第29話 お隣さんと竜殺し

 燦々さんさんと陽の光が降り注ぐ。


 木枯らしの吹き荒ぶ寒い冬の朝。

 だがしかし俺の周囲だけは、春の陽光に照らされたかの様に晴れ晴れとしていた。


「ふんふんふ、ふーん」


 鼻歌なんか歌っちゃったりする。

 俺は手に持った酒を頭上に掲げて声を上げた。


「いえーい! 幻の泡盛『泡波』を、一升瓶サイズでゲットだぜー!」


 天高く掲げた泡波がキラキラと光を反射する。

 その様は神々しさすら感じるほどだ。


 俺は泡波を胸に抱いて家路を急ぐ。


「きゃあああーーッ!」


 その時、小さな子供の悲鳴が聞こえた。


 見ると、ボールを追いかけて車道に飛び出した女の子が、迫り来る自動車を前にして体を硬直させている。


「……なッ!? つか、マジかッ!!」


 直後、俺は脇目も振らず一目散に駆け出した。


「クソがッ! 間に合えッ!!」


 怯えて目を見開く女の子に飛び付く。

 俺は女の子を胸に抱いてアスファルトの道路をゴロゴロと転がった。


 車がクラクションを鳴らしながら走り去っていく。


「…………ま、間に合ったぁ」


 俺は胸に抱いた女の子を離し、ホッと胸を撫で下ろした。


「お、おう、嬢ちゃん。車道に飛び出したら、あぶねーぞ……」


 女の子は震えながら何度も何度も頷く。


 俺が元いた場所に目をやると、幻の泡盛『泡波』は、瓶ごと粉々に砕け散り、地面の肥やしになっていた。




 コタツ部屋のドアがガチャッと音を立てて開く。

 入って来たのは女吸血鬼ハイジアだ。


「……なんじゃ。朝っぱらから、気が滅入る様な暗い男がいるの」


 ハイジアは俺をみて、開口一番そう言った。


 俺の纏う空気はどんよりと重たく、冬の木枯らしよりなお冷たい。

 どよーんと沈み込む俺に代わってみんなが応える。


「あ、おはようございますハイジアさん! ん、あれ? おはよー? こんにちは?」

「まあ、そう言ってやるなハイジア。というかお前、寝すぎだぞ。今はもう昼過ぎだからな」

「そうよ、お兄さんだって、偶には凹むことくらいあるわよ」


 ハイジアは「ふあーあ」と欠伸あくびをひとつしてから、炬燵に脚を突っ込む。


「して、そこな下郎は、なにをどんより沈んでおるのじゃ?」

「ああ、それがな。折角手に入った珍しい泡盛が、落ちて割れて台無しになったらしいのだ」

「……なんじゃ、そんな事かえ?」


 俺の耳がピクリと反応する。

 俺はハイジアに向けて顔を上げた。


「そんなことって何だ! つか、滅多に手に入んねー凄え泡盛だったんだぞ!」

「……まったく、小さい男じゃのう」


 そう言ってハイジアはテレビの電源をピコッと入れた。


 俺はハイジアに一言いった後、再びどんよりとした空気を纏い顔を伏せた。

 そんな俺の様子をみて、マリベルが息を吐く。


「……ふぅ。仕方あるまいか」


 マリベルは剣を杖代わりにして、炬燵からよっこいしょっと立ち上がった。


「あら、マリベル、どうしたのかしら?」

「いや何、コタローに良いものをやろうかと思ってな」

「あッ!? お姉ちゃん、まさか……」


 シャルルが両の手のひらを口にあてて驚いた。


「ああ、その真逆だ。おい、コタロー! 元気を出せ! お前に良いものを飲ませてやろう!」

「……おう、……つか、良いもん?」

「うむ! 我が祖国の銘酒の封を開けてやろう。……聖都一、いや聖教皇国一と名高い極上の酒。『竜殺しドラゴンころし』の封をなッ!」


 俺はマリベルの言葉を耳にして、ガバッと顔を上げた。




 マリベルが両手にデッカい樽を抱えてコタツ部屋に戻ってきた。


「待たせたな、コタロー、皆よ! これが竜殺しドラゴンころしだ!」

「……竜殺しドラゴンころし。あたしも聞いたことがあるわ。大陸西方まで伝わってくる銘酒。まさかこの異世界でお目にかかる事になるなんて」

「ふん! 妾は夜魔の森を統べる、闇夜の女王ハイジアなるぞ! 竜は殺せても、妾まで殺せるとは思わぬことじゃ!」


 ハイジアが居もしない竜に対抗する。


「お姉ちゃんったら……いつの間にこんなモノを持ち込んでいたのですか?」

「いやなに。以前、バッカスとか名乗る、赤ら顔の男が召喚陣から現れてな」

「バ、バッカスって……、マリベル、貴女、その方は……」

「ん? 知り合いか、フレア? 剣を向けると、この酒を置いて逃げていったのだが」

「つかまあ、細けーこたあいいじゃねーか! おう! マリベルありがとな!」


 俺は酒をみて復活した。


「うはー! 異世界銘酒かー! つかこりゃ、大家さんも呼んでやらんとなッ!」


 俺はポケットから携帯を取り出して、ピポパとボタンを押した。

 プルルと呼び出し音がなり、大家さんに繋がる。


『もしもし、私だ』

「あ、俺っす! 虎太朗っす! 大家さん、ちょっと聞いてくれ!」

『ああ、何だ、虎太朗くんかい。誰かと思って、思わず、私だ、とかカッコつけちゃったよ!』

「うはは! 似合ってなかったぞ、大家さん! そんな事より聞いてくれ!」

『ん、なんだい藪から棒に』

「おう! 今から異世界の銘酒で飲み会すんだよ! 大家さんもどうっすか?」

『い、異世界の銘酒!? きた、きた、きた、きたーッ!!』


 大家さんはテンション爆上げだ。

 後ろから「お父さん、うるさいー!」と杏子(あんず)の声が聞こえる。


『か、必ずいくよ! 今は家内に捕まっていてね。直ぐには出れない。だけど、必ず行くから、私の分のお酒は残してお……、ヒィッ!』

「お、大家さんッ、どうした!?」

『ヒ、ヒィッ! 家内が、家内が近づいてくる! だけど、必ず行く! 必ず行くから! ……あッ!?』


 ツー、ツー、と音がなる。

 大家さんとの通話は途切れた。

 つか、最後、大家さんに何があったんだろうか。


「ま、いっか!」


 俺は気持ちを切り替えた。




「ほら、コタロー。好きに飲むがいい」

「おう! んじゃま、いっただっきまーす!」


 俺は異世界銘酒『竜殺しドラゴンころし』をグビッとひと口飲み込んだ。


 途端に頭の天辺から足のつま先に至るまでを強烈な痺れが走り、次いでカッと全身が熱くなって汗が噴き出す。


「カッ、ハッ! こいつはヤベェ……」


 そう呟いた俺の味覚を強烈な旨さが襲う。


「あっつ! 旨ッ!」


 最後に清らかな風が吹いたかのような爽やかな余韻を残して、全身の熱が引いていった。


「……な、なんちゅう酒だ」


 俺は戦慄した。


「マリベルよ! 妾も! 妾も飲むのじゃ!」

「うむ。好きに飲めハイジア。他の皆もな!」

「はいなのです!」

「……マリベル、貴女これ、ただの竜殺しドラゴンころしじゃなくて、……多分、神酒ソーマよ?」

「ん? よく分からんが、お前も飲むといい、フレア」

「全く、貴女は、……じゃあ、あたしも遠慮なくいただくわ!」


 お隣さん家の面々も次々と酒を煽り始めた。


「ぐはぁ! とまらん、とまらんのじゃ! 妾の酒を飲む手がとまらんのじゃ!」

「はぁー、美味しいのです。何だか一口飲むごとにレベルアップしてる気さえするのです……」

「んく、ぷはぁー! 堪んないわね! 神様ってのは毎日こんなお酒を飲んでいるのかしら?」

「んく、んく、んく、ぷはぁ。うむ! 旨い! もう一杯だ!」


 お隣さんたちに負けてはいられない。

 俺も樽から柄杓ひしゃくで、水の様に透明なその酒を掬い、グラスに注いでからグビグビと飲んだ。


「かぁッ! つか、旨えーッ! おう、一口ごとに生まれ変わってる気がすんぞ!」

「うむ! 全くだ!」

「あとは肴なんだが……。おう、ちょっと俺、肴取りにウチに戻るわ!」


 俺はそういって隣の自宅に帰り、ある肴を圧力鍋ごと持って戻ってきた。

 俺はコタツテーブルにドンと鍋を置く。


「コタローさん、それは何の料理なのですか?」


 シャルルの問い掛けに俺は応える。


「おう、こいつはな! 『豚の角煮』だよ!」




 俺は圧力鍋から角煮を各々に取り分ける。

 一緒に炊いた煮卵と白髪ネギも添える。


「さぁ、食ってくれ!」


 俺がそういうとお隣さん達は次々と角煮に箸を伸ばした。


「んーッ! お、い、しー! お肉も卵もトロットロだわ!」

「おう! そうだろフレア! ガッツリ煮込んだからな!」


 俺は角煮をパクつき、グビッと酒を煽る。

 角煮の濃い味は、竜殺しドラゴンころしの強烈な旨味にも負けていない。


「くあーッ! 最高だ!」


 トロトロになるまで煮込んだ角煮の脂を、酒で洗い流す。


「つか、ハイジア! 角煮、旨いだろー、もう一つ食うか?」


 俺はあっと言う間に皿を空にしたハイジアに声をかけた。

 ハイジアは口角を震わせ、笑みを噛み殺しながら応える。


「ふ、ふん! この程度の美味、夜魔の森の我が居城でも、毎日、ま、毎日……、ええい、お代わりなのじゃ!」


 俺は「素直じゃないねぇ」と笑い、ハイジアに角煮を差し出す。

 俺は次いで女騎士姉妹に目を向けた。


「おう、マリベル、シャルル! どうだ? うんまいだろ?」


 女騎士姉妹が揃って首をクルリと回す。

 カッと目を見開き、視線で俺を射抜く。


 女騎士は口を開いた。


「旨いどころの話ではないわッ! 脂が溶け出すまでトロトロに煮込まれた豚の角煮の柔らかさ! 一口頬張ると途端に舌を包み込む脂の甘み! 一見するとしつこさを残しそうな程のその脂分は、だがしかし酒をの肴にする事を前提とすると評価が真逆に入れ替わる! 濃い味付けもそうだ! これは単体で完成する料理ではない! 酒の肴としてこそ輝くよう、磨き抜かれた、正に黒曜石の如き輝きを放つ美味だッ!」

「それだけじゃないよ、お姉ちゃん! ともすれば単調になりがちな角煮の柔らかな食感に、シャキシャキとした白髪ネギが飽きの来ない楽しさを提供してくれる! 付け合わせの煮卵だって、これ単体で主役級の肴になれるほどのポテンシャルを秘めているよ!」

「さすがは我が妹シャルルよ! 天晴れな着眼点だ!」


 俺は二人の女騎士の様子に引き気味になる。


「……お、おう。まぁ、相変わらずでなんか安心したわ」


 俺たちはひたすらに旨い酒と良い肴を楽しむ。

 何杯も何杯もだ。


 ハイジアが無言で擦り寄ってきた。

 ハイジアは顔を赤くして瞳を潤ませている。


「なあ、コタリョー? わらわ、コタリョーに構ってほしいのじゃ……」

「ん、ハイジア!? つか、ま、まさか、ハイジアたんなのか!?」


 竜殺しドラゴンころしは竜だけでなく、女吸血鬼すらも打ち倒した模様だ。


 俺はハイジアたんに言った。


「おう! 来い! ハイジアたんッ!」


 俺は両手を広げる。


「えへへー! コタリョー! 大好きなのじゃー!」


 ハイジアたんが俺の胸に飛び込んできた。

 俺はハイジアたんの頭を撫で撫でする。


「うはははは! つか、ハイジアは可愛いなー!」

「あー!? ハイジアさんばかりずるいのです! さあ、私たちも甘えるのですよッ! お姉ちゃん!」

「……、……んあ?」

「ああ、お姉ちゃんが駄目になっているのです!? 斯くなる上は、わたしだけでも、……コタローさーん!」


 ハイジアに続いてシャルルまでもが俺の胸に飛び込んできた。


「お? お、おう? シャルルもか! いいぞ! つか、来い来い! うはははッ!」


 俺は両手に花を抱えて調子に乗った。




 飲み始めてから、どれほどの時間が経っただろう。


 げに恐ろしきは神の酒だ。

 俺たちはほぼ全員が既に撃沈していた。


 マリベルは壁に向かって馬鹿面で呆けている。


 フレアはそんなマリベルに絡みつき、セクハラ紛いの行為を続けている。

 時折女騎士の「……んあんッ!」というエッチィ声が上がり、その度に「デュフフ、ここがええのんか?」とセクハラオヤジ化したフレアの愉しげな声が聞こえてくる。


 俺ももう頭がくらくらだ。


 俺は膝にハイジアとシャルルを抱えて酒を飲み続ける。


「コタリョー。もっとわらわ、ギュッてしてー」

「おう、いいぞ! こうか? ヒック」


 俺は腕に力を入れてハイジアを抱き寄せた。

 ハイジアは幸せそうに「えへへー」と笑っている。

 とても可愛い。


 シャルルが赤い顔で立ち上がる。

 ヒックヒックとしゃっくりをしながらだ。


「お、おう、シャルル? つか、どうした? ヒック」


 シャルルは遠くを見ながら声を張り上げる。


「聞けえい、皆の者ーッ! 我が名はシャルル! 聖リルエール教皇国が誇る聖騎士マリベルの妹で、壮健なる聖騎士団の副団長であーるッ!」


 シャルルは誰もいない壁に向かって演説をぶち上げ始めた。


「お、おいシャルル?」

「皆の者ーッ! 今宵の酒について語り合おう! はははッ! そなたも語りたい事があるか! 良かろう! わたしが聞いてやろう!」

「お、おいシャルル。つか、アンタ誰と話してんだ?」

「ふははは! それは愉快な話だな!」


 シャルルは壁と話し続ける。

 ぶつくさと独り言をいい、快活に笑い出すシャルルに、正直俺はドン引きだ。


 俺はもうこの小さな女騎士は放っておく事にした。


「ヒック、しかし旨い酒だ……。ヒック」


 あ、ダメだ。

 今、クラッときた。


 そろそろ限界か。

 俺はここらで酒を切り上げる事にした。

 その時――


「聞いているのか、貴様ーッ!」


 シャルルが俺の方を掴んで、ガクガクと揺すり始めた。


「お、おい、やめろシャルル! おう、ウプ」

「夜通し語り合おうではないかー!」

「う、うぷ……、やめ、つか、マジもう無理……」


 つかシャルルは酔うと最悪だ。


 俺はその事だけは忘れまいと記憶に刻み、意識を手放した。




「……朗くん! 虎……朗くん!」


 チュンチュンと鳥が囀る。

 俺は重い頭を抱えて目を見開いた。


「……虎太朗くん! あ、やっと起きた!」

「お、大家さん?」

「ああ、私だ。やっと妻の監視を潜り抜けて来たんだよ!」

「……お、おう。そっすか」


 俺は眠気まなこを擦りながら身を起こす。


 昨日はかなり飲んだなぁ。

 あんまり覚えてないけど。


 辺りを見回す。


 マリベルとフレアは絡み合ったまま眠っている。

 シャルルは壁にオデコをつけ、立ったまま眠っている。

 そしてハイジアは俺の膝の上だ。


「大惨事だったみたいだねぇ、虎太朗くん」

「……おう、つか、はしゃぎ過ぎたっすわ」


 俺は頭を振って目を覚ました。


「それで虎太朗くん! 異世界の銘酒ってのはどれだい?」

「あ、ああ、それなら……」


 俺は大家さんに竜殺しドラゴンころしの入った樽を見せる。


「おー! まだ、半分は残ってるね!」


 大家さんが俺にいい笑顔を向ける。


「さ! 虎太朗くん! みんなを起こして飲み直そうじゃないか!」

「……お、おう。つか、マジか……」


 そしてまた、俺たち対竜殺しドラゴンころしの第二ラウンドが幕を開けた。

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