第3話

「ごめん、すぐ帰るから」


 俺が席を立とうと腰を上げると、彼女が慌てたように手を挙げた。


「いっ、いえ! ここにいらっしゃって結構です。まだ完全下校時間ではありませんし……」


 俺はその勢いに圧倒されて、美月をまじまじと見つめた。陽菜はもちろんかわいい。けれど、美月はどこかはかなさのあるキレイ系。高身長のわりに、メリハリのある身体つきをしている。


「ここ、よろしいですか?」


 美月が本を片手に俺の向かい側の席を指さした。ほかにたくさん席はあるのに、どうしてここなんだろう。そんな疑問を感じたが、俺は結局うなずいた。断る理由はないと思ったからだ。


 美月は腰を下ろし、ふっと唇に笑みを浮かべた。いぶかしげに見ていると、彼女はどこか自虐的に言った。


「私のこと、覚えていてくださったんですね」

「え? ああ、うん」


 美月は一瞬目を伏せた後、いたずらっぽく首を傾げた。


「藍沢君って、彼女さんがいましたよね。こんなところを見られたら、嫉妬されちゃいますよ」


 彼女。


 その響きを聞いて、胸の奥がずきんと傷んだ。よほど情けない顔をしたのだろう、美月が慌てたように声を上げた。


「えっ、あの、その。深い意味はなくて……。ただ」

「いいよ、別に」


 美月はしゅんとした表情で、やや上目に俺を見上げた。


「何かあったんですね。桜庭さんと」


 急に美月が手を伸ばしてきた。人差し指で俺の頬に触れる。俺はぎくりとして身を固くした。


 なんなんだ、この子は。


 控えめなのか、強引なのか。


「顔色が悪いです。私でよければ、話してみませんか?」


 美月の悲しげな空気を漂わせる瞳が、俺をまっすぐに見つめている。ごくり、と生唾を飲み込んだ。俺の舌が、徐々に潤いを取り戻していく。


 ぐっと歯を食いしばる。


 目の前にいる女に、こんなことを話すべきなのか。しかし、美月の吸い込まれそうな瞳は俺が逃げることを許していない。


 体育館裏で見たこと。


 陽菜の声、瞳。言葉。あの男の手。胃の中身を吐き出した草のにおい。卵焼きとマヨネーズ。


 もう、俺にはどうしようもできない。


 俺はいつの間にか、陽菜とのことを話していた。

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