第8話

 果ての世界の冒険も深層部へ向かっていた。

 立ち入りを制限されることも制止されることもなく、サイレンスは城壁内にある建造物を隈なくひとり見て回る。


 特徴的な模様と色の組み合わせをいくつも見ていると、なんとなくだが模様の傾向や配色などに系統を見出した。

 その最たる場所が地下に存在していた墓地だ。

 墓地だとわかったのは花が添えられた形跡があるからで、それがなければそこが何かわからなかっただろう。


 所狭しと建てられた石板に、模様と色が描かれている。

 階段状になっているそこは順当に下部から民、高職者、王族と区切られているのだろうと予測ができた。


 いわゆる国民は平等に円形を中心とした模様を持っている。

 色も単調でほぼ二色だ。

 時折、同じような色で濃淡だけの石板もある。

 高職者になると、円形が二つあったり円形が幾何学模様を繋げているように見える。

 色は五色ほどに増えるが、濃淡の区別はあまりなかった。

 そして王族は直系に近いほど複雑な模様を展開しているようだ。

 石板も民の三倍ほどの大きさになっていて、隅々にまで七色ほどの色が豊かな濃淡と共に広がっていた。


 模様と色だけでこんなにも「個人」が表現できるとは思わず、整然と並ぶ石板を夢中で見て回った。

 そして改めて王子の模様と色を思い出す。


 彼が捕らえられていた場所にあった模様は、目の前にある王族の一番大きな石板を超える大きさだった。

 色数が多く、そのどれもが濃淡を持たない。

 それらは素人が見てもとてつもない「特別感」があった。


 それほどの祝福を受けていながら、模様の意味がとてつもない能力だと誰も知りえなかったのだ。


「ここは……資料保管庫か?」


 墓地のさらに下層部に古い紙の匂いを嗅いだ。

 錆びた鉄の扉を押せば簡単に開いてサイレンスを迎え入れてくれる。


 盗人用の罠がないか調べてから中に入り、魔法省でも取り扱いが厳重な古書と同じような装丁の本がぎっしりと揃った、広大なそこに震えが走る。

 先が暗くて見えないほど広い。

 全体を見渡せるほどの明かりも存在しない。


 足元のタイルに魔法がかけられているようで、踏めば下から明るくなる。

 数メートル四方のタイル一枚一枚が独立していて、タイルの上を移動する度に明るくなる場所が変わる。

 あたたかみのある光に照らされた古書は、サイレンスの視線を感じ取って背表紙のタイトルを浮かび上がらせた。


 今もなお、古代魔法で制御されているようだ。

 サイレンスは少し考え、目を閉じた。


 数回深呼吸をすると、前方から明かりがこちらに向かってやってくる。


「やはり司書が存在したか」


 やってきたのは、半透明の人型だった。

 これだけ巨大な場所だ。

 目的の本を持ってきてくれる魔法が存在していると思ったのだ。


 差し出された本を受け取り「ありがとう」と礼を言うと、人型は滑らかに会釈をしてその場に溶けて消える。

 サイレンスは入り口近くに椅子があったことを思い出して引き返すと、大きなサイズの本を膝に乗せて広げた。

 幼い頃に父王の膝の上で見せてもらった絵本のようだと、心が和む。


 持ってきてもらった本は、あの日の記録だ。

 見極め役の老人は何を見てどんな言葉を言い放ったのか。


「ん、王子の話ではないのか」


 彼が王子である事実すら消されたようだ。

 本には果ての世界に生まれた者、としか書かれていない。

 それでも彼の持つ模様や色彩は克明に残され、いかに期待を一身に受けていたのかが伺える内容だった。


 運命のあの日。

 不老の僧は生涯最良の日と言ったらしい。

 類まれなる能力を見極めることができるのは栄誉だと、弟子たちに何度も言って聞かせた。

 心躍らせ、出会ったことのない高貴な気配を持つ「その人」が待つ謁見場へ向かい、対面が光栄であることを全身で表したくて深く挨拶をした。


(王族への挨拶も、こうして書くと大仰な挨拶のようだな)


 書籍の書き換えは容易だ。

 この世界の人々にとって記録の書き換えも簡単なのだろうか。


 不老の僧は、若く優しいその人を見た。

 純白の髪、濃紫の瞳、言い伝えられた優良な条件が目の前にある。

 結果を早く知りたいのは本人も同じだったが、いつもの通り生命の樹に祈りを捧げ力を頂戴し見極める。


 だが、何も見えなかった。

 どんなに見ようとしても、白い空間が広がっているだけだった。

 正に白無。

 闇でなかったことが救いだと書かれてあったが、ついでのように書かれてあった。


 僧はあまりの出来事に発狂しそうになり倒れ込んだ。

 そして無垢な表情で微笑んでいるその人に向かい骨張った指を向けると、衝撃に掠れて潰れそうな声を絞り出し叫ぶ。


「何もない!」


 果ての世界の住人にとって、能力がないとは存在しないと同意。

 子どもですらなにかしらの能力を持っている。

 それなのに、巨大な式彩しきさいを持って生まれたその人を包む力の気配はなく、広く虚無な白い空間しかなかったと言う。

 見せかけだけの期待外れだと、人々は落胆した。

 期待をした人々が多かっただけに反動も大きく、その人は罰を受けることになった。


 記録はそこで真実を終えていた。

 王子の身に降りかかった不幸は記述されることはなく、罰を受けることになったその人から受けた人々の傷が同情を誘うように連なっている。


 咎人となった者の存在は消してしまわなくては忌魔が蔓延る。

 どこにでもある言い伝えに、古からの一族も従ったのだろう。

 むしろ、咎人の処遇について制定がいつ決められて始まったのか知りたいくらいだ。


(知ったところで覆りはしない。それよりも、変えていくことを考えなければ)


 固定観念を外し、今の感覚で議論し世界共通認識を明瞭にして新たに定めていくべきだ。

 せめて協定を結んでいる世界間の認識だけでも変えていければ。


 一介の英雄がどんなに声を上げても無駄かもしれない。

 だが、何もせずに動かないのはサイレンスの性に合わない。

 風の如く動けば周囲の空気は流れる。

 その気質で、これからも世界と共に生きていきたいのだ。


「ん?」


 剣の鞘が鳴った。

 見れば青白い光が細く漏れている。


 王子になにかあったのだろうか。


 サイレンスは大きな本を閉じ、人型が消えた場所まで移動して本を前に突き出した。

 すると人型が床からぬるりと現れて本を受け取り、ゆっくりと奥へと歩いて行く。

 床のぼんやりした光をしばらく見つめ、サイレンスは地下を出るとすぐに空に舞い上がった。


 変わらず風は優しく、気さくにサイレンスの言葉を受け入れてくれる。

 生命の樹へ急ぎたいと伝えれば、悪戯かと思うほどの突風が背後を押した。

 おかげで早く純白のさざ波輝く生命の樹に辿り着く。


 サイレンスに気がついたのか、王子がこちらを見るのがわかる。

 傍のジャッジが吠える声も聞こえてきた。


 降下の風力に飛ばされないようにと気をつけながら着地したサイレンスに、王子が両腕を伸ばして歩いてくる。

 その手を柔らかく握って場所を知らせると、王子は歩みを止めた。


「呼んだかい?」

「……」

「まだ、キミの煌声の影響下にあるから」


 戻ってきた理由を知りたそうに首を傾げたので、愛剣を鞘から抜き青白く光る様を見せた。

 王子の目は布で塞がっているが光の点滅はきちんと感じるらしく、剣が零す光も確認したと頷いてくれる。


「……」


 風に舞い上がった柔らかな前髪。

 額に決意に絞られた眉のしわが見えた。

 唇を固く結び、触れている指先には力がこもる。


「答えが出たのかい?」


 サイレンスの言葉に、王子は頷いた。

 慎重だった分、サイレンスはもう一度決意を確かめる。


「急がなくてもいいよ?」


 頭を振り、もう決めたのだと伝えてくる。

 コツコツと歯を打つ音が聞こえ、サイレンスは三度の確認を止めた。

 長く噛み続け、そっと口から放たれた青白い光の粒は、サイレンスに触れるとすぐに砕け散る。




 真の言霊は霊格に匹敵する命を持つ

 偽りの声音を通すは憎悪に連なる

 我が煌声は恥痴

 而して無声の我には煌声を選ぶ他なし




 煌めく声音の、古い言葉や言い回しは聞き慣れた。

 恐らく、これも世界を知っていけば変化をしていくだろう。


 自分を低く評価する王子の謙虚さにも慣れてきた。

 サイレンスに伝えられるようにと「声」を使ってくれる優しさは彼の本質だ。

 真っ直ぐに見上げてくる顔を覆う布は恐ろしいが、洞のような眼の奥には美しい瞳が在ると信じている。


 サイレンスは顔を綻ばせて大きく頷いた。


「ならば、キミの答えを聞こう」


 サイレンスの弾む声に王子も頷き、歯を噛み合わせる。

 伝えきりたいという意思なのだろうか、先ほどよりもさらに長く打音が響く。




 啓示の道に智はなく闇のみが広がる

 円環の理にすら答えはなく干渉の中には深淵が横たわる




「……」


 彼の中に外の世界へ行く希望が何一つないということなのだろう。

 未知の世界に何を期待し、思いを馳せればいいのかもわからないほど、彼の心は渇いてしまっている。


(そうさせてしまった人の愚かさも、彼は赦している)


 添えていた手に指が当たった。

 重ねられた王子の手を見下ろしていると、新しい光の粒が零れ出す。




 ぬくもりに内包された希望の輝きは尊い

 あたたかい光は煌声に似た聖を持つ

 卑しき咎の絶望に煌めきが降積し暗なる闇を消滅に誘う




 細い指がサイレンスの手を柔らかく握った。

 理解を促すような沈黙の間も、王子の手はサイレンスの武骨な手を握り続けてくれた。

 幼い柔らかさのない指だったが、優しいぬくもりがある。


「……!」


 手元を見ていた顔を上げ王子の顔を見た。

 布製の単眼の洞があるだけだったが、小さな唇は緩く弧を描いている。



 

 無欲であるべき咎人である

 英雄の放つ希望に関与が芽吹く

 得てはならない渇望

 見返りは礎

 清らかなる者を悪意に近づける




「キミが心配してくれる悪意、キミに訪れる不幸、すべては私が英雄として跳ね除けてみせよう」


 だから、と言う言葉を飲み込んだサイレンスに、王子の歯を噛む音が聞こえる。




 道標と成る信念の強さ

 希望の熱量に見る事実

 崩壊を望んだ咎人への懇篤


 英雄は咎を認めず

 英雄は我を庇護し

 英雄は礎を襲名しようとする


 惜しげもなく注がれる愛情

 懐かしき血族のぬくもり

 忘れてはいない

 忘れはしない

 

 二度と果ての世界で人と成ることはできなくとも

 我の礎に身を預け

 触れるすべての世界で人生ひとなる刻に情を委ね

 記録の果ての砂塵から咎人を掬い

 心からの祝福を謳歌したい




 怒涛の煌声により二人の間が青白い輝きが広がっていく。

 王子は必死になって声を届けてくれているのだろう。

 ずっとサイレンスの手を握ったまま、先に零れた煌声が消える前に新たな煌声を吐き出し続けた。


 音もなく儚く散る青白い粒一つ一つから伝わる言葉に、サイレンスは止まらない震えに頬を上気させた。

 王子と初めて相見えた瞬間を思い出し、同じくらい青白く光る今に目を見張る。




 生命の樹が途絶えた間に広がった厄災

 続く禍根を断ち切る祝福を奏でたい


 風の礎と共に




 しばらく続いた輝きが落ち着き、王子からの最後の一粒を聞いた瞬間に華奢な肢体を大きく深く、抱きしめた。


「私を信じてくれて感謝する。本当にありがとう……!」


 興奮に掠れる言葉に、細い腕が控えめにサイレンスの背中に回った。


 伺っていたジャッジがぴょんぴょん飛びながら吠え、二人の周りを回る。

 微笑ましく見ていると、背中に触れていた手に軽く叩かれた。


「苦しかったかい」


 違う、と首を振った王子はサイレンスの胸を押して距離を取ると、生命の樹の許へ誘った。

 素直について行くと、生命の樹に触れた王子の指が樹皮に溶ける。

 抵抗もなく手首まで生命の樹に入れるのを見守るサイレンス、隣には神妙な顔になったジャッジが座った。


 二呼吸ほどの間があって、腕を引いた王子の指にはとろりとした液体が絡みついている。

 空気に触れるとすぐに硬化し丸くまとまり、透明から純白に変色した。

 王子の掌の中でさらに変色し、サイレンスに差し出された時には燐灰石のような色になっていた。


「これを持つのかい?」


 お守りみたいなものだろうかと思っての質問に、王子は頭を横に振った。

 丸石のようになった物を摘まんで口に入れる仕草をする。


「食べるのかい?」


 鉱石を食べることもあるから、石のように見える物を口に入れることに抵抗はない。

 王子の肯定を見て、サイレンスは一口大の塊を摘まむと口の中へ放り込んだ。


 舐めて溶ける物ではないようだ。

 歯を当ててみたがとても硬い。

 飲み込むには大きな塊で、どうしたものかと王子を見る。


「ウォン!」


 口の中が一杯で言葉が出せないサイレンスの代わりにジャッジが連絡係を引き受けてくれたようだ。

 ずっと拗ねていたのに変わらず気が遣えるジャッジは、あとでたっぷり褒めてやろうと思う。


 ジャッジの声を聞いた王子は、自分の口を開けて見せる。


 その行動の意図が読み切れないサイレンスに飛び掛かり、ジャッジは服を噛むと引っ張った。

 最終的に抵抗するサイレンスの背中に飛び乗りしゃがませると、棒立ちの王子を後ろから押す。

 反射的に手を前に出した王子の指先がしゃがんだサイレンスの髪に触れ、そこから眉、目元、鼻筋を通って口に到達した。


「んっ?」


 王子が戸惑いもなくサイレンスの口に指を捻じ込もうとするものだから慌てるが、王子は口を何度も開ける仕草を見せることから、観念して口を開けた。

 何の変化もなくそこに在る物体に王子の指が触れたと振動が伝わったと同時に、硬かった物体が熱したチーズのように形を崩す。


 とてつもない芳香が口から鼻に抜け、ろとみのある液体と化したそれは嚥下する前に粘膜に吸収されたように消えた。


 樹液のような豊かで甘い香りだった。

 つまり、生命の樹から採取された液体だろう。

 それを吸収する意味を考え、納得した。


「礎になる準備だね」

「ウォウゥン」

「ありがとうジャッジ。キミがいてくれて助かった」

「ウォッフ」


 胸を張るジャッジの頭や顔を存分に撫で回し、サイレンスは身体に変化がないかを確認するが特に変化はない。


「外の世界を見る決意をしてくれた王子のためにも、ここを出る支度を始めようか」

「ウォン!」


 心は逸るが、懐中時計を見れば寝るには早いが旅立つには遅い時間になっていた。


「すぐにでも出たいところだが、旅立ちは明日の朝一番にすることにしよう」

「ウォン」

「それでいいかい」


 王子に聞けば静かに頷いて生命の樹の元へ歩き始める。

 見えていないはずの王子は、生命の樹に向かう時だけは見えているように移動をする。

 それもまた特別なつながりなのだろうと思いつつ、少なくなってきている干し肉を寝袋の下から取り出す。

 さすがに空腹を感じているらしいジャッジの視線に笑って干し肉を差し出し、自らも硬く臭いが濃厚になった干し肉を口に入れた。


 しばらくして就寝前の鍛錬をしていると、ジャッジが王子に絡むように低く小さく吠えるのが聞こえた。

 何事かと思って駆け寄ったが、王子に異変はない。


「どうしたんだいジャッジ」


 サイレンスの声を聞いて、王子はジャッジの傍に座ると耳元に顔を寄せる。


「?」


 ジャッジはぴんと背筋を伸ばしてサイレンスの傍に歩み寄り、得意げな表情で見上げると素通りしていく。


「ジャッジ?」


 行く先には寝袋がある。

 まさか追加で干し肉が欲しいとでも言うのだろうか。

 だが、ジャッジは寝袋を食むとUターンしてサイレンスの脇を通り王子の元へ戻って行った。


「ウォン」


 寝袋を生命の樹の傍に落とし、ジャッジは伸ばしてきた王子の手の下に素早く頭を入れて撫でてもらっている。

 サイレンスは未だに行動の意味がわからず、あらゆる可能性を考えていた。

 そうしている間に王子が生命の樹に指をつけてあの樹液を飴のように伸ばし、足元にある寝袋にそれを擦りつけるのを見る。


 不思議なことに樹液は硬化せず、寝袋にかけた安眠魔法に馴染んだようだ。


「キミの能力はすべての魔法に馴染むようになっているのかい?」




 生命の樹はすべてに通じる

 馴染まない事象は存在しない




「そうなのか……本当にすごい能力だ」




 己が能力とはかけ離れた永劫の記録

 其は能力ではなく環境




「環境、か」

「ウォンウォンッ」


 煌声の深い意味に頷くサイレンスにジャッジは駆け寄り背中から押してくる。

 抵抗せずに歩けばすぐに寝袋の隣だ。


「……」

「……」


 比較的穏やかな表情をしている王子と見つめることしばし。

 待てないジャッジが一番に行動した。


 寝袋に頭を突っ込み入ってしまう。


「わかったよ。もう寝ようと言うことだね」

「ウォッフ」


 ジャッジの返事にサイレンスが動けば、王子も同じように動いて再び見つめ合う。


「王子?」


 王子が寝ないことを知っている。

 なにかを言いたいのだろうか。


「寝袋に入ってみたいのかい?」


 ようやく正解の出たサイレンスに何度も頷き、王子はジャッジの気配を頼りにしゃがむと頭から入ろうとした。


「それではダメだ、待って」

「……」

「ジャッジと同じ入り方をすると、寝袋の中で困ることになるよ。私の言う通りにして」


 王子の手を引いて一旦寝袋から出てもらい、足から順番に入っていくようにと教えてやる。

 思うように動けていないのか王子は首を捻りながらも、寝転ぶジャッジの横で身体を横たわらせた。


 サイレンスとジャッジが入っただけでいっぱいになる寝袋に、王子を入れてしまうとサイレンスの入る余地が完全に失われる。

 それでも横になりジャッジに抱きついている王子を見れば不満はなく、サイレンスは寝袋の隣に身体を寝かした。


「……」

「寝袋は狭いから」


 思えば生命の木の根元で眠るのは二度目だ。

 あの時どんな力が働いたのか、目覚めれば生命の樹の中だった。


「私が生命の樹の中に入ったのは誰の意思だったのかな」


 内側へ入ることがなければ王子を発見することはなかった。

 サイレンスは外側から生命の樹を破壊し、傾く果ての世界をどうにもできないまま共に奈落へ落ちていたかもしれない。


「生命の樹そのものの意思だったのだろうか」


 命尽きるギリギリまで希望を捨てなかったのだ。

 王子が飛ばした煌声が何者かの手に届き、外部からの侵入を拒否している果ての世界へ入ってくる英雄クラスの人物を待っていたとしたら。


 王子の能力を知っているのは唯一、生命の樹だけだったろう。

 だからこそ彼を殻の中に閉じ込めて守り抜いたのかもしれない。

 人らしい感情から残酷だと思われようが、王子を生かしておくことが全世界のためだと理解していたのならば。




 生命の樹は風の英雄を承認した




 サイレンスの疑問が伝わったのか、王子は小さく煌声を零した。

 控えめだったが、夜の帳の様相を醸し出す薄暗い空の元、青白い輝きは生命の樹の純白に反射し存分に輝く。


「光栄だよ。礎になることも、生命の樹に認めてもらったことも」


 寝袋に隠れて王子の表情はよくわからないが、寝転んで前髪が割れて額が見える。

 そこに不安の相はなく、サイレンスは口角を上げた。


「ンゴッ」

「!」

「ははは、ジャッジはもう熟睡しているようだ。キミの隣は私の隣よりも居心地がいいらしい」


 イビキをかき始めたジャッジに苦笑し、困惑する王子に「大丈夫」と安心させる。

 寝袋を抱き込むように腕を伸ばし、ジャッジと自分の間に王子を挟む格好で眠る位置を決めた。


「おやすみ」


 深く深呼吸をして睡眠へ入り込むサイレンスの意識に、ポッと青白い光が点る。




 優癒ゆうゆの刻を鮮やかな記録へ




 意味を考える前に、思考が途絶えた。






 空が輝いている。

 風が煌き歌っている。

 同じくらいにキラキラした民の笑顔と活発な声音に、心はいつも踊っていた。

 王国の中でも小さな部類だったが、自信を持って風の王国の出身者であると言えるくらい素晴らしい国だ。


 父王は威厳を持ちながらも優しく、母后は淑やかで穏やかだった。

 第一王子だからと特別扱いはされず、民の子らと同じ学校に通い風魔法を習得した。

 悔しくて泣いたのは自分の力不足の時だけで、哀しい気持ちなど知らないくらいに笑っていた。


 だが平和であることに慣れてしまわず、王国は敢えて外部からの戦に武力を行使する面も見せた。

 優れた風魔法の使い手が多い王国は、智将である父王と側近たちにより難攻不落とまで言われるまでになったのだ。

 それでも悪評が生まれなかったのは敗戦相手を蔑ろにせず、尊重し侵略を行わなかったことが挙げられる。

 強大な魔法を扱える者たちが、いつもは農作業や旅人を相手にしていると知った時の反応はいつ見ても楽しかった。

 軍国ではない小国故に狙われ易かったが、一度たりとも負けたことはない。

 サイレンスにとってもそれは自慢の一つだった。


 冒険者になりたいと進言した時、父王は反対しなかった。

 息子の門出を盛大に祝い、外での活動報告は忘れないようにと言うだけで引き留めなかった。

 信じているからと、母后も笑って見送ってくれた。


 だからこそサイレンスはすべての人に善良があり、信じることで絆が強くなると確信しているのだ。


 風が頬を撫でる。

 舞い上がるに相応しい、いい風だ。

 陽光が眩しい澄み渡る空を、いつまでも自由に飛んでいたい。


「……」


 疲労感がなくなっている。

 強力な治癒魔法をかけてもらったように身体が軽い。


 いや、まだ夢の中だからそう思うのかもしれない。

 これは夢だろうか。

 思い出だろうか。


 風の王国に吹いていた自由な風の香りがする。

 彼らの楽しいお喋りのような煌きを感じる。

 一緒に飛びたいと思う素直な心を歓迎してくれる優しい風だ。





「……」


 開けていたような気もするが、開いていなかった瞼を上げると、眼前に王子の単眼がある。

 気配を薄く保ち、サイレンスたちの睡眠を妨害しないようにしているように思えて、自然と笑みが浮かんだ。


「おはよう」


 掠れた声で挨拶をすれば、唇の端を僅かに上げてくれた。


「いい夢を見たよ。ありがとう」


 王子とジャッジに貸している腕とは別の腕を上げて全身を大きく伸ばした。

 休息と復活により筋肉も解れている。


 まだ寝ているジャッジを起こさないようにと寝袋の下から腕を引き抜き、立ち上がってもう一度全身を大きく伸ばす。

 胸いっぱいに吸い込んだ空気は澄み切っていて、ほんのりと冷たい。

 成長した生命の樹を見上げれば、純白の葉が風に揺れている。

 微かな木漏れ日に目を細め、寝袋から抜け出そうと蠢く王子に気がついた。


「待って、手伝うよ」


 恐らく王子は、記憶している寝袋の入り方を逆再生している。

 だがそれで上手くできないのは、相手が形を自在に変える寝袋だからだ。

 困った風に眉が寄せられる額のしわが見えて、サイレンスはすぐに手を伸ばした。


 肩を叩こうとした手が、すぐに王子に握られる。

 視認することのない顔は、ちゃんとサイレンスに向いていた。


「礎の気配も、わかるのかい?」


 頷く王子に風魔法を薄く纏わせ、片腕だけで寝袋からするりと引き抜く。

 勢いよく宙に身体を投げ出した王子を軽く抱き寄せて地面を蹴った。


「朝日のない場所だが、朝はくる。私は、朝の静寂も好きなんだ」


 ジャッジが起き出し上空にいる二人に吠えた。


「果ての世界を見て回ろう。ジャッジもおいで!」

「ウォオオォン!」


 ジャッジも回復しているらしく、巨大化してサイレンスの隣に並び歩き始めた。

 王子は風魔法に保護され、サイレンスと片手を繋いだ状態で飛行している。


「しばらく戻ってこないから、果ての世界の空気を覚えておいて。戻ってきた瞬間の感動も、ぜひ味わってもらいたいんだ」


 理解したのか王子は所在なさげにしていた片腕を広げた。

 途端に風の抵抗が生まれ、魔法効果で空気抵抗の少ない身体が煽られる。

 サイレンスが上手く抵抗を相殺し、再び安定した飛行に戻った。


 王子は夢中になって周囲を感じているようだ。


「今、城壁の近くだ」

「……」

「キミが祝福されていた部屋も残されているけれど、寄っていくかい?」


 少しだけ考える間があり、王子は頷いた。


 過去は逃げるものではない。

 過ぎたものだ。

 王子はそれを本能で理解しているのだろう。


 城下町に到着して巨大化を解いたジャッジが石畳を通って城内へ入った頃、二人はバルコニーからあの部屋へ着地した。


「私が見たあの光景からは想像がつかないほど、ここには何もない」




 咎人の痕跡は消滅させるもの

 住居は当然失われる




「けれど、この部屋を潰さなかった。咎人への対応は全世界共通だ。本来であれば咎の忌魔を消す意味を込め、部屋のあった場所も失くしてしまう」


 そうしなかったのは、誰かの情だと思いたい。

 ほんの僅かにあった後悔だと信じたい。


「咎人としてキミに酷い仕打ちをしたのに部屋を残すのは異例だ。この意味が、旅の中でわかるといいね」

「…………」


 つないだままの手に力が入る。

 王子の表情は伺えないが、指にこもった力加減から彼の決意を感じた。


「ジャッジが隠れたと思って拗ねるといけない。そろそろ行こう」


 バルコニーから出て城下町の上を一周しジャッジと合流、世界の境界線付近を飛びながら生命の樹の元へと戻ってくる。

 地上に降りてすぐに飛びついてくるジャッジを撫で、一緒になって頭を撫でる王子を見た。

 心なしか頼もしく思える。

 決意とは人を強くするのだろう。


 朝食にしようとしたが、干し肉をジャッジに与えると自分の分がなくなってしまった。

 仕方がないと苦笑していると、干し肉を貪るジャッジに王子がなにか話している。

 だがジャッジは無視して干し肉を噛み砕き食べてしまう。


「……、…………!」

「クゥン」


 どうやら王子が全部食べてしまったことを非難したようだ。

 しょげるジャッジの元を離れ、微笑ましく見守っていたサイレンスに駆け寄り生命の樹へ引っ張って行く。


 王子は思いのほか雑に生命の樹に触れ、純白の髪を青白く発光させた。

 柔らかくも鮮烈な輝きに目を細めていると、サイレンスの足元に久しぶりの魔法具が現れる。


 体内魔法を使用する時に飲む水を生成する濾過器。

 世界の傾倒と共に失われてしまっていたそれが、瞬きひとつの間に出現した。

 王子の再現能力は生命の樹が再生したあと見なかったが、失われずに使えるようだ。


 魔法石を回そうとしたサイレンスを止め、水を入れるコップへサイレンスが口に入れた丸い塊ほどの量の樹液を流し込む。

 王子はコップを所定の位置に設置し自らの指で魔法石を回す。


「王子自ら入れてくれる水だ。味わって飲まないといけないな」

「ウォゥン!」


 仲間に入れてもらおうとしたジャッジが王子の腕に阻まれた。

 耳を下げその場に座ったジャッジと王子は、息の合ったコンビのようだ。


(お預けを食らうジャッジには申し訳ないが、実に微笑ましい光景だ)


 バレないように笑い、不満げなジャッジの視線を浴びつつ、コップに溜まった樹液入りの魔法水でのどを潤した。





 何度か出入りをした場所へ訪れた。

 サイレンスが境界線の異常を調べるために世界から出た時も、狩りをしていた時も王子はそこから見える「別の世界」にまったく興味を示さなかった。

 むしろ果ての世界にいるほうが安全だと知っていたのだろう。


 だが今、その境界線に存在する「門」を越える。

 そのために、立っている。


 生命の樹と繋がり続ける王子の能力を外の世界でも安定させるために必要な礎となる準備もできている。

 無滅有属の法則は、引き受ける側に壮絶な悲劇をもたらす。

 故に痛みを訴えない無機物を選ぶ者が多いが、有機物を選択するほうが絆が永く続く。

 憑代がなければ肉体を保てない生命体が支配する世界では、有機物を外で攫い強引な無滅有属を行い肉体を得ている事例もある。

 実験と称し、咎人を使う場合もある。


 すべて知っていてもなお、引き受けると言ったのだ。

 今更怖気づくわけにもいかない。


「ウォウン!」


 先陣を切ったジャッジ。

 懐かしい空気に跳ねるように飛び、楽し気に吠えている。


「キミの感じる世界が、優しくあるよう祈っているよ」


 隣に立つ瘦身の背中を押せば、王子はサイレンスの携行している剣の柄を握りしめて歩き始めた。

 境界線まで数歩、不安そうだがサイレンスに合わせて歩いている。


 見えない門から外の世界の空気が薄く流れ込む。

 その世界の風の気配がサイレンスの顔に当たり、慣れた匂いが鼻腔を刺激した。

 交わることの少ない世界の空気が混ざり合う細い境界線に顔も綻ぶ。


 ジャッジが早く来いと吠えている。


 ジャッジに応えようとした瞬間、背骨がへし折れるかと思うほどの重圧を上から浴びて膝を折った。

 剣の柄から手を離さない王子が同じく地面に膝をつき、支えるように肩に触れたことが遠く感じる。

 視界には見覚えのない白い光が点滅し、頭を上げられないほどの重みで押さえつけられる。


「……っ、こ、これ……は……」


 無滅有属の法則を自身に使った偉大なる師は、起きる現象を「対象の運命をすべて受け入れること」と言っていた。

 事実であれば、王子の運命とはとてつもなく重い。


(だが、支えると私が決めた)


 獅子の爪の重力など比にもならない重みに項垂れ、腕をついて抵抗をしても重圧に負け地面に突っ伏してしまう。

 意識がある分、屈辱すら感じる力の差にサイレンスは歯を食いしばり呻いた。


 剣の柄を握りしめたままと思われる王子を見ようにもどうにもできない。

 重圧はサイレンスの背中から滲むように皮膚を通過し、筋肉に冷たく熱い感覚を広げていく。

 触れた部分から硬化するような痛みに神経が強張り、その神経すらも痛みに飲まれて感覚を削がれた。

 背骨を抜け、肋骨を舐め、臓器に浸透する重みが到達する先には、生きるために重要な内臓がある。


「……く……っ、は……」


 重みに侵された肺から空気が抜けて行く。

 抵抗できず苦しみだけが残る。

 奈落の手を感じたような冷たさに総毛立ち、心臓が緊張に動きを止め始めるのを感覚として脳が記憶した。


「だ……、い…………」


 大丈夫。

 そう言うつもりだったが、無情にも意識はそこで途絶えた。


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