虐殺前夜

「というわけで本日の主役の迷依ちゃんです! ふふーん!!」


 いつの間に用意したのか、『 主 役 』と馬鹿みたいにでかい文字で書かれたタスキを装備して椅子に座っている迷依に、来瑠は心底うんざりした顔を向けた。

 しかも何が癪かって、今回ばかりはこいつを邪険にもできないことだ。

 少なくとも自分と風花がこうして元鞘に戻れたのには迷依の無神経な猪突猛進ぶりの恩恵がかなりある。


 ましてや、ただ元鞘に戻っただけではないのだ。

 あの時、あの場所で――面と向かって想いを交わし合って。そこで、声枯らしの君と高嶺来瑠の関係性は明確に変化した。

 今までああだこうだと理屈をつけて越えていなかった一線を、とうとう来瑠が踏み越えた。


 自分は、火箱風花のことが好きだ。

 ふーちゃんのことが、好き。

 友達としてでも、標的としてでも、玩具としてでもなくて。

 ――ひとりの女の子として、好きなんだと。遅まきながらに理解した。


「パック寿司と惣菜の唐揚げでそんなにパーティー気分になれるの、私たまにあんたのことが本当に羨ましくなるよ」

「えへへ……。私は来瑠さんには全然なりたくないですけどね。めんどくさいし、いつか刺されそうだし」

「箸でも人は刺せるって知ってた?」

「ひんっ」


 いつもより気持ち弱めの力で太ももに箸をぐりぐりしてやると、迷依は目を><←こんな感じにして涙目になった。

 そんな二人の姿を、風花はにこにこしながら見つめていて。


「でも、私はちゃんと迷依ちゃんに感謝してるよ。

 迷依ちゃんが私をあの場所に呼んでくれなかったら、くーちゃんと仲直りできなかったかもしれないし」

「……! 呼び方が元に戻ってるー!

 やりました! 好感度リセットイベントの挽回に成功、です!」

「……あっ。ご、ごめんね、くーちゃん。つい……」

「えっ? つい?」


 ばつが悪そうな顔の風花と、「まさか」という顔の迷依。

 二人に同時に視線を向けられた来瑠は、深いため息をついた。


「……いいよ。ふーちゃんの好きに呼べば」

「お……おまえかー! 風花ちゃんをよそよそしくした元凶はおまえかーっ!!

 わ、私がどれほど……一体どれほどあわあわおろおろしたと思って……っ!!」

「えへへ、じゃあ……迷依ちゃんで。ありがとうね、迷依ちゃん」

「風花ちゃんはもう少しこの暴君ジャイアンから自立するべきです!! 今は声をあげていく時代ですよ、風花ちゃん!!」


 わしゃーっ! と抗議する迷依(※怒りながらも器用にえびの握りを口に放り込んでいる)に、風花はにへらと笑った。

 来瑠は、彼女と顔を見合わせる。

 なんだかえらく騒がしくなってしまった。

 自分たちは永遠にふたりきりでいいと思っていたのに、とんだノイズが入り込んできたものである。

 ましてやそのノイズが自分たちの仲を繋いで一歩進めた功労者だなんて、若干どころでなく頭がくらくらしてくるものがあった。


「そういえばあんたさ、泊まんないんだって?」

「ん。はい、ごはん食べてちょっと遊んだら帰りますよ」

「だいじょうぶ……? 夜も遅いし、その――」


 風花は、そこで言い淀んだ。

 迷依の身にあったことは来瑠だけでなく風花も知っている。

 あの妖怪のような女教師に負わされた傷はまだ残っているだろう。

 "性"の傷は付くと長いのだ。来瑠はそれをよく知っている。かつて来瑠は、それを誘導してやったことがあるから。

 迷依は、「てへへ」と少し力のない笑顔を浮かべた。

 それは、彼女の中にまだ塞がらない傷が残っていることを意味していたけれど。


「大丈夫です。今日はお父さんに行って、帰り迎えに来てもらうので」

「あ……そっか。そういうのもあるよね、なら安心だね」

「はい! 私のお父さんは自衛隊で教官さんをやってるんですよ。

 ふふん。変なやつなんてフルアクセルで踏み込んでいちころです!」

「うん、自衛隊関係ないね」


 事情は明かせなくても、怖いならその時は家族を頼ればいい。

 迷依が風花の問いに対して示した答えは、そんなよくよく考えれば当たり前のことだった。


 ――そっか。普通はそうなんだよな。


 来瑠はそれを聞いて、ふとそんなことを思う。

 それが普通なのだ。子どもなんだから、怖いときや辛いときは家族を頼るのが普通。

 両親が死んでいたり。親との関係が致命的なまでに断絶してしまっていたり。

 そういう境遇にあるこっちの方が世間的に見れば珍しいのだと、改めて常識に立ち返る。


(そういえばあいつ、迎えにだけはよく来てくれたっけ)


 日の沈みが早い季節になってくると、父はよく来瑠を迎えに来た。

 傍から見るとヤクザ者の愛馬にしか見えない真っ黒な外車に乗って校門前に停めるので、本当に恥ずかしくて仕方なかったのを覚えている。

 こういうところでは父親ヅラか。

 そんなもので世間体を保ててるつもりなのか。

 なら残念。お前の愚痴なら毎日のように私が撒き散らしてるから何やったってお前の株なんて上がらないぞバーカ――そんな風に、あの頃は思っていたけど。


 でも、今思うと。

 あれは――


(……私、あいつに守られてたのか)


 来瑠にとっての父は、いつも冷たくて自分勝手で、家庭やまして子どものことなど顧みようともしない男だった。

 あの男が自分のために何かしてくれたことなんて一度としてありはしなかったし、これからもないのだろうと思っていた。

 だからそのことに気が付いたのは、本当にたった今のことで。

 そんなたった一つの加点要素じゃ今までに付いた減点を帳消しにするなんて到底無理だけど。

 それでも。

 それでも――


「……むかつく」


 もしかしたら自分は、あの男のことを一面からしか見ていなかったのかもしれない。

 あいつにはもっと違う、自分の知らない顔があったのではないか、と。

 そう思った。そう思うとなんとなく、父に借りを作ってしまったような気がした。

 もちろん返す手段はない。高嶺龍櫻を殺したのは、他でもない高嶺来瑠だから。


「もぎゅっ……!? ひ、ひーーーーん!! からーーーーーい!!!」

「く、くーちゃん!? いつの間にわさび特盛りの爆弾お寿司なんて作ってたの……!?」

「うっさい。私の寿司なんだからどうしようと私の勝手」

「ふえぇぇえええん……。風花ちゃんこんな人とは今すぐにでも別れた方がいいですぅ……」


 わさび特盛りたまご握りを食べてべそべそ泣く迷依の肩をよしよししながら、風花は困ったように苦笑いする。

 いつの間にかちゃん呼びになっていたところ辺りで気付いたことだが、風花は迷依にかなり甘い。

 来瑠としてはもちろん面白くないのだが、今日のこの場は少なからず迷依の功績なのも事実だったし、何よりこの小動物にいちいち本気で嫉妬するというのは子猫や子犬のいたずらに殺意を向けるようななんだかすごくカッコ悪いことのように思えてならなかった。

 ……絆されてるとかはない。たぶん。私に限ってはない。

 そう言い聞かせつつ、手元のウニ(※好物。迷依&風花のぶんも先に回収してある)を口に運んでもにゅもにゅ咀嚼する。


「でも、ほんとによかったです。なんとかなったんですよね? ふたりとも」

「……うん。ね、くーちゃん」

「……まあ、ね」

「え? なんですかその絶妙な間。もしかしてまたちゅーしたんですか?」


 ぶっ、と思いっきり吹き出しそうになって噎せてしまう。

 ごほげほっ……と咳を繰り返す来瑠を見て、迷依は目をキラキラさせて口元を緩ませた。


「お、おぉ~……! 分かってるつもりでしたけど、やっぱり来瑠さんと風花ちゃんって"そういう仲"なんですね!」

「……うっさい。黙れ。またわさび寿司食わすよ」

「遂に来瑠さんも素直になれたみたいで、私も恋のキューピッドとして冥利に尽きます。はあああ、なんだか感慨深いなぁ……」

「あんた元は私らのことを結菜に売ろうとしてたでしょうが」

「あいたっ」


 ぽこん、と迷依の頭を軽く叩く。

 ……本当に、まさかこいつがこんな重要人物になるなんて思ってもみなかった。

 最初はただの鉄砲玉だと思っていて、いつかはついでに消したいくらいに考えていたのに。

 なのに今は、迷依がいるおかげでこうして風花と過ごせるようになっている。

 そしてなんとなく、前ほど邪魔に思えなくなっている自分がいるのがとっても癪だった。


 ――まあ、こいつに関しては……もうしょうがないか。


 来瑠は、ちらりと風花に視線を向ける。

 風花も少し困ったように笑って頷いた。

 たぶんこいつは、とても運がいいのだと思う。

 馬鹿だし、アホだし。あんなことがあった日でも人生ゲームで本気ではしゃげるようなあんぽんたんだけれど。

 

 でも、少なくとも。

 もう火箱風花は、そして高嶺来瑠も、泡野迷依を殺せない。

 その程度には情が湧いてしまったし、恩もできてしまった。


「あんたさ。何時に帰るの」

「ん。んー……いていいなら九時くらい。でしょうか。

 あんまり遅いとお父さんがお酒飲めなくなっちゃいますから」

「ふーん。じゃあ、……まあいいよ。それまではあんたに付き合ってあげる」


 話さないわけにはいかないだろう。

 今まで、正確には伝えていなかったいろんなこと。

 そして、これから自分たちがやろうとしていること。

 全部伝えなければ、この仔羊も"それ"に巻き込まれることになる。

 命は助かっても――きっとこいつは、かけがえのないものを失くすことになるだろうから。


「最後にさ、ちょっとだけ話あるから」


 それは。高嶺来瑠という人でなしの少女が、愛する声枯らしの君以外に対して見せた……いつぶりかの優しさで、思いやりだった。



◆◆



 それから、来瑠達と迷依ははちゃめちゃに遊んだ。

 家にあった格闘ゲームで対戦したり、ボードゲームではしゃいだり。

 最初は子どもの遊びに付き合ってやるか、くらいの気持ちだった来瑠だが、しかし知っての通り彼女はプライドの塊である。

 要するに負けず嫌いなのだ。おまけに来瑠はとんでもなく――少なくとも三人の中では一番ゲームが下手だった。


 だから途中からはムキになって真剣にやって、遂には本気の台パンが飛び出し拳を痛める羽目にもなった。

 人生ゲームでは風花は石油王の伴侶になり、迷依が政治家になって世界を股に活躍する中、来瑠はパチンコ中毒になって毎朝闇金に通い詰めては借金を膨らませ続ける債務者になっていた。

 ちなみに迷依の子ども達はみんな良い子で母の日にカーネーションを贈ってくれていたが、来瑠の子どもは16歳で全身にタトゥーを入れて暴走族に入り、そのまま鑑別所に行ってしまい、出所後は刑務所を転々としながらヤクザの鉄砲玉をやり死んでしまった。

 唖然としているところで迷依が「ぷっ」と噴き出しつつ言い放った「来瑠さんってどこに行っても人生詰んでますね(笑)」の言葉はゲームを中断してのおしおきタイムを開幕させたが、最後の最後になんとか仮想通貨の詐欺で一山当てて迷依を最下位に突き落とすことには成功した。


 格闘ゲームの方はと言えば、風花がオンライン対戦の最高ランクだったことが明らかとなり来瑠たちをざわつかせた。

 こっちは来瑠はおろか迷依すらさっぱり歯が立たず、途中でゲームを中断して二人で作戦会議を始める羽目になった。

 最後の最後にHP1+最弱キャラ+移動速度デバフの三重ハンデをつけてようやく一勝もぎ取ることができ、来瑠達は火箱老人が「なんじゃ。出産でもしたんか」と覗きに来るくらいの歓声をあげてしまった。


 ――そうこうしているうちに時間は過ぎ、気が付けば夜の8時半を過ぎていた。

 楽しかったな、とそう思っている自分がいることに来瑠は驚いた。

 思えば、迷依の有無を抜きにしても風花とこうやって本気で遊んだのは初めての経験だった。

 それがこんなにも楽しくて、こんなにも楽しいものだったなんて。もっと早く気が付けばよかったなと、口には決して出さないが思ってしまう。




 ……でも、そんな時間もそろそろ終わりだ。

 コントローラーを片付けて、風花と顔を見合わせる。

 風花が頷くのを見てから、来瑠は口を開いた。


「あのさ、迷依。あんた、ふーちゃんの"力"のことは信じてるの?」


 曰く、声枯らし。

 声を枯らす声。

 未だ、その力の実像は来瑠には分からないけれど。

 このことについて、一応迷依には触りだけ話してあった。

 だが本気で彼女がその説明を信じたとは思えなかった。

 当然だろう。声ひとつで人を殺せる力なんてものが実在するのなら、世界中のお偉方はこぞって小難しい兵器を開発などしていないのだから。


「大丈夫だよ、正直に言って。くーちゃんも私も、怒らないから」

「……じゃ、じゃあお言葉に甘えて。正直、何言ってるんだろ……って思ってました。

 いろいろつらくて、そういう設定を作ってなんとか現実逃避しようとしてるのかな、とか」

「ま――無理もないよ。私もたぶん、実際に目にしてなかったら絶対信じられないし」


 けれど、風花の力は本物だ。

 まごうことなき、本物なのだ。

 彼女の声は、人を殺す。

 彼女の声で、人が死ぬ。

 来瑠はその光景を二度、見ている。

 そして風花は、その声で何十人という人間を殺している。


「でもね、これは本当の話」


 声枯らしは、現実に存在する"呪い"だ。

 そして同時に、来瑠達にとっての"福音"でもある。


「ふーちゃんの声は、人を殺せる」

「……でも、そんなの――あまりにも、じゃないですか。

 それにあの人……八朔先生は、死んだりしませんでしたよ」

「あの人は例外。なんでかは分からないけどね……でも対策はもう考えついてる。

 実例は――そうだな。この間心臓発作で死んで体育倉庫のそばで見つかった、生徒指導の郷田。覚えてるよね」

「……はい。覚えてます、けど」


 続きを言おうとした来瑠に、風花が割り込んだ。

 殺人の咎を、愛する彼女に背負わせたくなかったのかもしれない。


「郷田先生はね、私が"声"で殺したの」

「……、……」

「そしてくーちゃんのお父さんも、私が殺した」

「――本気で、言ってるんですか」

「うん。そして、私達は……」


 でも、そうはさせない。

 風花の言葉を、今度は来瑠が遮った。

 これは自分のエゴで、自分の決めたことだ。

 この責任までもを他人に渡す気は、来瑠にはなかった。



「――私達は明日、学校で大虐殺をやる」


 

 ひゅ、と。

 迷依の喉が音を鳴らすのを、来瑠と風花は確かに聞いた。

 

「私達が生きていく上で、あの学校はもう邪魔でしかないから。

 クラスメイトも、他の連中も、教師も……休んでる奴もなんとかして全員殺すつもり。

 そんでもって、あんたにも前に伝えた"敵"――詩述と結菜を殺す。もっともこいつらはたぶん"声"が効かないから、実力行使になるけどね」

「……っ。だ……駄目です! 駄目ですよ、そんなのっ!」


 迷依は、耐えきれなくなったように叫んだ。

 それもそうだろうな、と来瑠は思う。たぶん風花も同じだったろう。

 来瑠と風花にとって、あの学校はふたりの時間と日々を邪魔立てする"敵"の巣窟だった。

 でも迷依にとっては違う。あそこには友達がいて、愛すべき時間がある。

 だから、それを木っ端微塵に打ち砕いてぐちゃぐちゃになるまで蹂躙する来瑠達の決断は決して承服できるものではなかったのだ。


「そんな、そんなことしたら……みんな、死んじゃうんですよ!?

 みんなそれぞれの人生があって、がんばったことがあって、家族がいて……仲良しなペットだっているかもしれない。

 それを全部、ぜんぶ……殺しちゃうって言うんですか、おふたりは……!!」

「うん。それが、くーちゃんと私の未来のために必要だから。

 だから私達は明日、全部壊すの。何もかも全部、壊す。

 ……私達のために、みんなの幸せを踏み台にするの」


 ぎゅっと迷依が唇を噛んだ。

 彼女にとって、もう風花は友達だった。

 来瑠だって例外じゃない。いじめてくるからしっかり抵抗しているけれど、でも同じ卓を囲んでゲームで遊んだ相手は迷依の中ではとっくに"友達"だった。

 だから、分かってしまう。

 彼女達にとって、この決意がどれだけ堅いものなのか。

 こうまでして掴みたいふたりの幸せというのが、どれほど大事なものなのか。

 そして――この話を事前に自分に聞かせてくれたことが、どれほどの温情なのかも。


「迷依にはさ、たぶんふーちゃんの声はもう効かないと思うんだ。

 それに……まあ、恩もできちゃったしね。私も、積極的にあんたを殺す気はないよ」

「……なら、なんで。こんなこと、私に言うんですか」

「あんたさ、好美と仲良いでしょ」


 好美。好美ちゃん。

 その存在は、かつては迷依を思い通りにするための人質だった。

 迷依は友達に優先順位を付けるなんてことはしたがらないだろうが、それでも一位を付けるなら間違いなく彼女になるだろう、迷依にとっての特別な人。

 来瑠と風花が迷依へ計画を事前に打ち明けたのは――この好美の存在故のことだった。


「あんたに免じて、あんたと好美だけは生かしてあげる。

 だから帰ったら好美に電話して、なんとかして明日は一緒に学校休みな。そしたら、あんた達ふたりは大丈夫だから」

「じゃ、じゃあ……! 他のみんなも、っ!」

「それは駄目。好美以外は、駄目」


 ぴしゃりと来瑠は言い切った。その声音は厳しく、まるで容赦がなかった。

 迷いのない瞳が、ただ真っ直ぐに迷依を見つめている。


 ――そう、これはあくまでも来瑠と風花のふたりの物語なのだ。

 迷依は、彼女達すら予期しない働きでそこに割り込んだけれど。

 それでも、歩みゆくふたりと共に歩めるほどではない。

 その行く先を変えることは、できない。

 泡野迷依が愛し合うふたりと一緒に居られるのは、此処までだった。


「……うう」


 迷依は、ぼろぼろ泣いていた。

 涙が止まらなかった。

 嗚咽は喉の奥からとめどなく溢れて、胸は痛いくらい締め付けられて、鼻水で顔はぐずぐずに濡れていた。

 明日――自分は、大事な友達をたくさん失う。大好きな学校を、失う。

 その事実に泣きながら、けれど迷依はふたりに問いかけた。


「ねえ。ねえ……そんなに、白黒つけるのが大事なんですか?」

「うん。そうじゃないと、私達は前に進めないから」

「……っ。そんなの、そんなの――極端すぎるじゃないですか。

 子どもの喧嘩でしょ、ただの痴話喧嘩でしょ。

 結菜さんたちか、風花ちゃんたちか……どっちか片方は絶対死ななくちゃいけないなんて、あんまりですよ。

 そんな、ヘンな漫画みたいな話――私の学校でやらないでくださいよ。ねえ、風花ちゃん、来瑠さんっ……!」


 その言葉に、風花は。

 そして、来瑠は。


「ごめんね」

「もう、決めたことだから」


 ただ、そうとだけ答えた。

 それだけで、それまでのことだった。

 それ以上は、もう何も言わなかった。


「…………ばか。

 ばかですよ、ふたりとも……。

 風花ちゃんも、来瑠さんも――小綿さんも小椋さんも、ばか。

 なんでそうなるんですか、なんでそんなふうにしかできないんですか。

 嫌いだから、気に入らないからって、殺すとか潰すとか……そこまでしなくたって、いいじゃん……」


 ぽか、と。

 迷依は、両手で来瑠と風花をそれぞれ叩いた。

 風花はもちろん、来瑠も今だけはやり返さなかった。

 それがまたなんとも言えず虚しくて、うぅ、と声をあげながら俯く。

 


「……みんな、仲良くすればいいのに……」



 その言葉は、和室の中に虚しく溶けて消えた。

 泡野迷依には、来たる大虐殺は止められない。

 止められないまま、仔羊は仔羊のままで舞台を降りる。

 

 ――みんな、仲良くすればいいのに。


 その言葉だけはほんの少し、来瑠と風花の心の中に爪痕として残った。



◆◆



 迷依は帰っていった。

 最後まで納得いっていない様子だったけれど、最後は車の前で立ち止まって振り向いて、来瑠達のほうに向かって思いっきり手を振ってくれた。

 ――最後まで、愉快なやつだったな。

 そんな風に述懐しながら、来瑠は「消すよ」と風花に呼びかけて、電気の紐を引いた。


 豆電球のわずかな明かりだけが照らす、薄暗い室内で。

 最初に口を開いたのは、風花の方だった。


「大丈夫だよ、くーちゃん」

「……なにが」

「私、もう大丈夫。ちゃんと、みんな殺せるよ」


 これまで。火箱風花は、クラスメイト達を殺せなかった。

 何故なら彼女達は、強くて自分とは遥かにかけ離れた高嶺の花だった来瑠を手の届く領域まで貶めてくれたから。

 その所業に対する歪んだ感謝の念が、声枯らしの力が正常に働くのを邪魔立てしていた。

 小綿詩述がそれを指摘して、結果来瑠と風花の仲は一度引き裂かれたが。

 だが――覆水が盆に返った今、その障壁はもはや過去のものとなった。


「くーちゃんのためなら、殺せる。

 詩述ちゃんと、あの子の友達をしてくれてる小椋さんは、まだちょっと難しいだろうけど」

「……いいよ。あいつらに関しては、この手で殺すくらいでちょうどいいと思ってるから」

「ごめんね。私がうじうじしてなかったら、もっと早く全部終わらせられてたかもしれないのに」

「ほんとにね。私も、まさかふーちゃんが弱ってる私を見て内心にっちゃり笑ってるとは思わなかったわ」

「……にっちゃりっていうよりは、ふへへ…って感じだったかなぁ」

「ふーちゃんって許されたと判断したら急に図太くなるよね」


 ぽこん、と頭を叩く。

 あうっ、と悶えた風花の手を、来瑠が握った。

 二枚の布団。隣り合った、褥と褥。

 そこで、愛し合うふたりが――触れ合う。


「そういえば、さっきおじいちゃんと話してたよね。何話してたの?」

「ふーちゃんの昔のこと。おかげで、今まで不思議だったことにはだいたい納得がいったよ」

「……えっ。おじいちゃん、全部話しちゃったの?」

「肝心なところは聞いてないよ。そこは風花に聞け、だってさ」

「そっか、よかった……。……いや、よくは全然ないんだけど。

 どうせ話すなら、私から話したいと思ってたから。

 ……っていうかおじいちゃんが話したの? おじいちゃん、ほとんどお話とかできないのに」

「え、マジで気付いてないの? あのおじいさんボケてなんかないよ。ぜーんぶ演技。その理由も、一応本人から聞いたけど」

「…………えっ。え? ぼけてないの?」

「あれでボケてるんだったら、認知症は社会問題になってないよ」

「――ちょっとお話してくるね。ごめんだけどちょっとまってて」

「おうおう待て待て。このムードからいきなり修羅場にしようとしないの」


 珍しく本気の顔をして布団から起き上がろうとした風花のほっぺたを掴んで引き止める。

 本人からすると本気の大問題なのだろうけど、しかし此処で風花に消えられては感情のやり場がない。

 なんとか引き止め終えるなり、来瑠はずい、と風花の方に身を寄せた。


「……ふーちゃんさ」

「うん」

「いいの?」

「いいよ」

「私のせいでさ、ふーちゃん大罪人になっちゃうよ。

 何十人も何百人も、私のせいで殺さなくちゃいけなくなる。

 ――嫌なら言って。それならやめるから」

「私、いいって言ってるよ。くーちゃん」


 ふふ、と笑う風花の顔は。

 いつになく――艶やかに見えた。


「くーちゃんのためなら、なんだってできるの」

「……あんたさ。なんでそんなに私のこと好きなの」

「だってくーちゃん、かわいいんだもん。

 かわいくて、格好良くて……きらきら眩しい太陽みたい」


 あの日。

 一年間の青い春が終わって、罪責の中を歩んでいた時間。

 それを切り裂くように現れた、高嶺来瑠という"花"を覚えている。

 あの日、黄昏の並木道で。自分の方を振り向いて、


 ――じゃあ、私がふーちゃんの友達になってあげよう!


 そう言った彼女の姿を、今も風花は色褪せることない記憶として覚えていた。

 今も風花は、あの日見た来瑠ひかりに恋い焦がれ魅入られている。

 だから、来瑠が望むのなら。

 彼女が微笑むために必要なら、なんだってする。

 なんだって、殺す。なんだって、踏み潰す。

 最初から、最後まで。決して揺らぐことのない、答えだった。


「私ね、くーちゃんといっしょにいたい」

「……、……」

「いつまでも、いつまでも。どんな関係でもいいから、ずうっといっしょにいたい」

「重いよ、ふーちゃん」

「だって重たくしないと、くーちゃんがどこかに行っちゃうかもしれないもん」

「……行かないよ。夕方、ちゃんとちゅーしてあげたでしょ」

「もっと」

「……、……なんて?」

「もっと、して」


 そう言って、風花は「とろり」と笑った。

 その顔に、来瑠は少しだけ目を逸らして、それから――はあ、とため息をついた。


「えっち。すけべ」

「……くーちゃんがかわいいのが悪いんだもん」

「面食い。結局顔が一番好きなんじゃん、ふーちゃんって」

「じゃあ、くーちゃんは私のどこが好きなの」

「……………………、…………顔」

「ふふ。くーちゃんの、面食い」

「うっさい」


 最近、どうにもこいつは調子に乗っている。

 ここらでひとつ、分からせてやる必要があるらしい。

 意を決して、来瑠は風花のか細い身体に覆い被さった。

 

「――いいよ。もっと、してあげる」


 はぁ、と。

 口から出た吐息は、自分のものとは思えないほど熱くて。

 目の前にある風花の顔が、今この瞬間もそしてこれからも自分だけのものだという事実に――頭がくらりとした。

 ふーちゃん。ふーちゃん。ふーちゃん。ふーちゃん。

 すき、すき、すき、すき――それが、ひたすらに暴走して。


「……来て、くーちゃん」


 ふたりのシルエットが、薄明かりの中で重なった。

 すき、すき。お互いこそが、お互いにとって世界で一番なのだと通じ合う時間が流れ出す。

 この時、ふたりの進む道と辿る結末は完全に確定された。

 水音ばかりが響く、褥の中で。

 ふたりは、ただ――ただひたすらに、愛し合っていた。



◆◆



『風花のことか』

『おう、ええよ。何やら覚悟の決まったような顔じゃ。頃合いとしちゃ十分じゃろ』

『ちゅーても、の。はてさて、どこから話したもんか』

『ああ、そうじゃ。まずはこっからだべ』

『正確に言うとの。風花の力はウチの血筋に憑いたもんとはちゃうねん』

『義娘の――辻瀬言う、四国から来た女の家が悪くての。

 犬神憑きで財を成した、けどもその代わりに末代まで永劫祟られる羽目ンなった阿呆の家よ』

『おれは止めとけっちゅうたんやけどな。

 明彦の奴と来たら、呪いは俺の代で断ち切る言うて聞かんくてなァ――』


『……長い話になる。麦茶でも汲んできてくれや、来瑠ちゃん』

『本当に……のう。色々あってなあ、風花の周りじゃ』



◆◆



 ――みんな、仲良くすればいいのに。

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