大好きな君へ

ねえ、彗君

第1話

 陽菜と別れて一週間。


 美月と俺は、一緒に登校するようになっていた。陽菜ともこういうことは一度もなかったのに、違和感がないのが不思議だ。


「朝からお勉強ですか?」

 美月が小さくあくびをしながら言った。俺は苦笑しながらうなずく。

「ああ、もうすぐテストだからさ。ちょっとでも単語を押し込もうと思って」


 美月が感心したように俺の手の参考書を見つめた。


「偉いですね。私、勉強なんて滅多にしないです」


 思い出した。


 美月は不動の学年一位である。運動神経も抜群というまさに才色兼備。そんな美月が勉強をしない、というパワーワードに思わず笑ってしまった。


 突然、美月が言った。まるで、今日の天気でも話すみたいに。


「彗君。私たち、付き合いませんか?」

「……⁉︎」

「だって、桜庭さんと別れたんだし。彗君だって新しい彼女が欲しいでしょう?」


 美月がにっこりと微笑みながら、俺の顔を覗き込んできた。俺は思わず読んでいた参考書を落とした。


 ばさばさと音を立てて地面に散らばった赤シートやメモを呆然と眺める。


 美月が言っていることが頭に入ってこなかった。


「えっと、それは、どういう?」


 美月がかがみ込んで、参考書を拾ってくれる。俺の手にそれらを押し付けながら、ずいっと顔を寄せてきた。ふわりとシャンプーの甘い香りが漂う。


「ですから、彗君も新しい恋を」


 ぷるんとした、桃色の唇。ふっくらと膨らんだそれは、触れてみたらどんな感触がするのだろう。


「美月……」


「なーんてね」


「……え?」


 美月の顔が離れた。髪を耳にかけながら、にやっと笑う。


「嘘ですよ」


 くるりと回転し、先を歩き始めた美月を、俺は呆然としたまま見送った。


「美月⁉︎」


 俺はカバンを持ち直し、美月のすらりとした背中を追いかける。笑いながら校門に向かって走っていく美月。


 ああ、陽菜とこんなこと、したことあったっけ。


 一番大事な人と、こんなふうに自然と笑い合えたら、どれほど素敵だろうか。俺は、そんなことを思っていた。





 あれから陽菜とは一度も顔を合わせていない。向こうに避けられているのか偶然なのか、学校でさえも一度も会わなかった。


 そちらの方がありがたいといえばありがたい。けれど、そんなことよりも、俺は俺の心の内が気になっていた。


 あれほどたぎっていた陽菜への苛立ちや悲しみ、憎しみ。


 そんなどろどろとした想いが消えつつあるのだ。陽菜のことは許せない。相手の男ももちろんそうだ。


 けれど、美月の言うように「復讐」をすることが、果たして大切なことなのか。


 陽菜とはもう、糸が絡み合うことは二度と無いだろう。


 俺の人生から消し去ってもいい人間のはずだ。


 そんな人間にかける時間など、無駄でしかないのではないか。


 それに、復讐をするということは、陽菜と関わり続けるということでもあるはずだ。


 それに。


 傲慢な言い方ではあるが、俺の隣には美月がいる。それで十分なのではないか。


 とてもではないが、そんなことを美月に言うわけにはいかない。


 復讐に興味を失った俺と、美月のためにもやり遂げなければという俺。


 俺は初めて、葛藤という言葉をひしひしと感じた。


 この時の俺は、知るよしもなかったのだ。


 陽菜との関係が終わったなどというのは、幻想でしかなかったことを。



※※※


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