第3話  ★

 彼の鼻息が、あたしの鎖骨にかかった。


 あたしは目を閉じて、ぼうっと白い天井を見上げる。うっすらとついている茶色いしみがまるで人の顔のように見えて、あたしはさっと目をそらした。


「陽菜」


 彼が、あたしの名前を呼ぶ。月の光が彼の後ろからさして、彼の顔が暗闇に沈んでいる。彼は今、どんな顔をしているのだろう。ただ、あたしへの愛情に満ちた顔でないことだけは確かだった。


 首筋に温かいものが押し付けられる。あたしは浅く鼻息を吐きながら目を閉じた。大きな手があたしの胸を包むのを感じる。喉の奥から小さな声が漏れる。


 あたしは両腕を伸ばして、彼の頭を包み込んだ。


 我ながら現金だなと思う。


 数週間前までは、彼のことなど好きではなかったのに。それなのに、今はこんなことをしている。



「どうした?」


 彼が耳元でささやいた。子犬のように耳たぶに歯を立ててくる。ぞくぞくと背中に快感が走り、あたしは大きく息を吐いた。


「――なんでもない」


 あたしのその言葉に嘘はない。


 彼は何も言わない。彼があたしに愛してると言ったことはない。好きだよ、とも。


 あたしだって、そんな睦言は言わない。虚しいだけじゃないか。


 当たり前だ。あたしたちの関係は、それ以上でもそれ以下でもないのだから。


 


 

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