不倶戴天
――風花の、長い話が終わった。
小綿詩述、彼女にとって最初の"友達"との出会い。そして別れ。
そこまでを語り尽くした風花は、ひどく疲れ果てて見えて。
言葉を挟むことなく聞いていた来瑠もまた、彼女と同じだった。
――こいつ、それでよく私と一緒にいたな。
そう思わずにはいられないほど、風花の語った一年間の青春の話は重たくて。
その追憶が、自身の知る偽りの友人関係と地続きになっていることを信じ難く感じてしまうほどであった。
自分の存在は救いのように語られていたが、決して来瑠は彼女を失意から救い出す救世主として声をかけたわけではない。
あの時の来瑠にあったのは、百パーセントの私欲だ。
火箱風花という自分の趣味嗜好をかつてなく満たしてくれるだろう極上の玩具を仕上げるため、その準備段階として近付き、耳触りのいい言葉を並べただけに過ぎない。
「……ふーちゃんさ」
「うん」
「なんで、それで私のこと好きなの?」
普段なら躊躇う問いかけだったかもしれない。
自意識過剰。自惚れ。或いは同性愛の当事者になることへの抵抗感。
しかしそうしたストッパーも、風花の告白を聞いた今ではさっぱり機能していなかった。
だから素直に問いかけることができる。
なぜ――なぜ。
小綿詩述という者がありながら、その傷を抱えていながら、自分というぽっと出にそうまで肩入れするのか。
いっそ、あの時は安易な穴埋めの人員を求めていたからとでも言われたら腑に落ちたかもしれない。
けれど風花は、来瑠の問いに対して恥ずかしそうにもじ……と身を捩りながら答えた。
「きれいだったから」
「……、それだけ?」
「うん。……あ、今は違うよ?
くーちゃんは強くてかっこいいし、どんくさい私のこといつも引っ張ってくれるし……」
きれいだったから。
……なんだその理由は、と思う。
此処に来て顔か。なんだこいつは。すけべな上に面食いか。
来瑠の感情をよそに、風花は小さく微笑みながら続けた。
「でも――最初は、そう。ひと目見た時に思ったの、なんてきれいなんだろうって。なんて、かわいいんだろうって」
「…………」
「この人と一緒にいたいって、本気で思った。
……この人のものになりたいって、そう思ったの。
それは、あの子と一緒にいる時には感じたことのない気持ちだった」
……来瑠は、自分の顔の良さに自信を持っている。
そこらの読者モデルやアイドルでは相手にならないと思っているし、それに驕らずスキンケアやメイク、食習慣や生活リズムなど様々なアプローチで美貌の維持と更なる飛躍のために手を尽くしている。
一目惚れされたり、告白されたりするのも経験がないわけじゃない。
美しさ、可憐さを褒めそやされるのもしょっちゅうだ。
でも、それでも。これほどまでに心が乱れるそれは、未だかつてなかった。
「そしてくーちゃんは、ちゃんと私を自分のものにしてくれた」
にへら、と顔を綻ばせる風花のことが、来瑠には本気で分からない。
友達だと思って付き合っていた相手が、ある日突然反転して。
殴り、蹴り、刺して絞めて、虐待のようないじめを始める。
クラスメイトを主導して居場所を奪い、生活のすべてを地獄に変える。
かつて火箱風花が苦しみ、一時は死をすら考えたいつかの地獄を再演させている。
そんな裏切りを受けて、どうしてこんな風に笑えるのか。
どうして――好きだなんて、微笑みながら告げられるのか。
「好きだよ、くーちゃん。大好き。
私を照らしてくれるくーちゃんが好き。私を支配してくれるくーちゃんが、好き。
私に縋ってくれるくーちゃんも、私と一緒にいてくれるくーちゃんも、ぜんぶ、すき。……えへへ、なんだか面と向かって言うと恥ずかしいね」
「……やっぱりわかんない。ふーちゃんが変な子だってことしか」
呟いた来瑠に、風花はただ、困ったように笑った。
やっと聞き出せた過去の話、追憶。
それを耳にしても尚、来瑠の心にもやもやと立ち込めたものは晴れてなどくれず。
それどころか、むしろよりいっそうとその曇りが濃くなったようにさえ、感じてしまうのであった。
◆◆
勢いよく閉じられた、洋風な一軒家の扉。
それを前にして、小椋結菜は「こっわ……」と呟いた。
時刻は放課後、日も沈み落ちた午後五時半。結菜達が前にしているのは、高嶺来瑠の自宅だ。
豪奢ながらも上品な邸宅は、高嶺家が上流家庭であることを如実に物語っている。
いや、今となっては"であった"と言うべきかもしれないが。
来瑠から聞いていた通りの家だと結菜は最初見た時そう思ったが、いざインターホンを押してみて、中から出てきた来瑠の母親と会話して――更に言うならその時扉の隙間から伺えた室内の様相を目の当たりにして、そんな印象はすぐさま霧散してしまった。
「やばいのは父親の方だって聞いてたけど、母親も充分やばいじゃん。
後半の方とか、ほとんど何言ってるか分かんなかったし」
来瑠の母親は学校行事の折に一度だけ見たことがある。
その時は"あの"来瑠の親というのも納得の行く、いかにも気立ての良さそうな女性だと思ったものだったが、今日扉の向こうから出てきたのは化粧もしておらず、目の下に色濃い隈を作り、額に生傷のかさぶたが浮いた愛想の悪い中年女性だった。
愛想が悪いだけならいい。彼女は、結菜達が
ヒステリックに怒鳴り散らし、自傷行為のように頭を掻き毟って、口の端にあぶくを溜まらせている様はグロテスクですらあった。
怒鳴る、聞いてもないことを勝手に語り出す、娘のクラスメイトに容赦なく暴言をぶつける――と、もはや役満と言っていい有様。
正直、結菜は相当引いた。
家がやばいのは本当だったんだなと、在りし日の来瑠の愚痴をどこかで自虐風の自慢だと思っていた自分を思わず省みたほどだ。
一方でそんな結菜とは裏腹に、詩述は静かだった。
「……突然伴侶を失ったのです、無理もありません。
長年連れ添った家族を失ったことで残された人間が錯乱するのはよくあることです」
「お、おう。そういうもん?」
「はい。とはいえ、多少不愉快です。人の親が自分の子を口汚く罵倒している光景というのは、やっぱり気分のいいものではないですね」
「……ふーん。ま、いくら敵でも胸糞悪いもんは胸糞悪いかぁ。意外と優しいとこあるじゃん、しのも」
確かに、実の娘に対して出来損ないだ鬼子だ、果てにはあいつが死ねばよかったと喚いている姿は醜いとしか言いようはなかった。
結菜としてはいきなり怒鳴りつけられ罵られたことの方が遥かに不快だったが、詩述の言うことも分からないでもない。
ただ。
(そんな、苦虫噛み潰したみたいな顔しなくてもいいじゃんね。これから潰す相手のお家事情なんかに)
それにしたって、詩述は露骨に気分を害した顔をしていた。
かわいい顔を顰めて、唇を噛んで、それこそまさに苦虫を噛み潰したような表情。
そこに結菜は違和感を覚える。少なくとも、来瑠から全てを奪い取るプランを得意げに自分へ伝えてきた人間のそれとは思えない。
そんな結菜の疑問をよそに、詩述は噤んでいた口をゆっくりと開いて言った。
「それはさておき、収穫はありました。
来瑠さんは昨夜から帰宅していない。つまり、家出状態にあるというわけです」
「……え。そんなこと言ってた? あのババア」
「探偵の助手をやるなら聞き耳の敏さは必須ですよ、結菜さん」
「ワトソンになったつもりはないんだけどなあ」
「こんなかわいいホームズを捕まえておいて今更何を言いますか」
「捕まえられた側だと思うんだけど、私」
かわいいホームズって。
自分で言うかね。まあ、確かにかわいいけどさ。
呆れながら、結菜は無言で先を促した。
結菜は自分の役割を弁えている。確かに自分はワトソンだ。推理と行動指針の構築は詩述に任せた方が絶対にいい。
「なんのかんの言われがちですけど、日本の警察はかなり優秀なんです。
いじめられた高校生が衝動的に家出をしたとして、まず間違いなく長続きはしません。
家出の目的が現実逃避ではなくこの世そのものからの逃避、すなわち自殺にあったならば話は別ですが」
「……それはないと思う。自殺とかするタマじゃないよ、あいつ」
「なるほど。では付き合いの長いあなたの意見を尊重して、その可能性は排除します。
そしてその上で考えると、来瑠さんが果たして何処へ"家出"しているのか。この答えはだいぶ明白になってきました」
来瑠が自殺する光景は想像できないし、そもそもできないだろう。結菜はそう思う。
高嶺来瑠は見下すことに慣れているが、見下されることにはまるで慣れていない。
それはあの日、立場が没落しての反応を見ても明らかだ。他人を虐げるのは得意だが、他人に攻撃されるのにはとことん慣れていないし弱い。来瑠の隣で彼女の統治と人となりを見てきた彼女には、それが分かる。
そんな元友人としての所感を受けて、詩述は何を考え出したのか。
結菜としては答えを聞きたいところだったが、このホームズ気取りは勿体つけるところまで含めて探偵の仕事だと思っているようで。
「まあ、それはハンバーガーショップでシェイクでも飲みながらゆっくり話しましょう。頭も使ってストレスも溜まって、おなかがすきました。クリームパイも食べたいです」
「はあ~~? また私に代金持たせる気でしょ」
「わたしはおいしいあま~いシェイクとパイでうっとりリフレッシュ。
結菜さんは油っこいハンバーガーで大満足。Win-Winじゃないですか」
「少なくとも奢らされてる私はLoseしてんだよね」
はあ、と嘆息しつつ、慣れた調子で財布の中身を確かめている自分に我ながら都合のいい女だなと思う。
出会って数日。付き合いはそんなところだが、小綿詩述という人間の人となりは大体分かってきた。
まず、こいつが知的に見えるのはその芝居がかった言動によるところがかなり大きい。
いや実際頭は相当良いのだろうけど、少なくともこいつはわざわざ口調作って探偵キャラを演じるのは無理だろってくらいに人間味に溢れすぎている。
現金だしがめついし食い意地張ってるし、都合が悪くなるとわけわからん迂遠な言い回しで誤魔化すし、歩幅を合わせてやらないと次第にぜえぜえ言いながら横スクロールゲームのプレイアブルキャラクターよろしく視界の端に消えていくし。
小綿詩述はフィクションのキャラクターではない。
呆れるほど月並みで、等身大の――自分と同じ人間だ。
(ま、何でもいいけどね。
しのと居れば、とりあえず退屈はしないし――まあ惜しいのは、来瑠が早く潰れちゃったせいでヒーローごっこは当分できそうにないことだけど)
結菜は詩述を神格化するつもりはない。
彼女が重要視しているのは詩述という個人ではなく、彼女と一緒にいることで得られるものの方だ。
詩述が面白いことを、自分が主役に近付けるものを提供してくれる限り自分は無条件で彼女の味方をする。そういうつもりでいる。
ただ、それはそれとして――気になることは、やはりある。
「しのはさあ」
「はい?」
「自分のこと、全然話してくんないよね」
「乙女は秘密が多いものですからね」
「幼児体型が何を生意気な」
「言ってられるのも今のうちです。日本が沈んだら生き残るのはわたしみたいな抵抗の少ない人間ですよ」
「自分で言ってて悲しくなんない?」
「ちょっぴり」
小綿詩述。彼女は、一体何者なのか。
詩述について結菜が知っていることは多くない。
かつて仲違いした火箱風花に今も並々ならぬ執着を寄せていることと、年齢離れした推理力や行動力を持っていることくらいだ。
「まあそうむくれないでください。
詳しくは後で話しますが、次の作戦では結菜さんにもちゃんと役割がありますから」
では、その行動原理は?
そもそも何が、火箱風花との仲違いを生んだのか?
詩述はどうして、何がどうあってこういう人間として成立した?
むくれているのではない。
気になっているだけだ。
ヒロイズムへの渇望と並行して、この小さな探偵の素顔を知りたい気持ちが鼓動を刻んで止まらない。
(殺人犯の父親を持つことと、何か関係あるのかな)
初めて、小綿詩述と出会ったその日。
彼女の名前を検索エンジンに打ち込んで調べた結果行き当たった一つの事件。
D市小学生2人強盗殺人事件――小綿正志死刑囚の娘として、詩述とその母親であろう人物の名前は掲示板に晒し上げられていた。
直接問い質す気にはなれない。それをすれば、恐らくこの小さな相棒は自分に対する信用を失くしてしまうだろうという確信があったからだ。
ただ。十中八九、詩述という人間のルーツがそこにあるのは間違いないだろう。
欲しい。知りたい。自分を退屈な日常から拾い上げてくれた詩述に感謝しているからこそ、彼女がどういう経緯で今のような人間になったのか知りたくて堪らない。
原動力は興味と疎外感。
日常の檻を抜け出しても尚――小綿詩述、火箱風花、そして高嶺来瑠という三人の物語の中へ真に身を投じることができていないことへの不満。
小椋結菜は欲望の徒だ。
平穏では満足できず、現状維持では笑顔になれず、混沌と波乱に満ちた非日常こそを望んで詩述の隣に立っている。
今はまだ、ワトソンはホームズの隣に控えるばかり。
けれど。既に彼女の中に芽吹いた欲望/嫉妬の花は、蕾と呼べる領域にまで生育を遂げていた。
「……しょうがないなあ。中途半端な役目だったらシェイク代請求すっからね、ぽんこつホームズ」
「ご心配なく。相当、相っ当――スリリングな役目ですから。きっと楽しめますよ、ぼけぼけワトソンさん」
――斯くして。
――第二の賽は、静かに投げられる。
◆◆
結局、今夜もまたぎこちない時間を過ごしてしまった。
とはいえ、昨日のようにふてくされて一人で拗ねていたわけではない。
今日のは、少し違う。本当に、何を話せばいいか分からなかったのだ。
――好きだよ、くーちゃん。大好き。
――私を照らしてくれるくーちゃんが好き。
――私を支配してくれるくーちゃんが、好き。
――私に縋ってくれるくーちゃんも、私と一緒にいてくれるくーちゃんも、ぜんぶ、すき。
「うるさいよ、ばか」
こっちはその"好き"を一つ咀嚼するだけでも手一杯だというのに、好き勝手投げかけてくれて。
悪態をつくものの、それに応えてくれる人間はいない。
風花は隣り合わせで敷かれた布団の上で、すうすうと静かな寝息を立てていた。
時刻は午前一時を回っている。家の中も、外も、耳が痛くなるほど静かだ。世界で起きているのは自分だけなのではないかと、そんな幼稚な錯覚を抱きそうになる。
私は、こいつのことをどう思っているんだろう。
好きは好きだ。でも、その"好き"は本当にこいつが私に抱くのと同じもの?
いや、そもそも風花は自分の所有物なのだから、感情が対等でなければいけないなんてこともないのだけど。
言い訳のようにいつもの理屈を並べ立てる脳味噌もどことなくキレがない。
それだけ、彼女の語った追憶は来瑠にとってカロリーが高く、受け入れるのに難儀する代物だったからか。
「……あんたさ」
寝ている横顔に手を伸ばす。
髪を梳く。指に絡み付いてくる柔らかさが愛おしい。
いい匂いがする。肌はしっとりと柔らかく、思春期特有のニキビやそばかす一つ見当たらない。
もったいないと思う。これで性格さえ明るかったら、女としての幸福なんて全て簡単に手に入ったろうに。
それと同時に、よかった、と思う。
こいつが、この愛おしい生命体が、自分の手のひらに収まってくれたこの巡り合わせに感謝してしまう。
なんてったって深夜一時だ。
物思いに耽るにしたって眠気が込み上げてくるのは避けられない。
意識は朦朧とし、目は霞み、身体もぐったりとしてくる。
そんな中じゃ、らしくないことの一つや二つ考えてしまうのもきっと仕方のないことだ。
「私で、本当にいいの」
春の出会いを追憶する顔はひどく懐かしそうで。
夏の記憶を回想する顔はとても楽しそうで。
秋の崩壊を回顧する顔はあまりに悲痛で。
冬の別れを反芻する顔は今にも泣き出しそうだった。
高嶺来瑠は人でなしである。
他人の痛みが気持ちいい。誰かを足蹴にすることに生きがいを覚える。
彼女の中で成り立っているロジックはケダモノのそれだ。
道徳も倫理も糞もない。邪悪と呼んでも、きっと言い過ぎではないだろう。
けれど――その実、来瑠はどこまでも人間で、歳相応だった。
どれだけ破綻者を気取ろうとも、社会のはぐれ者を超えた何かにはなれない。
だからこうして、"本物"ならば考えないようなことを、考えてしまう。
あんな顔ができる人間が、自分でいいのか。
今からでも、別に何も遅くないんじゃないのか。
私は、こいつにあんな顔をさせられるのか。
私は本当に、こいつに、
「……うっさい」
自分で自分にそう吐いてかぶりを振る。
余計なことを、らしくないことを考えるな。
ふーちゃんは私のものだ。誰がなんと言おうと私のものなんだ。
子どもみたいにそう主張しながら身体を丸めて目を閉じたけれど、心の中に涌いて出た感情の虫はふて寝の一つも許してはくれず。
半ば自棄になって、来瑠は隣で眠る風花の袖にきゅっと小さく抱き着いた。
「ふーちゃん」
こいつは、私のことが好きらしい。
その"好き"は、いつかの夏の匂いを消し飛ばすほど大きな"好き"?
追憶も、感傷も本当の意味での過去にして、そんなことあったねと笑い飛ばせるくらいの"好き"?
それとも、ただの代用品? 過去の後悔という重さを誤魔化すために、しょうがなく天秤に載せたぬいぐるみ?
「捨てないで……」
――だったら、やだな。
腕の中の体温を感じながら目を細め、しがみつく自分の姿は客観視したくないほど惨めだった。
こうして縋りつくのは、風花に見捨てられたら自分の居場所がなくなってしまうから? ……それとも?
その答えは、まだ薄靄の中。
高嶺来瑠は、追憶を食む。
◆◆
今日も結局、見送ることはできなかった。
起きた時には風花は学校に行ってしまっていて、また枕元には置き手紙。
相変わらずふーちゃん名義な宛名に小さく失笑しつつ、伸びをして起床する。
それから用意された朝食を平らげて、食器を洗って。
部屋でただ惰性の時間を過ごすのもなんとなく落ち着かなくて、掃除機を引っ張り出してきて掃除の時間と洒落込むことにした。
布団を畳んで、部屋の中を一通り片付ける。
机と壁の隙間や窓際の小さな溝だとかに埃が溜まっているのを見つけると、潔癖な来瑠はもう駄目だった。
こうなったら徹底的にやってやる。
一度その気になると凝るところのある来瑠が、額に浮かんだ季節外れの汗を拭って一息ついた頃にはもう昼時になっていた。
掃除機を片付けて、自分が清めた部屋の中を見渡し満足げに一息つく。
掃除は好きだ――やればやった分だけ、努力と苦心の成果が目に見えるから。
(今は私の家みたいなもんなんだし、今度他の部屋もやっちゃおうかな)
きゅる、と腹の虫が鳴く声を聞く。
お昼はどうしようか。何か残り物でもあるだろうか。
そんなことを考えている、まさにその時のことだった。
がらら、と玄関口から扉の開く音がして。
「お邪魔します」と聞き慣れない声が聞こえてくる。
女の声だった。
恐らく、年頃は自分とさほど変わらないだろう女の声。
声は足音に変わり、徐々に来瑠のいる風花の部屋へと近付いてきて。
そしてノックをすることもなく、おもむろに襖を真横に引いた。
「あは。やっぱり此処にいたんですね」
人形のような少女だというのが、来瑠の抱いた第一印象だ。
清らかな黒い長髪。吸い込まれそうな深みを帯びた、大きな瞳。
背丈こそ小さいが、その目を引く外見ゆえなのか奇妙な存在感があった。
来瑠の姿を見るなり、にぱ、と花が咲いたように顔を綻ばせる彼女の顔に見覚えはない。
ないからこそ、来瑠はすぐに彼女が誰なのか、そして何故此処に来たのかを理解した。
友達のいない風花の家を知っている人間はまずいない。
それこそ、かつて友達"だった"輩でもない限りは。
「会えて嬉しいです。もし当てが外れていたらお手上げでしたから」
「……そう。奇遇だね。私も、あんたに一回会ってみたいと思ってた」
視線と視線が、交錯する。
少女は笑って。来瑠は、睨み付けていた。
重ねて言うが、二人は今この瞬間が初対面だ。
にも関わらず、彼女達の間に飛び交う敵意には積年のものと呼んでもいいだろう奇妙な重さが伴っている。
それもその筈。
出会ったことはなくとも、話したことはなくとも、彼女達は互いの存在を知っている。
その上で、初めて認識した時から今に至るまでずっと――互いのことをこの世の何者よりも疎ましく思ってきた。
そんな二人が。
決して交わらぬ、過去と現在が。
愛し愛された風の花が不在の今、静けさの中に邂逅を果たす。
「――――――――小綿、詩述」
「はじめまして、高嶺来瑠さん」
追憶は終わり、第二の賽は地面に落ちた。
此処からは、対決の時間だ。
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