ふたりのセカイ

煮込みメロン

ふたりのセカイ

 雲一つない空から西に傾き始めた陽光が照りつける中、小型ボート上で音楽が流れている。

 小型太陽パネルの充電器に繋がれた音楽機器から再生されているのは何世代も前の古い音楽。平和への願いを込められた歌だ。

 そんな歌に耳を傾けながら、私は釣り糸を垂らして揺れる水面を睨む。

 海面からは複数の魚影は見えるが、餌に食いつく様子は無い。

 ついと規則的に竿を引いて擬餌を小魚に見立てて魚影の気を引いてみる。

 浮が沈み、竿の先端が大きくしなった。

 掛かった。

 確かな手応えを感じ、 糸が切れないように調整しながらリールを巻いていく。

 船上で一人魚と格闘する事三分。

 釣り上げたのはマグロに似た比較的大きな魚。

 正確になんという魚なのかは資料も無いので知らない。

 赤身で美味しい魚という事だけ知っていれば何の問題もない。

 手早く針を取り、生簀に魚を入れる。この前に釣り上げた魚と併せて二尾が入っている。

 それだけあれば十分だろう。

 生簀の蓋を閉めて船に取り付けたバイオガスエンジンを動かす。

 私はゆっくりと小船を操舵し、ほとんど骨組みだけとなり傾いたビル群の間を抜けて家路に着いた。


「おかえりなさい、マキさん」

「ただいま、由美」


 倒壊していないビルの屋上。

 その縁に船を寄せ荷物を下ろすと、船の音でも聞こえたのか私達の住むプレハブ小屋から由美が出迎えた。


「今日の釣果は二尾よ。料理は任せるわ」

「わあ、こんなに大きいのが釣れたんだ。今日は何にしようかな」


 私の置いた生簀を覗き込んで、少女は驚きと嬉しさの混じった声を上げた。


「私は荷物を部屋に置いてくるからそれは任せたわね」

「うん、任せて。ご飯が出来たら呼ぶね」


 釣竿と音楽機器を持ってプレハブ小屋に増設された自室へと向かう。

 スイッチを付けると太陽光パネルにより蓄電された電気によって明かりが灯る。

 部屋の隅に釣り道具を立て掛けると、私はズボンを脱ぎ下着姿になり、部屋に一つだけの椅子に腰かけた。

 背もたれに身体を預けるとキシリと膝の関節が軋みを上げる。

 私の作業場を兼ねている脇にある古い木製の机に視線を移し、工具を一つ手に取る。

 膝の横にある小さな窪みを指で押し込む。

 キシ、と小さな音と共に私の膝が開いた。

 そこから覗くのは金属製の骨格と人工筋肉とそれらを繋ぐ関節部の金属パーツ。

 膝の金属部品が整備不良と経年劣化により既にガタが来ている。

 簡単に自己診断を行えば、視覚モニタには身体の六割が整備不良を示す赤いアラートが点滅している。こんな状態ではあと十年もすればまともに動けなくなるだろう。

 それらを無視し、関節部に付いた錆をブラシで落とし、残り少なくなった機械油を垂らす。

 そうして簡単なメンテナンスを終えると再びスイッチを押し込んで開いていた膝を元に戻した。

 調子を見るために軽く足を動かしてみる。

 どうやら軋む音はしなくなったようだ。

 工具を机の上に戻す。

 プレハブ小屋のキッチンからは由美が料理をしている音が聞こえてくる。

 出来上がるまではまだもう暫くかかりそうだ。

 私は机の上の小さな本棚から一冊の分厚い冊子を手に取る。

 開けばそこにはびっしりと書かれた文字が整然と並べられている。

 それは、私が由美と暮らすことになった経緯が書き記されたものだ。

 いつか由美がこれを読むことになるだろうことを考え、ずっと私が書き記している日記だ。

 私はペンケースから万年筆を一本引き抜く。

 手製のインク壺にペン先を付け、昨日と今日あったことを書き進めていく。


 この地球の生物はゆっくりと死へと向かっている。

 まず環境破壊による海面上昇によって、世界中の多くの都市が海に沈んだ。

 それから同時期に相次いだのは海底地震だった。それにより津波が頻発し、壊滅的な打撃を受けた多数の国家が復興の余力を無くし消滅した。

 更にはそこから一年を置かず、月に巨大隕石が衝突し、砕けるという緊急事態が発生した。

 砕けた隕石が地球へと降り注ぎだしたのだ。

 これを何とかしようとまだ機能していた僅かな国々が一致団結し、この隕石群に対し地球に残された核ミサイルを総動員してこれに挑んだ。

 結果、地球を消滅させる規模の隕石は排除することは出来たが、無数の細かな隕石が地球に降り注ぎ、先の災害で疲弊していた国々を襲い、総人口の半数以上を失っていた人類は更に人口を減少させた。

 私が最後に聞いた噂では、地球の人口はかつての一%にも満たない数しか残っていないのだという事だった。


 私は、主に女性の相手を目的にして作られたセクサロイドだった。

 毎日代わる代わる店にやってくる女性を愛し、抱き、抱かれた。

 そんな変り映えの無い日常が、私が壊れるまで続くと思っていた。

 それが唐突に終わりを迎えたのが、地球に隕石が降ってきた日のことだった。

 一瞬にして私が勤めていた店も、所有者も何もかもが無くなった。

 私はその時、自由になった。

 なぜ壊れずに済んだのかは分からない。ただの偶然だったのだろう。

 それから私は一人、終わりに向かおうとしているこの世界を凡そ一年、あちこちを旅してまわった。私が見た景色のほとんどは瓦礫と、海に沈んだ世界だった。

 旅の間、出会うことがあった人間は両手で数えられる程度の人数しかいなかった。

 そして最後に出会ったのが由美だった。

 出会ったのは偶然。

 赤ん坊の泣き声を確認して探してみれば、生まれたばかりの乳飲み子を抱えた女性が今にも息絶えようとしていた。

 その場に偶然居合わせただけの私を見た彼女は、私に自身の子供を差し出した。

 いったい何を思ったのか、由美をお願い、それだけを言い残して彼女は息を引き取った。

 そうして私は彼女の言葉通り、由美を引き取った。

 乳飲み子を抱えた私はそれ以上の旅を続けることは出来ず、そこが私の旅の終着点となった。

 それからずっと、私は由美と一緒に生活している。

 幸いにして、私のセクサロイドとしてインストールされている一般的な知識データと、それまでの旅の経験と海の底に沈んだ文明からサルベージした物資を使って、今まで母親代わりとして健康的に由美を育てることが出来た。

 娘として、姉として彼女と接してきた。

 例えそれが私のセクサロイドとしてプログラムされた偽りの感情であろうとも、私は由美を愛してきた。

 きっと、それはこれからも変わらないのだろう。


 トントンと扉をノックする音が聞こえ、私はかつての記憶から引き戻された。


「マキさん、ご飯できましたよ」

「……分かった。今行くわ」


 手早く動きやすい服装に着替え、私はプレハブ小屋のダイニングへと向かった。


「今日はマキさんがおっきいのを釣ってきてくれて、たくさんお料理が出来たから、たくさん食べて」

「まあ、こんなに沢山食べ切れるかしら」


 ダイニングテーブルには刺身や焼き魚など、今日釣ったマグロモドキを半分ほどを豪快に使ったのではないかと思えるほどの料理の数々が乗った皿が置かれていた。


 席に着き、料理を口に運ぶ。咀嚼すると魚特有の弾力が口内を刺激する。

 メモリーに記録されているメニューから使用されている調味料を割り出し、味を予測する。


「うん、おいしい。これは塩焼きかしら、よく出来てるわ」


 笑みを向ければ、由美も嬉しそうに顔を綻ばせた。


 機械である私は、元来人間が持つ味覚というものが存在しない。

 代わりに舌にセンサーが付いていて、口に入れた素材をスキャンすることで、予めインプットされた料理のメニューから味の感想を割り出すことができる。

 味わうことが出来ずとも、感想を口にすることは出来る。

 それから、私の身体は摂取した有機体をエネルギーに変換することができる小型のバイオ燃料エンジンを搭載しているため、こうして料理を口にすることが出来ている。

 有機体があれば理論上はエネルギー切れを起こすことは無いけれど、金属フレームの劣化を防ぐことが出来ない点はどうしようもない。

 人間とのコミュニケーションを主とするセクサロイドはこうした食事を取ることによる円滑な会話も想定して設計された結果だ。

 かつては、その人間以上に人間らしいセクサロイドの高級モデルを妻として迎え入れるという人間もいたくらいなのだから。


「マキさんが喜んでくれてうれしい」


 私の向かいに座り、フォークを取る由美の姿を見る。

 国家というものがなくなる以前の、短く切りそろえた日本人特有の黒い髪を揺らし、由美は料理を口に運んだ。


彼女は物心付く頃から暫くは、私の事をママと呼んでいた。

 それが年を数えて14を過ぎたあたりから、私の事をマキさんと呼ぶようになった。

 突然そう呼ぶようになった理由を聞いても、6年を過ぎようとする今でもはぐらかすばかりで聞けたことは無い。

 母親であろうとはしているけれど、結局彼女にとって私は母親たりえないのかもしれない。

 由美にとって私がいったい何と呼べる存在となっているのかは分からないけれど、きっと今感じているこの感情は人間にとって寂しいという感情なのだろう。


「マキさん」


食事を終え、洗い物を済ませた娘が私を呼ぶ。

 視線を向ければ、こちらを見る瞳に私が映っている。


「今夜は一緒に寝てもいい?」

「あら、いっしょに寝るのはもうしないって先月言ってなかったかしら」


 瞳の中の私が揺れる。

 それはかつて、私が働いていた頃に幾度も目にしたものだ。

 女性たちが私に期待し、何かを求める時にしていたものとよく似ていた。


「冗談よ。そんな顔をしないの」


 頭を撫でれば、娘の表情が喜色に歪む。


「本当? 一緒に寝てもいいの?」

「ええ、いいわよ。本当にいつまで経っても由美は子供ね」


 私の腕に自らの腕を絡め、由美は頬を寄せた。

 私はその頬に唇を寄せる。

 私の行為に少しだけ嬉しそうに、そして私の言葉に少しだけ不満そうな表情をするのには見ないふりをした。


END

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