第10話「名前」

 週が変わって月曜日、今日から前期の講義が始まる。

 今日は一限から講義を受けるので、昨日話していた通り絵菜と一緒に駅前に行って電車に乗った。人が多かったので絵菜がきゅっと僕の左腕につかまってきて、僕は勝手にドキドキしていた。

 絵菜の方が先に電車を降りる。絵菜はちょっと寂しそうに「じゃあ、あとでRINEする」と言って降りて行った。

 学校が違うと僕もやっぱり寂しいな……と思いながら大学へ行くと、拓海が来ていたようで僕を見つけて手を挙げた。僕は拓海の隣に座った。


「おはよー、団吉も一限からって言ってたな、ついに始まるなー」

「おはよう、うん、数学の科目だからね、ちょっと楽しみにしてたというか」

「おっ、そういえば団吉も数学好きだったな、俺もだ。楽しいよなー、でも地元の友達は苦手にしてる奴ばっかでさー、もったいねーと思ったっつーか」

「あはは、僕の友達も苦手にしている人多かったよ。よく教えてたなぁ」


 そういえば高校時代はみんなによく教えていたなと、ふと思い出して懐かしくなった。


「そっか、まぁ自分が楽しいならいいよな。それにしてもこの講義受ける人ってそんなに多くないのかな?」

「うーん、今のところぽつぽつって感じだね、まぁまだ来てないだけかもしれないね」


 しばらく拓海と話していると、先生がやって来た。少し年配の先生のようだ。


「……よし、今から始めるけど、ワシの講義では一番最初だけは点呼するようになっているのでな、一人ずつ名前を呼ぶから返事するように!」


 そう言って先生が一人ずつ名前を呼び始めた。この大学ではICカードがあって、それで出欠はとれるのだが、まぁ色々な先生がいるよなと思った。


「次、日車団吉!」

「は、はい」


 あ、危ない、もう少しで変な声になるところだった。そういえば高校時代も危ない場面が何度もあったな……と思い出していると、


「……ふふっ、日車団吉だってさ」

「変な名前だな」


 という声が後ろから聞こえてきた。もちろん知らない人だ。それを聞いて僕は過去の嫌な記憶がよみがえってきた。この変わった名前で笑われてバカにされていたあの頃のこと。僕は胸が苦しくなってきた。大学生になっても変わらないのか……と思っていると、


「……チッ、なんだよ、人の名前バカにしやがって。そういう奴の気持ちが全く分からねーな。まさか自分の名前がカッコいいとか思ってるのかよ」


 と、後ろを向いて言う人がいた。拓海だった。


「……おいそこ、まだ点呼は終わっとらんぞ、私語は慎むように!」

「あ、すいません! 気をつけます!」


 先生に注意されて慌てて前を向く拓海だった。後ろからは何も聞こえてこない。隣で拓海が「気にすんなよ」と小さな声で僕に話しかけてきた。とりあえず僕はコクリと頷いて、講義に集中することにした。



 * * *



「ふぁー、初日からなかなかきっついな、まぁこれも慣れていくのかな」


 お昼になり、拓海と一緒に学食へ行って昼ご飯を食べていた。今日は日向がお弁当を作ってくれたので、僕はお弁当を、拓海はこの前僕が食べていた焼肉定食を食べている。


「そっか、僕はいきなりなぜか二限が休講になったから、時間が空いて何しようかなと思ってしまったよ。まぁ図書館行ってたんだけど」

「マジかー、俺はみっちりだったなぁ、初日から詰め込み過ぎかなー」

「あはは、あ、そ、そういえば、一限の点呼してる時、その、ありがとう……」


 僕は恥ずかしくなってちょっと下を向いた。


「ん? ああ、大したことはしてないよ。俺も印藤っていうちょっとめずらしい名字だから、昔笑われたことがあってさ、その時のこと思い出してムカついたっつーか」

「あ、そ、そうなんだね……」

「ああ、小学生の頃名前をバカにしてきた同級生がいてさ、ムカッときてそいつぶん殴って問題になったなー。まぁ俺も幼かったっつーか、あれ? 今も変わらないのかな」


 拓海があははと笑った。わ、笑っていいところなのだろうか……ま、まぁいいや。


「まぁ、俺はそんな感じでその後あんま引きずらないんだけどさ、団吉はなんか気にしそうな感じがしたっつーか、それで思わず言ってしまったよ」

「そ、そっか……ありがとう」

「いやいや、気にすんなよ、団吉はあんなこと言う奴は相手にしなくていいよ」


 そう言って拓海がご飯をパクパクと食べた。なんだろう、やはり火野と言動が似ているというか、そんな感じがした。


「う、うん……あ、ずっと思ってたんだけど、僕の親友と拓海が似てるなーと」

「お、そうなのかー、親友はこの大学にいるのか?」

「いや、ちょっと遠くの体育大学に通ってる。その人も拓海と一緒で一番最初にいい名前だなって言ってくれて、ずっと団吉と呼んでくれていて」

「そっかー、なんかそいつもいい奴っぽいな。あ、俺が言うのも変か」


 拓海がまたあははと笑ったので、僕もつられて笑った。


「あ、そういえばさ、サークルの話あったじゃんか、団吉はどうする?」

「あ、うん、一応考えてみたんだけど、写真研究会に入ってみようかなぁと思ってて」

「おお、そうか、俺も悪くないなーと思ってたところだ。じゃあさ、今度一緒に研究棟……だっけ、行ってみないか?」

「うん、第三号館の近くみたいだね、行ってみようか」

「よっしゃ、決まりだな。でも俺カメラなんて持ってないけど、いいのかなぁそんなんでも」

「うーん、僕も持ってないんだよね……まぁ、そこは川倉先輩と慶太先輩に訊いてみてもいいかもしれないね」


 たしかに、写真研究会ということはカメラで写真を撮るということだろう。まぁ詳しいことは先輩方に訊けばいいかと思った。

 講義も始まったし、これから色々と忙しくなりそうだ。僕はひっそりと気合いを入れていた。

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