第41話「お隣さん」
今日も一日が終わろうとしている。
大学に行き、午後はバイトに入った。平日なので舞衣子ちゃんは学校だったが、またそのうち一緒になる時もあるだろう。
バイトが終わり、家に帰る。実家よりはバイト先のスーパーがちょっと遠くなってしまったが、まぁ仕方ない。歩くのも大事だし、行けないこともないのでいいのだ。
エントランスで鍵を開け、郵便ポストを見て、三階へと上がる。今日は昨日の残り物があるし、ご飯も朝炊いていたものがあるから夕飯は楽だなと考えていたその時、うちの隣の三〇二号室の前に人がいるのが見えた。お隣さんだろうか。
(……あれ? 何しているんだろう?)
そういえばお隣さんには引っ越しのご挨拶をしておいた方がいいかなと思って、引っ越し翌日に訪ねたのだがちょうど不在だったようで、まだご挨拶ができていなかった。
ちょうどいい機会だ、少し挨拶しておくか……と思ったのだが、お隣さんと思われる人は玄関の扉を背にして座り込んで下を向いている。雰囲気的に女性かな、少し長い髪がだらんと下に垂れていた。
(……な、何かあったのかな? って、声かけていいのだろうか……でもそのまま素通りするのも失礼かな……)
僕はそんなことをぐるぐると考えて、迷った結果お隣さんと思われる人に声をかけてみることにした。
「……こ、こんばんは、どうかされましたか?」
僕が声をかけると、その人は顔を上げた。目が大きくて、なんだか可愛らしい感じの人だ……と思っていたら、その人の目に涙があふれてきているように見えた。
「……あ、す、すみません! ぼ、僕、隣の三〇一の者で……最近引っ越してきて、ご挨拶出来てなかったなと思って……ど、どうかされましたか?」
「……じ、実は、家の鍵をなくしてしまって、入れないんですぅ……うわああん、またやってしまったぁ……」
お隣さんがあわあわと慌てている。な、なるほど、家の鍵をなくしたのか。あれ? でもそれだとどうやってオートロックを開錠したのだろうか。
「な、なるほど……でもよくエントランスは入れましたね」
「……ちょうど出てくる人がいて、下は入れたんです……でもいざ家に入ろうとしたら、鍵がなくて……ううう、私のバカぁ……」
「そ、そうだったんですね……あ、ちょっと待ってくださいね、管理会社に連絡してみます」
僕はそう言ってスマホを取り出して、管理会社に電話をして事情を話した。するともうしばらく時間はかかるが鍵を持って来てくれるとのことだった。
「大丈夫ですよ、もう少ししたら鍵を持って来てくれるそうです」
「あああ、ありがとうございますぅ……! もうパニックになって、そんなことも忘れてしまっていて……!」
「いえいえ、あ、ここで待つのもあれなので、うちで待ちますか? 一応管理会社の人には僕のことを先程話しておきましたので……」
「ううう、いいんですかぁ……? こんなにお世話になってしまって……」
「大丈夫ですよ、今開けるのでどうぞ入ってください」
そんな感じで、お隣さんをうちに入れることにした。あれ? そういえば絵菜が「変な女が出入りしてないか確認しないと」とか言ってたような……ま、まぁいいか。
* * *
「助かりましたぁ……ありがとうございます」
お隣さんがペコペコと頭を下げている。
「い、いえいえ、鍵をなくすと焦りますよね、僕も気をつけておかないとな……」
「ううう、私本当にドジで、よくモノをなくすんですぅ……大人なのにこんなんでいいのかなってよく思うのですが……」
「そ、そうでしたか、まぁそういうこともあるから、気にしないでいいと思いますよ。あ、お茶入れますね」
僕はそう言ってキッチンへ行き、麦茶を用意してお隣さんに差し出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございますぅ、お優しいんですね……あ、こんなにお世話になっておいて、自己紹介がまだでした。私、
そう言ってお隣さん……沖田さんがペコリとお辞儀をした。
「あ、すみません、僕もすっかり忘れていて……ここに引っ越してきた日車団吉といいます……よろしくお願いします」
僕もペコリとお辞儀をした。僕にしてはさらりと自己紹介できた方だと思うが、どうだろうか。
「日車……団吉さん……へぇ、なかなかめずらしいですねぇ」
「あ、まぁ……よく言われます……あはは」
「日車さん……か、うん、いい名前だと思いますよぉ。見た感じ若そうですが、もしかして学生さんですか?」
「あ、はい、大学二年生で……失礼ですが沖田さんは……?」
「わぁ、お若いですね、私は二十六歳になるんです。でもこの歳でドジだなんて、恥ずかしいですぅ……」
そう言ってまたあわあわと慌てる沖田さんだった。六歳も年上だが、なんだか可愛らしい感じがした。高校時代の学級委員とはまた違ったちょっと間延びしたようなしゃべり方は、きっと口癖みたいなものなのだろうなと思った。まぁ色々な人がいるか。
「い、いえいえ、誰にでも失敗はあるものですよ、そんなに気にしなくていいと思いますよ」
「……ありがとうございますぅ、日車さん、お優しいんですね……なんだかお顔も可愛らしいし……でもしっかりしてそうです」
沖田さんがじーっと僕のことを見てきた。う、うう、女性に見られると恥ずかしいものがあるな……僕も男なんだな。
「い、いえ、そんなことはないと思いますが……あはは」
「でも本当に助かりましたぁ。管理会社の人、もうすぐ来てくれるかなぁ」
「そうですね、もう少しだと思います。まぁそれまでここにいてもらってかまわないので」
「ありがとうございますぅ。いつかお礼させてくださいね」
「い、いえいえ、そんな気にしないでください」
「いえいえ、こんなにお世話になってしまったので、させてください。せっかくお隣さんになったし、これからもよろしくお願いしますぅ」
「あ、こ、こちらこそよろしくお願いします……すみませんご挨拶が遅れてしまって」
そう言ってお互いペコペコとお辞儀をし合った。なんかさっきから繰り返しているような気がしたが、まぁいいか。
それからしばらくして管理会社の人が来てくれて、沖田さんは無事に家に入ることができた。よかったなと思った。沖田さんは「そのうち絶対お礼させてくださいねぇ、おやすみなさい」と言っていた。な、なんか申し訳ない気がしたが、まぁ少しくらいならいいのかな……と思う自分がいた。
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