[4] 対決
沖春菜は動かない。不気味なほどにぴったりと静止している。その感情すらも。
視線だけ固定したまま、隣に立つ令に静葉は問いかける。
「バフいる?」
「必要ない」
「りょーかい」
感情操作をかける。対象は自分だけ、一番抵抗は少ない。
人間は常に能力に制限をかけている。身体の安全のため。その制限を一時的に取っ払う。
体感で2%ほど身体能力を向上させる。もっと上げることもできるが反動がきつい。下手すれば肉が切れたり骨が折れたりする。2%程度なら一晩寝れば回復するだろう。
ついでに神経を鎮めておいた。状況を冷静に観察するために。
紺の制服をまとったうつむきがちな少女。体形はどちらかと言えば小柄、貧弱と言い換えても差し支えない。単純な肉体同士の格闘なら弱い部類に入る。まあ静葉も人のことを言えないが。
姿勢のせいで前髪が目にかかってその表情は見えない。感情を読み取るのに若干の困難が生じる。
恐ろしいほどに静か。先の爆発とは対照的に彼女の内面は静まり返っている。波音ひとつ立たない。まったく人間からかけ離れているみたいに。
「あなたが、あなたたちが、邪魔をするから、私の、誰の、大蛇森さんが、渡さない、私のもの、殺す、遠い、問いかけ、海、見えない、遠ざかっている、手に入らない、私の、私のもの、邪魔、邪魔をするな、邪魔をするから、邪魔だ、殺す、殺してやる、あなたが、私を、全部、ひとつ残らず、火が、赤い火が、あなたたたちが、どうして、邪魔をしないで、私のもの、私だけのもの、手に入れる、絶対に、何があっても、塵、三角形、祈り、祈れ、祈りつづけろ、慈悲を、求めて、私の、私だけの、燃やす」
低く詠唱されたそれらの言葉にどれほどに意味があるのか、静葉にはわからなかった。
令は歩き出す。銀の髪を揺らしながら。沖へとむかって真っ直ぐに。
急ぐことはしない。かといって過剰に慎重でもない。一定のペースで前に進む。普段と変わらない足取りで。
その足元が赤く光を放った。わざわざ警告してやる必要はないだろう。
彼女はすでに回避のための行動を開始している。右方向へと大きく跳びのく。遅れて火柱があがった。
今度は左へ。先より回避の程度は小さい。すぐ隣で火柱。恐らくそれは周囲にほとんど熱を発していない。
限定発火と仮に名づけよう。
沖自身はそれに素敵な名前をつけているかもしれない。が、そんなもの静葉は知らない。
自分から一定の距離内にある座標を発火する。範囲を限定することで逆に火力を強め、また取り扱いを簡単なものにしている。発動には若干のタイムラグがあるがそれは本人との距離によって変化する模様。
次々と上がる火柱を避けつつ距離を詰める令を観察することで静葉に読み取れたのはだいたいそんなところだった。
交戦によって令が得た情報もそれと似たようなものだろう。あるいは実際に接している分、威力や発動についてもう少し正確にわかっているかもしれない。
軽いフットワークでもって令は接近する。互いに手が届く距離まで。白い手袋に包まれた拳がぴくりと動く。
それはほとんど同時に発生した。
沖自身を取り囲むように分厚い炎の壁が出現する。その未知の攻撃を警戒するように令は大きく後ろに跳躍する。
発動までの時間はほぼゼロに近かった。近づいたものを排除すべく一瞬で展開する炎の防壁。差し詰めファイアウォールといったところか? いやファイアウォールは防火壁のことだからまるきり違うな。
くだらない冗談だと静葉は自らの発想を笑う。くだらない冗談を考えてる場合かと自分が自分を非難する。
問題ない。くだらない冗談を言えるほどには状況はすでに決している、と少なくとも静葉は感じていたから。
令は再び距離を詰めていく。その動きには戸惑いや躊躇いといった感情は見られない。やけになっているわけでもない。ただ淡々と自分の仕事をやっているだけだ。
近距離。再度二人の間に炎の壁が展開される。その発動の前に倒すのはやはり不可能だろう。恐らく沖自身すらそれを意識してない。自動展開する類の能力。
令は右の拳を握りしめた。そのまま何の作戦もなしに炎の中へと投げ入れる。感覚を研ぎ澄まし冷静に眺める静葉の目には、白の手袋が燃え上がる様子がはっきり見えた。
炎が消失する。令の右腕は沖のみぞおちへと突き刺さっていた。
燃え尽きた布は剥がれ落ち、内側に隠した直線的な構造があらわになっている。もとより虚飾のない、機能だけを追い求めた、機械の塊。
人でないもの。不必要をそぎ落とし、必要だけで構成されたパーツ。腕に似て腕とは異なるもの。その髪と同じように銀色に、鈍く輝く。
それが彼女に似ているのか、彼女がそれに似ているのか、静葉は知らない。今のところ聞く予定もない。ただ彼女がそうした形で敵対するものと戦う能力を保持しているということを知っているだけだ。
沖春菜は意識を失いその場に崩れ落ちた。
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