第4話 才ある者と失いし者
目を覚ますと座敷に寝かされていた。
少し茫然としていると近くから音楽が聞こえて来た。
その演奏は美しく、目を瞑って陶酔したい程であった。
私は、ゆっくりと音の鳴る場所に向かうと、そこには店主の女性がピアノを弾いていた。
女性は私に気付くと演奏を止める。
「おや、もう目が覚めたのか」
「……え、ええ」
私は少し言葉を失った。
まさか、ここまで上手くピアノを弾けるとは思わなかったからだ。
ピアノは新品同様で数カ月は弾いていた痕跡はなく。
ブランクがあるにも関わらず此処まで弾けた彼女に驚きが隠せなかった。
「それは良かった。しかし、耳が治ったばかりの君に不出来な演奏を聞かせて悪かった」
「不出来って、それだけ弾ければ十分ですよ」
「……私の演奏で音の世界とやらには入れたかな?」
「えっ? そ、それは……」
綺麗な演奏を聞いたにも関わらず、音の世界に入れなかったことに気付く。
そのことが、耳が治っていないかと不安になった。
女性は私の表情を見て察したのか、自嘲気味に笑う。
「……ふっ、やはり才だけでは無理か。なに、心配するな君の耳は治っている。家に帰って音楽家のCDでも聞くと良い。百聞は一見に如かずというだろう。……いや、この場合は語弊があるな、百見は一聞に如かずかな」
女性は少し苦笑いして言った。
「え、ええ。分かりました。ありがとうございます」
私は深くお辞儀をすると、女性は首を振って言う。
「礼はいい。もう、夜も更けた。早く帰りなさい」
外も暗くなっていたため、軽くお礼を言って家に帰った
家に帰路する。
母は冷たい目で私を見つめた。
何も言わずに母は私のことをゴミを見るような目で無視する。
私は相対音感と言う才を手に入れたのか知りたく、急いで自室に戻り、かつての自分の演奏が纏められたCDを聞いた。
嫌な事があった際に気分転換によく聞くCDだ。
恐る恐る再生を押した。
演奏が流れ始めると。
霧の中の靄が晴れた――。
耳が壊れる前と同じく鮮明に音の音域が掴めたからだ。
聞いていて気持ちが良い。
音楽の世界に入り込む。
この陶酔さが何物にも代えがたく気持ちが良かった。
この世界だけが私の救いなんだ――。
この世界が私の全てなんだ――。
この世界が私の世界なんだ――。
壊れた娘を捨て去るような母親もいない。
初めから娘に興味がない父親もいない。
私の耳が壊れたから面白おかしく嘲笑する学校の子もいない。
音楽の世界だけが、この醜い世界を忘れさせてくれるんだ。
私はその日は一日中、音楽の世界にいた。
翌日、母親が出て行った際に久しぶりにピアノに触れた。
数カ月ぶりに対面する自宅のピアノに少し躊躇しながら演奏を始める。
だが、思うように全く弾けなかった。
それはブランクから弾けないと言うよりも、今迄身体の中にあった何かが欠けているから弾けない。
そんな演奏だった。
指が固くて全く思う通りに動かせない。
今迄、何万、何憶も叩いた鍵盤が余りにも異質なモノを叩いているかのように感じる。
思うように動かすことが全くできない。
頭で理解しているのに指が全く思うように弾けなかった。
躍起になって何度も弾くがまともに演奏なんて出来なかった。
今迄、当然のように弾けた曲の殆どを弾くことが出来ず。
数時間後に完走して出来たのは中学生でも弾けるような基本的な曲だけだった。
それも完走できただけで酷い出来であった。
両手を見て呆然としていると、後ろから誰かの気配を感じて振り向いた。
後ろには母親と見知らぬ小さな女の子がいた。
母は侮蔑するかのように言い放つ。
「……数カ月演奏しなかっただけで耳だけじゃなく、腕まで壊れるの? こうならない様に璃音ちゃんも気を付けなさいよ。あの女は出来損ないなのですから」
母は軽蔑する眼で私を見ており、女の子は見下すように私を見ていた。
「そうだ。
「うん」
璃音と呼ばれる女の子は私と入れ替わり演奏を始める。
小学生ながらに演奏は上手く、上品な音を表現した。
「その子は?」
母に璃音の事を尋ねた。
親戚にも見たことがない子であったからだ。
「璃音。今日から私の娘になる子供よ」
母は何の感情も見せずに、そう言った。
「養子になるって事ですか?」
「そうよ。音楽の才能がある子を引き取ったの。彼女はピアノの才能だけじゃなく、絶対音感もあるのよ。耳が壊れる前の貴女よりも才能はあるわ」
母は自信気に言い切る。
璃音の演奏は、母が養子を取るだけあって高校生も顔負けの演奏をしていた。
だが私にはそれが素晴らしい演奏とは思えなかった。
璃音の演奏は音の世界に入れないからだ――。
まるで音楽が楽しくないかのような演奏。
璃音の才能は十二分にあった。
指の動き。
音の感性。
そして絶対音感。
まるで音楽の申し子だ。
それなのに音の世界に入れない演奏をする事に違和感を抱いた。
だが、まだ幼いからであると気付く。
璃音は、これから音の世界に入っていくのだから……。
「……そうだ。言い忘れていたわ。はい、これ」
母から鍵を渡された。
それは、何処かの家の鍵の様であった。
「何ですかこれは?」
「明日から、貴女は引っ越しなさい。価値のない貴女にこの家にいる資格はないわ」
母は軽蔑するかのように吐き捨てて言った。
「……はい」
私は小さく呟いてから自室に戻る。
数時間後引越し業者が段ボールを片手に私の部屋に入って来て荷物を包装し始めた。
母が引っ越し業者に命令していく。
その際に私の音楽に関わるモノを全て処分させた。
賞状から、トロフィーの全てを――。
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