インタビュー・ウィズ


 ──本当に大丈夫かな、あいつ。

 ──いくらへこたれてるとはいえ、相手はあの来瑠だしなあ……。


 小椋結菜は、今日は学校に来ていない相棒のことを思って溜め息をついた。

 詩述の立案した作戦は、言うなれば直接対決だ。

 火箱家に来瑠が転がり込んでいるのを前提として、詩述が直接そこへ乗り込み来瑠を追い詰める。

 悪くないアイデアだとは思った。

 ただ、詩述が自分を伴わずに火箱家へ乗り込むつもりだと聞けば少々話は変わる。

 何せ、相手はあの来瑠なのだ。

 追い詰められて摩耗している状態とはいえ、もやしっ子の詩述一人が相手なら何をしでかすか分かったものではない。

 だから結菜は反対したのだが、詩述は「結菜さんにはお願いしたい役割がありますから」と譲らなかった。

 その役割というのが──誰あろう、火箱風花の足止めである。


 詩述にとって避けたいのは、直接対決の最中に風花がそれを察知して何らかの形で干渉を入れてくる事態。

 もちろん決行は授業の時間に合わせて行うつもりとのことだが、授業中だろうとスマホの通知の確認くらいはできるだろうし、トイレに立てば来瑠と連絡を取り合うことだって至極容易だ。

 故に、結菜に与えられた任務は一つ。単純にして明快ながら、今後に至るまで長く尾を引く妨害工作。

 

「なーんか、マジで工作員にでもなった気分」


 即ち、風花のスマートフォンの破壊であった。

 体育の時間、教室が空くのを見計らって盗み出し、捨てるなり壊すなりする。

 そうして連絡手段を奪ってしまえば詩述は心置きなく来瑠との対決に臨めるし、今後の戦局の中でも風花→来瑠の干渉手段を大幅に削れるという寸法だ。

 無人の教室。風花の机の中から端末を取り出すと、そのまま制服のポケットへ仕舞い込む。

 後はこれを、帰り道に川なり何なりに投げ捨ててしまえばそれだけで仕事は完了。

 ちょろい仕事だ。こんなにちょろいのなら、早めに済ませて詩述の側に合流すればよかったと今になって後悔する。

 中身を漁ろうとも考えたが、一丁前にパスコードが設定されており、叶わなかった。


 仕事は済ませた。

 怪しまれない内に校庭へ戻ろうと思い振り返って、そこで結菜は硬直する。

 振り向いたその先に、この場に居てはならない人間の姿があったからだ。


「火箱――」


 火箱風花が、そこにいた。

 そこに立って、じっと結菜の姿を見つめている。

 まずい、と思った。誤魔化さないと、とも思った。

 しかしすぐに無駄だと悟る。風花の目を見ればすぐに分かった。

 風花は今、結菜が見たことのない目をしていたから。

 為す術もなく虐められ、玩具にされ、自分の机で縮こまって震えていた小動物のとは違う――かと言って敵意や怒りとも異なる、言語化のできない感情を載せた瞳で風花は結菜のことを見つめていた。

 

 焦りが、引く。

 熱くなった脳裏が、急激に冷えていく。

 いや、いい。これならこれで、むしろいい。都合がいいし、

 結菜は無言のまま、口元に笑みを浮かべて風花を見つめ返す。

 高嶺来瑠が提供する"いじめ"というエンターテイメントを除いて接点など無いに等しかった二人の視線は、そのまま数秒ほど沈黙の中で交錯していたが。

 

 最初にそれを破ったのは、意外にも風花の方だった。


「詩述ちゃんは、ひとりじゃないと思ってた」


 詩述の名前が出たのと同時に、結菜は全てを理解する。

 詩述は風花のことを知り尽くしているが、それは何も彼女だけの専売特許というわけじゃない。

 彼女と一年間、青く眩しい青春のひとときを共にした風花もまた当然、小綿詩述という人間のことを熟知しているのだ。

 であれば、当然。詩述が考えそうなこと、警戒すべきこと、その辺りにはある程度鼻が利くというわけか。


「――くーちゃんを追い詰めたのが小椋さんだってのは、聞いてた。

 だからずっと警戒してた。そして今、小椋さんは私のスマホを盗んだよね」

「はは。な~るほどね……ちょっと舐めてたわ、あんたのこと」

「"そういうこと"でいいんだよね、小椋さん」

「てか、何。あんた、二人の時はあいつのことくーちゃんって呼んでるんだ?

 やっば。あれだけ毎日めちゃくちゃされてたのにそこまで執着するって、何。引くんだけど。レズかよお前」


 あいつもあいつだけどさ。

 そう言って、結菜は笑った。だが、目は笑っていない。


 ――火箱風花。

 人を殺す"声"を持つ女。

 来瑠に虐げられていたのに、何故か来瑠の味方をしている変なやつ。

 詩述の昔馴染み。そして今も、あいつに執着され続けている――舞台の上の人間。


「あー、うん。やっぱちょうどいいわ。いい機会だわ」


 初めて、詩述と話した日。

 初めて、彼女の目的と悲願を聞かされた時から。

 ずっとずっと、結菜の中に渦巻いている疑問が一つあった。

 それは、詩述に直接ぶつけるわけにはいかない疑問。

 そして結菜一人でどれだけ頭を悩ませたところで、答えなど出るべくもない命題。

 

「ずっと分からなかったんだ。

 腑に落ちなかった、って方が正しいかな。

 私の知ってるお前と、あいつが語るお前の姿はいつでも一致してるのに、何故かその先が全然重ならないんだよね」

「……何を、言ってるの?」

「わかんない? んー、じゃあもっと直接的に言ってやろっか」


 小綿詩述は凄いやつだ。

 付き合いは短いが、結菜は既にそう思っている。

 頭も回るし行動力も凄まじい。詩述には行動する上でのハードルだとか、倫理的なしがらみだとか、常識だとか、そういう手のリミッターが存在しないように見える。

 そんな彼女のあり方は、日常への退屈と非日常への飢えをずっと抱えて生きてきた結菜にとって目を瞠るほど劇的だった。

 金魚の糞、添え物でしかなかった自分に正義のヒーローという"役割"を与えてくれた、過去に囚われた名探偵。


 銀幕の向こうから抜け出してきた、創作物のキャラクターとしか思えないほど。

 小椋結菜にとって、小綿詩述は魅力的で、その一挙一動をどれだけ眺めていても飽きないような魅惑の塊であった。

 いざ深く関わってみると途端に人間臭い、それを通り越してコミカルな一面が見えてくるのもまた良かった。

 冴えている時の格好良さや劇的さと、普段のがめつくて間の抜けたあり方のギャップがますます彼女の非実在性に拍車をかけている。


 ――面白い。こんなに面白い人間を、自分は他に知らない。

 だが、だからこそ、解せない疑問が一つ。

 こんな人間が、非日常の体現者が、何故――


「なんで、火箱あんたなの?」


 何故、こんなつまらない人間にああまで執着するのだろう?


「私もさ、あんたのことは結構観察してきたつもりなんだ。

 だけどあんたのこと、面白いとか魅力的だとか、そんな風に思ったことって一度もないんだよね。

 頭が良いわけでもない、運動ができるわけでもない。

 そもそも人と話もまともにできない、取り柄なんて見た目と、あー、なんだっけ? 人を殺す声だっけ。そのくらいでしょ」


 確かに、顔はいいと思う。それは認めよう。

 だがそれだけだ。それと例の"声"以外に、小椋結菜は火箱風花という人間に対して魅力的な要素を見出せなかった。

 一緒に居て面白いタイプだとも到底思えない。むしろ真逆だろうと感じる。

 結菜が風花を虐げていたのは来瑠が標的にしていたからだが、そうでなくても風花個人のことは絶対に嫌いだったろうと断言できる。

 何故なら、凡庸だから。ありふれているから。

 何処にでもいる、ごくごくありふれた、他人とコミュニケーションを取れないたぐいの人間。普通にしているだけで周りの人間を苛つかせる、例えるなら羽虫とか蚊とか、そういう生き物に近い存在。


 では、何故。

 詩述は、これと友達になり。

 あまつさえ現在に至るまで、彼女と過ごした過去の追憶に取り憑かれているのか?


「人を殺す声――それありきで友達になったってんなら分かるんだよ。

 利用価値もあるしね。愚鈍で気弱な奴と友達演じて、その対価に証拠の残らない殺人能力を手中に収められるってんなら私だって喜んで友達ごっこに興じるよ。

 けど、どうやら詩述とあんたの仲はそういうのじゃない」

「……全部は、聞いてないんだね。詩述ちゃんから」

「聞き出そうとするとはぐらかすんだもん、あいつ。

 だからこうしてあんたと直接話せる機会に恵まれたのは……ま、怪我の功名ってやつだわ」


 現に、こうやって顔を突き合わせて話しているだけで結菜は大分苛ついていた。

 嗜虐心、加虐心。そういうものを煽ることにかけてこいつは天才だとそう思う。

 具体的に何がどうと言われると答えに困るが、とにかく――虐めたくなる。

 殴り飛ばして、踏みつけて、惨めにぴーぴー泣かせたくなるのだ。


「で、なんで? つまんない虫けらみたいなあんたとのことを、詩述はどうしてあんなに後悔してるんだと思う?」

「……それ、は……」

「張本人のあんたならさ、答えとまでは行かなくても――心当たりくらいはあるでしょ。ほら、言えよ。早く」


 現に、だ。

 今こうして行っている詰問だって、本質的には"いじめ"とそう変わらない。

 風花にしてみれば、自分というつまらない下らない人間とあの子はどうして友達で居てくれたのか答えよ、そんな棘だらけの命題を無理やり突き付けられている形だ。

 答えに窮するのも無理はない。ことこの期に及んでも、結菜と風花の関係性は"いじめっ子"と"いじめられっ子"のそれに終始していた。


「はあぁ……お前さ、やっぱり本当につまんないわ。

 つまんないつまんないとは思ってたけど、改めてこうして話してみると実感するよ。

 気の利いた答えも返せない、喧嘩腰に言い返すこともできない。できの悪い機械に話しかけてる気分だわ、ほんと」

「……、……」

「やっぱ顔なのかね、結局。

 そのくらいしか思いつかないもん、詩述があんたを大事がる理由なんて。

 自殺でもしろよ、さっさと。詩述のこともそうだし、来瑠だってあんたが居なければあんなことにならなくて済んだのに。ま――あいつに関しては、やったのは私だけどね。

 もう見た? 大好きなくーちゃんの調教映像。見てないんだったら今見せてあげよっか。二人で見て笑おうよ、ねえ」


 そう言って、結菜はけらけらと笑う。

 まともな答えは期待できなそうなので、せめてストレス発散くらいはさせて貰おうという思考に切り替えた。


 "声"のことは懸念だが――それも、自分の中で既に答えが出ていた。

 予想が正しければ、風花こいつは自分を殺せない。殺せないから、こうして言われたい放題されているのだと理解した。

 "声"の使えない風花など敵ではない。此処で叩きのめして痛めつけて、今後の抵抗の気概を奪ってしまえば詩述の勝ちは確定的になるだろう。此処は助手ワトソンとして、主役ホームズのため最大限のお膳立てをするとする。

 そう決めて、風花の方へ一歩踏み出したその時に。


「あの……」


 被虐者が、ぽつりと口を開いた。


「小椋さん」

「……何? 喋るんだったらはっきり喋りなよ」

「……小椋さんは――」


 やはり、苛立つ。

 喋れとは言ったが、喋っても苛つかせてくるのはもはや一種の才能だろう。

 どう言葉にしたものか。どう、伝えたものか。

 リアルタイムで言語化の作業を進めているのか。こういうところでも、風花はひどくどん臭かった。

 なんで、こんな奴に。あの詩述がかかずらわねばならないのだ。

 そう苛立ちながら言葉を待った結菜に、風花は。



「もしかして、やきもち妬いてるの?」



 なにかよくわからないことを、言った。



「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――は?」


 今、こいつは何と言った?

 その口で、何を。


「……な、に。言ってんの、お前。頭おかしいんじゃないの、そんなわけ――」

「だって……そうじゃなかったら、なんであんたなの、とか……言わないと思うから……」

「――っ」


 問い方は、きっと色々あったと思う。

 あんたの何がいいの、でも良かったし。

 詩述は自分の何処が好きだったんだと思う、とかでも良かった筈だ。

 なのに結菜は無意識の内に、こう問うていた。何故、お前なのかと。

 その事実を面と向かって、取るに足らない虐げられるばかりの被虐者に指摘されたことで普段はよく回るその脳味噌が空白に染め上げられていく。


「ふっ……ざけんなよ。自分の身の程弁えて物喋れって、頼むから。

 私が、お前みたいな底辺のカスにそんなこと思うわけ――」

「じゃあ」


 じっ、と。

 風花の瞳が、結菜のそれを見据えてくる。

 今まで、一度だって重さを感じたことなどないその視線。

 ただ怯えて、機嫌を伺うことしかできないものだと思っていたその視線に――今、結菜は縫い止められていた。


「なんで小椋さんは、そんなに怒ってるの」


 言われて、気付いた。

 握った拳から、小さく血が滲んでいることに。

 黙れと言い返しそうになったところをすんでで止められたのは、称賛に値する機転だったと結菜はそう思う。

 そうでなければ、ますます恥の上塗りをするところだったから。

 

 ――火箱風花が嫌いだ。

 それはきっと、多分前から。

 でも、前は単に苛つく奴だという程度のものでしかなかった。

 来瑠が彼女に対するいじめをやらない日は、自ら進んで風花へ危害を加えるようなことはしてこなかったのがその証拠だ。

 嫌いは嫌い。でも、別に自ら進んで叩き潰したいというほどじゃない。

 ただ虫が好かないだけ。なんとなく見ていてむかつくだけ。それだけ、だった。その筈だった。


 あの日。小綿詩述の口から火箱風花の名前を聞くまでは、確かにそうだった。


「……詩述ちゃんが、なんで私なんかを大切にしてくれたのかはわからない。

 なんで今も、あんなにひどいことをした私を――追いかけてくれてるのかも、わからないよ。

 だけど、ね」


 しかし、今は違う。

 そう自覚した。いや、させられた。

 この忌まわしい女によって。

 この恐ろしくつまらなくて魅力に欠ける、小さな小さな"敵"によって。


「小椋さんが、詩述ちゃんの――あの子の隣に居てくれてるんだって知って、ちょっとだけ安心した」


 その言葉が皮肉でも嘘でも何でもない、本心だと。

 そう物語る微笑みに、小椋結菜は底の知れない闇を幻視した。

 初めて。この女を――怖いと、恐ろしいと。思った。

 そして同時に、理解したことがもうひとつ。


「一緒にいてあげて。あの子と」


 こいつは、


「それは、もう私にはできないことだから……」


 こいつは――――



「――は」



 ――――私達の。

 いや、

 必ずや殺すべき、明確な敵であると。


「あは、ははははは、はーっはっはっはっはっはっ! げほっ、えふっ、はは、ひひひひっ、ははははははふふっ……!!!」


 気付いた瞬間、怒りは笑いに変わっていた。

 人が来るかもだとか、そんなことはもはや微塵も気にならない。

 茫洋と立ち込める靄の向こう側に、光り輝く灯りを見つけたような。

 見果てぬ航路の中に、ようやく島の輪郭を見つけたような。例えるならば今結菜はそんな気持ちだった。


 小綿詩述は、自分に正義のヒーローという役を与えてくれた。

 しかしそれは、高嶺来瑠が早々に折れてしまったことで中止を余儀なくされた。

 次いで与えられたのは探偵助手ワトソン。でも、何処か物足りなかった。

 何処かで、飢えていた。何かを欲していた。違和感を、抱いていた。


 ――本当にこれでいいのか。これだけが、自分の役割なのか?

 日常の軛を逃れて辿り着いたその先で、また添え物の立場に甘んじて、詩述という美しく燦然とした金魚の糞をやっていればそれで満足なのか?

 舞台に上がることなく。袖から効果と演出の展開に徹していれば、この飢えは満たされるのか?

 それでは、来瑠の隣に居たあの頃と何も変わらないのではないか、と。


「はー、はー……あー。

 ありがと、火箱。あんたのおかげでさ、ようやっと分かったよ」


 その答えをくれたのは、詩述でも来瑠でもなかった。

 聞いているだけで腹が立つ、どん臭くてたどたどしい喋り。

 火箱風花。銀幕の住人。小綿詩述と高嶺来瑠に並ぶ三人目。

 ――怒りは一周回ると、愉快さに変わるのだと。この時結菜は初めて知った。皮肉にもそれは、今日という一日の中で一番の非日常的体験だった。


「やっぱり私、あんたのことめちゃくちゃ嫌いだわ」


 こいつが、嫌いだ。

 詩述の隣に居れたのにあろうことかその恵まれた立場を捨てて、だというのに今も彼女を苛み続けているこの呪いが憎い。

 

「だけど、あんたは私のこと嫌わずにいてくれるんだね」

「……っ」

「そうじゃなかったら、此処で私を殺さない理由がないもんね。

 ねえ、火箱。あんたさ、本当は――来瑠がああなって、嬉しいと思ってるんでしょ」

「――そんな、こと」

「嘘つき。じゃあなんで、元凶の私を殺さずにこうしてべらべら長台詞回させてんだよ」


 呪い。

 そう、呪いだ。

 こいつは、呪いなのだ。

 青春という名の呪詛。過去という名の悪霊。

 見つけた。ようやく、見つけた。

 倒すべき悪を見失った正義のヒーローが、次に討つべき諸悪の根源!


「殺してあげる。あんたの大事なもの、全部奪って――詩述さえ奪って、それからこの手で成敗してあげる」


 ……私は。

 こいつが、この女が嫌いだ。

 何の取り柄もないくせに、いつまでも詩述を、銀幕の向こう/舞台上にて輝き踊るスターを束縛し続ける火箱が嫌いだ。

 


『きっと楽しめますよ、ぼけぼけワトソンさん』


 

 そこに立つのは――――お前じゃなくて、私だろうが。



「早くお家、帰った方がいいんじゃない」


 窓の外へ、ぽいとスマートフォンを放り投げる。

 遥か地面まで落下した端末が、ぱきゃ、と軽い音を立てた。

 これで連絡はできない。当初の目的は果たされた。

 もう用はない。風花の横を通り過ぎながら、結菜は言った。

 

「今頃泣いてるかもよ、あんたの大好きなくーちゃんが」


 舞台袖で指を咥えながら、ああでもないこうでもないと役者達の心情やバックボーンに思いを馳せるのは此処まで。

 そもそも前提からしておかしかった。

 やれヒーローだワトソンだと自称するのに、いつまでも添え物をやっていてどうするというのか。

 詩述は凄いやつだ。でも、一対二じゃ流石に分が悪いだろう。

 役者の空白。天秤の欠落。その隙間に、嬉々として少女は滑り込む。


 雌伏の日、憧れの時、もはやこれまで。

 さあ――――舞台へ上がれ。



◆◆



「――くーちゃんっ!!」


 息を切らしながら帰宅した風花は、冬も間近に迫った晩秋だというのに汗だくだった。

 学校は早退した。学業などに勤しんでいる場合ではもはやなかった。

 結菜の口振り。そして、自分のスマートフォンを破壊するという行動。詩述の考えそうなこと。

 全てを重ね合わせて導き出されたのは最悪の可能性。

 自分が全く知らない間に、来瑠が壊されているかもしれないと。今日結菜を殺せなかった理由と照らし合わせればまさに矛盾そのものな思考を大真面目に繰り広げながら、風花は自室の襖を勢いよく開けた。



「……え。もう帰ってきたの? 早くない?」


 すると、どうだ。

 中で来瑠は落ち込むでも早まっているでもなく、床に一冊のアルバムを広げて、それに目を落としていた。


「あ……ぇ、っと。詩述ちゃん、は……?」

「あのチビならもう帰ったよ。散々ぼろくそに言ってくれたから、暴力で返り討ちにしてやった。おかげでちょっと胸がすいたかも。おじいさんに止められちゃって、その先はできなかったけど」

「――そ、そう……なんだ。よかった……」


 詩述の来訪自体はあったようだが、そこは上手くどうにかできたらしい。

 風花は久方ぶりに、そもそも高嶺来瑠という少女は本来なら自分などが心配するのは烏滸がましいくらい"強い"人間なのだということを思い出した。

 とはいえ最悪の事態まで想定していたものだから、思わず力が抜けて風花はへたりと座り込んでしまう。

 安堵に胸を撫で下ろしつつ――ふと湧いた疑問を、来瑠に向けて投げかけた。


「それ……うちにあったの?」

「うん。おじいさんが、私に見てみろって」

「おじいちゃんが……? でも、それ――」


 風花が怪訝な顔をするのも、来瑠としては頷けた。

 何故ならそのアルバムに写っているのは、風花でも彼女の祖父でもなく。今は亡き彼女の両親ばかりだったから。

 そんな風花の考えが通じたのか、来瑠は「見て」と言い一枚の写真を指差した。

 おずおずとそれを覗き込んでみて――あ、と声を漏らす。


 懐かしい、父と母。明るく穏やかで、そしてとても優しかった、優しすぎた二人。

 風花の大事な家族だった二人と一緒に写っている男に、風花は見覚えがあった。

 端正な顔立ちと長身痩躯。怜悧な眼光はかつて見たままだったが、しかしその顔に浮かんでいるのは呆れたような、されどまんざらでもないような。柔らかな日常を享受する者としての笑みで。

 ――いつか。風花がその声で殺したその男の冷たい笑みとはまるで結びつかなかった。


「なんで、くーちゃんのお父さんと……あの人たちが……」

「ふーちゃんもわかんないんだ。なら……やっぱり、あのクソジジ――おじいさんに根気強く問い質してみるしかないのかなあ」


 茫然とする風花と。

 はあ、と心底面倒臭そうにため息をつく来瑠。

 

「もうたくさんだよ、自分の知らない話が出てくるの」

「……ごめんね、くーちゃん。私のせいで、振り回してばっかりで」

「何も言ってないでしょ。……まあ、こいつどんだけ厄ネタ抱えてんのって気持ちは割と常にあるけど」


 なんだか。

 少し、来瑠の雰囲気が変わったような気がした。

 投げやりにやさぐれた感じから、吹っ切れたように変わって見える。

 それは必ずしも風花の気のせいというわけではなかったようで、その証拠に、彼女の口から次に続いた言葉は思わず驚いてしまうようなものだった。


「そうだ。私、やっぱり学校行くことにしたから」

「えっ。……で、でも……」

「なに、一丁前にふーちゃんなんかが私の心配してるの?

 だったら生意気。むかつく。ふーちゃんは私が何を言っても、くーちゃんすごい!って手叩いてればいいの。はい、練習」

「えっ、えっ」

「さん、はい」

「く、……くーちゃんすごい! さすが!」

「よろしい」


 言わせるだけ言わせてから、はあとため息をついて。

 来瑠は、窓の外に視線を移した。


「……家には帰らないし、帰れないけど。

 でもなんか、今日のでめちゃくちゃ腹立ったんだよ」

「詩述ちゃんに、何か言われたの」

「それもあるけど、それだけじゃなくて。

 あんなメンヘラストーカー女のせいで私の人生ぐちゃぐちゃにされてるんだと思うと、怖いとか恥ずかしいとか、そういうの色々通り越してきた」 


 ご丁寧に宣戦布告までしてくれたしね、と忌まわしそうに吐き捨てる。

 あの言葉が単なる負け惜しみだとは思えない。

 十中八九、これから先、奴らはもっと熾烈に自分を追い詰めに来るだろう。

 それを、この先もずっとこの家で一人震えながら待つ? ――冗談じゃない。


「ふーちゃん」


 名前を、呼ぶ。

 なに、と風花は答えた。

 その瞳を、来瑠はじっと見つめている。

 数十分前の、教室でのひとときをなぞるような構図だった。


「――ふーちゃんは、どっちを選ぶの?」


 過去と、現在。

 追憶と、未来。

 来瑠は傲慢に取捨選択を迫る。

 詩述のように、長ったらしく言葉を弄したりはしない。

 その詰問を受けて、ごく、と――詩述は唾を呑み込んで。

 けれどそれ以上一瞬の逡巡もなく口を開いた。

 

「くーちゃんが、いい」


 いつかの夏に、"さよなら"を。

 そして今、この寒空に"だいすき"を。

 

 誓うちいさな言葉を受けて、来瑠は久々に小さく微笑んだ。

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