第6話

 呼吸を整え、原色に彩られた周辺に風の防壁結界を張る。

 味方してくれる風はこの場にいなかったが、体内の魔力が結界を補助してくれるはずだ。


「……精気濃度が高いのか?」


 結界を張り、自分たちの周りに境界を作った。

 それだけなのに、感じたことのない柔らかな魔力が満ちていくのがわかる。


「キミ、だね?」


 咎人として封じ込められた王子を見るが、わからないと言うように大きく頭を振った。

 周囲の変化に、ギュッと口唇を強く噛みしめる。

 割れた前髪の中から、絞られた眉が作り出す皺が浮かんでいた。


 己の持つ魔力の知識も与えられないまま閉じ込められ、未だに自分は果ての世界の裏切り者だと思っている。

 その在り方が哀しくて、サイレンスも僅かに眉を寄せた。


 王子が縛られているすべては間違いなのだ。

 どんなに探しても、彼からは咎人の要素は見つからない。

 開放しなければ。


「もうしばらく我慢していて」


 結界を張った半円の全方向に魔法が走るように韻を繋ぎ、獅子の爪を懐から取り出す。


「……」


 心静かに目を伏せ、魔力の放出配分や獅子の爪を使うタイミングなどを計るために集中した。

 その間にも結界内にサイレンスのものではない魔力が満たされていく。

 濃度は変わらない。

 だが、研ぎ澄まされるように聖性を帯びていく。

 僅かにあった、膨大な魔力の放出への不安が消える勢いだ。


(風のように私の魔力に馴染んでいく……なんて質のいい魔力なんだ)


 個々の魔力にも個性がありクセがある。

 融合や合成に合わない魔力も存在しているし、当然質としての優劣もある。

 だが、サイレンスを包む魔力には「個」がなく、サイレンスの放つ魔力に蕩けるように混ざり込む。


 自然を取り込んだような雄大さとすべての能力値を底上げしてくる補助力、それは果ての世界の住人が持つ神秘力そのものだろう。

 過去の英雄たちは、彼らの知識とその力を帯びた武器を手にし大戦に挑んだと聞く。


 膨大な魔力補佐に方向性があやふやになる放出配分を計測し直し、長くゆっくりした深呼吸で全身の力みを緩和した。


 時間をかけ一周した生命の樹を思い描き、細部に至るまでを破壊するための気脈を頭の中で地図にする。

 樹の内部にいることは非常に運がいい。

 これすらも導きかと思うほどに、地図の完成が早い。


 食石で増加した魔力と無尽蔵の聖性魔力に放出意識が刺激され、早くも床に幾筋もの亀裂を生み出した。

 あらゆる方向に意識を飛ばして気脈地図を形成すると、獅子の爪を破壊の鉄槌として大きく掲げる。

 獅子の爪で穿つ部分はただ一点、生命の樹の気脈のヘソだ。


「はああぁあッ!」


 気合と共に全魔力を破壊へ向けた。

 結界の外側でそこら中から軋みが聞こえ始め、湿り気を含んだ亀裂音が重く響く。

 

 手にした獅子の爪は魔法の影響を受け粉砕され、黄金色の渦を巻きながら先端を鋭角に形成した。

 やがて攻撃的な矢のようになると、気脈のヘソを探すために轟に満ちたそこを駆け巡り始める。

 光の尻尾を引きながら巡っていた黄金の矢は、目的地を発見したのか結界を真上から貫き真下へと抜けて行き、ほどなくしてヘソを穿ち途方もない重圧を展開させた。


 地鳴りが足元から響き、先に聞こえていた音すら飲み込み周辺へと走っていく。

 大きな獣も簡単に潰してしまいそうな重圧が、匹敵する揺れよりも早く亀裂を結界の周囲に広げた。


「……っく、これは重いな……!」


 補助の利いた結界も相まって、耐えられないほどではない。

 それでも腕を押し潰してくるような重圧に苦笑が浮かぶ。

 さすがは至高の魔法具だ。


 鉱物や幹が衝撃に割れる。

 風の魔法によって引き裂かれる。

 重圧に形を失くしていくあらゆる音が洪水のように聴覚を襲う。

 そんな中で、分厚い氷にひびが入って軋むような音が聞こえて振り向いた。


 長く少年を拘束していた呪縛鎖が、結界の中に満ちた聖性魔力を受けて飽和しかかっている。

 触れるモノを引き裂く細い鎌がのた打ち回り、僅かに王子の肌を傷つけながらも急速に冷却されるように霜を宿し砕けて行く。

 その様は、呪縛が解けるというよりも浄化のように見えた。

 彼の周囲に聖性の魔力が満たされていれば、悪意の呪縛は簡単に断ち切れたのだろうか。

 そう思うほどに、鎖の破砕はあっけなかった。


「空が」


 ふと明るくなり視線を投げれば、久しぶりに見る鈍色の空。

 崩壊の爆風となり幹の裂け目から外部へ噴出していく風に、サイレンスの緊張が少しだけ解れた。

 瞬間、雷雲に放り込まれ強烈な稲妻の轟きにつんざかれるような衝撃に結界ごとぐらりと身体が傾く。


 一瞬の空中。


 床だった場所が、形を失くし落ちて行く。

 密集していた苔も、蔦も、その下にあった原色の階段も、役目を忘れて形を失い落下していくのが見える。

 階段中央に設えてあった咎人の印の入った豪勢な椅子は形を保ったままだったが気怠げに後を追う。


 全部がゆっくりと見えている中、純白が煌いてハッとした。

 椅子からも呪縛鎖からも解放された王子は、宙に身を投げ出しなすがまま落ちようとしている。


「く……っ!」


 樹の完全破壊まで魔力を放出しなければならないサイレンスは、余力で風を起こして王子を浮遊させることもできず、咄嗟に腕を伸ばして細い手首を掴んだ。

 自らも空に放り投げられている状態だったが、空中は他人よりも慣れている。


「掴まって!」


 そう言ったが相手はもがく素振りもなく、その身体は勢いよく引っ張り寄せたると重さを感じないほど軽い。

 大した抵抗もなくサイレンスに抱き込まれても、全身の力を抜いていた。

 危険を感じて慌てる風もなく、抱きつこうともせず、人形のように四肢をだらりとさせている。

 長く揺らめく頭髪が薄い光を含み、真っ白な翼のように滑らかに広がり浮かんだ。


 変わらず陰鬱な世界が広がっている。

 吹雪のように舞い散る鈍色の葉や破砕された物に遮られながらも、遠くには今は亡き繁栄の城が見えた。


 かなりの高さだ。

 風を纏えば上手く飛べるだろう。

 しかし今のサイレンスにはそれすら難しい。

 ついでに、破壊衝撃を防ぐための結界も弾け消えた。


「すまない、実は魔力を完全に出し尽くしているんだ」


 このままでは地上に激突する。

 身一つでの空中滑空に必要な道具も持ち合わせていない。

 空気抵抗を生み出そうと手足を広げても、身体は速度を上げながら地面に向かっている。


「大丈夫、キミは助ける」


 着地ができずとも、せめて王子の命を守るよう努めなければ。

 英雄は、自分が追う傷のことは考えないものだ。




 抗えない節理の脅威

 引き千切られる痛みと混乱

 過ぎるは不浄

 不要は渦に飲み込まれ塵となる




 落下に揺らめく純白の髪が青白く輝いた。

 何事かと思う間もなくサイレンスの身体は暴風に巻き上げられ、肉を引き裂かれるかと思うほどの風圧に息が詰まる。


(これは!)


 巻き込んだものをことごとく破壊する禍風の渦。

 乱れた場や戦場跡などで発生する風でたまに近くの村や街を崩壊に巻き込む、全世界で「掃除屋」と呼ばれる自然現象のひとつだ。

 サイレンスも幾度か巻き込まれて何とか生還できたが、風の知識を持っていても危険な部類に入る。


(禍風をも再現するのか……!)


 言葉すら発することのできない豪風の中で、サイレンスは禍風の渦を無条件に再現した王子を抱きしめ直した。


(この風に乗れと、そういうことだろうな)


 サイレンスが風の英雄であるからこそ、狂暴だがこの状況に適した風を再現したに違いない。

 上手く乗れば落下は免れるだろうが、風の勢いにもまれ続けると二人の身体が持たない。

 周りを見ると、破壊された木片や土塊なども落下を止めて禍風の勢いに巻き上がりぶつかり合って砕け散っている。

 当たり所が悪ければ即死を免れないそこで、サイレンスは風の流れを読み剣の鞘を舵代わりに器用に滑空して地上を目指した。


「っ、と、と……!」


 無事に風にのって滑空し降りることができたが、着地した先に転がっていた木の根に足を掬われ勢いよく仰向けにひっくり返ってしまった。

 王子を投げ出さないよう抱きしめたまではよかったが、後頭部を地面にしこたま打ちつけてしまう。


「ぃ…………痛い……っ、うぅっ、さすがに痛い……っ」


 ここにきて一番の痛みだ。

 しかし転がり回るワケにもいかず、サイレンスは呻くだけで我慢をしようと歯を噛んだ。

 こういう時、武装している身体は無事だが剥き身である頭部は護りようがない。


「ど、どこか打った、かい?」


 胸の上でもがく王子に慌てて腕から解放すると、彼はすぐさま身体を起こしてサイレンスの後頭部に手を伸ばしてきた。

 迷いなく触れてきた掌は程好く冷たく、髪を割って頭皮を探る指先は痛む場所を確実に捉える。

 コツコツと歯を打つ音が聞こえて、淡い色が顔に触れた。




 共有による痛覚の緩和を




「ああ大丈夫、私の痛みまでキミに背負わせられないよ。ありがとう」

「……」

「心配しないで。慣れているから」


 強がっているのではないかと心配している様子だったが、落ち着いたサイレンスの声音に納得をしたようだ。

 頭から手を離して、サイレンスの胸の上で上半身を起こし座った。

 わかったと言うように微かに頷く王子に、口角が上がる。

 猫が乗っているほどにしか感じない重さに言葉を失うが、再びの地鳴りと大きな揺れにサイレンスも身体を起こした。


 生命の樹は見る限り大破している。

 これ以上の崩壊は起きないはずだが。


 何が起きたのかを確かめようと立ち上がると、ガクンと前方に身体が傾いてバランスを取り直す。

 腕の中の彼を守るように抱え直し、周囲を伺っていると正面に見えていた城が沈んでいくように見える。


(違う……地面が傾いている……果ての世界が傾斜しているんだ!)


 果ての世界の平行を保っていたのは、城と生命の樹だったようだ。

 対である片側が完全になくなり、均衡が保てなくなった世界が一気に傾き始めている。

 世界の揺れは、接触している周辺の世界にまで影響が出ていることだろう。

 早く止めなければ多大な被害が出てしまう。


「どうすれば……!」

「ウオオオォォオン!」


 対策を練り出す間もないほどの速度で傾き続ける世界の轟音の向こう側から、久しぶりに聞く咆哮がやってきた。

 舞い上がる砂煙の中を割って外壁の概念を失った果ての世界に入ってきたのは、サイレンスの帰りを待ち続けていたジャッジだ。

 生命の樹が喪失し、世界を隔てていた壁門がなくなったのだろう。


 巨大化した体躯で突進し、傾く地面を押し戻そうとする。


「ジャッジ!」

「ウォンッ」


 軽いフットワークで何度も傾斜の強くなる地面に向かって突進をするジャッジ。

 身体が当たる度に大きく揺れるが、傾く速度は変わらなかった。


「あ、キミ!」


 サイレンスの腕から抜け出した王子は、転がる木片や石などに足を取られることなくどこかへと走り始める。

 追いかけるサイレンスだが、前を行く人のように速く走れない。

 よく見れば、あちらは傾いた地面に対して垂直に立って走っていた。


(世界干渉の契約か)


 特定の世界の中なら、例え天地が真逆になっても「地面の上で生活ができる契約」という魔法が存在する。

 外部からの干渉を嫌う世界の住人の多くがその魔法を使い、干渉されない世界を作り生きているのだ。


「待つんだ!」


 斜めになりながらもバランスを取り、軽やかに駆けて行く後ろ姿を必死に追いかける。

 全魔力を放出した後では、英雄もただの人だ。

 足元が危うい中で全力で走ったとしても、容易に追いつけるものでもない。


「ジャッジ、あの子の安全を確保するんだ!」


 地鳴りに負けないようにと叫んだサイレンスに、ジャッジは遠吠えで答えると地面への突進を止めた。

 巨大化したジャッジなら、走っている人にも数歩で追いつく。


(彼はどこへ向かって走っている?)


 この状況に恐怖し逃げ出した様子ではない。

 サイレンスが切ってしまった彼の純白の髪が砂埃と鈍色の枯れ葉に舞い、木片に絡みついて後方に転がって行くのを横目に自分も急ぐ。


 王子は巨大な根をよじ登るように乗り越え、破壊されて陥没した生命の樹の中に消えた。

 ギョッとして急いだサイレンスが辿り着く前に、彼の消えた場所に青白い光の円が風船のように膨らんだ。


 地中にあった根すら破壊された生命の樹の中で、何かを庇うように身体を屈めた王子の背中が見える。

 彼の髪が青白く輝き弧を描き、輪をかけるように青白い光が幾重にも広がっている。

 これまで見た再現とは違う何かが行われようとしているようだ。


 傾く速度の落ちない地面に掬われないようにと近くにあった根っこを掴み、サイレンスは王子の背中を見守り続ける。


 光が限界まで重なり、青白かった色が透明な艶を帯びた瞬間、時が止まったような無空間が生まれ、時間を逆流させたように傾斜に抵抗なく転がっていた様々な物が登ってくる。

 単純な逆流ではない。

 そのすべてがドームのように広がっている光に吸収して消えていくのを目の当たりにしたサイレンスは、得も言われぬ興奮に身体が硬直した。

 光に触れて解ける物質は、平等にすべて光の粒となり吸い込まれていく。

 木っ端微塵にした運命の樹の破片、人工物、石、大量の枯れ葉、蔦、苔……全部が無抵抗に消えていく。

 その様は、師匠の許で一度だけ見た逆転の世界創造と同じだ。

 すでに失われていた時間魔法の究極技だと教えられた。

 あの時は再生の構造を知るために掌サイズの小さな箱庭で行われたが、それでも美しいと感嘆した。

 あれをこの規模で見ると美しさを超越し、畏怖すら感じる。


 咎人である彼は、今この世界の中で一番重要な人物なのだ。

 生命の樹を喪ったこの世界を救うことのできる、唯一の存在。


 枯れ果てた生命の樹を破壊したあと、均衡を失うこの世界に降臨し再び均衡を授けることが彼の能力なのだと、本能で理解した。

 生命の樹が生き続けることは全世界にとって重要だ。

 その樹を支える世界の均衡を保つことも大切だ。

 植物には自己再生なる能力が備わっている。

 大きく育ち限界に達した生命の樹が一旦壊れ、再生するサイクルを持っているとすれば、確かに不要な生命の樹は破壊されなくてはならない。


 「咎人を生んでしまった」ことで王族は権威を失い、王族の中で続いていただろう正統なる儀式を外の世界の英雄や冒険者に託すしかなかったのかもしれない。

 きっと、誰が再生するのか見極めることもできなかったのだろう。

 国王は失意の中、奇跡を信じて煌声を放ったに違いない。


「……」


 理由はどうあれ、彼は残された。

 生命の樹の意思が働いていたとしてもおかしくはない。


(あの子を支える決意をした。それは生命の樹を支えると同意なのかもしれないな)


 青白い煌声が生命の樹の意思と繋がっているのであれば、そう捉えてもおかしくはない。

 透明度を保つ青白い煌めきは、果ての世界に散らばった「生命の樹」を丁寧に回収しているようにも見える。

 純白の髪の毛らしきものも、鈍く光りながら一緒に吸い込まれて消えていった。


「…………傾斜が、止まった……?」


 大きな音もなく止まり、今度はゆっくりと慎重に平行に戻り始める地面。

 砂煙を上げて駆けてくるのは巨大化が解かれたジャッジだ。


「ウォンウォンッ」

「ジャッジ!」


 久方振りの再開に思わずサイレンスも事態を忘れてジャッジを抱きしめた。

 懐かしい柔らかさと匂いを胸一杯に吸い込む。


「よくきてくれた。素晴らしいタイミングだったよ、ありがとう!」

「クゥン」


 濡れた鼻の感触に目を細め、未だ青白い光の中に蹲っている王子を見つめる。


 足元を振動させる地響きが収まり、果ての世界が静寂を取り戻したのは数時間後だ。

 散らばった生命の樹を吸い込み続ける光は、薄暗い夕焼けのままの空の下でまだ輝き続けている。


 近寄ることができない謎の威圧に気圧され、サイレンスの身体は動かないままだ。


「邪魔をしてはいけない、ということかな」

「ウォッフ」


 ジャッジを抱きしめたまま、サイレンスは静かに見守り続けた。






 青白い輝きが消えたのは、一昼夜巡った朝だった。

 発光していた王子の髪すら突然に輝きを失った。

 長く艶やかだった髪は、細い毛が気ままに跳ねる短い柔らかさと純白の輝きだけを残した。

 サイレンスを捉えて動かなくさせていた空気もなくなり、ジャッジを連れて彼に近づく。


「大丈夫かい?」


 彼の前には、膝丈ほどの幼木があった。

 しっかりと根を張り、瑞々しい葉を細い枝に広げている。

 

(これが新しい生命の樹……だろうか)


 膝を折り王子を覗き込むと、気配を察したのか顔を背けられてしまった。

 長いままの前髪を引っ張り目を覆う布を隠そうとする。


「多少の呪縛なら耐性があるから平気だよ」

「ウォン!」

「この子はジャッジ。私の大切な相棒で、今回は果ての世界の外で待機していてくれたんだ」


 紹介されたジャッジは、まだ屈んでいる王子に尻尾を振る。

 気安く近づかなかったが、サイレンスが少年に心を許していることは伝わったのだろう。

 警戒されても攻撃的に吠えたりはしなかった。


「その樹は、再現かい?」


 緑の幹、細い枝、まだ弱そうな葉の先は少しだけ純白に染まっている。

 新たな生命の樹の誕生、もしくは再現により、果ての世界の均衡は保たれたのだろう。

 こんな小さな幼木一本で対となる城の重量を支えているとは想像し難いが、生命の樹が司る使命を考えれば十分に釣り合うだけの重みを感じた。


「……、…………」


 彼はコツコツと歯を噛んで、光る空気を吐き出した。




 円環の理に基づく発生と成長

 これは記録の顕現であり再現とは無縁




「つまり完全再生か……この世界は凄いな」


 ここまで完成された世界も珍しい。

 大体がどこか不安定で、他世界の干渉や手助けがあって成り立っていることが多いのだ。


「完全再生なら、キミが見守らなくても大丈夫だろう」


 だから、と手を伸ばしたが目を塞ぐ彼にわかるはずもなく、サイレンスは怯えるように拳を作る細い手を取った。

 接触に驚いたのか王子は逃げるように手を引っ込めて立ち上がる。


「すまない、驚かせてしまったかな。急に触らないように気をつけるよ」

「……」


 気拙いのか王子は俯き、再びしゃがみ込んだ。


「この世界を出よう。たくさんのことを知りたいと思わないかい?」


 サイレンスの言葉に、力なく頭を左右に振る。

 ふわふわの髪が泳いで、鈍い陽光に控えめな煌きを生んだ。


「私が傍にいるから心配しないで」


 そういう問題ではないらしく、王子は少し強めに頭を振る。


 拒否の理由を想像するのは簡単だ。

 彼は生まれてから果ての世界すらも冒険をしたことがない。

 ずっと閉じ込められていたのだから、突然外に出ようと言っても想像ができないだろう。


 それにサイレンスという人間のことも殆ど知らない。

 いくらサイレンスの記憶を再現できたとしても、それだけではわからない部分が多すぎるだろう。

 加えて視界も塞がれ、姿を見てもらうこともできない。


「改めて、自己紹介をするよ。私はサイレンス、今は亡き風の王国第一王子であり風の英雄として様々な世界を旅してきた。世界水準年齢で三十半ば、風の王国年齢では二百歳を超えている。身長は平均的、金の髪と蒼い瞳を持っている。風を繰る英雄だが筋量は多いほうだ。理由は魔法を使うにも体力が必要だから。特に風魔法は体幹も鍛えなければ自由に飛べないからね」


 風の王国が滅びたことで、サイレンスの王国名は失われている。

 名乗ることはできるが、その度に王国を思い出してしまうのでもう長い間使っていなかった。


 王子の様子は変わらず、だがきちんと傾聴している。

 ふわりとした魔力がサイレンスを伺うようにやんわりと包んできた。


「ウォン!」

「キミも改めて紹介したほうがいいのかい?」

「ウォフン」

「わかったよ。私の隣にいるのは相棒のジャッジ。冒険者として風の王国を出たばかりの頃に星月の世界で出会った。魔獣犬でも大型種だが性格は温厚、生が別つ場合にも単独で契約行動ができるほど私とはかなり深い部分まで契約している。楽しいことが好きで食いしん坊、いつでも私を笑顔にしてくれる才能がある」


 その紹介が大いに気に入ったのか、ジャッジはサイレンスの隣に座り胸を張ると一度だけ遠吠えを放った。

 魔獣の遠吠えは種族情報を開示する行為だ。

 魔獣として従属する主を誇り、己の能力を誇示する時にも使われる。


 ジャッジの遠吠えのあと、王子の口元でコツコツと音が響いた。




 黄金の魔獣

 知的で勇猛な能力を持ち、従属は絶対

 琥珀の目は少し先の未来を見、濡れた鼻は過去の痕跡を嗅ぎ取る

 契約で風の加護を持ち、巨大化をしても暴走しない

 好ましい関係に築かれた敬意に誇りを持っている




「褒めてくれたのかい? ありがとう」


 ジャッジはサイレンスの隣を離れ、気配を振りまきながら王子の傍へと移動した。

 硬めの体毛が拳に触れ、王子は困惑の揺れを見せながらも拳を解き細い指先で差し出された頭を触った。

 尻尾を振っているのが伝わるのか、触れている部分を広げ、掌一杯で頭を撫でる。

 その口元に、微かな笑みを見つけてサイレンスも口角を上げた。


「さすがだね。ジャッジのこともわかるのか」




 記録閲覧は容易

 魔族の記録はすべて保管されている

 引用すればいいだけのこと




「簡単そうに言うが、外の世界の人間には容易ではないんだよ。キミの言う記録は膨大な書籍であり記憶だ。それを一つ一つ調べて回るのだから時間もかかる」


 サイレンスの言葉がわからなかったのか首を傾げてしまった。

 ジャッジが見上げていることに気づいたのか、撫でていた手を退けて背中を向ける。


「クゥン」


 大丈夫だと言いたげなジャッジに頭を振ると、王子はまた幼木の傍に座り込んだ。


「王子」


 サイレンスの声に微かに髪が動くが、振り向きはしない。

 それでもいいと、言葉を続ける。


「キミのことも私たちに教えてくれないかい」


 返事を待つが、動かない。

 急かそうとするジャッジを止め、サイレンスはそのままの距離から再び声をかけた。


「キミが再現していたこの世界は幸福に満ちていた。人々の愛情を一身に受け育ったキミが咎人として罵られあの場所に閉じ込められた経緯を、できるなら教えてほしい。辛い記憶だ、無理強いはしないよ。けれど、キミのことをもう少しだけ知りたいんだ」

「……」

「この世界から攫い出すのは簡単だが、キミとこの世界、そして生命の樹の繋がりをきちんと把握しておきたいと思っている。なぜなら、私はキミを支えるという選択をしたからね」

「…………」


 本人にとっては難しい判断を迫られているはずだ。

 無理強いをするつもりもないから、サイレンスは離れた距離に腰を下ろす。

 隣に座って体重をかけてくるジャッジの背中を撫でながら装備品を確認したが、禍風の渦との遭遇により小物はすべてなくなっている。

 それを認識すると、腹がぐう、と鳴った。

 そろそろ何かを口にしなければ、魔法を使って疲労した血肉に栄養が行き渡らない。


「ジャッジ、任せていた荷物を持ってきてくれるかい」

「ウォン!」


 サイレンスの言葉に元気に返事をしたジャッジは迷うことなく走り始めた。

 城のほうへ走る後姿を見送りながら、頬に当たった風に新緑の香りを感じる。


「木々がもう芽吹き始めているな」


 色を失い灰色だった果ての世界に、本来の色が戻りつつあるようだ。

 水で溶かしたような淡い緑が城の周辺に滲み始めている。

 王子を驚かせないように立ち上がり、傍にある生命の樹の幼木を確認すると僅かに成長しているのが見て取れた。


「生命の樹が再生すると、この世界の生命力が目覚めていくのか……」


 果ての世界は生命の樹と運命を共にしているということだろう。

 どこよりも確立された古からの世界に、サイレンスは驚いてばかりだ。


「お腹は減っていないかい?」

「……」


 微かに首を振る王子は、長く迷う素振りを見せた。

 もじもじと手を口元へやり、声音のない口を動かしている。

 どうしたのかと聞けば引いてしまうと思ったサイレンスは、王子の自発的な行動を最後まで見守ることにした。

 なにがしたかったのかわからず終いであっても、王子のことを知る手掛かりにはなるだろう。


「ん?」


 惑っていた指が口元から離れ、慎重にサイレンスのほうへと伸ばされる。

 腕を伸ばして触れられるほどの距離を保ち、片膝をついた。


「触れてもいいのかい?」


 問いに困ったのか、王子は俯いてしまった。

 彼にとって他人に手を伸ばすことがどれほどの勇気なのか、あの夢を思えば計り知れない。

 サイレンスは驚かさないようにと伸ばされた指に下から指先で触れ、第二関節くらいまで数本の指で接触した。

 王子の指先にほんの少しだけ感じた力加減を認識する間もなく、視界が青白い光に包まれる。


 王族の食事風景のようだ。

 優雅な食卓だが、テーブルに乗っている物はサイレンスが食べるような「料理」ではなかった。

 生命の樹の中で散々見た蔦が、着席している彼らの前に一本だけ置かれている。

 談笑しているところを見ると、いつもの食事なのだろう。

 独特な色と模様を絵付けされた皿を持ち利き手に自らの煌声を一粒乗せ、それを蔦に押しつける。

 煌声が蔦に吸い込まれると湧き水のように同じ色の光の粒がいくつも溢れ出して、待ち構える皿の上に零れ落ちていく。

 指を離せば光は止まり、皿の上に盛られた光の粒を彼らは上品に二股のフォークで刺して口に運んだ。


「料理とは概念の違う食事だ」


 味覚はないのだろうか。

 いや、植物だと考えれば光を食べるのも頷ける。


(生命の樹の直系だと思い知らされるな)


 全身での光合成ではなく、凝縮された光を口から摂取する。

 訪れる英雄たちとの会食を可能にするためかもしれない。

 友好的に交流しやすい姿を選択したと仮定すれば、彼らなら不可能ではない気がする。


 美味しそうに光の粒を口に運び、幸福に満ちた笑顔と煌声で部屋を輝かせる人々からはひとかけらも悪意を感じない。

 それほど無垢だからこそ、一点の闇が清らかな心を一気に蝕んだのだろう。


「ありがとう、貴重な記録だった」

「……」

「キミがあの場で生長られた理由がわかったよ」

「…………」

「あの光の粒を食べてみたいな」


 おかしなことを言い出した、そんな空気で首を捻った王子の顔面が自分に向くのを見て目を細める。

 己に巻かれた呪縛布を気にしているが、サイレンスへの警戒は薄くなってきているようだ。


「どんな味だろうか。温かいのか冷たいのか、硬さはあるのか。ああ、たくさん想像をするととてもお腹が減ってきた!」


 興味が湧いて、つい早口になってしまった。

 呆然とする王子に「はは」と気拙く小さく乾いた笑いを漏らす。




 枯れない泉の如き心の明るさ

 風の如き軽快さ

 光食への探求は記録するに値する




「いや、個人的に好奇心が強いだけで大したことではない。冒険を共にした仲間からは確かに「風属性っぽい」と幾度か言われたが、私はこの好奇心でこれまで多くを乗り越えてきた。それだけなんだ」


 歯を鳴らして煌声を吐き出した王子の言葉が素直すぎて申し訳ない。

 サイレンス以上に好奇心の塊みたいな人はたくさんいるし、記録に値するほどのことも言っていない。


「……」


 また、何かを考えている。

 柔らかい風に王子の髪が揺れ、その度に純白のさざ波がサイレンスの視界にキラキラと映る。

 美しい水面のような輝きに知らず口角を上げていると、ジャッジが掛けて戻ってきた。


 だが、彼が加えて持ってきたのは寝袋一式だけだ。


「ジャッジ、他の荷物はどうした?」

「キュゥン」

「世界の傾斜が始まった時に、奈落に落ちてしまったか……」

「ウォン」


 人が生きて入ることのできない世界と世界の狭間にある奈落。

 世界が崩壊したりズレたりした時にだけ姿を見せるそこに、サイレンスの荷物の大部分が落ちてしまったのかもしれない。

 項垂れるジャッジを撫でて、持ってきてくれたことに感謝した。


「仕方がない、現地調達だ」

「ウォンウォンッ」


 これ以上、空腹では耐えられない。

 魔力の回復速度を上げるためにも、果ての世界を出た辺りで狩りをして腹を満たさなければ。


 驚かせないようにゆっくり立ち、気配を見上げてくる王子にも声をかけた。


「できれば、近くにいてほしいんだが……ついてきてはくれないかな」

「……」


 頭を振って幼木の隣に座り込むと思っていた。

 だが、王子はそろりと立ち上がって手を伸ばしてくる。

 傍に寄るジャッジの頭を撫で、伸ばしたままの手をさらに伸ばし手を取るように促しているようだ。


「ここから出なくてもいいよ。ジャッジと一緒にいてくれればいい」


 サイレンスの声に、王子は初めてしっかりと頷いた。

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