第33話「引っ越し」

 六月になった。

 五月末くらいから雨の日が多くなった。もうすぐ梅雨入りしそうということなので、まぁ仕方ないだろう。

 日曜日の今日は曇っていたが、雨が降るまではいかないようだ。よかった。

 なぜよかったと思ったかというと、今日は僕の引っ越しの日だ。ついに一人暮らしが始まるのか。ちょっと不思議な気分だった。

 五月中になんとか荷物も整理して、必要なものも買った。そして今日は引っ越し業者さんにお願いして荷物を運び出してもらった。実家に置いていくものもあるが、机やベッドがないがらんとした自分の部屋を見ると、ここで色々なことがあったなと懐かしい気持ちになる。


「お兄ちゃん、業者さん終わったってよ、行かないといけないんじゃない?」


 日向がみるくを抱いて僕の部屋に来た。


「ああ、ごめん、行かないと。ちょっと懐かしいというか寂しい気持ちになってしまった」

「そうだよねー、ついにお兄ちゃんがいなくなるのかぁー、うう、惜しい人をなくしてしまった……」

「お、おい、まだ僕は生きてるよ……みるくのことお願いな」

「もっちろーん! あ、後でお母さんと行くからねー」

「分かった、じゃあ先に行きます」


 業者さんに移動をお願いして、日向と母さんに見送られて、僕は家を出て駅前近くの新居に向かう。まぁ実家を出るといっても歩いて行ける範囲なので、何かあったらすぐに帰れるしいいのではないかと思う。

 新居に着いた。ドアの鍵を開けて、中に入る。がらんとした空間で、ここから新しい生活が始まるのかと、一度深呼吸をした。

 業者さんも着いて、荷物の運び入れが始まった。僕は「あそこに置いてください」などと指示をして、段ボールを確認していた。大きなベッドや本棚は僕一人ではさすがに無理なので、みなさんに感謝だ。

 業者さんはさすがプロだけあって、あっという間に運び入れてくれた。まぁ一人分ということで荷物もそんなに多くないのと、時期的にも引っ越しシーズンではないので、「安くしますよー!」と言われてそのままお願いしたのだった。お仕事が終わって颯爽と切り上げていくみなさんがカッコよかった。


「……さて、ほんとに僕一人なんだなぁ」


 部屋の中で僕はつい独り言を言ってしまった。今までは母さんと日向とみるくがいたので話す相手もいたのだが、今日からは基本的には一人だ。ちょっと寂しくなってしまうのだろうか。

 とりあえずすぐ使うものから取り出そうと思って、段ボールを開けて中を出すことにした。大学のテキストや資料、パソコンやタブレット、実家から持って来た食器やタオル類など、どれから手を付けようかと迷っていると、インターホンが鳴った。一応オートロックがあるのでモニターを確認すると、母さんと日向だった。


「あらあら、もう終わったのねー、早いものね」

「おじゃましまーす! わぁ、お兄ちゃんの家に見慣れた本棚やベッドが……!」

「ああ、うん、運び入れは終わって、とりあえずすぐ使うものを出そうと思ったんだけど、どれからやればいいのか分からなくなって」

「ふふふ、食器とか小物はお母さんと日向に任せなさい。団吉は学校のものがあるでしょ、そっちから整理しなさい」

「ああ、ごめん、ありがとう。そうしようかな」


 母さんがテキパキと動いて、食器やタオルや服などを整理してくれている。日向も掃除機をかけてくれていた。僕は奥の洋室に行って、大学のテキストや資料を整理する。基本的にこの洋室を寝室兼勉強部屋にしたいと思っているので、入って右奥にベッド、左奥に机、左手前に本棚を置いていた。机の上に置くもの、本棚に置くもの、それぞれを分けていった。

 趣味の本は半分くらい実家に置いたままになっている。持って来た本も今すぐは必要ないので、そちらも時間を見つけて本棚に整理していくことにしよう。


「ふー、お掃除はこんなもんかな! そういえばお兄ちゃん、テレビがないね」

「ああ、買いに行く暇がなくてな、しばらくはなしの生活になりそうだ。まぁパソコンやタブレットやスマホでテレビの見逃し配信や、動画も見れるからいいかなと思って」

「ふふふ、今の若者はテレビなしの生活もあるらしいわね。まぁそんなに急がなくていいんじゃないかしら」

「お兄ちゃん、テレビ買いに行く時は呼んで! 私も行くから!」

「あ、ああ、今どきネットでも買えるが……まぁいいや、見に行くのもありだな。他にも買いたいものがあるかもしれないし」

「やったー! お兄ちゃんとデートできる!」


 そう言って喜ぶ日向だった。おいおい、デートは長谷川くんとした方がいいのではと思ったが、言わないことにした。


「だいたいこんなもんかしら、足りないものがあったら言いなさいね、団吉が使う分くらいうちにもあるからね」

「あ、うん、ありがとう。よし、ちょっと休憩しようか、お湯沸かすよ」


 僕はやかんに水を入れて、コンロでお湯を沸かした。そうか、電気ポットとかあると便利かもしれない。今度見に行ってみよう。

 お湯が沸いて、三人分のコーヒーを淹れて、ダイニングのテーブルに持って行った。


「お兄ちゃんの新居かぁー、なんかワクワクするね!」

「お、おう、なぜ日向がワクワクするのか……まぁでも、僕も同じような気持ちだよ」

「ふふふ、一人で寂しいかもしれないけど、いつでも帰って来れるから大丈夫ね。それにしてもこのテーブル少し小さいかしら、団吉が部屋で使っていたものだもんね」

「ああ、まぁ一人だからこれでもいいかなって思ったけど、先では買い直してもいいかもしれないなぁ」

「お兄ちゃん、今日は絵菜さんはバイト?」

「うん、今日はバイトって言ってたよ。そのうち真菜ちゃんと一緒に行くからって言ってたかな」

「そっかー、でもこれで絵菜さんといつでもキャッキャウフフできるね!」

「い、いや、キャッキャウフフというのが分からないが……ま、まぁいいか」

「ふふふ、団吉、絵菜ちゃんもお家があるからね、イチャイチャするのもいいけど、ほどほどで帰してあげてね」

「か、母さんまで何言ってるの……」


 僕が恥ずかしくなって俯くと、二人が笑っていた。うう、結局こうなるのか……。

 そんな感じで、僕の新たな生活がスタートした。もしかしたら大変なこともあるかもしれない。でもこれまで通り楽しく過ごすことを心掛けていれば、一人暮らしも楽しいものになるのではないだろうか。

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