第7話「帰りたくない」

 それからバイトをいつも通りこなしていた。

 最上さんは僕にくっついて色々と見たり、レジにもう一度挑戦したりしていた。うん、まだゆっくりだけどできないことはない。レジをしている時に注意するべきことなど、僕はその都度教えていた。

 そんな感じでお仕事をしていると、三時になった。僕も最上さんも上がる時間だ。僕たちはロッカーで荷物を取って、休憩スペースにいた店長に「お疲れさまでした。お先に失礼します」と声をかけた。


「ああ、お疲れさま、日車くんありがとうね」

「あ、いえ、また一緒になることがあったら教えます」

「ありがとう、いやー日車くんがいてくれてほんとありがたいよー、あっはっは」


 店長がいつものように笑った。僕は「失礼します」と言って最上さんと一緒に外に出た。


「終わったね、どうだった?」


 僕がそう訊くと、最上さんは顔をかきながら、


「……む、難しいけど、なんとか……ひ、日車さんがいてくれたから……」


 と、言った。


「そっか、うん、今度いつバイトに入るの?」

「あ、か、火曜日……」

「あ、なるほど、僕もその日は入る予定だから、また教えるね」

「う、うん……あ、あの、その……」


 何か言いたそうにしている最上さんだった。


「ん? どうかした?」

「……あの、ちょっと、付き合ってくれないかな……その、まだ家に帰りたくなくて……」


 最上さんはそう言って僕の袖をきゅっとつまんできた。あ、あれ? 家に帰りたくない? どういうことだろうかと思ったが、じゃ、じゃあ……と思って、


「あ、そ、そっか、じゃあ駅前の喫茶店に行ってみる? 付き合うよ」


 と言うと、最上さんがコクリと頷いた。ちょっと俯いている最上さんが気になった僕だった。



 * * *



 二人で駅前の喫茶店に来た。ここは高校時代からよく来ている。一時期恋の相談室、お悩み相談室にもなっていた。まさか最上さんも……と思ってしまったが、それは考えすぎか。

 注文したジュースが運ばれてきて、最上さんは少し飲んでふーっとため息をついた。先程からちょっと俯いているのが気になるが……。


「あ、あの、どうかした? ちょっと元気がないように見えるけど……」

「……うん……ちょっと……」


 そう言った最上さんが、目元を手で押さえた。ぐすんと鼻をすする音も聞こえる。あ、あれ? もしかして泣いている……?


「あ、あの、その……も、もしかして、僕なんか変なことしちゃったかな……?」

「……ううん、違うの……うちが悪いの……」


 あ、最上さんは自分のことを『うち』と言う人なのか……って、気にするところはそこではない。何かあったのだろうか。


「あ、いや、あの……あ、もしかして、レジでお客様に注意されたの気にしてる……?」

「……ううん、それは大丈夫……うちがとろいのがよくなかったし……」

「そ、そっか、まだ初日だからね、僕も最初はなかなかうまくいかなかったよ。だんだんできるようになるから、大丈夫だよ。あ、そうだ」


 僕は持っていたハンカチを最上さんに差し出した。


「……日車さん、優しい……」


 最上さんはハンカチを受け取り、涙を拭いた。


「な、何かあったの……? そういえば家に帰りたくないとか言ってたけど……あ、話したくなかったら話さなくていいからね」

「……実は、うちの家がごたごたしてるの……親がケンカしたり、うちも怒られたりしてて……ちょっと聞こえたんだけど、離婚するとかなんとか言ってて……それで、家が嫌になって、バイトすれば家にいなくていいから……」


 な、なるほど、家に帰りたくないって、そういうことだったのか。親のケンカとかたしかに見たくないものだ。最上さんはとてもきつい思いをしているのではないだろうか。


「そっか、そんなことが……たしかにそれは嫌だね……」

「……うん……ごめん、日車さんの邪魔しちゃって……」

「ううん、大丈夫だよ、最上さんがきつい思いしてるんじゃないかって思うと、胸が苦しくなったよ。僕でよかったら話し相手になるから、なんでも言ってね」

「……ありがと、日車さんの家は親がケンカしたりしない?」

「あ、いや、僕の家は父がいなくてね、僕が小さい頃に病気で亡くなってしまって……」

「……え、あ、ご、ごめん……変なこと言っちゃった……」


 最上さんがまた下を向いてしまった。


「ううん、気にしないで。それよりも最上さんの方が心配だよ。あ、高校二年生って聞いたけど、学校は行けてる?」

「……うん、学校行けば家にいなくていいから……でも、あんまり楽しくない……友達ほとんどいないから……」

「そっか、学校行けてるならよかった。実は僕も昔友達が少なくてね、この変わった名前だから笑われてバカにされて、楽しくなかった時があったよ」

「……たしかに、日車さんって初めて聞いた、でも、いい名前……バカにするって、ひどい……」

「あはは、ありがとう。最上さんと同じようなこと言ってくれた人がいてね、その人とは今も友達なんだけど、最上さんも学校で話せる人ができるといいね」

「……うん、ありがと。うち、日車さんがバイトに入る日に入りたい」

「え、あ、そっか、じゃあ今度火曜日にシフトをもう一度見直してみようか、僕もなるべく最上さんに合わせるから」

「ありがと。日車さん優しい……カッコいい……」

「え!? い、いや、カッコよくはないんじゃないかな……あはは」


 僕が慌てていると、最上さんが少しだけ笑った。


「そうだ、高校二年生ってことは僕の妹と一緒だ。もしかしたら友達になってくれるかも。今度会ってみるのもいいかもしれないね」

「そ、そっか、日車さん、妹さんいるんだ……いいな……」

「うん、まぁいつまでも兄離れできなくてちょっと恥ずかしいんだけどね。兄バカと思われるかもしれないけど、いい子だから」

「そっか、うん、会ってみたい……」


 そう言って最上さんがまた少し笑った。なんだ、笑うことができるじゃないか。笑った方が可愛くていいんじゃないかな。

 それよりも、少しは楽になっただろうか。色々と大変だとは思うが、頑張ってほしいなと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る