第15話 お隣さんとたまご酒

「ぶぇっきしょん、あー。……なんかちっと調子悪いなぁ」


 今日はなんとなく頭が冴えない。


 俺の頭が冴えないのはいつもの事だが、今日はいつもよりいっそう冴えていない気がする。


「ま、いっか。飲んだらシャキッとするだろ」


 俺は「ふんふんふーん」と鼻歌を歌いながら酒棚を開いた。


「さあて、今日はどの酒にすっかなー」


 アレヤコレヤと酒棚を物色する。


「昨日は缶ビールにポテチだったし、今日は奮発して豪華にいくかー!」


 テンション上がってきた。

 旨い酒を飲ませたときのお隣さん達は面白いんだよなぁ。


 俺はお隣さん達が「旨い!」と喜ぶ顔を思い浮かべながら酒棚を覗く。


「うっし、コイツにすっか!」


 そして酒棚のVIPゾーンから『純米大吟醸、獺祭の磨き二割三分』を取り出した。

 だがそのとき俺の背筋をゾクリとした寒気が襲う。


「あ、あれ?」


 なんだかクラクラする。

 いきなり世界が揺れ始めた。


「……あ、あれれ、おっかしいぞー?」


 急な吐き気に立っていられなくなる?

 俺は密室殺人を誘発しそうな物騒なセリフを呟やいて、バタリと倒れた。




「……ん、んん?」


 誰かが俺の額に手を置いている。

 熱を計っているようだ。


 俺は薄目を開けて、その誰かに声をかける。


「……ォ、おう、オカン?」

「誰がお前の母親だ」


 額に手を置いていたのはオカンではなく、女騎士マリベルだった。


「目が覚めたようだな、コタロー」

「……ぉ、ぉう。マリベルか、……ごほッ」


 どうやら俺は自分の部屋のベッドに寝かされているようだ。


 俺は身体を起こそうとする。

 だが体に力が入らず、再びベッドに倒れ込んだ。


「無理はするなコタロー、まだ寝ておけ」

「……お、おう。つか、どうなってんだ?」

「お前は熱を出して倒れたのだ」

「そっか」

「ああ、だから安静にしておけ」


 確かに体が重い。

 頭はボーッとするし、肌がピリピリして関節が痛む。


「あー、風邪、引いちまったみたいだな、ごほッ」

「うむ。だからその酒はお預けだ」


 俺は倒れても離さなかった獺祭をマリベルに取り上げられた。


「つーか、ごほッ、よく俺が倒れた事に、気が付いたな」

「その事か。いやなに、急にハイジアの奴が騒ぎ出してな。『コタローが、コタローが、ピンチなのじゃッ!』と、やかましいことこの上なかったぞ」


 マリベルが体をクネクネ揺らしながら甲高い声を上げ、ハイジアの真似をした。


「……ほう、貴様。それは妾の真似かえ?」


 戯(おど)けるマリベルの背にハイジアの声が投げかけられた。


「ハ、ハイジアか。と、ところで、大家殿が以前置いていった遠距離交信用の魔道具は、問題なく使えたのか?」

「ふん、誤魔化しよって。あの魔道具ならフレアの奴が起動を試みておる」

「そうか」

「まあ、悪戦苦闘しておったがの」

「……よ、よぉ、ハイジア、ごほッ」

「うむ、コタロー。調子はどうじゃ?」

「あー、最悪だな」

「そうか、なら、暫く休んでいるがよいぞ」

「ぉう、そうさせてもらうわ……」


 俺はベッドの縁に腰掛けたハイジアに尋ねる。


「……なぁ、ハイジア」

「なんじゃ?」

「ごほっ、なんで、俺が倒れたのが分かったんだ?」

「なんじゃ、そのような事か。答えは簡単じゃ。貴様に何かあればすぐ妾に報告がされるよう、貴様には常時、妾の眷属どもが見張りについているのじゃ」

「つか、んな見張りつけてたのか、アンタはッ! ゴホッ、ゲホッ!」


 俺は思わず咳き込みながら声をあげた。

 天井の隅で見張りの蝙蝠が、咳き込む俺を心配そうに見つめて「キィ」と鳴いた。




「ちょっと、この魔道具、なにしても動かないわよ!」


 女魔法使いフレアがスマホを手に俺の部屋にやってきた。


「この魔道具、もう壊れてるのよ。だってマナを全く感じないもの」

「ふむ、ならどうするのじゃ?」

「修復できればいいんだけどねぇ」

「……そう言えばかつて、私の仲間の牡羊座騎士に聞いたことがあるな。壊れた魔道具を修復する為にはマナの含まれた大量の血が必要だと」


 そう言ってマリベルは剣を抜き、己の手首にその刃を添えた。


「コタロー! 少し待っていろ! いま魔道具を修復してやる!」

「まて、まて、まて、まてーッ!」

「ええい、止めるな!」

「つか、俺にスマホを貸せ! ゴホッ、ゲホッゴホ!」

「お、おい。コタロー、無理するでないのじゃ」

「はい、お兄さん。スマホの魔道具よー」


 俺はフレアからスマホを受け取る。

 そして電源ボタンを長押しして電源を入れた。

 つか騒ぎすぎたせいで頭がクラクラする。


「あ、そうやって点けるのね」

「ああ、このボタンを長押しだ。ゲホッ、つか、スマホ使って何をするつもりだったんだ?」

「アンズと交信しようと思ったのよ」

「ゴホッ、なら、ここをこうだ」


 俺は電話帳から杏子(アンズ)を選んで、フレアにスマホを手渡した。


 スマホから「プルル」と杏子を呼び出す音が聞こえる。

 その音を聞きながら、俺はまた、ポテリとベッドに倒れ込んだ。




 ワイワイと騒ぐ声が聞こえる。

 お隣さん家の異世界人みたいだ。


 俺ん家の台所で何やら騒がしくしている。

 熱を出して寝入っていた俺は、その声に目を覚ました。


「マリベル、いまよ! 貴女はそこで卵を思い切り搔き混ぜて!」

「こうかッ!」


 聖騎士マリベルの全力で掻き回された卵は、あっと言う間にメレンゲ状になった。


「そしてハイジア、貴女はいま混ぜた卵にお酒を入れるのよ!」

「よかろうッ!」


 真祖吸血鬼トゥルーヴァンパイアハイジアは、撹拌されすぎてメレンゲとなった卵に、高級な日本酒、獺祭を惜しげもなくドバドバと投入する。


「次の指示をちょうだいアンズ!」


 フレアが杏子と通話している。

 どうやら異世界人たちは杏子の指示の元、何かを作る事に夢中になっているようだ。


 暫くワイワイとやったあと、マリベルとハイジアとフレアは揃って俺の部屋までやってきた。


「あら、起きてたの、お兄さん」

「もしや、起こしてしまったか?」

「いや問題ない。つか、みんなで何をしてたんだ?」

「妾たちはな、これを作っていたのじゃッ!」


 ハイジアが俺の目の前に何かを差し出す。


「これは何だ?」

「聞いて驚くが良い! これはのう、『たまご酒』じゃッ!」

「……お、おう。これがたまご酒か、……これはまたなんつーか」


 俺は戦慄した。


「お兄さんが風邪で倒れたって聞いてね。アンズちゃんと魔道具で交信して、風邪に良いものはないかって聞いたら、『風邪ならたまご酒だ』って教えてもらったのよ」

「ごほっ、そうだったのか」

「ああ、だからほら、コタロー。たまご酒を飲んで早く風邪を治せ」

「おう、サンキューな。ありがたく頂くよ」


 俺はメレンゲ状になって、容器からこんもりと溢れ出したたまご酒にかぶりついた。


 ドロリとした舌触り。

 なぜか塩辛い味付け。

 容器の下部にはメレンゲと混ざり切っていない酒の層がある。


「ど、どうじゃ?」

「……正直、旨くはない」


 俺は真実を突き付けた。


「そ、そうか。旨い酒を使ったんじゃがの」

「え?! つか、たまご酒に獺祭使ったのか?」

「すまんなコタロー、我らでは上手く作れなかった」

「お兄さん。……美味しくないなら残しちゃっていいわよ」


 俺はたまご酒を下げようとするフレアの腕を留めた。


「まあ、待て」


 俺はお隣さん家の面子を順に見回して、言葉を投げる。


「旨くはない。これは確かに旨くはないけどな、……アンタらの気持ちは、最っ高に嬉しいぜ?」


 俺はそう言ってたまご酒を全力で飲み干した。


「あらあら、お兄さんったら」

「全く貴様は。……無理せんでもよいというのに」

「だが、コタローらしいな!」


 みんなの声を聞きながらたまご酒を完食し、俺は再びポテリとベッドに倒れ伏した。




 ――ピンポーン


 玄関チャイムの音がする。


「はーい、今開けるわー」


 フレアが俺ん家の玄関に赴き、来客を招き入れた。


「虎太朗くん! 風邪引いたって聞いたよッ!?」

「虎太朗さん、大丈夫ですかー?」

「こら貴様ら、静かにするのじゃ!」

「お前も声が大きいぞハイジア」


 大家さんと杏子が顔を見せた。


「おや、それは、獺祭のいい奴じゃないのかい?」

「はいはーい。私にも一杯下さい! でもその前に着替えてきますねー」

「うん? もう酒がなくなったな。この酒は飲みやす過ぎて、ついクイクイッと飲んでしまうぞ」

「あ、それと同じお酒が、酒棚にあともう一本あったわよ? 棚のVIPって書いてあるところにあったわ」

「ならすまんがフレア、それを持ってきてくれ。私は肴を探そう」

「着替えてきましたー! お風邪を召されるなんて、さすが兄(あに)ぃ様です!」


 いつもの面子が勢揃いだ。

 この面子が集まると必ず飲み会が始まる、

 今日も風邪を引いて休む俺の部屋でどんちゃん騒ぎが始まった。


「あったわー、獺祭磨き二割三分!」


 VIP棚から俺秘蔵の酒が消えていく。


「お、お前ら……」

「あ、虎太朗くん、大丈夫かい? お見舞いここに置いておくよ」

「虎太朗さん、このおネギを首に巻いて下さいー」

「ほれみろ貴様ら、コタローが起きてしもうたではないか」

「あ、お兄さん。お酒頂いてるわよぉ」

「えっと、肴はないのか、肴、肴」

「肴なら、そこにある満月ポンでもくってろ」

「スナック菓子じゃろうが」

「いいじゃないハイジア。スナック、私は好きよ?」

「では私もお酒を頂こうかな!」

「ゴホッ、つか、俺にも獺祭を飲ませろ!」

「お前はやめておいた方がいい、コタロー」

「あ、はいはーい! なら、私があにぃ様のたまご酒を作りますね!」


 賑やかな飲み会が続いた。




 翌朝、俺は目を覚ます。


「……ん、んー!」


 ベッドで背を起こし、大きく伸びを一つした。


「あ、あーあー」


 喉の調子も回復している。

 頭もシャキッとしている。


「うっし、風邪、治った!」


 そのときベッドの掛け布団がモゾッと動いた。


「ニャー」

「なんだ、ニコか」


 俺は布団を捲った。

 すると女吸血鬼ハイジアが、ケットシーのニコと一緒に、俺のベッドで丸くなって眠っていた。


「コタリョー?」

「お、おう、ハイジア。寝ぼけてんのか?」

「……わら、わ……は」


 ハイジアは台詞途中でカクンとなって、二度寝に入った。


 辺りを見回すと空になった一升瓶が何本かとスナック菓子の袋が散乱している。


 そんな中で女騎士マリベルと女魔法使いフレアが、酔い潰れてオッさんの様に横になっていた。

 どうやら大家さんと杏子は帰った様だ。


「……全く、こいつらは」


 俺はベッドから這い出してもう一度伸びをした。

 そして辺りに転がる俺の飲み友達らに声をかける。


「ほら、アンタら、起きろ! マリベル!」

「ん、んあ、朝か……」

「つか、フレア! アンタも起きろ!」

「も、もうちょっとだけ寝かせてー、あと五分」

「ダメだダメだ、起きろ! ハイジアとニコは……寝てて良し!」


 俺は女騎士と女魔法使いを叩き起こした。

 そして元気になった声で言う。


「つか、昨日はほとんど飲めなかったからな。……今から迎え酒だ! ほらほら、アンタも起きて付き合え!」


 俺たちは朝っぱらからまた飲み始めた。

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