第66話「妹の想い」

 お風呂ですべてを洗い流した僕がリビングに戻ると、日向はスマホを何やらポチポチと操作しているようだった。


「ん? RINEか?」

「うん、健斗くんとRINEしてた。お兄ちゃんの家に泊まりに来てるって言ったら、『いいな、僕もそのうち遊びに行きたい』って」

「ああ、いつでもいいよって伝えておいて」


 そういえば長谷川くんは大学受験をするつもりだったな、今頃頑張って勉強している頃だろう。もう少しの間、頑張ってほしいなと思った。


「日向、アイスコーヒーでも飲むか?」

「うん、飲む! ありがとう」


 僕は二人分のアイスコーヒーをコップに用意して、リビングのテーブルに置いた。


「それにしても時が経つのが早いよな、僕も大人になったし、日向も高校三年生だし。この前までおもちゃで遊んでたような気がするんだけど」

「ほんとだねー、お兄ちゃんも一人暮らしするようになったし、ああ、お兄ちゃんがどんどん大人になっていく……! なんか不思議な感覚だよー」

「まぁ、自分では大人ってこんなもんなのかって思ってしまうけどね。まだ学生だからそう思うのかもしれないけど」


 二十歳になったとはいえ、まだ学生だ。きっと社会に出て働くようになったら、また感覚は違うのだろうなと思っていた。

 社会に出て働く……それは絵菜の方が先に来ることになるが、絵菜はどんな気持ちでいるのだろうか。今度話してみたいな。


「まぁ、学生のうちに楽しめることは楽しんでおかないとね!」

「そうだな、あ、勉強も大事だぞ。日向は専門学校を受けたいと言っていたな」

「うっ、わ、分かってますよ……私には大学は無理だから、やっぱり専門学校かなーって」

「うん、いいと思うよ。日向がやりたいと思ったことをやるのが一番だよ」


 僕がそう言うと、日向が嬉しそうな顔をした。日向も大きくなったな……今までずっと一緒にいたからこそ、妹の成長が喜ばしいことでもある。

 まぁ、うちは父さんが早くに亡くなってしまったため、僕が父親の代わりになれたらいいなと思っていた。日向の兄として、父親の代わりとして、これまで見てきたつもりなのだが、日向はどう思っているのだろうか。


「……ねぇお兄ちゃん、ちょっと早いんだけど、アイスコーヒー飲んだら寝室行かない?」

「あ、いいよ、もう眠いのか?」

「ううん、お兄ちゃんとお話したいなって思って」


 お話? と思ったが、久しぶりに二人で過ごすのだ、日向も何か話したいことがあるんだろうな。

 アイスコーヒーを飲んで、僕は寝室に行ってベッドの横に布団を敷いた。夏なのでタオルケットでいいだろう。


「じゃあ寝室行くか……って、まだ寝ないんだったな」

「うん」


 リビングの明かりを消して、寝室の明かりをつける。こっちも片付けておいて正解だったな……散らかった部屋だと日向からのツッコミを受けるに違いない。

 僕はベッドに座った。日向は布団の上に座っている。


「……お兄ちゃん」

「ん?」

「今まで、ほんとにありがとうね」

「な、なんだよ急に、どうしたんだ?」

「……私、お兄ちゃんが好き。なんでこんなに好きなんだろうって考えたときに、もちろんお兄ちゃんが優しいっていうのもあるけど、お兄ちゃんにお父さんを重ねているところがあるんじゃないかなって」


 そう言って日向がじっと僕を見てきた。そうか、日向も僕を父親と似たような感覚で見ていたのか。先ほども思ったように、僕は日向の父親の代わりになれたらいいなと思っていた。その気持ちが日向にも伝わっていたような気がして、嬉しくなった。


「……そっか、僕は父さんの代わりになれているかな」

「うん、お父さんがいなくなっちゃって寂しかったけど、お兄ちゃんがいてくれたから、寂しさが大きくならなくて済んだような気がする。ほんとにありがとう」

「ううん、こちらこそ。実は僕も日向の父親の代わりになれたらいいなって、ずっと思ってた。我が家で男は僕だけだし、日向の一番近くにいる僕が、そうなれたらいいなって」

「……十分すぎるくらい、お父さんの代わりになれてるよ。ねぇ、そっちに座ってもいい?」

「ん? ああ、いいよ」


 日向が僕の隣にくっつくようにして座った。ちょこんと頭を僕の肩に乗せている。


「……これからも、ずっと私のお兄ちゃんでいてね」

「うん、もちろん。日向の兄であることはずっと変わりないんだし……って、な、なんか恥ずかしくなってきたんだけど……」

「あ、成長した妹にドキドキしたんでしょ?」

「ち、ちが……! ま、まぁでも、違うと言い切れないところが……」

「お兄ちゃんも可愛いところあるね。お父さん、今頃私たちを見て、喜んでくれているかな」

「ああ、二人とも大きくなったなって、思ってくれているはずだよ」


 僕が小学校三年生の時、日向が小学校一年生の時に、父は亡くなった。あの時のことは今でも思い出す。僕も日向もわんわん泣いて、母さんに抱きしめられた。もし父さんが今いてくれたら……と思う時もあるが、そればかりではいけない。現実は現実として受け止めて、これからも生きていくことができればと思っている。

 

 ピロローン。


 その時、僕のスマホが鳴った。見ると絵菜からRINEが来ていた。


『今日は日向ちゃんが泊まりに来てるんだっけ?』

『ああ、そうそう、今二人で話してたところだったよ』

『そっか、久しぶりの兄妹二人きりだよな』

『うん、なんか恥ずかしいのもあるけど、こういう時間もあっていいのかなって』

『うん、ゆっくり日向ちゃんと話してあげて』


「あれ? お兄ちゃんRINE? もしかして絵菜さん?」

「あ、うん、ゆっくり日向ちゃんと話してあげてって言ってたよ」

「そっかー、そういえば絵菜さんと二人きりで話したことってなかったなぁ。今度デートしてみたいかも」

「たしかに、いつも僕や真菜ちゃんがいるもんな……うん、いいんじゃないかな」

「だよね! よーし、今度誘ってみよーっと」

「それはいいけど、明日はちゃんと勉強するんだ――」

「お、お兄ちゃん! 今は勉強の話はやめよう! 明日は明日の風が吹くって!」

「な、なんだそれ……まぁいいか。そろそろ寝ようか、電気消すぞ」

「うん、おやすみ」


 日向が布団に行って、ころんと横になったのを見て、僕は電気を消した。

 日向と二人でこういう話をしたのが初めてで、僕は恥ずかしいのと同時に、嬉しい気持ちになっていた。

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