第32話「榊原先生」

 今日はしとしとと雨が降っていた。もうすぐ梅雨がやって来るだろう。また雨が多くなるのかなと思っていた。

 そんな今日、僕は榊原先生とちょっとお話したいと思って、研究棟に来ている。ここはサークルの部室のある研究棟とはまた別のところで、各学部の研究室がたくさん集まるところになっている。僕は少しドキドキしながら入った。

 榊原先生の研究室は……あ、ここか。僕はふーっと息を吐いてから、コンコンと扉をノックした。中から「はい、どうぞ」と声が聞こえたので、ドアを開ける。


「し、失礼します、日車です」

「あー、日車くんか、よく来てくれたね。さあさあ、入って入って」


 中には榊原先生がいて、中に入るように促された。僕は「す、すみません、失礼します」と言って、中に入らせてもらった。中には背の高い本棚がいくつもあり、その中に本がぎっしりと並べられている。パソコンも設置してあり、榊原先生はパソコンを何やら操作していたみたいだ。


「日車くんごめん、ちょっと手伝ってくれないかな? このプログラムをそれぞれのパソコンで実行していってほしいんだ」

「あ、は、はい」


 僕は先生に言われた通りに、パソコンに入っているプログラムを実行していった。数台実行してこれでいいのかな……と思っていると、


「ごめん、ありがとう。ああ私とお話したいんだったね、いきなり悪かったね、そこに座っていいよ」


 と、榊原先生が言った。僕は「し、失礼します」と言って座らせてもらった。


「すみません、事前にメールは送らせてもらったのですが、お忙しかったのではないでしょうか……」

「ああ、いやいや、大丈夫だよ。この時間は講義もないし研究室にも人が集まらない時間だから、ゆっくり話せるかと思ってね」


 そう言って榊原先生が笑った。榊原先生は短髪なのだが後頭部のあたりがいつもはねている。おそらく寝ぐせなのだろうがあまり気にしない人なのかなと思った。メガネをかけていて、物腰が柔らかく、学生のことも「くん」「さん」をつけて呼ぶ。その優しいところが僕も好きだった。


「それで、メールにも書いてあったけど、進路のことだね?」

「あ、は、はい、具体的にどう動けばいいのか分からなかったので……」


 そう、今日は進路のことについてお話させていただきたいと思っていた。僕は以前から考えているように、学校の先生になりたい。そして今大学二年生ということで、そろそろ何か準備したり考えておいたりした方がいいのではないかと思ったのだ。


「なるほど、日車くんは学校の先生になりたい……と。学校と言っても色々あるけど、どの先生になりたいとか考えはある?」

「はい、高校の先生になりたいと考えていまして……」

「そうか、それならば四年生になってからが忙しいだろうね、教育実習もあるし、教員採用試験もある。二年生の今からすでに対応する科目を受講していると思うけど、試験に向けた勉強もしていかないといけないね」


 なるほど、教育実習や教員採用試験は四年生か。もちろん試験に合格しないと先生にはなれない。落ちてしまった時のことを考えると怖いので、しっかりと準備はしていきたいところだ。


「な、なるほど……やはり今から試験に向けた勉強もしておいた方がいいのでしょうか?」

「うーん、まだ二年生も始まってそんなに経ってないからね、前期試験が終わってのんびりして、今年の秋くらいから始めても十分ゆとりはあるんじゃないかなぁ」

「そ、そうですか……じゃあしばらくは今まで通りで大丈夫かな……」

「うん、まぁ日車くんは私の科目も十分理解してくれているみたいだし、これ見ると大学の試験の成績もいいから、私はそんなに心配してないんだけどね」


 榊原先生がパソコンをポチポチと操作している。もしかしたら僕のことが書かれているのかもしれない。


「あ、い、いえ、ただ真面目にやっているだけで……でもこれから先勉強することは増えそうですね」

「そうだね、ちょっと大変かもしれないけど、まぁ日車くんなら大丈夫だよ。ああ、進路のことについてはさらに詳しく知りたかったら、学生課の横溝よこみぞさんを訪ねるといいよ。私からも日車くんのことを話しておこうかな」

「は、はい、ありがとうございます」

「ふむ、まぁ堅苦しい話はここまでにして、日車くんも四年生になったら研究室に入ることになると思うけど、私の研究室に入るのはどうかな?」

「あ、実はそのこともちょっと訊きたくて……入れるものなのでしょうか?」

「ああ、そんなに心配しなくていいよ。なんとなく雰囲気は分かると思うんだけど、私の研究室はこうして数学をさらに奥深く、じっくりと研究してるんだ。数学が好きなら合うと思うんだけどね」

「は、はい、昔から数学は好きで、よく人にも教えていて……」

「それなら大丈夫そうだね。なるほど、その人に教える姿勢というのが、先生になりたい気持ちにつながっているんだね」

「はい、人に教えるのが楽しくて、みんなが分かったと言ってくれるのが嬉しくて、先生になりたいと思いました」


 僕がそう言うと、榊原先生が僕の目をじっと見てきた。う、うう、緊張する……。


「……うん、いい目をしているね。今の日車くんの決意の言葉、全くぶれなかった。久しぶりにいい学生を見つけて私も嬉しくなったよ」

「あ、い、いえ、そんなにいい学生というわけでは……あはは」

「あはは、謙遜しなくていいよ、こうして私に訊きに来たこともそうだし、しっかりとした意思も持っているし、もっと自分に自信を持っていいと思うよ」

「は、はい、ありがとうございます」

「ああ、ごめんね、堅苦しい話はやめようとか言ってたのに、結局堅苦しい話になってしまって。あれ? さっき日車くんに流してもらったプログラムがどうも間違っていたみたいだな……ごめん、もう一度実行していってくれるかな?」

「あ、はい、やります」


 榊原先生がカタカタとプログラムを修正して、僕は言われた通りにパソコンで実行していった。

 今日はいいお話をさせていただくことができた。学校の先生になるという夢を叶えるために、これからもしっかりと頑張っていきたいなと思った。

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