追憶Ⅱ

 ――七月。夏休み。

 

「はふう」


 レジャープールに備え付けられたパラソルテーブルの上でだらんと脱力しながら、小綿詩述がトロピカルジュースを啜っている。

 学校指定のスクール水着をまとって、自信満々に「今日は日が暮れるまで泳ぎ倒しますよ」と豪語していた少女の面影は今やどこにもない。

 すっかり疲れ切った様子で、"べちゃり"という擬音が似合う形でテーブルに沈み込んだ姿はどことなく流体のようにも見えた。


「だからのんびり海水浴とかにしようって言ったのに」

「人生は何事も挑戦と克服ですよ、風花ちゃん」

「途中から泣きそうな顔になってたけど……」

「大人になるってのは悲しいことです。たくさんの"できない"を知って、人は大きくなるんですよ」

「……詩述ちゃんが悟ったみたいなことを言い出すときって、大体都合の悪いことを煙に巻きたいときだよね」


 小綿詩述による劇的な介入の結果、火箱風花の学校生活は実に穏やかなものになった。

 経緯が経緯なので周囲からはほぼ腫れ物扱いだったが、元々そういう扱いには慣れている。

 その上、今は隣に詩述もいてくれる。たった一人の、人生で初めての。そして恐らくは最後になるだろう友達。

 彼女と過ごす学校生活は殊の外に楽しくて、そして一緒に話したり遊んだりする内に風花もだんだん詩述という人間のことが分かってきた。


 ひとつ。詩述は、とにかく鈍い。

 風花も人のことを言える運動神経はしていないが、それでも詩述のそれは壊滅的と言ってよかった。

 風花は此処まで運動や体操ができない人間を知らない。そのくせ何故か意欲だけはたっぷりとあって、球技も陸上競技も全力で打ち込むものだから授業の後はいつも経験値が多めにもらえるどろっとしたスライムのモンスターみたいになって机に突っ伏している始末だった。

 今日、プールに行こうと誘ってきたのも他でもない詩述の方である。

 三十分ほどたっぷり泳いで、その結果風花のヒーローは今目の前でぐでんぐでんになっていた。

 近くの自販機で買ってきたアイスバーを口元に差し出してやると、じゅー、と吸い付いてくるのがペットみたいで可愛らしい。


「どうする、もう帰る? 疲れたでしょ、詩述ちゃん」

「……もうちょっと泳ぎます。悔しいので」

「いいけど、もっと浅いプールにしない? あっちに子ども用の、膝下くらいまでのプールがあったよ」

「風花ちゃんって結構ナチュラルに人のことを舐めてきますよね?

 ……それはわたしの尊厳のために却下ですが、貸し浮き輪を持ってきてもらえると助かります。ぷかぷかしたいので」

「ぷかぷかしたいんだ」


 それは泳いでるに入るのか? とは思ったが、それを言うのも酷だろう。

 とにかく、詩述は風花が当初思っていたような完璧でスマートな少女ではなかった。

 頭はいいけど鈍くて、そのくせ変に負けず嫌いでぽんこつで、自分は完璧みたいな顔をしているけれど至るところで抜けている。

 意外と現金だったり、兎にも角にも食い意地が張ってたり、なのに好き嫌いがめちゃくちゃ激しかったりと欠点がよりどりみどりだ。


 けれど――そんな詩述のことが、風花は好きだった。

 まるで漫画か小説のキャラクターのようなコミカルさと可愛らしさには癒やされるし、何より助けてくれたあの日の声と姿が今も脳裏に焼きついて離れない。

 詩述は風花にとって、ヒーローで、友達だ。

 どちらも風花の人生には一度として現れることのなかった、だからこそ欲しくて欲しくてたまらなかった存在。

 それをいっぺんに叶えてくれた詩述のことを嫌いになんてなれるわけがない。

 アイスをしゃくしゃくと小さく咀嚼する彼女にくすりと微笑みながら、風花はふと思い出して切り出した。


「そういえば――今度、うちの近くで夏祭りがあるみたいなんだけど」

「ふむ。夏祭りですか、風流ですね」

「今年は奮発して、少ないけど花火も打ち上げるんだって。……だから、えっと……」


 詩述とは、だいぶ遠慮なく話せるようになってきた。

 だけどそれでも、やっぱり自分から誘う時はこうしてもじもじとしてしまう。

 そんな風花の様子を察したのか、それとも単なる天然なのか。

 アイスバーから口を離して、狙い澄ましたように詩述が言った。


「ぜひ一緒に行きましょう、風花ちゃん。わたし、実はそういうお祭りって参加したことがないんです」

「……! う、うん! 行こ、詩述ちゃんっ」


 嬉しくて、ついつい表情が明るくなってしまう。

 こんなに楽しい夏休みは、本当に生まれてはじめてだった。

 どこに行くにも、詩述が隣にいる。

 電話をかけて遊びに誘ってくれるし、そうじゃなくてもわざわざ話をして一緒に過ごすためだけに家を訪ねてきてくれる。

 ――友達がいる、夏休み。

 ――友達と過ごす、夏休み。

 こんなに楽しい経験をしないまま生きてきたなんて、自分はどれだけ損な人生を送っていたのだろう。

 思わず浮かれてそんなことを考えてしまうほどに、風花は十五歳の夏を楽しんでいた。


「よし。だいぶ体力を回復できました。はりきって浮かびますよ」


 注文通り、浮き輪を取ってきてあげる頃には詩述はすっかりやる気を取り戻していて。

 浮き輪を小脇に抱えて、とてとてと水の方に歩いていく。

 今度は大丈夫かと少し心配だったが、流石に浮き輪があれば水に浮くくらいはできるらしい。

 ぷかぷかと水の波に揺られて漂い満足げにしている姿にふふ、と笑みをこぼしつつ、風花も彼女と一緒に夏を楽しむべく水へ入っていった。



◆◆



 プールで一緒に泳いだ日からちょうど一週間後。

 風花の家で集合した二人は、にわかに賑わう道を進んでいた。

 風花は、両親が生きていた頃以来久しぶりに袖を通した薄桃色の浴衣姿だ。

 数年前のものであるため入るかどうかかなり不安だったが、発育が悪いことが幸いし、そう苦労なく袖を通すことができた。

 一方で詩述はと言えば、いつも通りの私服姿。ラフなTシャツに膝丈までのジーンズという服装だ。

 浴衣姿の風花を見た詩述は、少し申し訳なさそうな顔をして「ごめんなさい、うち浴衣とかなくて」と詫びたが、そんなことでいちいち落ち込んだりするほど風花はこだわりの強い性格をしていない。

 二人揃って浴衣で祭りを楽しみたい気持ちがなかったと言えば嘘になるが、無い物ねだりをしても仕方がないだろう。


 それに何より、大事なのは服装ではなく詩述と一緒だという事実の方だ。

 友達と一緒の夏休み、友達と一緒の夏祭り。

 それは決して、そう非凡なものではないと思う。

 でも風花にとっては、今にも踊り出したくなるくらいの高揚感が込み上げる人生屈指の一大イベントだった。


「うお。さすがに結構混んでますね」

「いつもはこんなに人いないんだけどね。やっぱり花火が上がるってなると、遠くからも人が集まってくるのかな」

「もたもたしてたら何も買えなくなっちゃいそうです。行きましょう」

「……うんっ」


 詩述に手を引かれて、人混みを縫うように進んでいく。

 耳を打つのは祭囃子の音色、鼻をつくのは夏のにおい。

 手に触れるのは、小さくて温かい、大好きな友達の感触。

 ――幸せだ。夢を見ているように、満たされている。


 お互い小柄なので、人混みの中ではぐれたら大変だ。

 手をしっかりと握りしめながら、詩述の向かう先にひたすらついていく。

 まずはたこ焼き。次は、りんご飴。さて次はわたあめです、と言ったところで型抜きの屋台が気になったらしく、詩述はそっちへ向けて歩き始めた。

 店頭のおじさんにお金を払って型と針を二人ぶん受け取り、屋台裏にある専用のスペースに並んで座って型を抜く。

 うまく抜けると賞金が貰えるけれど、型はどれもとにかく脆くて意地悪な構造になっているのでなかなかどうして難しい。そんな記憶が朧気ながらあった。

 風花も、両親が死んでからはとんと祭りのたぐいはご無沙汰だ。

 同居している祖父は変わり者で、とてもではないが人前を一緒に歩きたい相手ではない。

 型抜きなんていつぶりだろう、と感慨深いものを感じながら作業に取り掛かる。


「でも、詩述ちゃんもなかなか渋いね。型抜きやりたがるなんて」

「ちょっと憧れがあったんです。昔読んだ漫画に、型抜きをしてるシーンがあったので。

 私の中では"夏祭りといえば"の代表格だったんですよ。ふふ、夢がひとつ叶いました」

「そうなんだ。さっき賞金の看板を食い入るように見てた気がするけど、あれは私の見間違い?」

「風花ちゃん、中学生が幻覚剤LSDはよくないですよ。悩みがあるならいつでも相談してくださいね」


 ちゃっかり一番難易度の高いやつに取り掛かっている辺り、自称した動機は十中八九建前と見ていいだろう。

 詩述は割とこういうところがある。

 そのくせ散財する時は見ててびっくりするほど使うので、時々横で見ていてヒヤヒヤする。


「……あっ、割れちゃった。うー、やっぱり難しいねこれ」

「ふふん。人間の繊細さが試されるというわけですね、まあそこで指を咥えて見ててください」

「詩述ちゃんも大概雑な性格してると思うんだけどなあ……」


 とはいえ、勝算のない勝負はしないのがなんとも詩述らしい。

 風花が早々に型を割ってしまったのとは正反対で、彼女は思わず感嘆してしまうほど見事に型を削り進めていった。

 最高難易度、微笑む御仏。賞金、中学生にとっては驚愕の10000円。

 まさか、成し遂げるのか。この調子ならもしかすると本当にいけるかも。

 そんな風花の視線に気付いたのだろう、ふっと不敵な笑みを浮かべながら、詩述は風花に言う。


「いいですか、風花ちゃん。何事においても自信を持つというのは大事なことです」

「……、……!」

「自分の実力なんて過信するくらいでちょうどいい。失敗を恐れず進む心さえあれば、結果は自ずとついてくるものなのですよ。

 そのことを、今宵風花ちゃんに見せてあげましょう。さあ、とどめです」


 一番の難所であろう、御仏の頭――螺髪らほつへと。

 詩述は不敵な笑顔と共に針先を振り下ろし、高らかに勝利を宣言するのだった。



◆◆



「やっぱりテキ屋はくそです。人の不幸でお金を集めて楽しいのでしょうか。あんな大人にだけはなりたくないものです」

「まあまあ」


 力強く振り下ろした針先で見事に御仏の顔を真っ二つにした詩述がたこ焼きを頬張りながらぼやくのを横で宥めながら、風花は空き地の上にレジャーシートを敷き、そこへ腰を下ろしていた。

 辺りに人の姿はない。風花としては人でごった返すのではないかと内心心配だったのだが、うまく穴場を引き当てられたらしい。

 焼きそばを口に含んで、屋台特有の具だくさんなそれを味わいつつ空を眺める。

 まだ花火が始まるまでには多少の時間があった。なので時間潰しも兼ね、こうして腹ごしらえと洒落込んでいるわけだ。


「たこ焼き、一個もらってもいい?」

「ん。どうぞ。じゃあ代わりに焼きそばを一口ください」

「ありがと。はい」

「ん…………、……」

「こら、野菜をよけないの」

「わたしは焼きそばを食べたいんです。青虫の気持ちになりたいわけじゃありません」


 キャベツやピーマン、玉ねぎを素早く脇に分別しながら、器用に麺だけ啜っていく姿に思わず笑みがこぼれる。

 かわいいなあ、と。素直にそう思った。

 普段こうしている姿はまるで妹か、年下の親戚の子みたいで。

 だけどかっこいい時はすごくかっこよくて、その二面性に時々頭がくらくらする。

 詩述ちゃん。詩述ちゃん。本当に、私には過ぎた"友達"だ。

 風花はそう思いながら、ついつい詩述の綺麗な黒髪を手で梳いていた。


「……、風花ちゃん?」

「あっ――ご、ごめんね。なんかこう、つい」

「むう。前々から思っていましたが、風花ちゃんはわたしのことを子ども扱いしている節がある気がします」


 自分でも無意識の行動だったので、指摘されてびくりと反応してしまう。

 とっさに手を離そうとして、それをむんずと詩述に掴まれた。


「えーと……詩述ちゃん?」

「やめてとは言ってません」

「……、もっと触ってほしいってこと……?」

「えっちな言い方をしないでください。むっつりさんめ」

「む、むっつ……!」


 あまりに心外である。

 顔をかあっと染めながらも、とりあえず手は離さないまま。

 柔らかくて艷やかな黒髪を、求められるままに弄んでいく。

 指に絡む感触が気持ちよくて、ほんのりと鼻を柑橘系の良い匂いがくすぐった。

 

 ――今度、使ってるシャンプー教えてもらおうかな。


 そんなことを、ついつい考えてしまう。

 友達と同じ匂いに揃えたいだなんて、ちょっと重すぎるだろうと自分でもそう思うけれど、詩述と一緒の部分は多いに越したことはないように思えた。

 無抵抗で髪を梳かれながら、なんだかんだ言いつつご満悦な様子の詩述。

 その姿を見ていると、胸のときめきが止められない。


(ほんとに、かわいいなあ……)


 こんな感覚は、詩述と出会うまで覚えたことがなかった。

 見ているだけで、胸の奥底が妙な疼き方をする。

 触っていると、時々無性に抱きつきたくなってくる。


 友達って、こういうものなのかな。

 なんだか少し違う気がする。

 答えは出なかった。出ないけれど、風花はそれでも構わなかった。

 答えなんて求めていない。大事なのはそばに詩述がいてくれること、大好きな彼女にいつでも触れられること。

 それさえあれば、他に何もいるものか。


「……詩述ちゃんの髪、さらさらだね。お人形さんみたい」

「ふふん。たゆまぬケアの賜物ですよ」

「すっごく触り心地いいよ。私のなんかとは大違い」

「なら、好きなだけ触るといいです。友達なので、特別です」


 そう言って、詩述は風花に背中を委ねてくる。

 

(……無防備だなあ)


 ――むっつりさんめ。

 詩述は先ほど自分にそう言ったが、いまいちそれを否定できる自信がなくなってきた。

 詩述の無防備な姿を見ていると、時々本当にめちゃくちゃに抱きしめてしまいたくなってくる。

 もちろんそうする度胸はないので頭の中で考えるだけに留まっているのだけど、"考えてしまっている"のは少なくとも事実だった。


 仕方ないよ。

 詩述ちゃんが悪いんだもん。

 こんな私に、そんな顔してくれるんだから。


 安心しきったような顔で空を見つめるその顔を見て、風花は思う。

 そうこうしている内に、ぽんっ――というちょっと間の抜けた音がして。

 それから数秒としない内、夏の夜空に大輪の花が咲いた。


「わ。始まりましたよ」

「だね。……思ったよりおっきくて綺麗かも」

「町外れの辺鄙なお祭りに話題性を持たす起死回生の一手なんです。このくらい派手にしてくれないとむしろやる気あんのかって感じですけどね」

「やなこと言うなあ」


 なんて言いつつも、詩述は夜空に釘付けになっている。

 お祭りのたぐいには参加したことがないと、プールでそう言っていた彼女だ。

 夜空に躍り始めた美しい花火は、もしかしたら彼女にとって生まれてはじめて目にする光景なのかもしれない。

 そう思うと、髪を梳いていた手は自然と詩述の前へと回り。

 最初に彼女へ触れた時と同じく半ば無意識的に、その細く小さな身体をそっとゆるく抱き留めていた。

 今度は、詩述は何も言わなかった。


「……きれいだね」

「はい。……きれいです、とっても」


 ――花火の光に、照らされて。

 ――詩述の顔が、ぱっと彩られる。

 

 子どもっぽくてかわいい先ほどまでのとは違う、綺麗で色気すらある顔。

 きれいだね、と風花が言ったのは詩述に対してだったのだが、そのことに当然彼女は気付いていないようだった。

 それでいいし、それがいい。

 そう思いながら風花は、詩述と共に空に咲く花を見る。


「詩述ちゃんは……花火見るの、はじめて?」

「はい。映像で見たことはありますけど、現地で見たのははじめてです」


 だから。

 詩述は言って、風花の腕の中で顔だけ上を向いた。

 目と目が合う。ふふ、と詩述が微笑んだ。


「だからわたし、今、とっても楽しいです。

 ありがとうございます、風花ちゃん。わたしを此処に連れてきてくれて」


 それはこっちの台詞だ。

 そう言いたかった。だけど、言えなかった。

 花火に照らされる闇の中で、自分の顔を見上げる詩述。

 その顔が――あまりにも、きれいだったから。

 かわいくて、かわいくて。出そうとした言葉なんて、あっという間に喉の奥に引っ込んでしまった。


「……はじめて会った時のこと。覚えてます?」

「――忘れるわけ、ないよ。詩述ちゃんが、私のことを助けてくれた。

 あの時詩述ちゃんが私に声をかけてくれなかったら、私は今此処にいないんだから」

「感謝されるようなことじゃないんです、本当は。

 私はただ、今にも死にそうなあなたを助けつつうるさくて鼻につくいじめっ子たちを成敗して悦に浸りたかっただけ。

 今だから言えることですが、あれはただの自己満足でした。

 自己満足のヒーローごっこの一環で、たまたま本当に命を助けられたってだけのことなんです」


 そんなことないよ、と言いたくなった。

 そんなこと言わないで、とも言いたくなった。

 だって、あの時詩述が助けてくれなかったら今此処に風花はいないのだ。

 断言してもいい。あそこで詩述が声をかけなかった世界線、火箱風花は絶対にフェンスの向こうのちゃちな奈落へ身を投げていた。

 詩述がいるから、今の自分がいる。

 今、この楽しくて幸せな時間があるのだと。

 そう伝えたくなったが――それより先に、詩述がにへらと笑って言った。


「でも、今はしっかりこう思ってますよ。

 あの時、風花ちゃんを助けてよかったって」

「詩述ちゃん……」

「未来の私にとっては、あのヒーローごっこもいつか黒歴史の一つになってしまうのかもしれないけれど。

 黒歴史の一つで友達ひとりと、人生初めての綺麗な花火を買えたと考えたら――ふふ。結構悪くはないですね」


 そうまで言われたら。

 そんなこと、言われたら。

 もう、耐えられなかった。

 ぎゅうっと、今度は加減なしで後ろから抱きしめる。

 ゆるく、とかじゃなく。全力で、思いの丈を全部込めてそうした。

 顔は見せない。元いじめられっ子とはいえ、友達に泣いてる顔を見られたくないくらいの羞恥心はある。


「……詩述ちゃん」

「なんですか、風花ちゃん」

「ずっといっしょにいて」

「あらら。甘えん坊さんですね」

「……はぐらかさないでよ」

「はいはい。……ずっと一緒にいてあげましょう、命を救った者として。

 というかそんなことわざわざ改まって言わなくても。友達って、そういうものじゃないんですか?」

「……。そういうもの、なのかな」

「はい。たぶん。わたしは、そう思ってますよ?」


 花火の音と、色とりどりの閃光。

 それに彩られた夏の夜に、友達の感触を腕の中に感じながら。

 腕の中でこちらを見上げて微笑む詩述に、なるべく取り繕った顔で風花も微笑みかけた。

 爽やかでかぐわしい、柑橘のにおいが鼻を抜けていく。

 青春というものにもしもにおいがあるのなら。

 自分達のそれは、きっとまさにこんな香りをしているのだろうと思った。


「冬、札幌に行きたいんです」

「え?」

「雪まつりってのがあるらしいんですよ。いろんなキャラクターの氷像が並んで、それはもうなかなかに壮観らしくて。

 あと一度は本場の北国でスノーボードをしてみたい。疲れ果てるまで遊んだら、夜は旅館で北海道のおいしいお魚に舌鼓を打って、あったかい温泉で疲れを癒して」

「……スノーボードかあ。ううん、ちょっと心配かも」

「わたしは何も心配してません。だって、雪だるまになっても風花ちゃんが助けてくれますから」


 ふふ、と笑って。


「いっしょに行きましょう、風花ちゃん」

「……うん。そうだね、行こ。今度は冬休みに」

「春はお花見もいいですね。桜餅の葉っぱは風花ちゃんにあげます」

「また好き嫌いして」


 花の咲く空の下で。

 風花の青春は、清らかに実りを迎えていた。

 果実が実り、かぐわしく香りながらその味わいを深めていく。

 もうすぐ、夏も終わりだ。

 そしたら少しあってから秋が来る。その後は冬。そしてその後は、新しい春が。


 ──この先も、いつまでも。

 ずっと、この子の手を握っていよう。

 夜空の下に風花は誓い、詩述を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。


 火箱風花と小綿詩述の、一年間の青い春。その、まぎれもない全盛の時間であった。

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