第16話「笑わない」

 歓迎会の次の日、僕は大学で講義を受けてから、研究棟へ向かった。

 今日は拓海はバイトがどうしても外せないらしく、講義が終わってからそのまま帰った。僕も明日からしばらくバイトに入らなければいけないので、今日はとりあえずサークルへ行こうと思った。

 部室に行くと、成瀬先輩が一人で本を読んでいた。


「あ、成瀬先輩、お疲れさまです」

「ああ、団吉さん、お疲れさまです。もう講義は終わったのですか?」

「はい、終わってすぐに来ました。成瀬先輩早いですね」

「私は今日は午後が暇だったので、ずっとここで本を読んでいました。たまにはそういう時間も必要かなと思って」

「そうなんですね、何の本読まれていたのですか? 実は僕も本を読むのが趣味で」

「まあ、そうなんですね、今日はちょっと切ない恋愛小説にしてみました」


 そう言って成瀬先輩が本のカバーを外して僕に見せてきた。ああ、最近出たやつかな、本屋でチラリと見かけたことがある。


「ああ、読んだことはないですが、見たことはあります。面白いですか?」

「はい、主人公が大人で、ふとしたことで過去の恋愛を思い出すのですが、それがまた切なくて……私もこういう恋をしてみたかったなぁと思いました」

「え、あ、成瀬先輩もまだお若いですし、これから恋をすることもあるのでは……あはは」

「ふふふ、団吉さんはお優しいですね。それはいいのですが、わ、私、昨日の記憶が途中すっぽりと抜けているみたいで……そういえば団吉さんの隣で呑んでいましたし、何か変なこと言ってなかったでしょうか……?」


 成瀬先輩がちょっと恥ずかしそうに下を向いた。変なこと……酔って思わず方言が出ていたのは別に変なことではないが、話してもいいのかな……いや、いつもは標準語の成瀬先輩にそのことを話すと、恥ずかしさで空飛びそうなのでやめておこう。


「い、いえ、楽しそうにお酒を呑まれていて、いいなぁと思ったというか、こちらも楽しくなったというか……」

「そ、そうですか、よかった……それにしても、団吉さんは私のこと、笑わないんですね」


 ん? 笑わない……? なんのことだろうかと思ったが、以前九十九さんが『あなたは私の名前を笑わないんだね』と言っていたことを思い出した。もしかして名前のことだろうか。


「も、もしかして名前のことですか……?」

「はい、私、『蓮』っていうこのめずらしい名前で、よく笑われていて恥ずかしい思いをしてきたので……」

「そ、そうなんですね……いえ、僕も名前はめずらしいから、昔からよく笑われていました。だから、人の名前を笑ったりバカにするのはよくないと思っています」

「……そうでしたか、団吉さんは本当にお優しいですね……そして可愛いし……」


 成瀬先輩が隣に座っていた僕の顔をじーっと見てきた。あ、あれ? なんか変な空気というか、なんというか……気がついたら目の前に成瀬先輩の顔があった……成瀬先輩、顔小さいな……って、ち、近――


「はーい、お疲れさまー! って、あれ?」


 その時、部室のドアが勢いよく開いて、元気な声が聞こえてきた。川倉先輩だった。僕と成瀬先輩はビクッとして慌てて離れた。


「あらまぁ、二人とももう来てたんだねー」

「あ、お、お疲れさまです……」

「あれあれー? 二人ともどうしたの? なんかよそよそしいというか」

「ああ!! い、いえ、何でもないです……二人で名前の話してて……あはは」

「あはは、そうなんだね、もしかして蓮ちゃんが団吉くんを食べようとしてたんじゃないかと思っちゃったよー」

「……ええ!? い、いえ、そんなことはしてないです……はい」


 恥ずかしそうに下を向く成瀬先輩だった。な、なんか変な空気が流れていたような……気のせいかな。


「ほんとかなぁー? ま、いいか。そういえば慶太は今日は用事があるらしくて来れないってさ。あ、拓海くんもいないね?」

「あ、拓海もバイトにどうしても入らないといけないらしくて、帰りました」

「そうなんだねー、うんうん、バイトも頑張らないといけないもんね。じゃあ今日はこの三人か」

「そうですね、あ、亜香里先輩、RINEのグループに団吉さんと拓海さんを招待するのはどうでしょう?」

「ああ、そうだね、何かと連絡もありそうだからね、団吉くん、いいかな?」

「あ、はい、大丈夫です」


 僕はスマホを取り出して、川倉先輩と成瀬先輩にRINEのグループに入れてもらった。拓海には僕から招待のメッセージを送っておいた。


「よし、これで大丈夫。団吉くん、昨日はお疲れさま。ちゃんと帰れた?」

「あ、はい、ちゃんと帰りました……って、お、お二人の方が心配だったのですが……」

「あはは、私さー途中の記憶がところどころ飛んでいてねー、なんか拓海くんにうざがらみしてたような、そうでもないような……」


 な、なんと、川倉先輩も記憶が飛んでいるとは。う、うーん、今度から二人を止めた方がいいのだろうか……でも先輩だし、楽しそうだったし、なかなか言いづらいところはあるな……。


「そ、そうなんですね、まぁ楽しかったから、いいんじゃないでしょうか」

「そうだね、またみんなで行こうねー。よし、今日は三人で大学内の風景を撮りに行こうか!」

「ああ、いいですね。私もカメラ持って来ました。いい写真が撮れるといいのですが。あ、団吉さん、こっち向いてください」


 え? と思って成瀬先輩の方を見ると、パシャっとシャッター音がした。も、もしかして僕を撮った……!?


「あ、あの、成瀬先輩……?」

「ふふふ、可愛い団吉さんが撮れました」

「おお、どれどれー? ほんとだ、団吉くん写真でも可愛く見えるねー! 元々可愛いから当然か」

「え!? い、いや、あの、恥ずかしすぎるんですが……それは消してもらえないのでしょうか……」

「ふふふ、ダメですよ。私、みんなの写真を必ず撮るようにしているんです。あ、今度拓海さんも撮らないと」

「あはは、まあまあ団吉くん、今日は私のカメラを使わせてあげるからさー、許してやってくれたまえ!」


 先輩二人が笑っている。う、うう、慶太先輩の口癖を真似しても恥ずかしいものは恥ずかしいのですが……母さんに撮られるよりも恥ずかしさがあった。

 それから三人で大学内を回って色々な風景を写真に収めていた。こうして見るとうちの大学は本当に広いな。まだ行けてないところもあるし、これから色々なところを見て回りたいなと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る