追憶S



『ごめんな』


 無機質な面会室でくしゃりと笑ったパパは、記憶よりもずいぶんと老け込んで見えた。

 金髪に染めていた髪の毛は丸刈りの坊主頭になっていて、それがなんだかとても寂しい。

 現場仕事でいつも真っ黒に日焼けしていた肌は長い勾留生活の中で白くなって、自分の知っている父じゃないみたいだった。


『こんな父親でごめんな。本当に、苦労ばっかりかけちまって』


 わたしはその言葉に、何も言えなかった。

 苦労していたのは本当だったから。

 学校でも家でも休まる暇がない。元々友達のいなかったクラスは好奇心と悪意の虫籠と化し、家はいつかかってくるか分からない無言電話と落書きや石を投げに訪ねてくる善意の第三者に怯えるばかりの空間と化して久しかった。

 ――人殺しの娘。――悪魔の家。

 ――お前らも死ね。――死んで罪を償え。

 そんな非難囂々の大合唱が、あの日からずっとわたしと母の世界を取り囲み続けている。


『……家族みんなで、もう一度幸せに暮らしたかったんだ。

 そのために、父さんは手段を間違えちまった。

 誰かの幸せを踏み台にして幸せになるなんて――踏み台にされた方は堪ったもんじゃないって、分かってた筈なのになあ』


 どこか遠くを見つめて話す父のその顔は、わたしの知らない何かを見ているようで。

 わたしは胸がきゅうっとなって、やっぱり何も言えなかった。

 じきに最後の裁判が始まる。こうして面会に来るのも難しくなるかもしれない。

 控訴審の時は父の精神状態が悪化して、なかなか会うことができなかった。またそんな風になったら大変だから、今日は時間いっぱい心ゆくまで話をしようと決めていた筈なのに。

 立ち会いの職員が「そろそろです」と小さく言う。

 何か喋ろうとして口を開いたが、父の言葉と被ってしまった。


『母さん、元気にしてるか?』


 こくり、と頷く。

 嘘だ。ストレス発散の深酒で心だけじゃなく身体の方も壊してしまって、今は隣町の病院に入院している。

 最近面会に来られていないのもそのためだ。でもそれを父に伝えてしまうのは、あまりに残酷に思えた。

 だから嘘をついた――すると父は、「そうか」と小さく笑って。


『母さんのこと、頼むぞ。

 父さんも……また家に帰って三人で暮らせるように頑張るから。

 二審の弁護士は解任したんだ。今度の人は過去に逆転無罪を勝ち取ったことがあるらしい。やっぱり若いのは口ばかり達者で駄目だな。てんで実力がない』


 そんなことを、言う。

 わたしはやっぱり頷くことしかできない。

 父が犯行当時の責任能力を理由に無罪を主張していることも、わたしたち家族への反感の高まりに一役買っていた。


『全部終わったら、また家族三人で楽しく暮らそう。

 沖縄あたりに移住すれば、事件のことを知ってる人間なんてきっと誰もいない。

 父さんは漁師でもやろうと思うんだ。母さんは料理が上手いんだし、定食屋でも始めたらいいんじゃないかな。

 父さん最近、暇さえあればこういうこと考えてるんだ』


 ――それは。

 それはなんて、素晴らしい夢。

 なんて、都合のいい夢。


『あっちの人たちは陽気だから、人付き合いが苦手なお前でもきっとたくさん友達ができるぞ。どうだ、楽しみだろ。なあ――嘉良』


 パパもママも、いつだって夢を見てる。

 それは幸せな夢。叶わなかった理想の夢。

 家族みんなで楽しく、何の悲劇もなく暮らす夢。

 その夢の中に、いつだってわたしだけがいない。


「……パパ」


 パパがいて。

 ママがいて。

 そして、


「わたし、詩述だよ」


 ――もういない、お姉ちゃんがいる世界。

 そこにわたしの席はない。

 小綿家は三人家族。四人目なんて、本当はいない。

 四人目のわたしが生まれてしまった時点で、もうそれは"理想の家族"ではないのだ。


 顔をサッと青ざめさせて言い訳をする父に、わたしは無言で背を向けた。

 本当に辛い思いをすると、人は涙すら流せないのだとあの時初めて知った。

 こんなみじめな気持ちになるなら、生まれてなんかこなきゃよかった。

 その気持ちが、今の今までずっと続いている。

 わたしは――追憶かこに、呪われている。


 今も。

 そして、これからも。

 ずっと。



◆◆



 たすけて。



◆◆



 雨が降ってきた。

 思わず舌打ちのひとつもしたくなる。

 こんなことなら傘の一本でもひったくってくればよかったと思うが、今から戻って傘だけ盗ってくるというのもお笑いだ。

 コンビニで適当に買うしかないか。そしてその後は……どうしようか。


「……自分の体型が恨めしいですね」


 窓ガラスに写る自分の背格好を見てため息をついた。

 150cmにも届かない低身長に、年齢よりも幼く見られる顔立ち。

 ネットカフェやカラオケボックスで夜を明かそうにもこれでは間違いなく受付で弾かれるだろう。いや、そもそも今時は歳に関わらず身分証の提示が求められるようになっているのだったか。

 夜、カラオケに行こうと結菜を誘った時、そんなことを言われた気がする。

 詩述はネットカフェもカラオケも行ったことがない。まず行く相手がいなかったし、お金もなかった。

 風花も歌ってはしゃいだりするタイプではなかったので、結局この歳までネカフェ/カラオケ処女を捨てられていない。


 時間はまだ十七時半ばだが、季節も季節なので既に辺りは暗くなっている。

 荷物まとめて出てきたのだから素直に家に帰れば良さそうなものだが、……今は帰りたくなかった。


 ――ニュース速報です。

 ――本日法務省は、死刑囚二名の刑を執行したと発表しました。

 ――執行されたのは、……死刑囚と。

 ――強盗殺人の罪で死刑が確定していた小綿正志死刑囚の二名です。


(なんで、教えてくれなかったんだろ)


 テレビでなんて、知りたくなかった。

 朝起きてからずっと触っていたスマートフォンには、どれだけ探しても母からの連絡は一件も届いていなくて。

 ニュースを見て送ったメールも未だに返信はおろか開封すらされていない。電話にも出ない。

 まるで、家族じゃないみたいだ。

 今からでも家に帰ればお母さんに会えるかもしれない。

 話を聞けるかもしれない。もしかしたら連絡がなかったのも何か事情があっただけで、それを自分が勝手に悲観していただけなのかも。家を出てクラスメイトの家に転がり込んでいたのは自分の方なのだし、そういう可能性だって十分あり得るだろう。

 それに、もしかしたら――まだ、父の死に顔を見れるかもしれない。

 火葬される前、最後の最後に。一目でも顔を見られるかもしれない。


 ――こわい。

 ――おうちに帰るのが、こわい。


 何事もなかったかのようにいつも通り接されるならまだいい。それはきっと耐えられる。

 でも、もしも。もしも……あの日の父と同じ、『しまった』という風な顔をされてしまったら。

 わたしという家族の存在を忘れていた、そんな顔をされてしまったら――その時はきっと、耐えられない。

 自分という人間が今度こそ壊れてしまう確信があったから、どうしても家路につくことができなかった。



 傘を差して、家とは反対の方に向かう。

 先にあるのは繁華街だ。補導のリスクがあるのは百も承知だ。

 それでも今は、とにかく眩しくて喧騒に溢れたところに居たかった。

 光があって、声があって、人がいるところがいい。

 ゆらゆらと歩く自分の姿が、再びガラス戸に写った。

 情けないくらいおぼつかない足取りで、思わず吹き出してしまった。



 ――がんばったんだけどな。


 風が強くなってきて傘が裏返る。

 安物のビニール傘の宿命だった。

 なんとか戻して歩くも、服はもうびしゃびしゃ。

 季節も相俟ってとても寒い。身体が、小さく震えている。


 ――好きになってもらえるように、がんばったんだけどな。


 できる限りいい子でいるようにした。

 勉強は人一倍したし、寂しくても文句なんて一言も言わなかった。

 あれがほしいこれがほしいとわがままも言わなかったし、嫌いな食べ物だってぐっと我慢して喉の奥に流し込んだ。

 でも、あまり可愛げがないのも良くないかなと思って。

 当時大好きだったアニメを参考に、喋り方も工夫した。


 ――そんなにお姉ちゃんがいいのかな。

 ――わたし、そんなにかわいくなかったかな。

 ――言ってくれれば、もっとがんばったのにな。


 小さな妖精と一緒に日常の小さな事件を解決してまわる女の子。

 『まじかる探偵シャーロキアン』。

 自信過剰でミスが多くて、でも最後には事件をびしっと解決してしまう名探偵。

 おっちょこちょいでどこか抜けていて、なのに不思議と誰からも愛される主人公。

 アニメの最後は今でもよく覚えている。

 過去一番の大事件を解決してへとへとになりながら帰った名探偵を、長い海外出張から帰ってきた両親が出迎えてくれるのだ。

 今までどんな失敗をしても一度も見せなかった涙を流しながら、主人公が両親のもとに飛び込んでいく――エンディングが終わった後にそんな一幕が流れて、半年ばかりの放送が終わる。


 リアルタイムで見たのがちょうどその回だった。

 それから、家のパソコンで今までのお話を全部見た。

 "みんな"に愛されるあの子になるために。

 "家族"に愛される、あの子になるために。


 ――シャーロキアンには、なれなかったな。


 シャーロック・ホームズなんて読んだこともない。

 小綿詩述の原典オリジンはシャーロキアン。

 ホームズに憧れて探偵ごっこを続け、遂には本物の名探偵になったあの子。

 ホームズのまがい物の、そのまたまがい物。それが、小綿詩述の正体だ。


 でも、まがい物は所詮まがい物だった。

 家族には愛されず。

 いなくなった姉の"代わり"にすらなれず。

 あの子みたいに人を助けてつくった友達は、詩述のもとから離れていった。

 シャーロキアンの真似をしながら生きて、あの子なら絶対にしないようなことばかり繰り返して。

 そうして今、小綿詩述の隣には誰もいない。

 たったひとりだ。初めてあのまじかる探偵に出会った時から、何も変わっていない。


 風が吹いて、傘がまためくれ上がった。

 閉じようとしてもうまく閉じられない。

 見れば、骨が何本か折れてしまっているようだ。

 煩わしくなって、そのままビルの隙間に投げ込んでやった。



◆◆



『いいえ、あなたは間違っています――ジェームズ・モリアーティ!』

『嫌いだから、要らないから。そんな理由で誰かを切り捨てていたら、その先に待つのはあなたひとりきりの世界です』

『このシャーロキアンの前に何度も何度もうんざりするほど立ち塞がり、そして今この"最後の事件"を差し向けてきたあなた!

 わたしの宿敵ライバルであるあなたがそんな寂しい世界にひとり消えてしまうなんて、そんなの絶対認めません!』


『誰かに愛されたいと願うのなら――まずはあなたが、この世界を愛せるようになってみなさい!』



◆◆



『小綿、お前の父ちゃん人殺しなんだってな』

『俺らと同じくらいの子ども殺して金盗んだんだろ?

 母ちゃんが言ってたぜ。そんな子と同じ学校に通わせたくないって』

『お前とお前んちのクソババア、なんでまだ生きてんの?』

『悪いことした奴は生きてちゃいけないんだぜ』

『お前の父ちゃん死刑になんだろ? だったらお前らも死ねよ。おんなじ人殺しの血流れてるんだから』

『ほら、死ねよ。見ててやるから飛び降りろって。

 死ーね、死ーね、死ーね、死ーね、死ーねっ』

『死ーね、死ーね、死ーね、死ーね、死ーね、死ーね…………』



◆◆



【強盗殺人】N市Y町小学生兄妹強殺事件総合スレpart88【子供殺し】

97:社会派な名無しさん 20XX年XX月X日 0:05:33 ID:sied34g5fs

とりあえず鬼畜一家の晒しまとめとく


・小綿正志

<顔写真>

 父親(被告)。現在公判待ち。

 元は田母神建設で勤務してたドカタのDQN。

 昔は暴走族に所属。インスタで家族の顔も名前もセルフ開示してたバカ。

 子殺し疑惑あり。長女の小綿嘉良ちゃんが20XX年現在も行方不明


・小綿叶恵

<顔写真>

 母親。元々は『アフロディテ』で勤務してた風俗嬢。

 こいつも当然DQN。父親同様に子殺し疑惑あり。

 近隣住民「ヒステリックで話が通じない」「ゴミ出しのルールも守らない。とにかく声のデカい下品な女」(ソース不明)


・小綿詩述

<顔写真>

 次女。現在小学生。

 古都里小学校に通っているが事件のことでいじめられている(ソース不明)?

 バカ夫婦の娘の割には頭は良いっぽい。去年の全国テストで12位←もしかして不倫産?


101:社会派な名無しさん 20XX年XX月X日 7:27:55 ID:6RCmmsokeh

>>97

まとめ乙

だけど娘まで晒すのは違くね?むしろバカ親持った被害者だろ


102:社会派な名無しさん 20XX年XX月X日 7:39:23 ID:Vk2AVgIWsS

>>101

こいつの親に殺されたのも子供なんだから妥当


108:社会派な名無しさん 20XX年XX月X日 7:43:24 ID:M5btnrTTMW

まあ賛否あるとは思うけど俺も娘も同罪派かな。

子供いる身としてはこのバカ夫婦のガキなんかと絶対関わってほしくないからキッチリ晒して世間に周知させてほしいわ。


115:社会派な名無しさん 20XX年XX月X日 8:32:29 ID:d7CpDaZOGW

犯罪者の家族の人権考える前に被害者の無念とか考えたら?


116:社会派な名無しさん 20XX年XX月X日 8:37:32 ID:rt9pyRsNkq

DQN一家に練炭送ってあげたいから住所特定はよ


122:社会派な名無しさん 20XX年XX月X日 9:04:12 ID:yW7i5hgMKy

>>116

もうとっくにされてるぞ

part21の>>420見ろ



◆◆



『はい、シャーロキアンを演じさせていただいたのはとても楽しい経験でした。

 作品の性質上、子ども向けアニメなのに長尺の台詞が結構多いじゃないですか。

 メインの視聴層である子どもたちが聞き取りやすいように配慮しつつ演じなきゃいけなかったので、大変でしたけどすごく勉強になったんですよね』

『あ。でも、作品のオチにはちょっとだけ不満……っていうか、うーんって思うところがあって』

『最終回で、シャーロキアンがモリアーティを見逃すじゃないですか。

 世界を愛せるようになったらもう一回来なさい、何度でもあなたの挑戦を受け入れます、って。あれ、ちょっとどうなのかなって思ったんですよね』

『だって、モリアーティが改心しなかったらまた事件がたくさん起きるかもしれないでしょ。

 あそこは絶対、シャーロキアンはモリアーティを捕まえて警察に突き出すべきだったよなーって思うんです。

 まあ、いまいち私がモリアーティっていう敵キャラのことを好きになれてなかったからそう思うんでしょうけどね(笑)』


『でもそうじゃないですか? やっぱり因果応報って、何事においても基本ですよ』

『悪いことした人には、きちんと報いがあるべきじゃないかなって私は思います』

『現実もそうであってくれればいいんですけどね(笑)』



◆◆


 

 なんだかふらふらしてきた。

 繁華街は雨の日でも元気だ。

 傘を差しながら、往来を沢山の人が行き交っている。

 そんな中では、自分のように制服姿の女もそこまで珍しくなかった。


「さむ……」


 思わず呟きながら、ふと目に入った小さな小さな公園に足を向けた。

 繁華街の一角にぽつんと置かれたそれは、公園というよりも整備された空き地というような印象を受ける。

 申し訳程度に滑り台と砂場は設置されていたが、言ってしまえばそれだけだ。


 もう全身、どこもかしこも濡れている。

 まさに濡れ鼠だ。荷物の入ったバッグも台無しになってしまった。

 公園の隅、木の下に屈み込んではあっと息を吐いた。

 呼気が白い。道理で寒いわけだ。こんな時期に雨ざらしだなんて、風邪を引いてしまうかもしれない。


 ――どうしようかな、これから。


 この格好じゃ、コンビニでも通報されそうだ。

 確か予報では、明日の昼頃までずっと雨だった筈。

 困った。服を乾かせそうにない。必然明日の学校も、行けそうになかった。

 

 スマートフォンを起動して、連絡先の一覧を表示する。

 家に電話をかける気にはやっぱりなれなかった。

 今になってもまだ何の連絡も来ていないこと。それは、発信を躊躇する理由としてあまりにも十分だった。

 火箱風花。その名前が、視界に入る。

 ――いっそ、電話でもかけてみようか。

 そんなことを一瞬思ったが、その時脳内に誰かの言葉が蘇った。



『――しのこそさ、気付けよ』

『他人に横恋慕して、そいつの今カノぶっ殺して無理やりモノにして』

『そんなやり方しといて――――最後の最後だけ都合よく元通りになんて、なれるわけないじゃん』



「……まったく。痛いところを突くものです」


 思わず苦笑が漏れる。

 金魚の糞のくせに。

 わたしが拾い上げなければ誰にも見向きもされなかったような、小さくて下らない端役のくせに。

 ずいぶんと痛いところを突くものだ。

 

 ――わかってるよ、そんなこと。

 ――わかってんだよ、そんなの。


 スカートが汚れるのも構わずに体育座りした、その膝の間に顔を埋める。

 火箱風花。風花ちゃん。わたしの、大好きな。たったひとりの友達。

 好き。大好き。この世の何を犠牲にしたって取り戻したい存在。

 邪魔な女は殺す。絶対に破滅させてみせる。風花ちゃんを穢すな。


『くーちゃんと私のことに口出さないで!!』

 

 ――あんなに誰かのことで熱くなる風花ちゃん。

 ――見たことなかったなあ。


 信じない。

 信じてやらない。

 そんなことはあり得ない。全部、端役の杞憂だ。

 ない脳味噌を無理やり使って絞り出した負け惜しみなのだから気にする必要なんてどこにもない。

 高嶺来瑠を倒せばすべてが丸く収まるのだ。

 風花ちゃんは自分のもとに帰ってきてくれて、今度こそ自分は間違うことなく彼女といつまでも一緒に楽しい時間を過ごす。

 きっとそうなる。そうに決まっている。


「さむい……」


 何もかも元通りになるんだ。

 元通りになるんだ。


「あったかいとこ、いきたい……」


 不意に呟いた。

 とにかく寒くて、凍えそうだった。

 濡れた衣服が身体にまとわりつくのも非常に気持ち悪い。

 

「あったかくて、明るいとこ……」


 他人に言ったことはないが、暗いところにひとりぼっちは得意じゃないのだ。

 だって何か出そうだし。肩とか後ろとか、いろいろ気になって仕方ないし。

 だから明るいところがいい。あったかくて、明るいところ。


「人がいて、適度にうるさくて……」


 ひとりぼっちは好きじゃない。

 慣れているけど、好きかどうかは別問題だ。

 うるさいのは嫌いだけれど静かすぎるくらいならいっそうるさい方がいい。

 あと、強いて挙げるなら。


「おいしいごはん、食べたい……」


 朝から何も食べてなくてお腹がすいているので、おいしいごはんなんかがあれば最高だ。

 あんまり上品なのは口に合わない。

 あれは薄味だとか優しい味とかじゃなくてぬるま湯味と呼ぶべきだ。

 やりすぎなくらいに下品な濃い味の方が、詩述としては好みだった。


「ごはん食べて、あったかい布団で…………」


 お腹いっぱいになって、布団で寝たい。

 何もかも忘れて朝までぐっすり眠りたい。

 そうまで思ったところで、詩述は笑った。

 

 ――さっきまで、全部あったじゃん。


 あったかいのも、明るいのも。

 人も、うるさいのも、ごはんも、布団も。

 全部あったじゃん。ぜんぶ。



◆◆



『いいえ、あなたは間違っています――ジェームズ・モリアーティ!』

『嫌いだから、要らないから。そんな理由で誰かを切り捨てていたら、その先に待つのはあなたひとりきりの世界です』

『このシャーロキアンの前に何度も何度もうんざりするほど立ち塞がり、そして今この"最後の事件"を差し向けてきたあなた!

 わたしの宿敵ライバルであるあなたがそんな寂しい世界にひとり消えてしまうなんて、そんなの絶対認めません!』


『誰かに愛されたいと願うのなら――まずはあなたが、この世界を愛せるようになってみなさい!』



◆◆



「……はは」


 雨が降り続いている。

 やむ気配はない。

 すごく、寒い。


「シャーロキアンに、なりたかったんだけどな……」


 ――雨が降り続いている。

 ――雨が降り続いている。

 ――雨が……、……。

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