第42話「引っ越し」

 七月になった。少しずつ暑い日が増えてきて、家でもエアコンが稼働を始めた。これから先もっと暑くなるんだろうなと思っていた僕だった。

 今日は土曜日なのでバイトに精を出していた。舞衣子ちゃんもバイトに入っていて、二人で頑張って働いた。うん、少しずつではあるが舞衣子ちゃんにも笑顔が増えてきて、よかったなと思っていた。店長も「最上さん、一時期元気がなさそうだったけど、なんか雰囲気も明るくなってきたね、いいことだねーあっはっは」と言っていた。

 いつものように三時になり、二人で「お疲れさまでした」と挨拶をして外に出る。今日は晴れていて、日差しが強かった。


「舞衣子ちゃん、お疲れさま。少しずつ笑顔が増えてきたね」

「そ、そうかな……うち、顔に出やすいのかな……」

「そうかもしれないね、でもいいことだよ。やっぱり舞衣子ちゃんは笑顔の方がいいなって思って」

「あ、ありがと……恥ずかしいけど、団吉さん優しいな……カッコいい」

「え!? い、いや、カッコよくはないからね?」


 僕が慌てていると、舞衣子ちゃんがクスクスと笑った。うん、やっぱり笑顔の方が可愛い。


「あ、団吉さん、もう少しお話できないかな……? ごめん、最近のことも話したくて」


 そう言って舞衣子ちゃんが僕の手をきゅっと握ってきた……って、な、なんか九十九さんを思い出すな。


「あ、そ、そっか、じゃあまたうちに来る? たぶん日向もいると思うけど」

「うん、日向ちゃんにも会いたい」


 そんな感じで二人で僕の家に帰る。やはり日差しは強く、僕は汗をじわっとかいていた。


「ただいまー」


 玄関を開けると靴が一足あった。日向のものだ。その日向が奥からパタパタと足音を立ててやって来た。


「おかえりー、お兄ちゃん……あ! 舞衣子ちゃん! こんにちは!」

「こ、こんにちは」

「舞衣子ちゃん、上がって」

「お、おじゃまします……」

「……ん? お兄ちゃん、舞衣子ちゃんって呼んでたっけ? まさか舞衣子ちゃんとさらに仲良くなって、ムフフウフフなことしようとか思ってないよね?」

「え、団吉さん、そんなこと思ってたの……?」

「ええ!? い、いや、違うって! 舞衣子ちゃんがそう呼んでほしいって言ったから……! 二人とも落ち着いて!」


 また僕が慌てていると、日向と舞衣子ちゃんが笑った。うう、どうしてこうなってしまうのか……。


「はいはい! 舞衣子ちゃんはこちらにどうぞー!」

「あ、ありがと……日向ちゃん、この前は一緒に遊んでくれてありがと……あと真菜ちゃんも。嬉しかった」

「いやいやー、こちらこそありがとう! 楽しかったねー、女子の秘密の話もいっぱいできたし!」


 日向と舞衣子ちゃんがニコニコしている。や、やはり女子の秘密の話というのが全く分からない僕だった。


「舞衣子ちゃん、オレンジジュースでもいいかな?」

「あ、うん、ありがと……」


 僕はキッチンでオレンジジュースを用意して、リビングに戻った。


「はいどうぞ……舞衣子ちゃん、最近のこと話したいって言ってたね」

「あ、うん、うち、お母さんについて行くことになって、今度引っ越すんだ……でも、そんなに遠いところじゃないから、バイトも続けるし、よかったらこれからも仲良くしてもらえたらなって……」


 舞衣子ちゃんが恥ずかしそうに言った。そうか、たしかに親が離婚となると同じ家に住むというのは難しいだろう。でもそんなに遠くないというのはよかったなと思った。


「そっか、たしかに同じ家に住むっていうのは難しいよね。でもバイトも続けられるならよかったよ」

「うん、うちもちょっとホッとした……それと、お母さんもうちにごめんねって謝ってくれた……夫婦のことでイライラして、うちに当たってしまったって」

「それはよかった。これからお母さんと仲良く暮らしてほしいなって思ってるよ。でもきつい時は一人でため込まないようにね、舞衣子ちゃんの味方はたくさんいるからね」

「うんうん、私も舞衣子ちゃんの味方だよー! あ、今度新しい舞衣子ちゃんのお家に遊びに行ってもいいかな!?」

「う、うん、ぜひ……あと、ここにもまた遊びに来たい……」

「うん、いつでも来ていいからね。僕も日向も母さんも、舞衣子ちゃんを歓迎するよ」


 その時、みるくが「みゃー」と鳴きながら舞衣子ちゃんにすりすりしていた。


「あ、みるくちゃん……可愛い……」

「あ、みるくも舞衣子ちゃんが好きだって言ってるよ! ねーみるく」

「そ、そっか、みるくちゃん、ありがと……」


 みるくの頭をそっとなでる舞衣子ちゃんだった。


「うん、みるくも舞衣子ちゃんの味方だね。あ、引っ越しってもうすぐなのかな?」

「あ、うん、来週の日曜日……団吉さんごめん、来週は忙しくてあまりバイトに入れないかも……」

「ううん、大丈夫だよ、落ち着いてからまたバイトは頑張ればいいからね。家庭のことが優先だよ」

「うんうん、舞衣子ちゃん偉いなー! 私と同い年でバイトしてるなんて、尊敬するよー」

「ううん、そんなことないよ、日向ちゃんも真菜ちゃんも部活に入ってるって聞いたし、すごいなって……」


 舞衣子ちゃんがそう言うと、日向が「えへへー」と笑顔を見せた。単純な奴だな……というのは日向に失礼か。


「そういえば、名字はどうなるんだろう? 離婚するということは『最上』ではなくなるのかな?」

「あ、うん、『鈴本すずもと』になる……」

「そっか、鈴本舞衣子さんか……まぁ仕方ないよね」

「でも将来結婚したら名字変わるかもしれないしねー。あ、そうだ、舞衣子ちゃんが落ち着いたらまた三人でどこか行こうね!」

「あ、うん、行きたい……すごく楽しかった。私バイト代入ったから、二人にお礼におごってあげたい」

「あはは、女子会楽しそうだね。でも、そろそろ女子の秘密の話というのを僕は聞きたいところなのですが……」

「あー、お兄ちゃんそれはダメだよー、女子だけの秘密なのだ!」

「うん、団吉さん、それはダメ……楽しい話してるとだけ言っておこうかな」


 日向と舞衣子ちゃんが顔を合わせて「ねー」と言っている。や、やっぱりダメか……ダメと言われると気になるもので……。


「あ、団吉さん、絵菜さんにもありがとって伝えておいてもらえると嬉しい……」

「あ、うん、分かった、伝えておくね」


 舞衣子ちゃんにも笑顔が出てきて、本当によかった。苦しいことがあっても、人は一人ではない。周りに味方がいればなんとかなる……って、昔の僕からは考えられないことを考えているなと思った僕だった。

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