けが確定していたのだ。
完全な妙手であった。
「……ま、負けました」
声を震わせながら言う。
此処まで見事な逆転劇は羽入戦の再来を思い出し。
盤上を無我夢中で眺める。
数分経つと女性は話しかけてきた。
「ふむ。思った以上に強かったぞ。プロまであと一歩と言う所だな」
「……あと一歩ってどういう意味ですか」
「そのままの意味だ。あと一歩、君が自分の限界を超える努力していればプロに成れたと言いたかったのだ」
「ど、努力はしてましたよ! 毎日、毎日、将棋ばかりして」
「本当か? 怠惰な時期はなかったのだな?」
「そ、それは……」
「別に息抜きする程度なら良い。だが、将棋から逃げる為に遊び呆けていたのだろう」
「…………」
鋭い一言に心臓が高鳴る。
「あの停滞期の行動に君の人生が決まっていたんだよ。あのまま必死になって努力を続けていれば才能が開花していたのだが、残念だったな」
「っ!」
笹倉は逃げる様に立ち去ろうとすると店の奥から呼び止められる。
「まぁ、待ちなよ、お兄さん」
店の奥から少年が出て来た。
少年は十歳程度の見た目であったが。
何故か老獪な雰囲気を醸し出す。
「咲慧、あまりお客さんを苛めちゃダメだよ」
「……」
咲慧と呼ばれる女性は黙り込む。
「さて、お兄さん。どうして君が素人に近い咲慧に負けたと思う?」
「……才能です」
「その通りだよ。油断していたとは言え。君は才能に負けたのさ。残念だねぇ、何十年も必死になって努力し続けていたのに、才能と言う先天的なモノに負けるなんて」
「……ッ!」
「まあ、まあ、怒らない、怒らない。僕は君の味方だよ」
「味方?」
「うん。そうだよ。僕は君の……いや、才能がない人達の味方さ」
「その話を持ち掛けるな。この青年なら、もう少しの努力で大成するだろう」
少年は嘲笑するような声で言い返す。
「大成する? それは難しいよ。今の状況から全勝してプロ棋士になる道は限りなくゼロに近い」
「奨励会からは厳しい。だが、アマチュアからプロ棋士になる道もある」
「そんな茨の道を歩かせるなんて君は厳しいねえ。僕なら才能を授けて、今期にプロ入りさせるね。今のこの青年の実力に才能が付加されれば、残りの三段リーグ戦は完勝してプロ棋士になれる。十五勝三敗だ、確実にプロ入りだね」
「師匠!」
「選ぶのは君じゃない、この青年だ」
笹倉は何の会話をしているのか分からずに茫然としていると。
少年は子供では有り得ない威圧感を出して咲慧を牽制する。
「咲慧、君の使命は何かな? 自分の責務を思い出すんだ」
少年の一言に咲慧は苦い表情を見せ。
笹倉に向かって話し始めた。
「……青年。もし君が望むのなら、君の才と引き換えに、君が欲しい才を渡そう」
「な、何を言っているのですか?」
「そのままの意味だ。仮に君が将棋の才能を欲せば、君の才能と引き換えに将棋の才能を渡すと言いたいのだ」
「……じょ、冗談ですよね」
「君が冗談と思うなら、話は此処までだ」
咲慧は冷たい目で帰れと言うような雰囲気を醸し出す。
「い、いや、信じます。将棋の才能を手に入れれるなら、どんな才能だって渡しますよ」
「……才の返還は応じれないが、それでも良いのか?」
「勿論です!」
「……そうか、残念だよ」
咲慧は複雑な表情を見せると。
何か呪文の様な言葉を唱え始めた。
呪文の様な言葉を詠唱し始めると。
片手に半透明な本が浮かび上がる。
咲慧はゆっくりと。
その本の中心部に手を当て唱える。
「……八九代目、咲慧が赦す。我が求む才を銘記せよ」
咲慧がそう唱えると。
半透明な本にタイトルが浮かび上がる。
認識できない文字であり。。
半透明な本を笹倉は受け取る。
笹倉は恐る恐る本を開く。
そこには何も書かれていなかった――。
タイトル以外に文字なぞ何も書かれていなかった。
だが、身体は無意識的に次のページを開いていた。
文字ではない。
何かを必死に読んでいるのだ――。
ページが進むにつれて気分が悪くなる。
何か分からないモノに侵食されている気分に陥っていく。
僅か数分で半透明な本を読み終えて閉じると。
無地の本は崩壊して消え去った。
笹倉は、妙な倦怠感が襲い掛かり倒れる様に意識を失った。
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