第8話 お隣さんと娘さん
俺は若い女の悲鳴を聞き付け、お隣さん家の玄関に駆けつけた。
「ヒ、ヒィィ! 命だけはッ! どうか、命だけはッ!」
女騎士マリベルが、若い娘さんに剣を向けていた。
マリベルは赤い顔をして目が座っている。
「ちょっ、ちょっと待て、マリベル!」
「退けコタロー! 魔物は斬らねばならん!」
「いや違うから! この人、人間だから!」
俺はマリベルと娘さんの間に割って入った
そしてマリベルの体を抑えながら叫ぶ。
「おい、娘さん! アンタ、いったい何の用だ?!」
「わ、私は! お、お父さんを、迎えに来ただけで、も、もう!? なんなのーッ!?」
「お父さんって?!」
「こ、このマンションの、大家です!」
「なんだアンタ! 大家さんの娘さんか?!」
「は、はいッ!」
若い女は大家さんの娘と名乗った。
俺は娘さんを見る。
うん、全然似てねーな。
「ハイジアー! 頼むッ、大家さんを玄関に連れて来てくれーッ!」
「……まったく、騒々しい奴等じゃのぅ」
女吸血鬼ハイジアはぶつくさ言いながらも、大家さんの襟首を掴んで玄関まで引き摺ってきた。
娘さんがズルズルと床を引き摺られる大家さんを見て、口に手を当て目を丸くする。
「お父さん!? やだッ! 死なないでッ!」
「いやいや、それ、寝てるだけだから」
「ほれ、起きんか、下郎」
ハイジアがパシンパシンと大家さんの頰を張る。
大家さんが目を覚ました。
「お父さんッ!?」
「あ、おえ?
「ええい、コタロー退け! そやつ、殺せない!」
「なんじゃ、マリベルは酔っておるのかえ?」
「おい、娘さん! とにかく、アンタは大家さんを連れて、いったん帰ってくれ!」
「はっ、はいぃぃッ!!」
お隣さん家の玄関はしっちゃかめっちゃかだ。
娘さんは俺の言葉どおり、大家さんを連れてそそくさとお隣さん家を後にした。
翌日。
俺たちはお隣さん家のコタツ部屋に集まっていた。
俺と女吸血鬼と大家さんと娘さんは炬燵に脚を突っ込んで、仲良く卓を囲んでいる。
「……面目次第もない」
女騎士は炬燵の外で正座中だ。
女騎士を見る俺たちの目は冷たい。
「マリベル、貴様、酒に呑まれるタイプじゃな」
「うっ」
ハイジアがマリベルの心を容赦無く抉る。
「つか、どうやったら、こんな娘さんが魔物に見えんだよ」
「ぐっ、……申し開きのしようもない」
マリベルは居住まいを正して娘さんに向き直る。
そして深々と頭を下げて謝罪する。
「娘御。昨夜はまこと、すまなかった」
娘さんはそんなマリベルの様子を見て、「ふぅ」と小さくため息をついた後、口を開いた。
「分かりました。もういいです」
「うん。娘もこう言ってる事だし、マリベル殿、さ、顔を上げなさい」
「……すまぬな、心遣い、感謝する」
マリベルは頭を上げた。
「それで、一体これは、何の集まりなんですか?」
「いや、何の集まりかっつわれてもなぁ」
「そもそも、あなた達は何者なんですか?」
そう問う娘さんに俺たちは応える。
「私の名はマリベル。聖リルエール教皇国、破邪の三騎士が一人、竜殺しの聖騎士マリベルだ」
「妾はハイジア。|永久(トコシエ》の闇渦巻く夜魔の森、その支配者たる真なる女王。
「俺は隣の部屋の住人で虎太朗だ。あ、『こ』は『虎』な」
「そして私はこのマンションの大家だ」
「そ、そうですか。……あと、お父さんは黙ってて」
娘さんは俺たちの自己紹介に引き攣った笑みを返した。
大家さんはシュンとなった。
「私はこちらの大家の娘で杏子(アンズ)です。大学生です。歳は二十歳」
娘さんはそう自己紹介を返す。
俺はその自己紹介を聞き、ニヤリと笑みを浮かべて娘さんを見遣る。
「ほう、アンタ、ハタチなのか。……なら、酒が飲める歳だな」
「……ええ、お酒は大好きですよ?」
杏子は俺に不敵な笑みを返した。
「で、話を戻しますけど、これ、何の集まりなんですか? 皆さんレイヤーさん?」
「いや違うよ杏子。この人達はね、世界を護る英雄なんだ! しかも、ホンモノのね!」
「お父さんはちょっと黙ってて」
大家さんはシュンとなった。
「いや、アンタ、えっと杏子ちゃん? こいつら、マジもんの異世界人なんだよ。コスプレじゃないんだ」
「……はぁ、何言ってんですか、いい歳の大人が」
「歳は関係ねーだろ!」
30過ぎの俺は歳の話題には敏感だ。
「ところでコタローよ、コスプレとは何かえ?」
「あー、コスプレっつーのはな、なんつーかアレだ。『ごっこ遊び』だな」
「ちょっとあなたッ! 聞き捨てならないわね! コスプレは、ごっこ遊びじゃありません!」
杏子が急にいきり立つ。
「コスプレは愛情表現ですッ!!」
「……お、おう」
俺は杏子の様子に引き気味になった。
「ハッ!? コホン。……と、とにかくッ! 異世界なんて、アニメの中だけの話です、……まぁ、あったらいいですけど。そして、コスプレなら私も混ぜてください!」
「いや、娘御よ。私たちはその『コスプレ』とやらをしている訳ではないのだ」
どうやら杏子は異世界について全然信じていないようだ。
まあそりゃそうか。
「ギニ゛ャアアアァァーーーーッ!!」
その時、リビングから恒例となりつつある来客の声が聞こえた。
「きたよ、きたよ、きたよ、きたよーッ!」
大家さんのテンションがいきなり跳ね上がった。
「お、ちょうどいいタイミングじゃねー?」
「うむ、そうだな」
俺は杏子を振り返り話しかける。
「まあ、論より証拠だ。ともかく一回みてみろ」
「えっと何をですか? それより、今の大きな声は?」
「いいから、いいから。リビングにいくぞ。ちゃんと酒持ってこいよー」
俺の手元で缶ビールが「カコン!」という軽快な音を立てる。
俺はプルタブを押し開けた缶ビールをグイッと煽った。
「んく、んく、んく、ぷはぁー!」
「お、いい飲みっぷりだね、コタローくん」
「コタローよ、妾にも缶ビールを早よぅ寄越さんか」
「ああ、ハイジアもビールか?」
「何をぼうっと突っ立っているんだ? 杏子も早く座りなさい」
「あ、大家さんの分のビール、ここ置いときますよ」
俺たちは進入禁止の柵の内側で酒盛りをはじめる。
今日の肴は刺身五種盛りだ。
「な、な、な、な……」
「な?」
「なんなの、これーーーッ!?」
杏子がだだっ広いリビングに目を点にして叫んだ。
「やかましい小娘じゃのう」
「杏子、いいからこっちに来て座りなさい。早くしないと始まってしまうよ」
「あ、大家さん。今日の魔物は何なんすか?」
「ッ、リビングは?! ここ、リビングじゃないの?!」
「あのモンスターは、……ケットシーだろうね」
「ケットシー?」
「ああ、間違いない。ケットシーはね、猫の王様といわれる北欧の妖精のことだよ」
「だからッ、何で普通に飲み会はじめてるんですかッ!?」
「……ほんにうるさい小娘じゃ。貴様、あまり騒ぐでない」
今日も魔物退治観戦は盛況だ。
「ニ゛ャア゛アアァァーーーッ!!」
王冠を被った二足歩行の猫が大きな声で威嚇する。
ケットシーに相対するは女騎士マリベルだ。
「お、皆! 始まるよ! 杏子も早く座りなさい!」
「がんばれよー、マリベルー」
「だから、誰か、私の話を聞いてくださいッ!」
「ッ、んく、んく、ぷはぁ。ふむん、ビールも中々良いモノじゃのぅ」
「ははは、ハイジアもいい飲みっぷりじゃねーか」
俺たちが見守る中、ケットシーは四つ脚になってピョコピョコと音を立てながら、マリベルへと突進を始めた。
「お、おう。なんかあの生き物、なんつーか、マジ可愛くないか?」
「うっわ、生ケットシー、可ぁ愛いいねぇ!」
「……ふ、ふん。あの程度の魔物は、夜魔の森にも仰山おるわ」
「も、もう、誰か聞いてよぉ、……ぐすん」
マリベルはケットシーと突進をサイドステップでヒラリと避ける。
と同時に、すれ違い様の一撃をケットシーに向ける。
「うおー、やめてやれー、マリベル、アンタは鬼かーッ!」
「ちょっと、酷いよ、マリベル殿!」
俺と大家さんはマリベルに罵声を浴びせる。
だが俺たちのその声を聞くまでもなく、振るわれた剣は既にピタリと動きを止めていた。
「……くっ!」
マリベルは苦しそうな声を漏らす。
ケットシーに何かされたのだろうか。
マリベルの横を通り過ぎたケットシーは、方向転換し、再びマリベルに襲い掛かる。
マントを靡かせ、「シャー!」と威嚇の声を出すケットシーはとても可愛い。
「……く、ダメだ。私では、……私では」
マリベルはケットシーの熾烈な攻撃の前に防戦一方だ。
だがよく見れば、マリベルは猫パンチで顔を叩かれ「あう!」と声をあげながら、嬉しそうな顔をしている。
「マリベルー、真面目にやれー!」
「そうだ、そうだ、私と変われーッ!」
「くすん……誰か聞いて、……って、もしかしてあのニャンコ」
カランと音を立てて、マリベルの剣が地に落ちた。
マリベルは顔をあげ、天を仰ぎながら言う。
「……くっ、私の負けだ。殺せ」
竜殺しの聖騎士マリベル。
常勝無敗のその女騎士、初の敗北であった。
「て、おいぃぃ?! マリベルが負けたぞ!?」
「ならば、次は私がッ!」
「いや、あんなん相手でも、たぶん普通に死ぬから! あ、ハイジア、アンタは行けるか?」
「…………妾にも、どうにも出来んことはある」
「なら、どうすんだよ?! 見た目可愛くても、あの猫、かなり凶暴だぞ!」
俺たちはマリベルの敗北を受け、テンヤワンヤする。
「……私が、いきますッ!」
柵を飛び越えて、いきなり杏子が走り出した。
「って、ちょっ、おま! ええええええーーッ?!」
杏子はまっすぐケットシーに向かって駆けていく。
俺は腰を上げ、柵を乗り越えて杏子を追いかけた。
つーか、この親娘は魔物に向かって駆け出す習性でもあんのか!
「待てー! 止まれー! 杏子ーッ!」
俺は杏子の背に呼びかける。
「ニャッ?! シャアアァァァーーッ!」
ケットシーが杏子に気付いて口を開いた。
杏子がそのケットシーに握った拳を突き出す。
「ええいっ!」
杏子がケットシーに拳を叩きつけた!
……かの様に見えた。
「はい、どうぞ、ニャンちゃん」
杏子は握った手を開く。
その手には今日の肴の主役、鯛のお刺身が握られていた。
「ゴロニャーン」
ケットシーは猫なで声で杏子へと擦り寄った。
俺たちはコタツ部屋で酒盛りをする。
そんな俺たちの輪の中に、見慣れない猫が一匹混ざっている。
「なんつーかまぁ、腹が減って、気が立っていただけとはなぁ」
その猫は先ほどのケットシーだ。
今は二足形態はやめて、普通の猫の姿になっている。
「おー、よちよち、こっちおいで、ニコー」
「ほう、随分アンズに懐いておるのぉ」
「わ、私も撫でていいだろうか?」
マリベルはオズオズと猫に手を差し出す。
だがケットシーは「シャー!」と鳴いてマリベルの手を引っ掻いた。
「な、なにゆえ?!」
「たぶん、第一印象が悪かったんじゃねーのか?」
「それもそうだね。マリベル殿は剣を向けてケットシーと対峙していたしね」
「そ、そんな……」
マリベルは絶望に打ちひしがれる。
「それはそうと杏子ちゃん」
「はい?」
「『ニコ』ってのは、そいつの名前か?」
「あ、はい、そうです。ニャンコのニコ」
「なんつー安直な」
「まぁ名などそれで良いではないか、のぅニコ」
そう言ってハイジアがニコを撫でる。
ニコはマリベル相手とは打って変わって「ニャゴローン」と甘えた声をだした。
そんなニコとハイジアの様子に再びマリベルが「そんなー」と情けない声をだす。
こうしてお隣さん家に、新たな住人?が加わったのであった。
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