図書室の少女
第1話
授業はほとんど頭に入らなかった。
気が付けばチャイムが鳴り、すでに四時間目が終わっていた。俺はそれでもぼんやりとした視界を捨てきれず、誰も誘うことなく昼食の包みを広げる。
ふたを開けたとたん、卵焼きとマヨネーズのにおいで鼻腔がいっぱいになる。箸を取り、ぐさりと卵焼きに黒ずんだそれを突き刺す。
食べたくない。
無理やり口をこじ開け、水すらも入れることを拒否している喉を開く。
明るい黄色のすべらかな生地。強制的に歯をかみ合わせると、舌の上にひとかけらが転がり落ちた。味がしない。無理に口を動かし、胃の中に卵焼きをおくりこむ。
ブロッコリーにかかったマヨネーズ。
そのどろりとした白色に、吐き気が込み上げてきた。
陽菜。
俺の前では絶対に見せなかった、あの恍惚とした顔。声。まなざし。
そのすべてを思い浮かべた直後、胃液の酸っぱい味が口の中に広がった。がたん、と音を立てて席を立つ。俺は教室を飛び出し、廊下にかけ出た。
トイレに駆け込んで、一番手前の個室に飛び込んで。便器に頭を突っ込んだ。情けない音を立てて落ちる吐瀉物のにおいに、もう一度吐き気が込み上げる。
胃の中がすべて空っぽになったのが分かった。口を拭い、ぼんやりと考えた。
俺は本当に、生きているのだろうか。ものも食べられない。もう、死んでいるんじゃないか。いっそ、死んでいたほうが楽かもしれない。
俺は、これから先、どうやって生きていればいいのだろうか?
学校が終わった。
チャイムが鳴る。椅子を引く大きな音。スクールバッグに下がったマスコットが揺れる。その日常の風景を、俺はぼんやりと見つめていた。
教室を出る。
足は生徒玄関とは反対方向に向いていた。一人になりたかった。誰とも顔を合わせたくなかった。きっと自分はひどい顔をしている。負け犬みたいな、バカみたいな顔を。
図書室だ。図書室に行こう。きっとそこなら一人になれる。
がら、とドアを開ける。日に焼けた紙のにおいと、ほこりのにおいが体を押し包み、俺は束の間足を止めた。ここに足を踏み入れたのは、入学したての校舎見学以来だろうか。
二台並べられた机のほうに向かう。
一番手前のパイプ椅子を引き、腰を下ろした。ふうっと深い溜息を吐きだし、腕に頭をうずめる。やり場のない思いが胸の中で渦巻いている。
その時だった、背中にそっと手が触れたのは。
「あの、大丈夫ですか」
控えめな声だった。俺はゆっくりと顔を上げ、機械仕掛けの人形のようにこわばった首を回す。
「えっと」
俺は目の前に立っている少女の顔とセットになっているはずの名前を探した。何度か見たことがある。確か、三年間ずっと図書委員で、今年図書委員長になったはずの。
「……雨宮さん」
セミロングの黒髪と、切れ長の瞳に見覚えがある。クラスは違う。あまり友達と話しているところは見たことがない。けれど、陰な空気は感じられなかった。
整った顔立ちと、大きな胸に目が寄せられる。
「藍沢君、ですよね。どうしてここに?」
彼女の長いまつげが、愁いを帯びて震えていた。
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