第7話 お隣さんとトマトジュース

「ワクワクするねぇ! 虎太朗くん! マリベル殿!」

「大家さん、柵に乗り出し過ぎっすよ」

「ホントにまったく、……少しは落ち着いたらどうだ大家殿」


 俺たちは今日も、ヤンヤヤンヤと酒盛りをしながら魔物退治を観戦する。


「うっわ、ほら、ミノタウロスだよ! うはー! うはー!」


 今日の対戦カードは真祖吸血鬼トゥルーヴァンパイアハイジア vs 牛頭鬼ミノタウロスだ。


 大家さんは興奮して、リビングの出入り口付近に設けられた、『見物客、この先、進入禁止』の柵に手をつき上体を乗り出す。


「あ、ハイジアちゃんが動いたよ!」

「お、戦闘開始っすね。大家さん、これ、ビールどぞ」

「おっと、こりゃあ、すまないね。ありがとう虎太朗くん」

「どういたしまして。んで、マリベル、アンタは何を飲む?」

「ふむ、……なら私は、日本酒を頂こうか」

「あいよー」


 俺たちが酒を配り合う他所で、ミノタウロスがデッカい戦斧を頭の上に構える。

 凄まじい圧力だ。

 だがハイジアはそんなミノタウロスの圧力など、まるでそよ風とでも言わんばかりに、トコトコと気楽な足取りでミノタウロスに近づいていく。


「ツマミはこれな。簡単で悪いけど、ポテチだ」

「うむ、構わんぞコタロー。私は、ポテチを好いておるからな」

「うっひょー、みた? ミノタウロスの斧! 大っきいねぇ!」

「ってマリベル、お前はポテチ以外でも、大概のもんは好物だろ?」

「そ、そんな事はないぞ?」

「ハイジアちゃーん! がんばれー! 私がついてるぞぉー!」

「じゃあ、とりあえず乾杯すっか。マリベル、大家さん、酒を持ってくれ!」


 俺たちが酒を掲げるのと同時に、ミノタウロスが振りかぶった戦斧を凄まじい勢いで振り下ろす。

 豪という唸り声をあげて、数多の人間の血を吸った巨大な戦斧がハイジアに襲い掛かる。


「んじゃ、今日もお疲れさん」

「いやコタロー、私は何も疲れておらんぞ」

「いいから、いいから。マリベル殿、こういうのはノリが大切なんだよ」


 その時、ハイジアの体が黒い靄となって消えた。

 ミノタウロスが振り下ろした戦斧は襲い掛かる相手を見失い、空を切る。

 次の瞬間、ミノタウロスの懐の内に黒い闇が凝縮し、そこにハイジアが姿を現わした。


「んじゃま、かんぱーい!」

「乾杯!」

「かんぱーい!」


 真祖吸血鬼ハイジアは「ふん!」と小さく声を発し、ミノタウロスの腹へと振りかぶった拳を撃ち抜いた。


「ギィャグバアアァァァーーーッ!!」


 ミノタウロスは臓物を撒き散らし、断末魔の悲鳴を上げ、血の海へと沈んだ。




 俺と女騎士と女吸血鬼と大家さんは炬燵に脚を突っ込み、仲良く卓を囲む。


「早いじゃないか! ハイジアちゃん、決着早すぎだよ! 私の楽しみを奪わないでくれ!」

「そんなこと妾の知ったことか。それよりも貴様、妾を『ちゃん』付けで呼ぶのはやめよ」


 テーブルには飲みかけの缶ビールや日本酒の瓶が散乱している。


「でも大したもんだ。なぁハイジア、アンタ、マジで強かったんだなぁ」

「当たり前であろ、妾は夜魔の森の女王、真祖吸血鬼ハイジアなるぞ」


 ハイジアは薄い胸を張ってフフンと鼻を高くした。


「だけど、あれはイカンよ早すぎだ! ハイジアちゃん、あァァァんまりだァァアァ」

「うっさいな、このハゲ親父は!」

「だから、ちゃん付けはやめろと言うておろうが下郎!」


 泣きわめく大家さんがこの上なく鬱陶しい。

 そんな大家さんを完全に無視してマリベルが話し出す。


「ハイジアの戦いを確と見たのは初めてだが、……ハイジア、お前もしや魔王級なのか?」

「『確と』も何も、マリベル、貴様はあのとき酒を掲げて、乾杯しておったじゃろうに」

「そ、そんな事はないぞ?」


 女騎士マリベルはハイジアの突っ込みに、顔を逸らして目を泳がせた。


「……はあぁ、楽しみにしてたのに、魔物観戦」


 大家さんは尚もブチブチと不満を垂れ流す。

 未練タラタラだ。


「ええい、下郎! 貴様いい加減やかましいぞ!」


 そんな大家さんに遂にハイジアが切れた。

 ハイジアは大家さんを指差しながら声を張り上げる。


「大体なんじゃ貴様は! 真っ昼間から酒などかっ喰らいよって! 仕事はどうしたのじゃ!」

「いやアンタも昼間は寝てばかりだろ」


 俺は間髪入れずに突っ込んだ。


「うぬぬ、貴様もじゃコタロー! なぜ貴様らは昼日中から働きもせず、毎日毎日、酒盛りなぞをしておる!」


 女吸血鬼は真っ当な社会人みたいな事を言い出した。

 ハイジアはプンプンと頰を膨らませてお冠だ。


「いや、でも俺は働いてるよ?」

「私は大家だし、不労所得あるし」

「え?! コタロー、お前、働いているのか?」

「なぜそこで驚く?!」

「いやだってコタローだぞ?」

「どういう意味だよ……」

「これは驚きじゃの。コタロー、貴様はいつ働いておるのかえ?」

「適当に週三日くらいだな」

「お前、それは少なすぎではないか?」

「ほっとけ」

「そういえば、虎太朗くんは士業なんだっけ?」

「そっすよー、割と時間に融通が利くんだよ。つーか、そんなことより、酒でも呑もうぜ」


 俺は炬燵テーブルに、自宅から持ってきた酒をドンと置く。


「ほう、色々あるのぅ」

「ああ、いっぱい持ってきたぞ。ウォッカにジンにテキーラだ」

「して、それをどうするのかえ?」

「これで割るんだよ」


 俺はそう言ってテーブルにトマトジュースを置いた。




「これがブラッディメアリー、こっちがブラッディサム、で、これがストローハットにレッドアイだ」


 俺はトマトジュースで作ったカクテルをテーブルに並べる。


「ほう、これは何れも血のように鮮やかな赤色じゃの?」

「だろ? まあ適当に飲んでみろよ」

「あ、コタローくん。私も頂いていいかい?」

「なら、私もだ」

「おお、皆んなもいいぞ。飲め飲め」


 俺は全員にカクテルを振る舞う。


「ふむ。何れもいまいちピンと来ぬの」

「私もビールの方がいいかなぁ」

「私はやはり日本酒だ」


 だがあまりカクテルの評判はよろしくなかった。


「して、何故突然このように赤いカクテルばかりを用意したのかえ?」

「いやだってハイジア、アンタ、吸血鬼なんだろ?」

「うむ」

「なら血とか好きだろうし、トマトジュースもイケるだろ?」

「……は?」

「いや、血とトマトジュースって似てるっつか……」

「全く違うわ! このど阿呆!」


 ハイジアが俺に罵声を浴びせる。


 その隣ではマリベルと大家さんが日本酒を持ち出して、二人で酌をし合いながら呑み始めた。


「いやでも、トマトジュースで我慢しなきゃ、ウチじゃ血なんて手に入らないぞ?」

「別に血などいらぬ」

「え? 血だぞ? いらんの?」

「うむ。妾を誰じゃと思うておる。永劫の闇を生きる真祖吸血鬼ハイジアなるぞ?」

「いやだって吸血鬼って血ィ吸うだろ」

「それは下等な吸血鬼のみじゃ。妾のような真祖になると、吸血行為で身体の崩壊を防ぐ必要などない」

「あ、そう。なんか分からんが、血は要らんのな?」

「うむ、要らん」


 どうやら俺の取り越し苦労だったようだ。




 トクトクと日本酒がグラスを満たす音がする。

 かなりの量の酒を呑んだ俺たちは、マッタリムードだ。


「とっとっと、それくらいでいい。サンキュ」

「うむ」

「これ、マリベル。妾にも御酌をせい」

「良かろう。グラスを出せ」


 大家さんは酔い潰れて寝てしまっている。

 いびきがかなりうるさい。


「なあ、大家さん酔い潰れたけどどうする?」

「此奴ならその辺に転がして居ればいいじゃろ」

「いや、そういう訳にもいかんだろ」


 大家さんはムニャムニャと寝言をいいながら寝ている。

 その寝顔は幸せそうだ。


「しゃあない、俺ん家に連れてって寝かすとするわ」

「そうか、なら頼んだ」

「ああ」


 そう言って「くあッ」と俺は背を伸ばす。


「そういやお前らって焼酎呑んだことある?」

「焼酎? なんだそれは?」

「妾も知らぬ」

「そっか。なら今度持って来てやるよ」

「うむ。頼む」

「ああ、頼まれた」


 俺は酔いが回り、眠気を覚えて「ふぁ」と欠伸をした。

 女騎士マリベルからも「ヒック」とシャックリする声がする。


「なんだマリベル。顔が赤いぞ。酔ってんのか?」

「……わらしは、酔ってなどおらん」


 いや、呂律回ってねーじゃねえか。


「んじゃ、結構呑んだし、今日はもうお開きにすっか」

「そうじゃの」

「承知した」


 俺たちは飲み会の後片付けを始める。


 ――ピンポーン


 ちょうどその時、玄関チャイムの鳴る音がした。


「客か。わらしが出よう」


 そう言ってマリベルがサークレットを頭に被り、手に剣を携えて玄関へと向かった。


「おーう、いってらー」


 そういって俺はマリベルを見送り、後片付けの続きをする。


「つーか、おい、ハイジアも片付け手伝え」

「ふん、片付けなど下郎の役目に決まっておろう」

「あー、はいはい」


 俺たちがそんな会話をしていると……


「あなたッ! 誰なんですか!? ヒ、ヒィィ! 剣をッ、剣をこっちに向けないで! 私はお父さんを! お父さんを迎えに来ただけなんですッ!!」


 お隣さん家の玄関から、そんな若い女の大きな声が聞こえてた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る