魔女に呪いあれ

煮込みメロン

魔女に呪いあれ

「私があなたを呪いました。呪いを解いてほしければ、私とちゅーをしなさい。……え、何?いやいやいや! 今のは冗談だから! ちょっ、ま、ン!?」

 慌てふためて何かを言っている彼女の両手を、桜の花びらの舞い散る木の幹に押し付けて、唇を押し当てた。

 私——縦宮渚たてみやなぎさの高校生活は宮前美岬みやまえみさきから受けた呪いの、ミントの香りがする解呪から始まった。


◇◆◇◆


「渚ってば情緒ってものが無いよね」

「入学式の帰りに呪いをかけるのってどうかしていると思わない?」

 高校一年生となってしばらく経ち、教室の開け放した窓の外からセミの鳴き声が暑さを感じさせるお昼の時間。机をくっ付けて今更ながら過去の話を蒸し返してくる美岬に、私のタコさんウインナーを彼女のお弁当箱に放り込み、言葉を返す。

 いきなり人を呪ったとか言って、解くのは王子様のそれよろしく、キスだとか何を考えていたんだか。

「いや、だってそれはあの時はそれしか思い浮かばなかったし……」

「あん、むぐ。……私だって訳も分からないことで呪われたくなんて無いし、目の前に解決方法があるならそれを取るでしょう」

 目の前に差し出されたブロッコリーを頬張り、飲み込んで口を開く。

 教室の開かれた窓から春も終わりに近づきつつある風が吹き込んできて、カーテンが揺れる。

 それに合わせる様にして、目の前の美岬の軽くウェーブの掛かった長い黒髪が僅かに揺れる。

「ンぐ、いや、だからって……渚って変人って言われたこと無い?」

「別にないけど」

「えぇ……」

 私の作ってきたタコさんウインナーを一口齧り、美岬は怪訝そうな顔をする。

 失礼な奴め。

「私はいたって普通よ」

 学校の成績だって中の上。それ体育や美術だって平均的。

 料理の腕は毎日私のおかずを食べている美岬なら理解しているだろう。

 うん、いたって普通だ。

 普通の何処にでもいる女の子。

「そんなことを言っていると、明日から美岬のお弁当は一品無くなります」

「え、そんな……」

 私の言葉に美岬は絶望したように顔を歪ませた。

「それが嫌なら、私に何か言うことは?」

「ごめんなさい、渚様。だからどうか私にお慈悲を」

 頭を下げる美岬にチラリと視線を送り、彼女のお弁当箱にミニトマトを一つ突っ込んだ。

「いいよ、許してあげる」

「ははぁ、ありがたき幸せ」

 私の言葉に美岬は深々と頭を下げたのだった。

 もうそろそろ、昼休みが終わろうとしていた。


◇◆◇◆


 『魔法』と呼ばれる技術が存在する。

 それが世間に初めて観測されたのは今から五十年ほど昔の事。

 切っ掛けは世界的に有名な動画投稿サービスに投稿された一つの動画が始まりだったと言われている。

 一人の男が前にかざした掌から炎を飛ばすだけの動画。

 これまでの世界には無かった超常現象。

 その後、彼、彼女達の動画が数多く投稿されたことにより世界中を震撼させ、大きな議論を巻き起こしたという。

それからほどなくして、世界各国が魔法と呼ばれる超常現象の存在を認める見解を行った。

 それ以降、それまで魔法と呼ばれていたオカルトは、魔法と呼ばれる技術として世界に急速に浸透していった。


 教壇に立ち、眼鏡の奥のたれ目が特徴の生徒達からせっちゃんと呼ばれている芹沢先生が、つらつらと魔法の歴史を口にする。

 目の前のタブレットにペンを走らせ、メモを取っていく。

 もはや生活の一部となった魔法は、こうして授業で学ぶ必修教科となっている。

 ふと、教室にチャイムの音が響く。

「今日の授業はここまで。明日は実技を行いますので、体育館に集合となります。皆さん、間違えないようにしてくださいね」

 せっちゃんの言葉を聞きながら、私はタブレットを待機状態にした。

「渚、今日は何か用事ある?」

「ん、美岬、特に無いけどどうかしたの?」

 せっちゃんが教室を出ていったタイミングで、後ろの席の美岬が声を掛けてきた。

「放課後、行きたいところがあるの。ちょっと付き合ってくれない?」

「どこに行く気?」

「上までお買い物だよ」

 私の質問に、美岬は楽しそうに微笑んだ。

 魔法という技術が世界に認知されてから50年という年月は世界に多くの変化をもたらした。

その一つが商業施設だ。

「待った?」

「一緒に帰りのホームルーム受けて教室を出たでしょう、おばあちゃん」

「えー、せっかくのデートなんだから一回くらいは言いたいセリフじゃない?」

 下駄箱の前で上履きから靴に履き替えながら言葉を返す。

「なら言えてよかったじゃない」

「ロマンスが無いな。渚は」

 やや不満そうに言う美岬。

 美岬の様に恋愛小説なんて読まない私にその手の話を期待しないでほしい。

 そうして、二人並んでバス停へ向かう。

 しばらくバス停で他愛のない話に花を咲かせる。と言っても、喋っているのは主に美岬なのだけれど。

 やって来た自動運転の電動バスに乗り込み、二十分ほど揺られてやって来たのは海辺の埋め立て地。

 周りを見渡せば、吹き曝しの港のような広大な敷地に巨大な施設が一つ。そして敷地の四隅打ち込まれた巨大な楔とそれに繋がった、大人が四人手を繋いで腕を廻してもなお届かなそうな太く巨大なワイヤー。

 それは上へと繋がっており、視線を先に向ければ、海の上、空中に岩山を逆さまにしたような巨大なコンクリートの塊が浮いていた。その上にはショッピングモールのような施設が建てられていた。

 『ウィッチズモール』と呼ばれる魔法商品を扱う専門の商店が集う巨大浮遊施設。

 魔法と科学技術により誕生した最初の商業施設が美岬の今日の目的地だ。

「それで、今日は何を買いに行くつもり?」

「実はここ最近杖の調子が悪くて、魔法の発動が上手くいかない時があるの。だから明日の授業の前に良い杖でもあれば交換しようと思って」

 私達は目の前のガラス張りの建物へと向かう。

「いらっしゃいませ。魔法使用許可証はお持ちでしょうか?」

 自動ドアが開き、それに合わせてつばの広い赤いウィッチハットを被った案内の女性職員が私達に声を掛けてきた。

 私達は手首に巻き付けた携帯電話の画面を軽く叩く。すると、手首の少し上に空中投影されたホログラムのカードが出現する。

 私の証明写真を右上に貼り付けたカードの見た目をした魔法使用許可証だ。

 ウィッチと呼ばれる職業に就いている。或いは目指している者はこの許可証を持っていないと魔法の使用は違法となってしまう。

 今はいつでも提示が出来るように携帯電話にデータ化して保存しておくのが一般的だ。

 私の隣で美岬も同じく魔法使用許可証を見せている。

「ありがとうございます。確認いたしました。浮遊魔法の代行は必要ありますでしょうか」

「ありがとう。でも、私達は習得済みだから」

「あら、優秀なんですね」

「そうです。私達優秀なんですよ」

「あらあら、失礼いたしました。リトルウィッチのお嬢様方。では、いってらっしゃいませ。3番ゲートまでお進みください」

 美岬の言葉に女性職員は笑みを向けた。

 それから彼女が指した先へウィッチズモールの商店のCMポスターがあちこちに貼られた真っ白なロビーを抜けて、3と書かれた扉を潜る。

 軽い音と共に自動扉が開き、進むと目の前には磯の香る海が目の前に広がっている。

「美岬、杖の調子悪いって言ってたでしょう。私が一緒に運ぼうか?」

「んえ? ちょっと魔法の出力調整が難しくなってるだけだから大丈夫大丈夫。浮遊魔法くらい問題ないって」

 美岬の言葉に一抹の不安を感じないわけではないけれど、肩に下げた鞄の中から掌ほどの長さの金属で出来た棒、杖を一本取り出す。

 グリップ部分に付けた美岬からもらったアニメキャラのキーストラップがチャラと揺れた。

 杖の先を軽く振り、魔素を感知、操作しホログラフで中空に陣を描き杖に指示を出す。

「フローティング」

『フローティングセッティング。レディ』

「スタート」

 陣の構築と、杖に登録された私の言葉に杖が答え、セーフティが解除されて私の足が地上を離れる。同時にウィッチズモールまでの青白いランタンのようなガイドビーコンが空間投影された。

「渚、ちょっと待ってよ。フローティング」

 私の後に慌てて美岬が杖を振る。

「わ、わわ!?」

 そして、杖を振るうと同時に本来ゆっくりと浮かび上がるはずが、まるでトランポリンにでも乗って弾き飛ばされるようにしてこちらに美岬が突っ込んできた。

「美岬!?」

 驚く私の横を通り過ぎた彼女を急いで追いかける。放物線を描いて飛んでいく彼女の様子を見る限りこのままだと真っ直ぐに海に飛び込んでしまうだろう。

 咄嗟に私は杖を振るう。

「並列処理、ウィンド!」

『ウィンドセッティング。レディ』

「スタート!」

 言葉と同時に私の身体を吹き飛ばす勢いで突風が吹く。

 自身の魔法による急加速に一瞬姿勢を崩しつつ、何とか姿勢を立て直して、海面に勢いよくダイブしようとしている美岬に手を伸ばした。

「美岬!」

「渚!」

 伸ばされた手が私の腕を掴むと同時にウィンドの出力を調整しながら美岬の身体を引き寄せた。

「まったく、驚かせないでよ」

「ごめん、渚」

 そのまま美岬を横抱きにして、警告の為赤くなっているウィッチズモールへのガイドビーコンの所まで戻る。青色に戻ったランタンビーコンから視線を美岬に向ける。

「何笑ってるのよ」

「なんでもない。やっぱり渚は私の王子様だなって」

「何よそれ。それよりも危ないから大人しくしていてよね。このまま行くわよ」

「はーい!」

「美岬は反省」

「はーい……」

 私の首に腕が回され、近づいた美岬の微かな香水の香りを鼻に感じながら、そのまま私達はウィッチズモールの入り口を目指した。


◇◆◇◆


「お客様。あのような危険なことをされては困ります」

 ウィッチズモールの出入口に到着した私達は、待機していた女性職員に注意を受けた。

 内容は魔法の危険使用と、私一人での救助をしたこと。

 本来は今回美岬が起こしたような不測の事態に対処するために緊急事態を知らせるためのガイドビーコンと、救助要因の為のウィッチが常駐していて、危険があった場合はすぐさま対処ができるようになっている。

「ですが、ご無事で何よりでした。次回からは杖の調子が悪い時はちゃんと代行も利用してくださいね」

「すみませんでした」

「ごめんなさーい」

 とんがり帽子のよく似合うたれ目のお姉さんは、私達が頭を下げるとほっとしたように笑みを向けた。

「今度は危険なことしちゃダメですよ」

 お姉さんにお礼を言って、私達は到着口の奥へと進む。

 出発口と同じくCM広告があちこちに貼られた白いロビーを抜けて自動ドアを潜ると、目の前には小さな店舗を縦に寄せ集めてビルに仕立てた様な一塊の柱の様な巨大な建造物。それが幾つも建ち並んでいた。そんな地上では見られない不可思議な世界が広がっていた。

 このウィッチズモールのそれぞれの店舗は全て個人経営の商店で、全て魔法によって建造されている。

 店舗一つ一つに重量軽減の魔法が掛けられていて、下へ掛かる重量を無くしているため、こんな無茶な建て方が出来ている。

 それらの店舗を多くの人達が浮遊魔法を使って店舗の中を覗き込んで、皆一様に品物を見て飛び回っていた。

「それで、美岬はどこのお店に行くつもりなの?」

「場所は調べてあるんだ」

 そう言って、進む美岬の隣を付いて歩いていく。

 辺りを見回せば、魔法に関する小物や、触媒といった様々な商品が売られているのが見て取れる。

 中にはシャッターが下りている商店もちらほら見受けられた。

「この区画の二十番店舗だよ」

 美岬が指し示して見上げたそこは、一際派手な看板が下げられた店舗だった。

 店名は『アリスロッズ』と書かれているのが見える。

「連絡回廊使う?」

「そんなの使ってたら疲れるじゃん。浮遊魔法使った方が早いよ」

 このモールにの各柱には、飛ぶ以外にも内部に各店舗に繋がる連絡回廊と呼ばれる階段が設置されている。

 利用するのは魔法の使えない者がほとんどだけれど、ウィッチ専門の商業施設であるこのウィッチズモールでは、利用されることはあまりない。

 ここを訪れる者達は皆浮遊魔法を習得しているから、使う必要が無いのだ。

「またあんな状態で魔法を使うつもり?」

「渚が使えるじゃん。後で何か奢るからお願い」

「……わかったわよ」

「やった!」

 私を拝み倒すように両手を合わせる美岬に息を一つ吐き出して、鞄の中から杖を引き出す。そして、杖を軽く振り、自身と美岬にフローティングの魔法を掛けた。

 美岬に左手を差し出すと、彼女の掌が重なった。

 見れば嬉しそうに笑みを浮かべている。

 私達の足が床から離れた。魔素の供給を調整して、上昇速度を調節する。

 するりと私の左手に指が絡められる。

 離れないように、指先を絡ませ合う。

 それに一瞬驚いた顔をしてから、美岬は頬を緩ませた。

「ありがとう、渚」

「どういたしまして」

 上を向き、派手な看板を視界に収めながら、私は言葉を返した。

 時間にして凡そ三十秒ほどかけて宙を飛び、二人で特に危なげなく店先に飛び出した金属製の薄い足置き場に着地して、店内に足を踏み入れて中を見回してみる。

 ショウウィンドウとガラス棚が置かれた、じっくり見回しても十分もあれば見終わってしまいそうな狭い店内で、飾られた杖を見る。

 ここは杖専門のお店のようで、私達学生が使う金属製の杖や、一般的な杖型以外にもブレスレットや指輪といった専門職としてのウィッチが使うような杖も置かれていた。

美岬は店の奥に行き、この店の店主であろう、眼鏡を掛けた老紳士に話しかけていた。

 その間に私はショウウィンドウへと視線を向ける。値札を見れば、やっぱりそう簡単に手が出せるような金額ではない。

 それでも、見る分にはタダだし、じっくりと眺めることにする。

ウィッチにとって杖は魔法を扱うための大切な道具で、なくてはならない物だ。

 この地球上で魔素と呼ばれる不可視のエネルギーを解析、制御を行うための電子機器。

 杖というのはその形状と、古いサブカルチャーで魔法使いの持つ杖によく似ていたことから、この名前で呼ばれるようになり、そのまま世間に定着していった呼び名だ。

 現在では、ワンド型だけではなく、腕輪や指輪といったアクセサリーの形状をした物も作られている。

 けれど、アクセサリー型の杖は一般的に普及しているワンド型ほど魔法の構築と操作が簡略化していないため、魔法の扱いの幅が大幅に広がる代わりに使用難易度は非常に高くなっている。

「おまたせ、渚」

「どうだった?」

「ダメ、いい杖が無かった。何で最新モデルばっかりなのよお」

 ショウウィンドウを眺めていた私のもとに戻ってきた美岬は、私の言葉にがっくりと肩を落とした。

 どうやら探していた杖が無かったようだ。

 最新モデルの杖だと携帯電話の新機種を買うよりも高いから。

「私ならまだ付き合うから」

「ありがとう、でもここならあると思ったんだけど」

「予算はあるの?」

 聞いてみれば、美岬の持っている予算では新しい杖を買うには心許ない。

「その金額じゃちょっと新しい杖を買うのは難しいかも。……ねえ、杖を修理するのではダメなの?」

「え、杖って修理できるの?」

 私の言葉に美岬は小首を傾げる。

 その様子に、これは考慮すらしていなかったのかもしれない。

「調子の悪い箇所次第だけど、見せるだけ見せてみる? もしかしたら簡単に直せるかもよ」

「うん、行ってみる。渚、杖の修理できる所って知ってるの?」

「知ってる。案内するよ」

「ありがとう、助かる!」

 笑みを向ける美岬に、手を差し出す。

 繋がれた手を握り杖を振るうと、私達はアリスロッズを後にした。


 それから私達は、二つ柱を移動した場所にある、丁度柱の中間に位置する、小さな店舗の前にいた。

 『たてざき修理』と、木製の看板が下げられたプレハブ小屋のような店舗。そのスライドドアを開く。

 店内は蓋の開かれた段ボールと何かのパーツが床に転がり、最低限出入り口と受付カウンターまでの動線だけは確保されている状態だった。

 そのあんまりな状況に美岬は目を丸くし、私は息を吐き出した。

 足を踏み入れ、カウンターまで進むと、奥では男が一人机に向かってパソコンのモニターと、配線だらけの機器に繋がれて手元に置かれている杖を交互に視線を移して何やら作業をしている。

 私がカウンター越しにすぐ目の前にいるにも関わらず、作業に集中しているのか彼が気が付く様子は無い。

「父さん」

 声を掛けると、今気が付いたといった表情で私達に視線が移された。

「おお、渚か。どうしたんだ、珍しく父さんの店まで顔を出すなんて」

「お客さん、連れて来たんだよ。私の……こ……同級生の杖の調子を見てほしいの」

「お客さん? おや、見ない顔だね」

 父さんは痩せた顔を上げて美岬を見る。

「あ、えと、渚さんの同級生の美岬といいます! 杖の修理をしてくれるお店って渚から聞いたんですけど」

「ああ、その通り、ここは杖の修理を専門にしているよ」

「というかここ渚のお父さんのお店だったんですか!?」

「なんだ渚、美岬さんに話していなかったのか?」

「うん、言ってない。杖の修理屋だと解ればいいでしょう」

 わざわざ身内の店だなんて言う必要は無いし、父さんが修理屋として優秀なことに変りは無い。

「まったく、この娘は……」

 頭を抱えた父さんに私は首を捻る。

「お父さんも苦労しているんですね……」

「分かってくれるかね」

 何やら、父さんと美岬の間で通じるものがあったようで、二人で握手を交わしている。解せない。

 そんな二人の様子に私が首を捻っていると、父さんは手際良く美岬の杖に機器を取り付け、ホログラムではなく古いパソコンモニターで読み取った情報を確認していく。

 最新のホログラム技術は扱い難いとかで、父さんは古いパソコンを使用して仕事をしている。

「……美岬くんの杖の状態を見るに、幾つかのパーツが摩耗しているようだ。それが原因で術式の発動回路に不具合が生じているみたいだね」

「え、と、よく解らないんですけど、それって直るんですか?」

 不安そうに言葉を投げかけた美岬に、父さんは笑みを向けた。

「なに、このくらい、一時間ほどあれば修理できるよ。特に問題が無ければ直ぐに修理に取り掛かるけれど、修理しても大丈夫かい?」

「本当ですか!? ぜひお願いします!」

「よし、分かった。ちなみに修理費の見積もりはこのくらいになるけど、問題ないかな?」

「はい、大丈夫です! よろしくお願いします!」

 父さんは電卓で計算した数字を美岬に見せると、彼女は満足気に頷いて頭を下げた。

「ああ、まかせなさい。そういう事だから、渚は美岬くんを連れてしばらく施設内をまわっていなさい。これで、アイスでも買うと良い」

「ん、ありがとう。そうする」

 手渡されたお札を一枚財布に仕舞って私は美岬と一緒に店を出ると、この施設の一階にある駄菓子屋へと向かった。


 海からの風が、ベンチに座る私達の間を吹き抜けた。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 二本セットのアイスキャンディを真ん中から分けて、片方を美岬に差し出す。

 それを受け取り、美岬は口に含む。

「んむ、おいしい!」

 夏の暑さにソーダの味が口の中に広がり、心地よい。

 眼下に波が寄せては返す海が見える。

 ここはウィッチズモールの屋上。この施設内の各柱は天井まで吹き抜けになっており、浮遊魔法さえ使えれば、誰でも屋上まで行くことが出来る。

 そして、この場所は重力魔法と浮遊魔法を組み合わせて建てられた浮遊建造物の為、屋上は展望エリアとして人気の場所となっている。

 私達はその展望エリアの一角にある屋根付きのベンチに二人で腰掛けながら、駄菓子屋で買ったアイスを食べている。

「んく、んぐ……」

 私の隣では美岬がアイスと一緒に買ったジュースに口を付けている。

「今日はありがとうね、渚。私だけだったら杖の修理なんて考えられなくて、どうしようもなくなってたかもしれない」

「別に気にしなくていい。父さんの店を紹介しただけだし」

「ありがとう」

「……どういたしまして」

 私の目を見て言う彼女に言葉を返して、缶ジュースのプルタブを開ける。

 美岬とはまだ知り合ってから半年も経っていないけど、私は彼女のこの真っ直ぐに相手の眼を見返す仕草が苦手で、ちびりと唇を湿らせると、オレンジの味がした。

「それにしても、渚のお父さんってすごいね。私の杖の悪いところをあんなにあっさり見つけるなんて」

「まあ、それが父さんの仕事だし」

「でも、杖って修理なんてできるんだね」

「父さん、昔魔法術式の発動回路を発明した人に弟子入りしてたらしいから」

「え、それってすごいんじゃ」

 魔法が世間に浸透し始めた頃、魔法ブームと併せてある発表された。

 魔素を操り、陣を描くことで発動する魔法を、機械的にプロセスを解析し、回路を構築することで、魔法発動の補助を行う機械装置。

 今の様に小型化されていない、パソコンのような大きな装置で容易に持ち運ぶことなんてできなかったらしいけれど、その装置が今の杖と呼ばれる装置の前身となる物だった。

 この技術は匿名でインターネット上で公開され、多くの企業がこの技術を研究し、小型化に成功した。

 けれど、誰も根本的な技術の改良までは出来ず、魔法発動回路の基礎は未だに当時のままの技術が使われている。

 そして、父さんはこの魔法発動回路を生み出した人の弟子だったらしい。

「え、それってとんでもなく凄い人なんじゃ……」

「昔、酔っぱらっていた時に言っていたことだから、本当かどうかは分からないけどね」

 その時以来聞いても詳しい話は聞いたことは無い。けれども、杖の修理の腕が優秀なことには変わりない。

「そしたら、渚も将来は杖の修理屋になるの?」

 美岬の言葉に、私はふと前を向く。

「私は……将来はウィッチとして、あれを作る仕事をする」

 私の視線の先には、ここから何百キロも離れた位置にあるというのに青空の彼方まで、天を突くほどの巨大で長大な鉄の柱が建っている。

 軌道エレベーター。

 現在、世界各国が協力し、魔法という新技術を人間が得たことにより、このウィッチズモールに利用されている技術を応用し建造が進められている宇宙開発の足掛かりとなる超巨大建造物。地上から宇宙へ、ロケットという旧来の輸送方法を用いず、リニアレールを用いて物資の輸送を目的とした超巨大エレベーターだ。

計画自体は遥か昔からあったという事だけれど、成層圏まで建造するにあたって耐えられる強度を持つ金属が存在せず、建造の実現が困難とされていたのだけれど、魔法の登場により建築技術が飛躍的に向上したことにより建造が始められた。

そして、魔法と科学技術の融合によって、本来短期間で効果が消えてしまう重力魔法と浮遊魔法の効果を持続させることを目的として試験的に作られたのがこのウィッチズモールだ。

ちなみにここの建築にも母さんが関わっている。

けれども、それだけの技術をもってしても今現在においても、完成には十年以上の年月が掛かると言われている。

今、母さんはあそこでウィッチとして、建築主任として働いている。

宇宙の進出を夢見て、今も軌道エレベーターの建造に関わる母さんの背中に、私は憧れた。

憧れて、私もまた宇宙を目指すことが夢になった。

だから、私の夢はあそこにある。

「そっか、すごいね。渚は」

 私の隣で、美岬が小さく呟く。

「私には、そんな大きな夢は無いし、ただ漠然とウィッチになることしか考えていなかったから、渚がちょっと羨ましい」

 その横顔をチラリと視線を向けて、私は持っていた缶ジュースを美岬に差し出す。

「別に、今すぐ将来を決めたりする必要は無いでしょう?」

「そうなのかなぁ」

 缶ジュースを受け取って、美岬は飲み口に唇を付ける。

「んク……おいしい」

「やりたいことなんて、これから探していけばいいじゃない。美岬がやりたいことなら、私も応援する」

 返された缶ジュースを受け取って、残っていた中身を飲み切る。

「ん……そろそろ杖の修理も終わるだろうし、戻ろうか」

「うん、ありがとね、渚」

「何のお礼か分からないけど、どういたしまして」

 棒だけになったアイスと空になった缶をゴミ箱に放り込んで、私達は父さんの店へと向かった。


「二人とも戻って来たね」

 店に入ると、父さんはカウンター越しに声を掛けてくる。

「父さん、杖の修理は終わった?」

「ああ、終わっているよ。美岬くん、確認してみてくれ」

 父さんがカウンターの上にコードの付けられた杖を差し出し、美岬が受け取る。

「魔法の伝達が上手くいくかどうか、ここで試してみても構わないよ。店内で魔法の発動は出来ないが、発動が出来ているかどうかはこのモニターで見られるようにしているから、振ってみて違和感があったら言ってくれ」

「わかりました」

 手に持った杖の調子を確かめるように、美岬は二回ほど軽く杖を振ってから、店内の山と積まれているジャンクだか何だかわからないパーツ類に杖先を向けた。

 ホログラフに杖先を揺らし、陣が描かれる。

「アトラクト」

『アトラクトセッティング。レディ』

「スタート」

 唱えられたのは物を引き寄せるための魔法。

 重力操作の魔法と並列処理を行わない場合は、魔法発動者の片手で持てる重量までの物体を手元に引き寄せる魔法だ。

 結果は父さんの言う通り、発動した気配は無いけれど、パソコンのモニターと向き合っていた父さんは、大きく頷く。

「うん、魔法の伝達は問題なくできているようだ。違和感は無いかい?」

「はい、特にありません。修理、ありがとうございます」

「それはよかった。それじゃ、コードを外すよ」

 父さんは杖を受け取り、手際よく付けられていたコードを外してから美岬に杖を手渡した。

「はい、先に杖を返そう。修理代金は予め提示していた金額と変わらないよ」

「代金は電子マネーで支払います」

 美岬が携帯電話を差し出し、父さんの提示した黒い箱型の端末にかざすと、軽い電子音が響いた。

「はい、確かに。しかし、その杖は良い杖だね。よほど腕の良いエンジニアが手掛けたようだ。魔法伝達能力が汎用型のそれよりずっと高い。大切にすると良い」

「そうなんですか。これはおばあちゃ……祖母から貰った物なので、詳しいことは分からないんですが」

「また調子が悪くなったら、修理に来るといい」

「はい、ぜひお願いします」

「じゃあ、父さん。先に帰ってるから。行くよ、美岬」

「ああ、気を付けて帰るんだよ」

 私は美岬の手を引いて、軽く手を振る父さんの店を後にした。


「渚、今日は付き合ってくれてありがとう」

「お礼は、お昼のお弁当にハンバーグを所望しようかな」

「ふふ、分かった。頑張って美味しいの作るね」

 陽が落ちた帰り道。住宅街を手を繋いで二人並んで歩きながら美岬に言葉を返すと、彼女は小さく笑みを向けた。

「楽しみにしてる」

 明日のお弁当は野菜多めにでもするか。

「……ねえ、渚」

「何?」

「私、まだ将来の事とか、何も考えられてないけど。私、渚の隣にいたい」

「うん」

 美岬に私は、頷きを返す。

「だから、渚も私の隣にいて」

「うん、私は美岬の隣にいるよ」

 彼女の頬に指先で軽く触れる。

「おやすみ、美岬。また明日」

 僅かに目を細めて、小さく美岬は頷いた。

「うん、おやすみ、渚。また明日学校で」

 そうして滑り落ちた指先を軽く振って、私達はそれぞれ家路に着いた。


◇◆◇◆


 開かれた絵本のページに視線を落とす。

 悪い魔女から不幸になる呪いを掛けられた哀れなお姫様が、多くの苦難を乗り越えた王子様にキスをされ、晴れて呪いを解かれたお姫様は王子様と永遠の愛を誓い合って、めでたしめでたし。

 魔法が世界に認知される以前から存在する古いお話。家にあったたまたま立ち寄った本屋で見かけた絵本の内容は概ねそんなものだった。よくある昔話だ。

 パタリと絵本を閉じる。

「悪い魔女というのは、何で皆一様に呪いなんてものを使いたがるんだろうね」

「急に何の話?」

「悪い魔女の話」

 すっかり寒くなり、あと二日もすれば年が変わろうかというこの日。学校も冬休みに入り、私の家で二人で炬燵で暖まりながら、美岬が私を見上げる。

 炬燵布団から突き出た首が私の膝に載っている。

「ほら、いつかの誰かさんみたいだと思って」

「さあ、誰の事かしらね。そんな事するなんて、悪い魔女もいたものね」

 素知らぬ顔で言うその顔を指先で突っつく。

 指が柔らかな頬に沈む。

「んむユ」

「本当に、誰かしらね」

 下から伸ばされた手がテーブルの上をまさぐる。

 それに私は頬を突っついていた指を離して、積んでいたみかんに手を伸ばして一つ取る。

 テーブルの掌に乗せてやれば、嬉しそうに引っ込んでいった。

「学年成績三位が随分と自堕落なこと」

「学年成績二位様が言いよるわ」

 私の膝の上でみかんの皮をむしりむしり。

 分けたみかんを一切れ私の口元へ。

 下から差し出されたそれを一口。勢い余って指先も一緒に咥えてしまった。

「ふヤ! ……ちょっと、渚?」

「むグ……。ごめん、わざとじゃない」

 濡れた指が引き抜かれ、美岬も自身の口にみかんを放り込む。

「ンぐ……わざとだったら許さない」

 むくれた表情のまま、私にまた一切れ差し出した。

 一切れ咥える。

「……それで、美岬はなんだって私の家まで来たわけ? 別にこうやって炬燵でみかんを食べに来たわけじゃないでしょう」

 突然、私に家まで行きたいと連絡をしてきたのは美岬の方からだった。

 けれど、私の家まで来てから何か話すでもなく、こうして一緒に炬燵に入り込んでいる。

「……今日、告白された。付き合ってくださいって」

「……そっか。よかったじゃん」

 学校でも好成績を維持しているし、人当たりも良い美岬ならそういうこともあるだろう。

「……断わったよ」

「なんでよ」

「だって、知らない人と付き合う気なんて無いし」

「別に誰だって初めは知らない人じゃない。ちなみに誰だったの。私の知ってる人?」

「生徒会長」

「いや、知ってる人じゃん」

 全校生徒が知っているくらいだよ。

 うちの生徒会長は私達の一つ年上で、常に校内成績トップを維持している才女で、多くの生徒に慕われるほどの人物だ。

「だって、興味ないもん」

「そっか」

 まあ、美岬の決めたことだから、私が何か口を出すことではないだろう。

「それで、美岬は私に何をしてほしいの?」

「……慰めて」

「それって、何か違うんじゃない?」

「違わない」

「……そっか」

 見上げてくる瞳に、私は一つ息を吐き出し、ただその初めて会った時よりも少しだけ長くなった黒髪を撫でる。

 私の手に、美岬は眼を細めた。

「渚は、知らない人じゃないから……」

「うん?」

 しばらくしてから、美岬はそうぽつりと言葉を溢した。

「渚は知らないかもしれないけど、私達同じ中学だったんだよ」

「え、そうだったの? そんな事一度も言ったこと無かったじゃない」

「ずっと違うクラスだったし、直接顔を合わせたことも無かったから。だから、私が一方的に知っていただけ」

「話しかけてくれたらよかったのに」

「初めて渚を知ったのは三年の卒業間際だったから、話しかける機会が無くって」

 私を見上げる瞳が小さく揺れている。

「私が初めて渚を見たのは、なんでもない時に廊下ですれ違った時だった。渚が友達と一緒に歩いていた姿を見たの。綺麗だなって」

 伸ばされた両手が私の頬に触れる。

「ただそれだけだったのに、何故か目に焼き付いて忘れられなくて。卒業するまでずっと記憶に残ってた。だから、高校生になって偶然渚を見かけた時、本当に驚いたんだよ」

 指先が頬を撫で、唇に触れる。

「今度は絶対に離れないようにって思って、入学式に日に咄嗟に出たのがあの言葉だったの。そしたら、本当にちゅーしてくるんだもん。私の方がびっくりしちゃった」

 小さく笑って、その瞳には薄く涙が零れ落ちた。

「だからね。私にとって、渚は知らない人じゃないんだよ」

 美岬の言葉を聞きながら、彼女の髪を撫でる。

 息を一つ吸い込み、言葉を落とす。

 美岬の瞳が大きく揺れる。

「私達は将来、ウィッチになるんだよ。美岬と私は魔女になるんだ」

 そして、私は傍らに置いていた絵本を手に取り、開いた。

 王子様のキスによって、お姫様の魔女の呪いを解くことが出来る。

「美岬は、魔女に呪いを掛けられているんだ。その呪いを掛けたというのが私なら」

 けれど呪いを解くことが出来るのは、何も王子様だけではない。

「私が呪いを解けばいい」

 お姫様に、魔女が唇を寄せる。

 軽く唇が触れる。

 赤い顔が視界に広がっていた。

 そんな美岬の様子に薄く笑みを向けてから、私は彼女の脇に両腕を引っ掛けて炬燵布団から引きずり出す。

 背後から抱きしめ、頬を擦り合わせる。

「私、渚と一緒にいたい」

「うん」

「渚の隣に私がいてもいい?」

「うん」

「渚の事、好きでもいいですか?」

「うん、いいよ」

 それから、涙を溢し続ける美岬を、その涙が収まるまで抱きしめ続けた。


◇◆◇◆


 私は眼下に広がる青い星を大ホールの展望窓から見下ろしている。

 私達が高校を卒業してから、十五年と少し。

 軌道エレベーターの落成式に私は呼ばれていた。

 世界各国のお偉方の挨拶を耳にしながら手にしたグラスを傾ける。

「ここで何してるの、渚」

「おかえり、美岬」

 白いパーティードレスに身を包んだ彼女が、私の隣に立ち、料理の盛られた小皿を差し出た。

「おかえりじゃないでしょう、渚。主任がいないってみんな探してたわよ」

「もう工事も終わったんだから、私も主任じゃないのに」

「何言ってるの、この起動エレベーターが完成したから、今度はシャトルの駐留ステーションを作る計画が進んでいることくらい、渚も聞いてるでしょう」

「聞いてるけど、何でその話に私が必要なの?」

 小皿を受け取り、フォークを料理に挿して口に運ぶ。

 この軌道エレベーターが完成し、建設に関わっていた私達のチームは解散になっている。

「その駐留ステーションの建設チームの主任に、またあなたが抜擢されたの。よかったわね、渚」

「そりゃまた、大抜擢されたもんだね」

「当然、私が推薦したんだもの」

「まったく、課長殿は人使いが荒いね」

「まだまだ、渚には頑張ってもらうんだから」

 グラスを持って私の隣に立つ美岬に、私は自身の持つグラスを軽く打ち合わせた。

「美岬の方がすっかり偉くなっちゃって、私はすっかり置いてきぼりだね」

「何言ってんのよ。現場が良いって、昇進の話を断り続けてるの私知ってるんだから」

「でも、これで次もまた一緒に仕事ができるね」

「うん、またよろしくね。渚」

「それじゃ、私は可愛い部下たちの様子でも見てくるとしましょう」

「渚、ちょっと待って」

「ん、何……ム」

「続きはまた今夜」

 呼び止められ振り向いた私から唇を離し、私の奥さんは昔と変わることの無い呪いを私に掛けていった。


END

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魔女に呪いあれ 煮込みメロン @meron_san

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