第32話「離婚」

 六月になり、梅雨の時期となった。これからしばらく雨の日が多くなるだろう。ちょっと憂鬱な僕だった。

 今日はバイトに入り、いつものように頑張った。今日も最上さんと一緒になったので、二人で働いた……のだが、どうも最上さんの元気がない。少し出るようになってきたお客様に対しての声も小さく、よく俯いているのを見かけた。パートのおばちゃんも、「最上さん、なんか元気がないように見えるわね、何かあったのかしら……」と、心配していた。

 三時になり、僕も最上さんも上がる時間だ。二人で「お疲れさまでした」と言って外に出る。外はパラパラと雨が降っていた。僕は傘をさして帰ろうとするが、最上さんが動こうとしないことに気がついた。


「……最上さん? どうかした? もしかして傘忘れた?」

「……ううん、折りたたみの傘ある……」


 最上さんはそう言って折りたたみの傘を出した。しかしやはり元気がない。何かあったのだろうか。そう思ったその時――


「だ、団吉……!」


 僕を呼ぶ声が聞こえた。見ると絵菜がこちらに来ていた。そういえば絵菜も今日はバイトと言っていたが、終わったのかな。


「あ、絵菜、お疲れさま、終わったの?」

「う、うん、終わった。一緒に帰らないか……?」

「うん、一緒に帰ろう。あ、絵菜ははじめましてだよね、こちら以前話してた最上さん。最上さん、こちら……って、こ、こういう時どう紹介すればいいんだろう……こちらが沢井絵菜さん」

「あ、ど、どうも……沢井絵菜といいます……」

「……あ、絵菜さんって……日車さんの彼女さんの……は、はじめまして、最上舞衣子といいます……」


 二人がぎこちなく挨拶を交わす。な、なんか彼女ですって自分から言うのも恥ずかしさがあったので、中途半端な紹介になってしまったが、まぁ分かってくれたからいいか。いや、もっと自信を持って言ってもいいのかもしれない。


「最上さん、今日元気がないように見えたけど……もしかして家で何かあった……?」

「……日車さん……うち……うち……」


 そう言って最上さんが目元を手で拭った。も、もしかして泣いているのか……?


「あ、ご、ごめん! 気に障ったなら――」

「だ、団吉、場所を変えないか……? ここだと話しづらいだろうし……」

「あ、そ、そうだね、じゃあうちに行こうか、今日は母さんもいないし、もしかしたら日向が部活が終わって帰っているかもしれないけど」


 僕がそう提案すると、最上さんが目元を抑えたまま、コクリと頷いた。そして僕の手をきゅっと握ってきた。え、絵菜がいるけど大丈夫かな……と思ったが、絵菜も何も言わずについて来てくれた。

 三人で僕の家に帰る。玄関を開けると靴がない。まだ誰も帰って来ていないみたいだ。


「ど、どうぞ上がって、お茶入れてくるね」


 二人をリビングに案内して、僕はキッチンで三人分のお茶を用意してリビングに戻る。最上さんはずっと俯いたままだった。


「はい、どうぞ……最上さん、少しだけでも話せる? あ、無理はしないでね」

「……ごめん、また日車さんに……迷惑かけた……」

「ううん、大丈夫だよ、気にしないで。その……気に障ったら申し訳ないんだけど、もしかして家で何かあった……?」

「……両親が、離婚するって言った……うちにどっちについてくるか決めろって……うち、返事できなくて……さっさと決めろって怒られて……」


 そこまで話して、最上さんがまた目元を手で拭った。ぐすんと鼻をすする音も聞こえる。最上さんの苦しみが伝わってきて、僕は奥歯を噛みしめた。


「……そっか、それは辛いね……元気が出なくなるのも分かるよ。親の勝手で離婚して、どちらについてくるか決めろだなんて、なんでそんなこと言えるのかな……」


 その時、黙って聞いていた絵菜が「あ、そ、その……」と、口を開いた。


「……最上さん、私の家も、両親が離婚してる。まぁ、うちの場合父親がクソみたいな奴だったから、母親と妹と逃げるようにして家を出た……私が小学生の頃だったんだけど、今でも覚えてる」

「……え、そ、そうなんだ……絵菜さんのお母さんはいい人……?」

「うん、母さんは優しくて、私と妹を守ってくれた。まぁ、私は何もかもが嫌になって、反発した時もあったんだけど……それでも、母さんは私を怒ったりしなかったよ」

「……そ、そっか……絵菜さんのお母さん、優しいんだ……」

「うん。最上さんの両親も、きっとすれ違いとかで合わなくなったんだと思うけど、最上さんの中でほんの少しでもいいから、どちらかについていきたいっていう気持ちはないか?」

「……う、あ、あの……お父さんは、怒ってうちのこと叩くから、好きじゃない……」

「そっか、じゃあお母さんは?」

「……お、お母さんもたまに怒るけど、叩いたりはしない……」

「そっか、怒って叩くような人はあまりよくない。最上さんの中でお母さんの方がいいってどこかで思ってないか?」

「……そ、そうかも……ちょっとの差だけど、まだお母さんの方がいいかも……」

「うん、今はちょっとの差かもしれないけど、あとで大きくなるかもしれないから、最上さんの気持ちを大事にした方がいいよ」


 絵菜がそう言うと、最上さんがコクリと頷いてまた目元を手で拭った。僕は持っていたハンカチを最上さんに差し出した。


「最上さん、大丈夫だよ。最上さんの味方はいっぱいいるからね。バイト先のみなさんもそうだし、僕も日向も母さんも、そして絵菜も味方だよ。苦しい時は頼りにしてね」

「……うん……ありがと……ごめん、涙が止まらない……」


 泣いている最上さんの横に絵菜が行って、最上さんの背中をさすっていた。


「絵菜、ありがとう」

「あ、い、いや、私は自分のことしか話してないから……」

「ううん、絵菜がいてくれてよかったよ、ほんとにありがとう」


 絵菜が「そ、そっか……」と言って、少し恥ずかしそうにしていた。

 最上さんはこれまで一人で苦しい思いを抱え込んでいたんだろう。人間泣きたい時もある。最上さんが少しでも楽になれるように、できることはしてあげたいなと思った僕だった。

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