第27話 番外編 ニコの仁義なき闘い

 深夜。

 とあるマンションの駐車場。

 酒呑みのオッさんや謎の女騎士達の住まう賃貸マンションだ。

 この夜、そこに何匹もの猫が集まっていた。


「フーッ、シャーッ!」

「……、……ニャ」


 二匹の猫が睨み合う。

 その二匹を沢山の猫が囲み、にゃんにゃにゃんにゃと囃し立てている。


 白猫、黒猫、三毛猫、ぶち猫、サビ猫。

 集まった猫は様々だ。


「フシャァァァーーッ!」


 睨み合う二匹の猫の片方が威嚇した。

 体の大きな隻眼のキジトラ猫だ。

 片方の目に大きな傷痕が走り、その表情は何ともいかめしい。


「…………ニャニャ」


 対するもう一方の猫は落ち着いたものだ。


 威嚇するキジトラ猫よりもひと回り小さな体。

 風にたなびくフワッフワのフォーンの被毛。


 その愛くるしい猫の名は『ニコ』。


 その正体は、先日異世界から現代日本へと自然召喚されてきた猫の王様、妖精ケットシーである。


「ギニ゛ャアアァァーーッ!!」


 キジトラ猫がニコに飛び掛かった。

 上体を大きく起こし、両の前脚を広げ、上から押しかかる様にしてニコに襲い掛かる。


「……、……ッ!」


 ニコの縦長に開いた瞳がキジトラ猫を見据える。


「グルゴニャニィィーーーーッ!」

「…………ニャモンッ!」


 二匹の影が混じり合った。

 ペチンッ、と音を立てて猫と猫がぶつかり合う。


 一時の静寂。


 ――――ドサッ


 片方の影がアスファルトに沈む。


 泡を吹いて倒れたのは、隻眼のキジトラ猫の方だ。

 周囲の猫達がワッと沸き立つ。


「ニャ、ニャニャーッ!」

「モニャモニーッ!」

「ニャニャンニュモーッ!」

「グルゴマーン!」

「ゴミャニーッ!」


 集まった猫達は口々に驚嘆の声を上げ、騒ぎ出す。


 常勝無敗のキジトラ猫。

 永きに渡り、辺り一帯の猫グループを傘下に置いてきたその偉大なボスを打ち負かしたのは、新顔のイケ面猫。


 万雷の喝采が降り注ぐ。

 フォーンの被毛が一層強く風にたなびく。

 いま、ここに新しいボスが誕生した。


 ニコはこうしてご近所猫グループのボスになった。




 季節は冬。

 屋外で過ごす野良にとっては厳しい季節だ。

 冷たい風が吹き荒び、容赦なく体温を奪っていく。


「ニャミョニャ」


 ニコは年老いた老猫を、とある場所に案内した。

 そこはヒートポンプ給湯機を導入しているご家庭の裏庭だ。

 ここの給湯タンクにはいつも暖かいお湯が貯められ、タンク周辺は冬でもポカポカと暖かい。


「……ゴニャーニ、……ゴニャーニ」


 今年の冬は寒さが厳しい。

 自分がこの冬を越せないことを覚悟していた老猫は、ニコに何度も頭を下げて感謝した。

 ニコは鷹揚に前脚をあげ、グーパーして老猫に応えた。




 猫の出産時期は春か秋。

 しかし街で暮らす猫の中には、冬に仔を産んでしまうケースもみられる。


 冬に仔猫を産んでしまった母猫は悲惨だ。

 獲物が少ないため乳の出は悪く、まだ弱々しい我が子を厳しい寒さから守る為に身を寄せて暖め、狩りに赴くことすらままならない。


 ここにもそんな母娘がいた。


「……ンナァ」


 母猫はやつれ、先細っていく未来の展望にため息をつく。

 もう丸二日も何も食べていない。

 乳は昨日から既に出なくなっている。


「ミー、ミー……」

「ナー、ナー……」


 仔猫達はひもじさに鳴き声を上げながら、乳の出なくなった母猫のお乳にしゃぶり付く。

 しかし、何度吸ってもお乳は出てこない。


「……ンナァ」


 母猫はこの日何度目になるかも分からないため息をついた。

 このままでは母子共々餓死してしまう。


 ……子を見捨てる覚悟を決めなければいけない。

 しかし、そんな覚悟を決めることは自分には出来ない。

 母猫は思考の堂々巡りに陥って顔を伏せた。


 ――――ザッ


 砂利を蹴る音がする。


 ヒュンと風を切る音がして、フォーンの影が母猫の前に降り立つ。


 ドサッと音がして、カツオの叩きが丸々一本、母猫の前に差し出された。

 どこかの酒呑みのオッさんの肴になる筈だったカツオだ。


 フォーンの影は何も言わずに立ち去っていく。


「……マナーニャ、……マナーニャ」


 これさえ食べれば、直ぐにでもお乳は出る。

 母猫は立ち去る背中に、何度もありがとうの言葉を投げ掛けながら、カツオの叩きを貪り喰った。




 ご近所猫グループのボスに収まったニコは、善政を敷いた。


 怪我をした猫を不思議な力で癒し、縄張り争いをする猫を仲介し、飢えた猫には食べ物を与え、寒さに震える猫には暖かい毛布を与えた。


 その度に酒呑みのオッさんの家から物がなくなったのだが、それはまた別の話。


 ――ニコの元に集えば、安穏とした何不自由のない暮らしが手に入る。


 そんな噂が広まるまで、そう時間は掛からなかった。

 噂はご近所を飛び越え、周囲の街々に広がった。


 ある人間はこんな呟きを漏らした。


「おう、なんつーか、最近ご近所に猫が多いな」


 そう。

 周辺の街から新天地を求めてニコの元に沢山の猫が集う様になったのである。


 こうしてご近所グループを中核に猫の一大グループが形成され、ニコはその大ボスとして君臨する事になった。




 ご近所の垣根を越え、街の猫を一手に束ねるまでになったニコ。

 だがその事を面白く思わない輩がいた。


 隣街の大きな猫グループ。

 その猫グループのボスとして君臨する一匹の雌猫。

 名前はコマたん。

 その正体は永きを生き、二股の尾を持つ妖怪へと変じた雌の猫又である。


 コマたんは「ギニャッ」と顔を歪める。

 今日もまた一匹の猫が自分のグループを離れ、ニコの傘下へと収まった。


 猫又の妖怪コマたんは人語を呟く。


「……ニコとか言ったにゃ。この落とし前は必ず付けさせて貰うにゃ」




 ある日、ニコが配下となった隻眼のキジトラ猫を引き連れ街を見回っていた時のこと。

 フラフラとした足取りの茶トラ猫が路地から現れ、ニコ達に近寄ってきた。


「ギニャメ!」


 隻眼のキジトラ猫がニコの前に歩み出て、フラフラと近づいてくる茶トラ猫に警戒の声を発した。


「……ンナーニャ」


 ニコはキジトラ猫に首を振ってから背後に押しやり、フラフラとした足取りのその猫に寄り添う。

 茶トラ猫は力無い足取りで数歩歩いた後、パタリと倒れて気を失った。


 暖かい光が茶トラ猫を包み込む。

 ニコから発せられたその光は茶トラ猫を優しく包み、その体の傷を癒していく。


 茶トラ猫が目を覚ました。


「ンナーニャ?」


 ニコが茶トラ猫に優しく問いかける。


「……ミャモーニョ、……ミャモーニョ」


 茶トラ猫はボロボロと涙を流しながら応えた。


「……ミャマー」


 茶トラ猫の語った内容はこうだ。

 自分は隣街から逃げ出してきた猫である。

 隣街ではいま嘗てないほどの悪政が敷かれている。

 強い猫が弱い猫を食い物にし、自分の様な力のない猫は奪われるばかりの毎日だ。

 自分はそんな日々に嫌気がさし、猫の理想郷と噂高いこの街に、家族を引きつれて逃げ出す事を決意した。

 しかし途中、隣街を支配する猫グループに捕まって拷問を受けた。

 酷い拷問だった。

 何匹もの猫に代わる代わる毛繕いをされ、毛が抜け落ち肌が赤くなるまで舐め続けられたのだ!

 自分は命からがら逃げ出して来たが、まだ自分の家族が奴等に捕まっている、と。


「ニャンゴモッ! ……ニャン、ゴ、……モッ」


 茶トラ猫は涙ながらに訴える。

 どうか家族を救い出して欲しい。

 いまも自分の家族はどんな酷い拷問を受けている事か……

 お願いします、どうか、どうか家族を、と。


「……、……ンナーニャ」


 ニコは茶トラ猫を安心させるように、その肩に前脚を置いた。


 ニコはフワッフワの被毛を風に大きくはためかせ立ち上がる。

 いま正に妖精ケットシーが動き出した。




 場所は隣街。

 二匹の猫が対峙している。


「……お前が隣街をまとめた新顔の猫かにゃ? 名前はニコ、とか言ったにゃ?」

「……ンナーニャ」


 ニコは自分が右腕と認めた隻眼のキジトラ猫一匹だけを引き連れ、隣街の猫グループに打って出た。

 対する隣街の猫達は猫又のコマたんを筆頭に数え切れないほど多くの猫が睨みを効かせている。


「ンナァーモ」

「んにゃ? ああ、逃げ出したアイツの家族にゃ?」

「……ニャンゴロモニョンニャ?」

「にゃふふ。もちろん生きてるにゃ。……無事かどうかは自分の目で確かめにゃッ!」


 コマたんが配下の猫に目配せをすると、二匹の猫が引っ立てられてきた。

 どちらの猫も虚ろな瞳で虚空を見つめ、酷く焦燥しきっている。


「……ンナーニャ?」

「にゅふっふ。にゃにをしたって?」

「……」

「鎖に繋いで目の前にマタタビを置いたまま、丸一日お預けをしてやったのにゃッ! にゃあっ、はっはーッ!」


 隻眼のキジトラ猫がヨロヨロとよろめく。


「……ニャ、ニャン、ニャモニョマッ!」


 キジトラ猫が怒りに声を上げる。

 ニコは押し黙り、ギリリと歯を鳴らして顔を背けた。


「……ンナーニャ」

「その勝負、受けたにゃ! たった二匹で殴り込んで来た馬鹿さ加減に免じて、アチキが直々に相手をしてやるにゃッ!」


 ここにニコとコマたんの闘いの火蓋が切って落とされた。




「ほらほら、どうしたにゃ! カッコイイのは顔だけかにゃッ!」


 コマたんは猛スピードでニコの周囲を動き回り、何度も猫パンチを繰り出す。

 ニコは防戦一方だ。


「どうした、どうした! 反撃しないのかにゃ! カッコイイのは顔だけかにゃッ!」


 コマたんの猫パンチが繰り出される度にニコの体に赤い傷がつく。

 しかしニコは全く反撃をしようとしない。

 無防備にコマたんの攻撃を受ける一方だ。


「くっ、コイツ! ちょっと顔がカッコイイからって舐めやがってにゃッ!」


 激しい攻撃を繰り出すコマたん。

 息を切らせ、肩を怒らせながらニコを叩き続ける。

 しかしニコは黙ってその全ての攻撃を受け止め続けた。


 ――長い時間がたった。


 ついにコマたんは立ち止まり、攻撃の手を止めた。

 長時間動き回り続けたコマたんは疲労困憊だ。

 しかしニコとて既に満身創痍である。


「……ハァッ、……ハァッ、……やめだ、やめだにゃ! こんな顔がカッコイイだけの根性無しを相手にしても仕方がないにゃッ!」


 そういってコマたんは踵(きびす)を返す。

 しかし疲労した脚がいうことを聞かず、コマたんは脚を縺(もつ)れさせ、その場に倒れた。


「……とっと、脚が動かないにゃ」


 その時、コマたんの配下が一斉にコマたんに牙を剥いた。


「グルゴニャーッ!」

「ギニャーッ!」

「フシャーーーッ!」


 配下の猫たちは待っていたのだ。

 圧政に組み敷かれ、恐怖で縛られる日々の中、コマたんを追い落とすこの好機を!


 何匹もの猫が目を血走らせ、雪崩のようにコマたんに押し寄せる。


「お、お前たち! や、やめろ、やめるにゃーッ!」


 ――その時、フォーンの影が動いた。


 ニコは風を切り、コマたんの眼前に降り立つ。

 津波となって押し寄せる猫たちからコマたんを守る防波堤となる。


 ニコは前脚を大きく振り上げ、大地に猫パンチを叩きつけた。

 ドガン、と轟音が轟き、大地がひび割れ陥没する。


 ニコは雪崩となった猫たちを睨め付け「ニャー」とひと鳴きする。

 コマたんを襲おうとしていた猫たちは、ニコの放つ圧倒的な威圧感を前に、その脚を完全に止めた。


「お、お前、……なんでアチキを」


 ニコは倒れ伏したコマたんを振り返る。

 そして何も言わずにその体を抱きしめた。


「は、離せ! 離すにゃッ! ちょっと顔がカッコイイからって、こんな事でアチキがッ……」


 ニコは黙ったまま力強くコマたんを抱きしめる。

 ジタバタと抵抗をしていたコマたんだったが、ニコの力強い抱擁に、徐々に抵抗をやめ体の力を抜いた。


「……アチキだって、アチキだって、最初から仲間に裏切られる様な、……こんな猫じゃなかったのにゃ」


 コマたんは涙を流しながら、苦しみの心情を吐露する。


 人間に捨てられ当て所なく街を彷徨った時のこと。

 弱い者から奪わなければ生きていけなかったあの頃。

 猫又になって街のボスになってからの下からの突き上げ。

 次第に恐怖政治を敷くように変わっていった己への失望。


 コマたんは涙ながらに心情を吐露する。

 そしてひとつずつ心の膿を吐き出す毎に、コマたんの表情は優しく穏やかなものに変わっていった。


「……ニコ。……アチキの負けにゃ」


 ニコは抱擁を解き、二足になって立ち上がる。

 そしてボワワンと煙を立てて真の姿を曝け出す。


 そこには輝く王冠を頭に戴き、豪奢なマントに身を包んだ猫の王様、妖精ケットシーの姿があった。


「ま、まさかッ!? こ、こんなの夢なのにゃッ!? ニ、ニコ、いや、ニコさまッ! まさか、ニコさまはケットシーさまなのかにゃッ?!」


 ニコは黙ってうなづく。


 辺り一面の猫という猫が、ニコの威光の前に平伏す。

 ニコは羽織った豪奢なマントを脱ぎ、コマたんの肩へとかけた。


「……ンナーニャ」

「はい、はいなのにゃ! お、仰せのままににゃ、ニコさま!」


 ニコはぐるりと首を回し、平伏す猫たちを見回す。

 誰もがニコを崇め、目を輝かせる。


 ここに隣街との仁義なき闘いは終結した。




 とあるマンションのコタツ部屋。

 そこに二匹の猫が寄り添う姿があった。


 片方はフォーンの被毛をもつイケメン猫。

 もう一方は二股の尾をもつ可愛らしい雌猫だ。


 コタツ部屋にオッさんと女騎士が入ってくる。


「おう、ニコ! 今日も同伴か? つか、お熱いじゃねーか!」

「うむ。ニコは今日も可愛いな!」


 女騎士がニコの頭に手を伸ばす。

 その手を猫又のコマたんが猫パンチではたき落した。


「な、なにゆえッ!?」

「ははは、アンタは猫に好かれない体質なのかもな!」

「そ、そんなー」


 項垂れる女騎士そっちのけで二匹の猫は睦み合う。


「おう、ニコとその彼女! アンタらも酒のむか?」

「ンナーニャ」

「ゴロニャーン」


 オッさんは酒を注ぐ。


 二匹の猫は寄り添い合い、一つの皿に注がれた酒を、仲良く分けあって飲み干した。

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