告げる

第1話

 俺はその日、陽菜を校門の前で待っていた。喉がからからに乾いていた。これから口に出そうと思っていること。それを伝えた瞬間を思うだけで、胃が傷みだす。


 約束の時間通りに、陽菜は小走りにやってきた。


「遅くなっちゃった? ごめんね」


 そう言って、耳元で切り揃えた髪を耳にかけた。ふわふわとした後毛や、彼女から立ち昇る洗剤の香りを感じる。それだけで、胸がいっぱいになった。


 いや、馬鹿なのか?


 いい加減目を覚ませ。


 こいつは他の男とヤってたんだ。


「大丈夫」

「彗君から呼び出されるなんて珍しいなって。どうかしたの?」


 2人きりでいると親が心配するから、と陽菜が言ったから。


 俺たちは2人で帰ったことすらなかった。手を繋ぐことも、キスだってまだだった。ももちろんない。


 当時は何も疑問に思わなかったが、今となってはその事実に隠された陽菜の本音に気が狂ってしまいそうだった。


 当時から俺のことなど好きではなかったとすれば、全て辻褄が合うではないか。


 すっと息を吸い込んだ。歯を食いしばって、俺は決意する。


 さあ、いよいよだ。言え。言うんだよ。


「俺たち、別れよう」


 言ってしまうと、奇妙な脱力感に襲われた。頭が麻痺して何も考えられない。陽菜は、黙っていた。その沈黙は、ずぶずぶと俺の心を抉っていく。


 風が吹く。


 陽菜の、乾いた唇が剥がれる音がした。


「彗君、そんなこと言えたんだ」


 顔を上げると、陽菜は唇だけで笑っていた。眉根が奇妙な形に下がっている。


「やっぱり、見てたんだね。あの時」


 何も言葉が出ない。そんな俺を見ているのかいないのか、陽菜はあーあと呟いた。くっと顎をあげ、空を見上げる。


「イカれてるって思われるかもしれないけど、あたしさ、まだ彗君のこと好きなんだよ」


 俺は目をむいた。他の男とこんなことをしておいて、俺に言える言葉じゃないだろう。思いもよらない言葉が喉から飛び出した。


「ふざけるのも大概にしろよ」


 声が震えている。それが悔しくて、俺はぎゅっと拳を握った。陽菜は悲しげな笑みを浮かべ、うなずく。


「わかってる。あたしはあたしがしたことを否定する気はないし、別れないってごねる気もない」


 反省していないのか、こいつは。


 陽菜に対する気持ちがどんどん冷めていくのがわかった。


「でも、これだけは言わせて。彗君と付き合えて、本当に楽しかった。告白してくれて、嬉しかったよ」


 俺は呆然として陽菜を見下ろす。美月の声が脳に響き渡った。


……桜庭さんと別れてきてください。話はそれからです。


 美月のさらさらとした黒い髪。濡れたような瞳。低くなめらかな心地よい声。美しいけれど怖い。触れれば切れそうなほど張り詰めた空気。


 けれど、俺はそんな美月が嫌いじゃない。


……あの人たちに痛い目を見せてやりましょう。


 歯を食いしばった。


 乾燥した唇の隙間から声を漏らす。


「俺も楽しかったよ。お前が月島と浮気する前まではな」


 今の俺にできる精一杯の嫌味にさえ傷ついた様子も見せず、表情を崩さない「元カノ」が心底腹立たしかった。俺だけなのか。この事実にこんなにも苦しんでいるのは。


「ばいばい、彗君」


 陽菜が言った。

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