第12話 学校にて
夏休みに入ってから一週間が経過した。
それはつまり、俺がルナやシエルと出会ってから一週間が過ぎたということだ。
この一週間はとんでもないことの連続……だったかと言われれば、別にそういうわけでもなかった。
最初の数日こそ激動であったが今は信じられないほど静かで……もうこのまま何も起きないのではないか? と、思えてくるほどであった。
「今から学校に行く」
平和で平穏。そんな毎日がある程度続いた日、俺は、ソファーに腰かけ、くだらないニュースを見ていたルナとシエルに宣言した。
「どうしたのよいきなり」
「今現在世間は夏休みと呼ばれる期間であるはず。一般的に学生は学校に行かなくていいんじゃないの……?」
「あぁ、学校に忘れ物したことに気が付いてな」
「忘れ物ぉ? もう学校行かなくなってから一週間も経ってるわけでしょ? 今まで気が付かなかったわけ?」
「あぁ、全く……」
「その程度のものなら今更取りに行くことないんじゃないの?」
「いやぁ、それがそういうわけにもいかない代物なんだよな……」
「どういうこと?」
「夏休みには宿題ってのがあるんだよ。それに必要な冊子を忘れちまった。だから取りに行くんだよ」
「宿題?」
「要するに休んでいる間にやらなきゃいけない勉強」
「へぇ、で? なんでソレを忘れたことに今になって気が付いたの? やらなきゃいけない。それも長い夏休みの機関にってことはそれなりの量があるんでしょう? 普通そういうのって毎日コツコツやらない? なんで今になって?」
「……」
「世の中には宿題に一切手を付けない人もいるらしい。そしてそういう人の多くは最終日に慌てふためく。紅葉はそういう人」
「まぁ、ともかく、俺は学校行ってくるから、お前らは留守番しておくんだぞ!」
「はいはい。いってらっしゃい。迷子にならないようにね」
「なるかよ。ここから学校までの往復くらいで」
「あ、まって」
「ん?」
「私、紅葉について行っていい?」
「いいか? 俺から離れるなよ? それだけは徹底してくれ」
「大丈夫、私はそんなにうかつじゃない」
自宅での一幕から数十分後、俺は学校の裏門付近でシエルに視線を合わせてそう言って聞かせた。
シエルが学校にぃ? まぁ別に問題ないか。夏休みだし! ヨシ! だなんて思っていた数分前の自分をぶっ飛ばしたい。
よく考えてみれば学校には部活中の生徒が何人かいるし顧問の教師もいる。部外者を連れてくるのは普通にまずいだろう。
それも、俺みたいなのがこんな美少女を。
「そんなにこっちを見なくても大丈夫。迷子にはならない」
「ま、なら信じるぜ、うるさいやつもいるからなるべく穏便に済ませよう」
門をくぐって学校の中に入る。遠くから聞こえる威勢のいい声以外は何とも静かな
ものであった。
「広いね。家の何倍もある……」
「まぁ、普段はここで大量の人間が過ごすわけだからな」
「想像もつかない……」
「お前らのいた世界……って、覚えてないんだったな」
「うん。ごめんね」
「いや、こっちこそ悪かった」
それから俺たちは階段を上って二階にある教室を目指す。
「紅葉の目的地はどこにあるの?」
「あぁ、二階の突き当りだ。二年生の教室だからな」
「さぁ、ほら、早くいくぜ、二階には厄介な奴らのいる場所が……」
「ほう。やっかいたぁ言ってくれるじゃないか?」
「……見つかっちまったか」
本当は嫌だが、声の主を確認するためにゆっくりと振り向く。
小さな体をした黒い髪の人物がそこに立っていた。恐らく身長が伸びることを見越して買ったのであろう制服はブカブカで、ズボンにはまくり上げた跡がある。
一見少女のようにも見える眼鏡をかけた男子生徒は、左腕に生徒会の腕章をつけていた。
「不本意な言い方をしてくれる。何かまずいことでもしていたのか?」
眼鏡を指先で押し上げて、俺が大の苦手とするこいつはゆっくりとこちらに進み出た。
「……この人だれ?」
シエルが不思議そうに尋ねてくる。だから、俺は答えた。
「天道 歩(てんどう あゆむ)。覚えておく必要はない」
「失礼な奴だ……」
「はいはい、失礼しました。あぁ、それじゃあ俺達はこの辺で……」
「おい。それでハイそうですか……ってなるはずがないだろ? 何しに来た? 部外者を侍らせて」
「侍らせて。というのは言い方が悪い。私達は確かに紅葉の家にお世話になっているけど別に隠したという認識はない。私にもルナにも……」
もう手遅れではあるが、ルナの口を塞ぐ。
「まて。どういうことだ? 新庄お前……」
「いやいや! 何でもないから! 親族、こいつもそのルナってのも俺の親戚ってだけで」
「はぁ、ひとまずはそれで満足しておこう……。もう行くが、あまり長居するなよ。目的がすんだらすぐに出ていけ」
「おい、俺が何しに来たのかわかるのかよ……」
「宿題を忘れたから回収に来た、違うか?」
大正解だよ、畜生。答える間もなく、天道は俺に背を向けて去っていく。小さくなるその背中を見て、俺は一息をついてからシエルを解放した。
「偉そうな人」
「そういうやつなんだよアイツ。ま、悪い奴じゃないんだぜ? いいやつでもないけど……」
「微妙な人なの?」
「あぁ、微妙な奴だ」
ある教室の窓際に歩いてゆき、机の中に手を突っ込む……。
「……。これ、じゃないだろ……これは……違うやつ。いや、これは……」
「その小さな机の中にいったい何が入ってるの?」
「普通だよ、このくらい……あった」
小冊子を取り出して俺はソレを見てため息をついた。宿題、頑張らなくては……。
「はぁ……面倒くせぇ」
「……紅葉は、いつもここで過ごしてるの?」
項垂れ、椅子に深く座って、机に突っ伏す俺を見て、シエルは静かに訪ねてきた……。なんとも空気が読める子だ。申し訳なくなってくる。
「あぁ、月曜から金曜までは大体ここで……」
「どんな風に?」
「あぁ、ここにこうやって普通に座って、前に立ってる先生の授業聞いたり……さぼって寝たり……?」
「ふーん……こんな感じ?」
シエルはそう言うと、俺の隣の席に腰かけた。
体の小さなシエルが高校の風景に紛れ込んでいる違和感こそあれど、それが気にならない程度には美しい光景だった。
誰もいない、明るい教室。そこにふわりと腰掛ける天使のような少女。シエルの纏う不思議な空気もあって、その光景は現実離れして見えた。
絵画や映像作品の様な美しい光景は、俺の心を奪い、つかみ取るには充分であった。
「そうだな……」
「……? どうかしたの?」
「あぁ、いや、実際にシエルやルナが同級生だったらどんな感じかと思ってな」
代り映えのしない、モブのような日常に、二人の美女が入り込んでくる様子を夢想する。
きっと、ずっと続くと思っていた日常は大きく変化するだろう。でもそれは、きっと悪いものでもないだろう。
「なぁ、シエル……」
「なに……?」
「ありがとう」
不意に、言いたくなった言葉を告げた。シエルは目を丸くした後不思議そうに首を傾げた。
「お礼を言われるようなことはしてないよ……? むしろ迷惑をかけてる」
「言いたくなっただけだ」
ふと思う。シエルがいてルナがいてそんな日も悪くはないのではないだろうか……。
そんなことを思いながら、普段は心底嫌いな椅子の上で体を伸ばした。
「はぁ……。はぁ……ぅ、っ……。あ」
身体から、一気に力が抜けた。指が動かない。力が入らない。俺は視線だけで奴をにらみながら、口の中に入った砂利をかみ砕いた。
「弱さとは罪だねぇ……」
男は笑う。バケツをひっくり返した大雨の中、俺はそこに向かって手を伸ばす遮るものなんて何もないはずなのに、鉛のような身体は思うように動かなかった。
「はぁ……はぁ……ぅ、く……そ」
「じゃあね。負け犬君」
男は笑う。感情を吐き出すためだけの叫びは、雨音にかき消された。俺は、連れ去られるシエルを、見ていることしかできなかった。
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