第6話 お隣さんと大家さん

「そして、これが歯ブラシで、これがパジャマ」


 大家さんはそう言いながら、山の様に抱えてきた日用品や衣服類をマリベルに手渡す。

 俺はそんな大家さんと女騎士のやり取りを、缶ビール片手に眺める。


「何から何までかたじけない、大家殿」

「なんのなんの。君らは世界を守る正義の英雄だからね。私だってこのくらいの事はさせて貰わないと」

「いや、その、大家殿。私たちは、そんな大したものでは……」

「分かってる! ちゃんと分かってる! 英雄は、誰からも理解されない……むしろ、理解されちゃいけないんだよ! なんせ、英雄の体は剣で出来てるんだからね!」


 大家さんは上を向く。

 そして恍惚とした顔をしながらフルフルと震えている。


 正直、ちょっと気持ち悪い。


「でもまあなんだ、娘に『女物の下着を買って来てくれ』と頼んだ時は、少し変な顔をされたけどね」


 大家さんはポリポリと頰を掻く。

 つかそんな事を娘さんに頼んだのか、このハゲ親父は。

 なんつーチャレンジ精神だよ。


「けれどもね、私は、下着を受け取るときに、娘にガツンと言ってやったんだ。『変な顔をするんじゃあない! この下着には夢と希望が詰まってるんだぞ!』ってね」


 大家さんはそう言ってハハッと軽く笑う。

 俺とマリベルはドン引きだ。

 マジできつい。


 俺は意を決して大家さんに話しかけた。


「……で、娘さんはなんて?」

「うん、それからね。私と口を聞いてくれない」


 そりゃそうだ。

 俺は大家さんの蛮勇に敬意を評した。




「グィルヴオオォォーーーッ!!」


 俺とマリベルが、そんな大家さんの蛮行を聞いていると、リビングから来客の到来を告げる雄叫びが上がった。


 俺たちは一度リビングを振り返り、顔を見合わせた。


「ふむ、今日も何かの怪物が、喚ばれてきたようであるな」

「だな、ところでハイジアは?」

「え? え? もしかして魔物かい?!」

「ああ、ハイジアなら、まだ寝ているぞ」

「寝てるって、もう昼過ぎだぞ?」

「魔物かい?! うわー、見たい! 見たいなぁ」

「まぁ、あの年頃の娘はよく眠るからな」

「あの年頃って、あの吸血娘は、もう1000歳超えてるだろ」

「ドラゴンかな? フェンリルかな? ああ胸がドキドキと高鳴ってきたよ!」

「では私は、リビングに魔物退治に行ってくる」

「ああ、気を付けてな」


 金髪碧眼の女騎士マリベルは、サークレットを頭に被り、剣を携えてリビングに向かう。

 その後ろをハゲ頭の親父がトコトコとついて行く。


「……おい、大家さん」

「どうしたんだい、虎太朗くん」

「どこへ行くつもりだ?」

「どこって、なぁに、私も騎士殿と共に、魔物退治をば、とね!」

「魔物退治をば! ッじゃねーよ! 死ぬっつーの!」


 俺は大家さんの襟首を掴んで、リビングから遠ざける。


「いやだいやだ! 私も魔物退治をして、英雄になるんだッ!」

「無理だっつの! 諦めろオッさん!」

「オッさんって虎太朗くんも30過ぎのオッさんだろう!」

「ぐっ……」

「な? 分かるだろう? 冒険は男の憧れ、浪漫なんだよ!」

「……いや、でも多分、普通に死にますって」


 俺だって大家さんの言い分は分からんでもない。

 魔物退治とか冒険ってのは、いつまで経っても男の浪漫だ。

 けど流石に命懸けってのはなぁ。


「なら見るだけ! 見るだけでいいから!」

「見るだけ?」

「そーう、そうそう。見るだけだ。決して手は出さない!」

「……手は出さない」

「考えてもみなさい。こんなのは最高の娯楽だよ! 野球観戦なんて目じゃない!」

「……確かに」

「ビール片手に、共に魔物退治観戦と洒落込もうじゃないか!」


 そうだ。

 俺は何を怖がっていたんだろう。

 大家さんの言う通りだ。


「良いっすね! んじゃ、俺、大家さんのビールも持って来ますわ!」

「ああ、頼んだよ、虎太朗くん」


 俺は大家さんのビールを取りに、隣の我が家までひとっ走りした。




「うっわ! うわッ! うわー!」

「おおぅ……」


 リビングの扉をガチャッと開いた俺たちの目に、女騎士と巨大な怪物の争う、ど迫力の姿が飛び込んで来た。


「こりゃまた、すげーな。なんだありゃ? デッカい鶏か?」

「あれは、コカトリスだよ、虎太朗くん!」

「コカトリス?」

「ああ、半分鶏で半分蛇の、巨大な化け物さ!」

「大家さん、よく知ってますねぇ」

「まあね! こういうのは大好物なんだよ!」


 俺は戦うマリベルとコカトリスの姿を眺めながら、リビング出入り口そばの床に直座りする。

 大家さんも俺に倣って床に座り込んだ。


「コカトリスはねぇ、嘴に強力な毒があるんだよ」

「へぇ、そうなんすか。あ、これ、大家さんの分のビールっす」

「お、ありがとう」


 俺と大家さんは缶ビールのプルタブをカコンと開ける。


「そんじゃ、大家さん、かんぱーい」

「うん、かんぱーい!」

「んく、んく、んく、ぷはぁ! うめー」

「あぁ、真っ昼間から魔物退治を観戦しながら飲むビールは美味しいねぇ」


 俺と大家さんは女騎士マリベルと怪物コカトリスの戦いをビール片手に観戦する。


 マリベルとコカトリスは白熱した争いを繰り広げていた。


 コカトリスは巨大な嘴でマリベルを突き刺そうと、何度も何度も首を振り下ろす。

 しかしマリベルはその嘴を巧みに避けながら剣を小さく振り、細かなカウンターを決めていく。


 そうしているとコカトリスは、マリベルの手数を嫌って一歩身を引いた。

 その隙を逃さずマリベルは大きく踏み出し、上段に両手で構えた剣を袈裟懸けにコカトリスに向け振り抜く。

 しかし、コカトリスはそのマリベルの攻撃を読んでいたかのように、更に一歩身を引いてマリベルの剣を躱す。

 だがコカトリスの相手は竜殺しの聖騎士マリベル。

 生半な騎士ではない。

 マリベルは袈裟懸けに振り抜いた剣を片手に持ち直し、剣の勢いを殺さぬまま、体を回転させ、舞うような追撃にて、コカトリスへと痛烈な一撃をお見舞いした。


「うっひゃー! 見たかい!? 今の攻防!」

「……お、おう。これはスゲエっすね」

「コカトリスの嘴の毒はね、食らうと体が石化してしまうんだよ」

「そうなんすか?」

「ああ、だからマリベル殿も慎重に戦ってるんだと思う。あ、ビールもう一本貰えるかな」

「うっす、どぞ。でも大家さん、ちょっとペース早くないっすか?」

「いやあ、何だか胸が少年のように高鳴ってしまって、ハハハ」

「んく、ぷはぁ。目がキラキラしてますもんね、大家さん」

「いやはや、お恥ずかしい。んくんく、ぷはぁ」

「いい飲みっぷりっすね! こりゃ肴も持ってくりゃ良かったなぁ」

「次はそうしようか。あ、虎太朗くん、ビールもう一本貰えるかな」




 女騎士マリベルと怪物コカトリスの戦いにも終わりが近づいてきた。

 コカトリスはその身を傷だらけにして、最早防戦一方だ。

 対するマリベルにはまだまだ余裕が伺える。


「あーこりゃ、マリベルの勝ちっすねー」

「……んあ、そうみたい、らねー、ヒック」

「いやまあ、マリベルが負けたら次は俺たちなんですけどねー、あははは!」

「……ック、そんときゃあ、わらしに、まかせなさい」

「おお? コカトリスがなんかやるみたいっすよー」


 コカトリスは最後の最後、防御をかなぐり捨ててマリベルに襲い掛かった。

 翼を大きく広げ、マリベルの逃げ道を塞ぎながらの捨て身の一撃だ。


 マリベルはその攻撃を完全に回避しきる事が出来ず、嘴の一撃を左腕に受けてしまった。

 マリベルの左腕が石化を始める。


「……ッ、マリベル!」


 俺は叫ぶ。

 すると、隣で大家さんがプルプルと肩を震わせながら立ち上がった。


「お、大家さん?」

「おのれ、コカトリスめ、ヒック、……よくも女騎士殿を」

「お、大家さん、いいから落ち着け」


 大家さんは「キッ!」とコカトリスを睨む。

 そしてその直後に、大声をあげてコカトリスへと走り出した。


 ちなみにマリベルの左腕は一時石化したものの、既に元に戻っている。


「うおおおおーッ、化け物めえええーッ! わたしが相手だあああーーッ!!」

「え、えええええッ?!」


 俺は腰を上げ、飛び出して行った大家さんを追いかけて、駆け出した。


 戦闘中のマリベルとコカトリスが、大家さんと、それを追う俺が走って近づいてくることに気付く。


「お、大家殿ッ?! コタローまで!?」


 コカトリスが大家さんに向かって走り出した。

 マリベルが慌てて魔法の詠唱を始める。


「―極寒の地に咲く氷の華よ 盾となりて 迫る刃を退けん―」


 大家さんとコカトリスの間がグングンと縮まる。


「うおおおーッ! 私は大家だぞーッ!」


 大家さんがコカトリス相手に謎の主張を叫んだ。


「間に合ってくれッ! 氷華の盾ライムシールド!」


 マリベルが大家さんとコカトリスの間に、複数枚の氷の花弁を持つ大きな盾を生み出し、割り込ませた。


「たのむ!」


 マリベルは氷の盾が、コカトリスの突撃を阻む事を祈って声を張る。

 しかし願い虚しく氷の盾は、コカトリスの怒涛の突撃の前に「バリン!」と音を立てて砕け散った。


「だめか!」

「大家さん!」


 俺とマリベルは同時に叫んだ。

 するとそのとき……



 ――このうつけが!――



 虚空に黒い靄が収束する。

 闇を纏って真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)ハイジアが姿を現した。

 虚空に現れたハイジアは、怪物コカトリスをひと睨みする。


「うおっ、ハイジア?!」

「ハイジアッ! 頼む!」

「うおおおーーーッ! 大家パーンチ!!」


 大家さんの拳がコカトリスを捉える。

 それと同時に、宙空から勢いそのまま落下してきたハイジアが、大きく振りかぶった拳でコカトリスの頭を思い切り殴りつけた。


「グピュグアアアッ!!」


 ドガンといデッカい音を立ててコカトリスは地面にめり込む。

 怪物コカトリスが真祖吸血鬼の一撃に屈した瞬間であった。


 もうもうと立つ土煙が晴れていく。

 薄くなった土煙の中、大家さんは薄くなった頭髪をなびかせ、女騎士マリベルを流し目で見ながら声をかける。


「大丈夫だったかい、お嬢さん」


 俺たちの間になんとも言えない、微妙な空気が流れた。

 俺はハハハと気の抜けた笑い声をこぼして、その場にへたり込んだ。




 結局、酔いから醒めた俺と大家さんは、マリベルとハイジアにこってりと、しこたま怒られた。


 そしてリビングの内側には、『見物の方、この先進入禁止』と書かれた柵が設けられたのであった。

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